紅茶の味

紅茶を飲んでいて、ふと思った。私はいつから紅茶が好きになったんだろう・・・と。
よくよく考えてみると、最初に家で紅茶を飲み始めたのは3つ上の姉だった。私が高校生、姉が大学生くらいだったのではないかと思う。
茶葉を使って紅茶をいれ、砂糖もミルクも入れずに飲む。夏は夏で、「アイスティーはアールグレイを使うと美味しいねんで」と言って、トワイニングのアールグレイを買って来て、アイスティーを作り、ガブガブと飲んでいた。
それまで紅茶と言えば、リプトンのティーバッグくらいしか知らなかった私にとって、ストレートで本格的な紅茶を飲むのはものすごくカッコイイことのように思えた。ましてや「アールグレイ」なんて知っていると、それだけで「紅茶通」みたいな気がして憧れた。
そんなわけで私も姉と同じように紅茶を茶葉でいれてストレートで飲むようになったのだ。

この姉について語ろうと思えば、連載ができるほどネタはあるのだが、たぶん姉はこんなところで自分のことを書かれることを好まないタイプだと思うので、ちょっとだけにしよう。
彼女は私とはまったく違う人種である。
私と同じく少し歪んでいるのだが、歪み方がまったく違う方向に行ってしまったという感じか。
彼女の性格を分析すると、まず真面目。それもクソが付くくらい真面目である。我慢強い。これは本当に一番尊敬できる部分だ。倹約家。私のできないような節約をする。自己表現が下手。自分のことをHPに書いている私のことなんか宇宙人みたいに思ってると思う。人付き合いが苦手。あまり深くは人と関わらないタイプだ。派手なことや贅沢が好き。基本的にはお姫様みたいに暮らしたいと思っている。

子供の頃、姉と同じ部屋で寝ていたのだが、彼女は毎日夜中まで机に向かって勉強していた。私は中学生になるとこんなに勉強が大変なのかと思い、ぞっとしていた。(実際はそんなことなかったが)
中学で彼女は一番成績が良かった。おそらくオール10であったと思う。全国模試でも名前が載るくらいだった。そのくせスポーツもできた。特に持久力があり、マラソンではいつもトップ。当然、高校は学区で一番の高校に、「当日熱が出ても合格します」と先生に言われたという伝説(?)があるくらいだ。
と言っても、決してガリ勉というタイプではなく、いつも髪の毛をクルクルにして、制服も変形させて、とても賢いようには見えなかった。先生にとったらタチの悪いタイプだ。

しかし、高校に入ったら彼女はまったく勉強しなくなり、遊び暮らしていた。なんとか私立の女子大に入ったが、今度は毎日赤や黄色や紫や・・・といった洋服と、大きなピアス、ブランドもののバッグ、ゴールドのハイヒール・・・という、今思えばなんとも80年代後半そのものを表す格好で街を歩いていた。ボディコンにワンレン・・・もう誰もしていない、バブリーな頃のスタイルだ。
男の人もいつもそばにいたように思う。何人か彼氏のことを覚えている。ただ、「この人のことが好きで・・・」という話は聞いたことがなかった。いつも文句ばっかりだった。
「ちょっと、信じられる?! 私より遅れてきてんで!」
「あの男はもう絶対嫌! なんとワリカンって言うねんで!」
「いい人なんやけど、服装がなぁ・・・」
などなど。
そして、最後には私にこう言う。
「かおぴ♪ 紅茶飲みたくない?」
これは「私は紅茶が飲みたいから、いれなさい」という合図である。私が飲みたくても、飲みたくなくても、紅茶はいれなくてはならないのだ。彼女は家の中で「お姫様」だった。

その頃、高校生だった私は、バンドブームにのっかって、マニアックな音楽ばかり聴いていた。姉は私の聴いている音楽などまったく理解できず、いつもバカにしたように「あんたはマニアックやな・・・」と言った。自分の友達に私のことを話すときも、「ああー、マニアックな妹やねん」と言っていたらしい。
彼女と私はまったく理解し合えることがなかった。

ある時、彼女に変化が起きた。
誰かと電話しているとき、普段家で笑うような普通の笑い方で爆笑しているのだ。なんということもない話のようだが、彼女は男の人と話すとき、完全に違う人になっていたから、こんな普通の態度を出せる男性がいるのかとびっくりした。
それが、今のダンナである。
彼女はダンナを最初は「友達」としか思わず、男性として見ていなかったようなのだ。だから、自分の地を出し切っていた。今思えば、それが良かったのかもしれない。

大学を卒業した後は大手の銀行に就職。26歳で結婚。数年後、子供ができて退職。コツコツと貯めたお金でマンションを購入。そんな人生である。
同じ姉妹でどうしてここまで違うのか。彼女は絵に描いたようなエリートコース、平凡な家庭。私はと言えば、浪人して大学は行ったものの、「作家になる」とか言って就職もせずプータロー。そして、いつのまにかフリーライターになっていた。
私は彼女がますますマニアックになっていく私をずっとバカにして生きていると思っていた。歩もうと思えば歩めたエリートコースを捨ててしまうような生き方も、もったいないと思っていると疑っていなかった。
だが、ライターになって何年か経った時、彼女が言った。
「・・・あんたはいいね・・・」
私にはその言葉の意味がしばらくわからなかった。
「あんたはいいね」
彼女は確かにそう言ったのだ。それから、何を思ったのか、こんなことまで言った。
「人に、あんたのこと言うとき、いつも自慢してる。フリーでライターやってるんですって、自慢してる」

あの時、私はどんな顔をしたんだっけな・・・
もう思い出せないけれど、とても不思議な気がしたことを覚えている。そして、ようやく、彼女のことがわかったような気がしたのだ。
ものすごく不器用な人なんだな、と。かわいく甘えることができず、わがまま言うことしかできなかった。何かしたくても、どうやっていいかわからず、ただ真面目にこなしていくしかなかった。そんな人なのだと。
子供の頃、母と姉と3人で歩いているとき、もしくは父と姉と3人で歩いているとき、私はいつも母か父の手を握っていた。私はお調子者で、次女らしいひょうきんさをもっていて、甘え上手で、父からも母からもかわいがられていたのだ。
人ごみの中で、ふと気付くといつも姉がいない。
怖くなってキョロキョロと探すと、姉はちょっと離れた後ろから、一人で歩いて付いてくる。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と、私は姉がどこかへ行ってしまうんではないかと、不安で仕方がなかった。なぜ、父の手を、なぜ、母の手を握らないのだろうか、と。まだ1つ手は空いているのに。
でも、子供だった私はそうは言えない。ただ、いつも後ろを振り返って姉の姿を探していた。姉が何を考えていたのかは知らない。
でも、甘えるのがとても下手で、いつのまにか自分の希望を言うときには、「わがまま」なスタイルしかとれなくなっていたようだ。

「私はお金持ちの人としか結婚しない! お金があれば家族も仲良くなるから!」
「子供なんか大嫌い。汚いし、うるさいし・・・」
そう言っていた姉は、普通のサラリーマンと結婚し、子供を生んだ。
子供を産んだ日、母が感心したように言った。
「あの子は本当に我慢強いわ・・・。結構難産だったのにね、普通は苦しくてちょっとくらい声を出したりするもんなのよ。でも、あの子は一言も声を上げたり、泣き事言ったりしなかった」
はー、そうなのか、と姉の強さを見たような気がした。
が、病院で彼女は私を見るとまずこう言った。
「よくさ、産んだ後はあまりに痛くてもう二度と産みたくないって言ってても、何年かしたらそんなの忘れてまた産みたくなるって言うやん? でも、あたしは、絶対に産まない! あの痛さは一生忘れない!」
この言葉通りなのか、娘・ひなのが4歳になった今も、彼女は2人目を作ろうとは思っていないみたいだ。

子供が生まれると、彼女は変わった。
あんなに大嫌いと言っていたのに、かわいがりすぎだろうといわれるほどにかわいがった。
彼女が「おどけ者」になっているところなど、見たことがなかった私は、すっかりおどけ者になっているのを見て、かなりショックを受けた。あんなの姉ではない!
しかし、おかげでひなのはとても愛らしい性格に育っている。
子育ては楽しくて楽しく仕方がないようだ。
初めて、本当に初めて、生き生きとしている姉を見たように思う。

だけど、ただ一つ変わらないのは、たまに実家で会うと、必ずこう言うことだ。
「かおぴ♪ 紅茶飲みたくない?」



◎今回のテーマ◎
      「あなたの兄弟・姉妹はどんな生き方をしていますか?」


                                    2003/03/23