ここでは、上毛新聞「ジュニア俳壇」第1回(1997年1月28日)より現在までの間に取り上げられた作品の中から、上毛新聞社の了解のもとに、私が選評を書いたものを抜粋して紹介しています。学年は投稿時のもので、作品は随時更新します。また、各作品の著作権は、作者本人に帰属します。
「ジュニア俳壇」は毎週水曜日掲載、林桂さんと私が交互に選を担当し、年間6万句あまりの作品が寄せられています。
なお、1999年11月16日以降の掲載分については、上毛新聞社のサイト「雷神コム」ですべての作品をご覧になれます。(リンクあり)


 
秀作集・その1  秀作集・その2  秀作集・その3

 
秀作集・その4  秀作集・その5  秀作集・その6

 
秀作集・その7  秀作集・その8  秀作集・その9

 
■年間賞受賞作品集 第1回第2回第3回第4回第5回第6回

 ■ジュニア上毛賞・文学賞受賞作品集

 
 第1回 第2回 第3回 第4回 第5回

 ■上毛ジュニア俳壇優秀作品(年間回顧)

 
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秀作集・その10

 
●小学生以下

あきのみちおれんじいろにひかってる  小1つづきみかこ
 
【評】夕やけにそまった道でしょうか。オレンジ色に光って、まるでゆめの国へとつながっているかのようです。わたしも歩いてみたいなあ。

あかちゃんだいたらあついおとしそう  小2しな川ありさ

 【評】赤ちゃんの体温って、けっこう高いんだよね。落とさないよう、暑いのをこらえて、いっしょうけんめいだっこしているありささん。

だいプールはいったあとはいきあらい  小2中村  桜

 
【評】「いきあらい」という言葉に、すごく実感があります。桜さんがいっしょうけんめいに泳いだということも、よくつたわってきます。

プールの中光がそわそわおよいでる  小3なか谷 花
 【評】水に反射(はんしゃ)した細かな光を、「そわそわ」と表現したのがおもしろい。プールを楽しむ花さんの心の中も、何となくわかる気がします。

雪の朝げんかん何どもあけてみる    小3原田ゆりか

 【評】家のげんかんを何度もあけて、雪がどれくらいつもったかをたしかめるのです。雪の日のはずんだ気分が、とてもすなおに出ています。

プールそうじ上級生の声ひびく      小4森山美沙紀

 【評】上級生たちが大きな声をひびかせて、てきぱきとプールそうじをしているのでしょう。そんな上級生って、何だかかっこいいですね。

大そうじつくえの上も新学期        小5桜沢 美玖

 【評】「つくえの上も」という発見がいい。新学期を迎えるすがすがしい気分と、勉強や運動に対する意気ごみが、素直に伝わってきます。

麦畑すうっと見える風の道         小5山本瑠璃子

 【評】一面金色の麦畑を、初夏の風が渡ってゆきます。「すうっと見える風の道」で、その光景がありありと目に浮かぶ、とてもいい俳句。

学校のベランダいっぱい水着ほす    小6諏訪 佳祐

 【評】ベランダいっぱいに干された水着が、ぱっと目に浮かびます。プールの楽しさやクラスの連帯感も、たいへんよく伝わってきますね。

しんしんと緑がにおう妙義山       小6猿谷 雅人

 
【評】「しんしんと」という表現に感心しました。山の緑の深さはもとより、そのにおいまでもが、豊かな臨場感と共に伝わってきます。


 ●中学生

着ぶくれの私が走る通学路        中1山中 咲乃

 
【評】遅刻しそうなのでしょうか。防寒のために重ね着をした作者が走ってゆく姿は、何ともユーモラス。もちろん、当人は必死なのですが。

空見ればセメントみたいなあつさかな   中1丸山  唯

 
【評】梅雨どきのどんよりと曇った空に、「セメント」という比喩(ひゆ)がぴったりです。「あつさ」は、「厚さ」とも「暑さ」とも読めますね。

花吹雪手の中見ても花はなく       中1斉藤  恵

 
【評】「手の中見ても」で、美しくもはかない花吹雪のイメージが、見事に描かれています。斉藤さんの心の中も、おのずと想像されます。

太陽へまっすぐのびる凧の糸       中2岡田  開

 
【評】凧(たこ)揚げの伸びやかな気分を、見事にとらえました。太陽へ向かってぴんと張った糸から、自然の力がぐんぐん伝わってくる感じです。

ストーブに集まり覚える百人一首     中2佐藤 未菜

 
【評】百人一首大会に備え、友だちと一緒に暗記しているのでしょう。学校生活が和気あいあいとした雰囲気の中に描かれ、好感が持てます。

食卓の芋は影濃く秋の風         中2唐沢 秀行

 
【評】食卓に置かれたイモ。すぐれた静物画を思わせるような句で、詠法の巧みさは大人顔負け。「影濃く」が、いかにも秋という感じです。

机には冬の寒さが積もってる       中3唐沢 聖美

 
【評】整理が苦手な私などは、机の上にいろんなものが山積みです。そんな状態をあらためて眺めると、この句の寒さも一段と身にしみます。

かくれんぼかくれた時に秋を見た     中3清水  勝

 
【評】「かくれんぼ三つかぞえて冬となる」(寺山修司)を連想。かくれんぼは、日常から遊離したような不思議な気分になる遊びですね。

青い鳥自由に飛べぬ戦火かな      中3平方 良季

 
【評】イラクをはじめ、いまだに戦火の消えない国を思います。青い鳥が飛べる日をどうしたら実現できるか、私たちも真剣に考えましょう。

扇風機風を分け合う授業中        中3神戸 円香

 
【評】「風を分け合う」がいい。クラスというのは、こうしてみんなで苦楽を分け合うのが理想的な姿です。この気持ちを、どうか大切に。


 ●高校生以上

五月晴れ紙の飛行機吸い込まれ     高1小野里美穂
 
【評】「五月(さつき)晴れ」は本来、梅雨の晴間を言います。青空に、すっと消えてゆく白い紙飛行機の映像。若い人ならではの叙情性を感じます。

好きですとふざけて笑う万愚節      高1石井 綾香

 
【評】「万愚節」は、エープリル・フールのこと。どこかほろ苦さを感じるのは、「ふざけて」が照れ隠しで、実は本心の告白だったから?

何もない空に向かって鳴る風鈴      高1宮川真理子

 
【評】風鈴がいくら鳴っても、空は無表情のまま。こんなとき、空の広さがかえってむなしく思えてきます。青春の憂愁を感じさせる作品。

太陽の気分も良好夏休み         高2東  美沙

 
【評】見るからに開放的な気分にあふれた作品。東さんが夏休みを存分に楽しんだということが端的に伝わり、読んでとても気持ちがいい。

風花に寂寞とした夢を見る        高2五十嵐芽久美

 
【評】「寂寞(せきばく)」は、さびしくひっそりしていること。作者の内面も、同様なのでしょう。美しくもはかない風花が、たいへん効いています。

冬の虹午後の教室にぎわいぬ  養護学校高2岸  昌燈
 
【評】だれかが冬の虹に気づき、しばし教室内がざわめきます。そんな日常の一こまが叙情的に、奇をてらうことなく描かれているのがいい。

夏まつり花火は空に逃げていき      高3高橋 沙織

 
【評】夜空を華麗に彩り、たちまち消えてゆく花火。それを「逃げていき」ととらえ、青春期ならではの心理的陰翳を持たせたのがよかった。

晩秋の終わることなき風の旅        高3萩原 昌志

 
【評】空を吹き渡る風は、どこまでゆくのでしょうか。終わりのない旅は、あこがれを誘うと共に、ある種の徒労感も漂わせているようです。

ブレザーは昼の桜の香りする        高3関本 真里

 
【評】サクラの下で、楽しいひとときを過ごしたのでしょう。その余韻がサクラの香りと共に、制服に残っているように感じられるのです。

懐かしき友歩きくる霞かな          高3石毛 寛子

 
【評】季語の用い方、文体、共に大人の俳句の領域に達しています。「友」は現実の存在とも幻影とも解釈でき、読者の想像も広がります。



「17音に青春かけて」
(「上毛新聞」1997年1月1日・インタビュー記事より抜粋)

ジュニア俳壇の必要性、意義について、どうお考えですか。
鈴木
 総体的には「俳句の底辺拡大」、「青少年の活字離れ・文学離れの歯止め」、さらには「創作活動を通じての情操育成」などが目的であることは言うまでもありませんが、何よりもこれらの要件を支える前提として、まずジュニア俳壇の「継続性」に大きな意義があるものと思います。周知の通り、近年、多くの自治体や有力企業の主催による俳句大会が、相当数の応募のもとに毎月のように行われています。その中には青少年部門が併設されている大会も少なくありません。また、すぐれた青少年の作品が散見されることも確かですが、いかんせん、ほとんどの大会が年一回のお祭りでしかありません。これではすぐれた表現力を持ち、青少年期でしか書き得ない俳句を作る人たちには、いかにも食い足りない思いを抱かせるでしょう。その点からも、毎週作品発表の場が提供されるというのは意味があるし、自らの表現力の基盤をより強固なものとするためにも有効だろうと思います。
 また、もう少し個別に見れば、募集形態を年齢別三ジャンルに分けたというのも大事な点で、その一つにそれぞれの年齢に合わせた指導が可能だということがあります。たとえば「小学校四年生以下」の部では、俳句というものが子供たちにとって最初の「定型体験」であるでしょう。この時期の子供たちは、毎日のように語彙(い)が豊かになり、それにつれて言葉の流れや韻律に魅力を覚えてくると思います。そうした「詩の芽生え」の時期に体験する定型、つまり定まった形の中に自分の思いを当てはめてゆく作業は、一種のパズル的面白さも伴って興味をひくのではないでしょうか。それが子供たちの言葉の形成と表現力の涵養(かんよう)に役立ち、ひいては教師や親たちが国語教育について再考するきっかけにでもなれば素晴らしいと思います。

俳句人口は多いが、若者の参加は少ない、その理由は。
鈴木
 なぜ青少年が俳句に抵抗を覚えるのかと言えば、結局、「俳句を体験する場」が学校にも家庭にもほとんど無いからだということになるでしょう。俳句を体験するとは、自分の身に引き付けて俳句を読む、つまり小学生は小学生なりに、中学、高校、大学生もまたそれぞれが、それまで身に付けた知識や経験などから自分なりの読みを導き出すことと言ってよいと思いますが、それは従来の国語の授業ではたいへん難しいのではないでしょうか。教科書に採録されている俳句の多くは、すでに歴史的評価を得た「名作」ではあっても、青少年が自分の身に引き付けて読める作品ではありません。俳句とはこういうものかという固定した知識を得るだけで、よほど自覚的な教師に出会うか、家族が俳句を作ってでもいない限り、創作にはとても結びつかないでしょう。その点でも、ジュニア俳壇で自分と同世代の作品に接し、そこに表現された世界を共有することができるのは大きいと思います。

季語や定型に抵抗のある人もいるが。
鈴木
 確かに「季語や定型に抵抗がある」との声も聞きます。しかし、指導者は少なくとも季語が歴史的習慣に基づく約束事に過ぎないこと、従って青少年には季語など無理に押し付けず自然な体験にゆだねるのが望ましいこと。むしろ五七五という形を優先すること。「季語」と「定型」は内容と形式というまったく異なった性質の問題であり、「形式」自体は青少年にもさほど抵抗なく受け入れられるということなどを、きちんと識別しておくべきでしょう。
 いずれにせよ、教育的意図という名目のもとに、俳句を単なる教材として取り扱わないということに尽きると思います。

今後、応募するジュニアに一言アドバイスを。
鈴木
 俳句に限らず、創作というのは結局のところきわめて孤独な行為です。高校生以上の部に投句される人たちは、かなり自覚的に俳句に取り組んでおられると思いますので、その辺りのことも併せて認識し、むしろそれをバネに自らの作品を鍛えていってほしいと思います。
 小学校高学年から中学生の人たちは表現技術が相当身に付いてくる年代だと思いますが、そのためややもすると一見「詩的」ではあるけれど、実は技術に片寄った内容の稀薄な作品を作りがちです。しかし、「詩的」というのと「詩」そのものはまったく別物だということをよく考えてください。
 それ以下の年齢の人たちは、何よりもまず「経験」に裏付けられた言葉での表現を重視したいと思います。「イヌ」という言葉を知っていても、実際の「犬」そのものを知っていることにはならないからです。

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