第7話 「 徳川家康 (2) 」   2006年10月4日(木)

 
家康花押の謎(その1)


1542年徳川家岡崎城主松平広忠の 嫡男として 誕生する。(幼名竹千代)

6歳の時に今川家に人質として送られる途中、三河渥美郡、戸田康光に奪われ、
織田信秀の元に送られる。

2年後松平弘広忠は暗殺され、今川が岡崎城を占領、竹千代は今川の人質として駿府に移る。

1555年13歳、元服し元信と名乗り、後に元康と改名をする。
1560年18歳の時に織田信長により桶狭間の戦いで今川義元が破れ家康(元康)は岡崎城に入城。

1563年20歳、家康と改名する。

花押を持つのは元服した時とされているので、13歳から花押を持ち家康と改名するまでの7年間。
 
今川家に人質として過ごした5年間。特に元服をはさんだ5年間に意味があります。
下記の家康の花押「No1」は明らかに元康の文字を使用しています。

「NO2」は今川義元の花押をそのまま引き継いでいます。(類似)

平安・鎌倉の花押は上下関係を重視した追従型が多かったのに対して戦国時代に入り、
自分の意思や 力を示す指向型が多く出るようになりました。


家康の立場や性格を考えると「No2」の義元に類似した花押を使う事は充分考えられる事です。
 
 
「NO、3」の花押は家康になってからのものですが、2の花押と共通する部分、反した部分があります。
義元からの脱却、義元への愛着の2つの心が鮮明に現われています。
 
家康の花押型は天地を重視した明朝体と長く言われてきましたが、本当にそうなのか
その辺を少し別な角度から見つめてみようと思います。
 
・・・では次回をお楽しみに   鶴川記

 第6話 「 徳川家康 (1) 」   2006年9月23日(土)

 
下記の家康の書状に書かれた花押2点

左が1600年頃、中が1593年にかかれたものです。

右は別な書状から模写したものですが、2点はほぼ同じ書き方をしていますが

右は少し異なっています。

 1画目の横線の最後からの書き方に相違があります。

この違いは何を表しているのか、別な佑筆家(代筆をする人)が書いたのか、それとも
年齢によって書き方が違ってきてそうなったのか。
その前に何の文字をつかって書いたか調べてみましたが、いろんな資料によると

1:「家康」 の文字を使用
2:「康」 を使用
3:「家」 を使用
4:「徳」 を使用
5:「易学から作成」

 この5つに分かれていました。
下記の書状2点は筆跡からみて同一人物に依って、かかれたものに間違いは無く、書状の内容から家康本人の
自筆に間違いないでしょう。
先日購入した昭和39年に出版された本の資料によると書き順が違うように見える花押がありました。
 
書き順が異なるという事は使用文字も異なる可能性がありますが、この家康の花押の場合は
形状からみて同じ文字を使用したと考えて良いと思います。
 
一番有名な花押でさえ解釈が違うので、調べてみるとも白い事が沢山あります。
ちなみに私の解釈では、上記の5つとも当てはまらないように考えています。
それについては又、機会を見て発表したいと思っています。
 

左、書簡より

中、書簡より

左、模写

・・・では次回をお楽しみに   鶴川記


 第5話 「 花押を使う 」   2006年4月20日(木)


  昨夜遅く帰ってTVを見ていたら都知事の石原新太郎氏が番組の中で

色紙を書いてプレゼントする企画がありました。

言葉を書いて隣に名前を書いて、その横に花押を書いていました。

 

 チラッと見えただけでしたが家康のような花押でした。

気が付いた人は少ないと思いますが、見た感じでは政治指向型と見えました。
 
 政治を志し人に多い形ですが、今日のでもセミナーでも花押を知っていたは
今日のセミナーでも花押を知っていた人は少なかったのですが

講座が進むにつれ大変な盛り上がりになってきました。
 
花押がその人にもたらすものは自己改革なのでしょうか。
静かに自分を見つめる機会を与えてくれる魔法の水のような自分だけの秘薬なのか。。。
 
これは私の花押です
象嵌作家 白水祐介様作
・・・では次回をお楽しみに   鶴川記

 第4話 「 自分ブランド 」   2006年4月4日(火)


 自分ブランド・・・花押だけでなく自分が身につけ使用する、ただひとつのもの。

その価値を見出すのは何か。特に日本では伝統と呼ばれるものには制作した人の心が入り

単純に商品価値だけで安い高いを決められないものがあります。

 

 著名な漆塗りの人が制作したものに名前を入れないと言っていました。

その作品を見ただけで誰が制作したかわかるほどの価値ある作品なのです。
何日も何ヶ月もかけ制作した作品。そしてそこに行くまでの何十年の努力の結晶。
その積み重ねられた価値が漆塗りに現れています。
 
 デザインだけで終わるのではなく、その中に込められた人生の重みと風雪が作品であり
価値であると思います。

過去の花押にもその重みがありそれが伝統として息づく由縁なのです。
 
花押は署名でもありますが「花押」である由縁は人そのものの内に秘められた人生にあり
私が花押を制作するのは、人生の鏡を制作しているのです。

 

「徳川家康」 花押 
この文書は外国のコレクターが所蔵していた家康の「関が原」の戦いの
前に書かれた貴重な書状の一部です。
この書状の解読を昨年依頼されました。

・・・では次回をお楽しみに   鶴川記

 第3話 「伊達政宗 (1) 」  2006年2月25日(土)

 伊達政宗の花押は20数種類あるといわれています。

私はこのいくつも花押を持つというより変えていくことの気持ちが分かるような気がします。

1つの信念を持ち、それが花押に表れ通すとことも大事です。

気持ちにおいては同じように思います。
 政宗が秀吉の小田原攻めに参陣するかどうか、家臣の中でも意見が真っ二つに分かれた時
最後は自らの意志で参陣を決めました 。
 後に「大事の義は人に談合せず、一心に究めたるがよし」と言ったといわれています。

政宗24歳の時でした。
生死をかけた時の決断の鑑が花押だったと思われます。
 「伊達政宗」 花押
・・・では次回をお楽しみに   鶴川記

 第2話 「花押」  2006年1月16日(月)


 花押はいつ頃から花押という形をとり始めたのか。

平安時代に花押らしい形が出来上がりましたが、この時に考えますと

どういう思いがあって使ったのか考えてしまいます。

きちっとした楷書から柔らかい草書になって、文字を書く、そして自分の名前を書くという行為の
意味を考える必要があるのかもしれません。


 自分の名前を書く行為、昔から名前を汚す、家系の恥、先祖代々などいう言葉があるように

プライドを守る行為がその中に含まれていまれています。
衣装において身分の違いがあるように、花押を書くことで書類上でも、
その身分を表していたと考えます。

  自分の名前に対しての責任と、自分の地位などの形として両方の主張と誇りがそこにあったのでしょう。

時代が変わっても人の心の思いは変らないようです。

 「鮨ねぎし」ランチョマット
・・・では次回をお楽しみに   鶴川記

 第1話 「花押」  2006年1月1日(日)


 
  花押のおはなしの第1話をお贈りいたします。

このコーナーでは花押の歴史も含め花押が私たちの身近にどのように息づいているのか、

絶えることなく1000年の歴史が続いたことを意識し、その奥深さに触れていこうとおもいます。


  それでは「花押」とは何を指して花押と呼ぶのでしょうか?

皆さんが書類や手持ちのものに書くサイン。そうです通常サインといわれている署名のことをいいます。

昔の古文書などを見ると、随分変った花押がありますね。とても文字とは言えないような

まるで花のような形をしたり図案化したようにあでやかな如何にも日本風なイメージがあります。

  その花のような形をした署名、それが「花押」と呼ばれるゆえんなんです。
漢字文化の繊細さと仮名文字に見られる流暢な、平安絵巻のような華麗さがありますね。
今日からその花押を少しづつ身近に感じながら解き明かしたり、自分の役に立てたり

様々な角度から花押に親しんでいく予定でいます。

 「鮨ねぎし」コースター
 鶴川記
 
 
 
 
 
 
 

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