RPの声  HP167('09.10月号)   新刊図書室  No.338

 本の紹介と感想 ---- 恒川保治(泉南郡)

『アイディアのちから』
   ――― チップ・ハース+ダン・ハース 著  飯岡 美紀 訳
      ――― 出版社 春秋社  2008年6月 発行

はじめに
現役時代、自分の考えがなぜうまく伝わらないのか、どうして理解してもらえないのかと悩むときもあった。組織で単に上意下達で仕事をやらせるだけでは本当の意味で自分の考えは伝わらないし、やる気は引き出せない。記憶に残るやり方で、ある思考を伝達し、自発的にやる気を起こさせる方法はないものかと、いろいろ考えたものである。
 本書はこのような悩みに的確に応えてくれる極めて分かりやすい実用書である。
 記憶に焼き付くアイディアの6原則を取り上げ多くの実例を取り上げながら、これらを具体的に解説している。本書ではより具体的に分かりやすくするためクリニック方式で事象を比較検証しているが、理解を深めるのに有効であった。本書でいうアイディアとは特別な発明とか発見をいうのではなく、あることを達成させるための言葉であり、方法論であると解釈できる。

6原則の概略
@単純明確であること
アイディアの余分の部分を取り去って、核となる部分を見極めることが重要であるとしている。いろいろなアイディアについて、人間の記憶力に限度がある以上、単純化の必要性と優先順位を決めることの重要性を、例をあげ説明している。「当社は最格安運行会社である」というシンプルなアイディアが、すべての行動の規範となって成功しているノースウエスト航空の場合を一例として挙げている。
 単純明快・簡潔で深い意味のあるフレーズこそ、すべての基本であるという。一度に三つ言うこと(言い過ぎること)は、なにも言わないことと同じというのは極めて薀蓄(うんちく)のある言葉である。
A意外性があること
関心をつかむ最も基本的な方法はパターンを破ることだという。相手が関心を持ってくれるようにメッセージを発するにはいかに意外性が重要か、相手の知識のすき間を突くことにより「はっと」させ、その後なるほどと思わせれば効果は大きい。ソニーの成功も、ポケットに入るトランジスタラジオの当時としての意外性の発想をリーダーが決定したことによる。
 同じメッセージでも取り上げ方・書き方で大きな違いがあることを、分かりやすく実例を挙げて説明している。メッセージが複雑な場合に関心をつなぎ止めるには、質問形式にし、謎解きの要素を入れることが有効だとも説明している。
B具体的であること
抽象的な表現は絶対に避けるべきことであり、「知の呪縛(じゅばく)」からの解放はあらゆる分野で極めて重要である。
 情報伝達者と受け手は、同じ知の保有者ではないことを記憶しておく必要がある。「何かというと、図面を引っ張り出して、熟練工の思いをよそに現場におりていかないエンジニアのようなことのないように」という表現はすべてに共通する大切なことであろう。
C信頼性があること
信頼性を得るには、権威者の名前を使ったり、実際にあった経験とか、視覚に訴えたり、実際のデータとかいろいろな例を取り挙げて説明している。従来の考え方を変更させるには大きな努力が必要であり、信頼性が示されればアイディアの力は大きな物となる。
D感情に訴えること
記憶に残るメッセージを送るためには、自己利益に訴えること、具体的であること、特別な何かに関連付けることなどが重要ではあると、例を挙げ説明している。
 「共感は全体からではなく個々の事柄から生まれ出る」と、簡潔さ・順位付けの重要性を説明している。しかし多用されている表現は感情に訴えない(例:スポーツマンシップ)とも。多くの広告の例が挙げられているが、多くの企業は消費者のメリットを訴えるべきところで商品の特徴を述べていると伝達の仕方の大切さを挙げているのも、共感が持てる。
E物語性
体験談が、単なる意見の羅列(られつ)より、どれだけアイディアが伝わることかを示している。信頼性のあるアイディアは信じてもらえるし、感情に訴えるアイディアは心に掛けてもらえる。抽象的な言葉がいかに役に立たないか思い知らされる。事を解決していくとき、いろいろなシュミレーションがいかに大切かを、学生の悩み解決・ストレス解消を例に説明している。適宜な物語性が、アイディアを記憶に残させる大きな要素であることを思い知らされた。

終章
6つの原則について改めてその大切さを挙げ、説明している。
最終的には、アイディアが成功したかどうかは自分の目標を達成できたかどうかで決まる。
記憶に焼き付くアイディアを発見すれば、記憶に焼き付くアイディアを生み出すのと同じくらいの効果が得られる。
知の呪縛から解き放されること。
 (自分の知っていること、興味あることは伝えられる者にとっては、無関心かもしれない)
アイディアを記憶に焼き付けるコミュニケーションの枠組み
1)関心を払う・・・・・・・・・ 意外性がある
2)理解し記憶する・・・・・・・ 具体的である
3)同意する、あるいは信じる・・ 信頼性がある
4)心に掛ける・・・・・・・・・ 感情に訴える
5)そのアイディアに基づいて行動できるようになる・・・物語性がある

感想
自分の意志を的確に伝えるため、人との会話を楽しいものにするため、事をスムーズにやり遂げるために、本書は大いに役立つものである。上記コミュニケーションの枠組みを頭に入れて行動することが改めて思い知らされた。
平成21年6月19日

RPの声  HP167(09'10月号) 新刊図書室

 本の紹介と感想 ---- 鎌田 治夫(大阪市)No.339

『新しい成功のかたち 楽天物語』
     ―――― 上阪 徹 著
      ―――― 出版社 講談社 2009年3月発行

著者と楽天市場
著者の上阪徹氏はフリーのライターとしてさまざまなメディアでインタビュー記事などを執筆され、多くのベストセラーを発行されている。今回は楽天市場に出店しているネットショップの社長や店長を取材され、世間には知られていないたくさんの“成功の形”があることを取りまとめられた。
パソコンを日常使用されている方なら、誰でも経験されていると思うが、メールを使用して商品の売り込みを行う方法は連日まさにものすごい量で攻勢を掛けてくる。
その代表的な存在が国内最大級インターネットショッピングモール“楽天市場”である。その規模はフリー百科事典(ウィキペディア)によれば 楽天は4,630万人[2008年3月現在]のグループ会員に対してネットショッピングを始めとしたインターネット総合サービスを提供しており、売上高は連結で2,498億円[2008年12月期]となっている。
本書は決してこのネットショッピングの経営のノウハウを説くものでもなければ、技術的な手段の解説書でもない。この本では、楽天市場内でもよく知られ、実績を上げられている9人の方々の話が載っている。どん底から復活した人がいた。ジェットコースターのような人生を歩んだ人がいた。短期間で大きく成長した若者がいた。地場産業の復活に挑む人がいた。先祖から引き継いだ事業の転換に成功した人がいた。大胆な選択をした人がいた。
その業種もファッションから、ジュエリー・ペット商品・アパレル・焼き鳥・日用品雑貨・家具と多くの分野にわたっている。

新しい成功者のタイプ
社会がなんとなく規範とするレールに乗った、いわゆる“社会のエリート”はここにはいない。そのレールから飛び出し、逸脱してきた人がほとんどだ。だが、時間の経過とともに、彼らは間違いなく“成功者”となっていく。
 著者は9人の“成功者”たちの人生観や仕事観をひもとくことで、人生に成功するエッセンスを見つけてみたいと考えた。
新しい時代の成功者たちは、どんな人生を歩み、どんな考えを持って生きてきたのか。
新しい成功のモデルがここにあると著者は思った。成功するための答えはない。だがヒントはある。本書を通じて人生に向かう姿勢・仕事への思い・・・。9人の物語に潜む、そのヒントをかぎとっていただきたいというのが著者の願いである。
いずれのケースでも、当初は2〜3人でネットショップを開設して、この人数で商品の調達・梱包・発送を切り回しておられるが、いったんこのショップが軌道に乗り始めると膨大な仕事量に発展する。この段階でのいろいろなリスクを感じながら、人員の増加・在庫の管理・流通の管理は大変な負担になるに違いない。多くの登場人物が、まさに寝食を忘れて仕事に没頭された時期を経て、ようやく安定期を迎えておられるのが良く理解できる。

幸せとは何か?
著者もインタビューを通じて人の幸せとは何だろうか、“社会的な成功”を手に入れれば幸せになれるかといえば、実のところは必ずしもそうではないのではないか。たとえお金や地位や名声を手に入れたとしても、それはまた別の次元の話ではないか。
 今回の取材の中で幸せとは何だと思いますかと質問したところ、ほとんどの方が、突然のこの難しい問いに即座に答えたのが印象的だった。幸せかどうかを決めるのは、実は自分自身だ、ということである。だからこそ、実は“社会的成功”とはほとんど関係がないのである。
これまでの仕事において、大きな成功を遂げた人ほど、実は幸せは意外に近くにある、という答を何人もの方からいただいたことも印象的だったと著者は書いておられる。
ネットショップという最も現代的な現象の中に、多くの人生、多くの教訓を通じて人の幸せまで考えさせられる著作であった。
平成21年6月19日

RPの声  HP167(09'10月号) 新刊図書室

 本の紹介と感想 ---- 二見 壽賀子(西宮市) No.340

『コスメの時代 「私遊び」の現代文化論』
     ―――― 米澤 泉 著
      ―――― 出版社 勁草書房      2008年12月発行

本書を読む私のテーマ
通勤時間帯によく電車を利用するが、めったに座ることはない。座席にはその日によりまちまちだが、熟睡しているか、寝たふりか、化粧する女である。気になるというより、人前でなぜ平気で化粧できるか理解に苦しむ私である。眉を描いたり、口紅を塗ったりして、下車するころはきれいなお姉さんになっている。化粧するなら、素顔は見せないというものではないか・・・ときには腹立たしいのである。

ファッションからコスメの時代へ
デザイナーの個性や確固たるキヤラクターをうちだした商品を企画し販売することで、80年代前半のファッション業界に旋風を巻き起こした。これは大量生産のありきたりの既製服とは違う個性的な服つくりであった。
雑誌の「an.an」「流行通信」などが流行に拍車をかけた。DCブランド(デザイナーズ・キャラクター)バーゲンに行列する若者が社会現象となり、86年にはピークを迎えると、次々とコピー商品が登場し、既製品のほとんどがDCブランド風になって、個性的という意味がなくなった。
1991年の宮沢りえのヌードは、ヌードの意味を一変させた。男性に向けて脱ぐのではなく、仕方なく脱ぐのでもない。自分自身のため、私を表現するために脱いだといえる。宮沢りえのヌードは、女性たちのヌードに対する抵抗感、裸にまつわる負のイメージを完全に払拭(ふっしょく)した。これにより多くの女性たちは追随するようになった。
本来はモードを伝えるメディアに過ぎないモデルたちが、服よりも体という事実を後押ししスーパーモデルとして崇拝されるようになった。女性の身体改造はより明確に具体的になった。
顔や体に手をかけることで、饒舌(じょうぜつ)に私を語りだすことをスーパーモデルたちが教えてくれる。
90年代のファッションは個性的でなく、皆が同じ方向を目指すようになった。化粧品も多様化され、細分化され、さまざまなブランドの新製品が次々に発売されるようになる。90年代後半には、化粧情報の専門誌も多数創刊され、モノと情報の洪水の中で女性たちは、メイクに火をつけられ、茶髪・細眉・小顔・小尻・ガングロ・目力と身体改造にまつわる言葉が巷間(こうかん)にあふれ出し、ついに化粧に耽溺(たんでき)する女性・通称コスメフリークまでも現れるようになった。
(注)コスメ:コスメチック(cosmetic)の略で化粧品・頭髪化粧品の総称
   コスメフリーク:cosmeticfreak の略で化粧品狂

コギャルの出現
90年代になると、小学生向けの化粧品ブランドが登場し始める。初めて化粧に興味を持ち始めた小学校低学年の女児の心を巧につかみ続ける。化粧品だけでなく、化粧品雑貨等におもちゃメーカーやファンシーグッズメーカーからも売り出された。
この化粧品の低年齢化は、モーニング娘などのアイドルの低年齢化したことによる。さらに化粧品の低年齢化を促す要因として、親たちの子どもの化粧に比較的寛容な態度を示すようになったことである。親による子どものペット化と友達感覚の親子が増加したことで、大人と子どもの境界線があいまいになってきている。
それはつまり、大人と子どもの間に存在していた少女という概念が揺らいできたといえる。少女の消滅の代わりに、少女と呼ばれるべき年代の女の子たちに、コギャルという名が与えられる。コギャルとは高校生のギヤル(コーギャル)が転じたといわれる。高校生でありながら、茶髪に濃い化粧、超ミニ・ルーズソックスにブランドバッグを持つというコギャル特有のファッションは、援助交際、ブルセラといつた特異な行動とともにマスコミの話題となり、援助交際が流行語大賞に選ばれた年もある。
コギヤルの化粧をエスカレートしたのが、ガングロである。顔の色が黒いだけでなく、細く整えた眉と過剰なまでに強調された目とまつ毛、白い口紅が特徴である。

化粧で自己主張する若者たち
80年代までは、着ることは生きることの時代で、ファッションとライフスタイルは密接に結びついていた。ファッションセンスを磨いてすてきな大人の女性になる方法を教える教科書が、ファッション誌の役割であった。ファッションセンスを通して美的センスを磨くことから、生来の美から後天的に獲得された美へという意識の変化が、現在の変化を生み出した。
裏方の存在であった「メイクさん」がクロ−ズ・アップされ、デパートでのメイクアッブ・ショーや講演やテレビ出演と活躍するようになる。ときには大学で教えられるようにもなった。化粧は一種の能力とみなされ、身につけるべき教養となりつつある。化粧は素顔を偽るものでなく、なりたい私に見せる技であり、知的行為とみなされる。
もはや大人になるのを待つ少女は存在せず、すべてにおいて待つことを欠いたコギャルのような社会に、ケータイを握りしめた人々が生きている。「私」というキャラに萌(も)えるために、化粧はなくてはならない必須課題となってきた。変身願望を化粧で満たし、満たし得ない場合は整形に依存し、理想の私を求めようとする。

まとめ・・・化粧が生きがいの若者たち
ナチュラルメイクを心がけてきた私たち世代には、ガングロの少女を見るのは不快でしかなかった。今度は普通の高校生の化粧顔を見るようになり、馴れたころ、若い女性の電車の中での入念な化粧を見るようになった。電車の中での食事、男女の周囲を気にしない振る舞い等、若者にとって電車は公園のような感じで、私はとりあえず目をそらすようにしている。
若い女性にとって化粧は、「私」という個性を表現する一番の方法であって、他の何よりも価値のあることであるようだ。そればかりか、化粧によって自分を萌えさせさえさせる、たまたま乗り合わせた電車の中の人なぞ、彼女たちの価値観からすれば何ほどでもないのだろう。そればかりか、大卒の青年が就職活動前に顔の整形するそうだし、韓国では男女ともに整形した人が多く、観光の売りとして整形をあげているそうである。今や人の価値が内面よりも見た目がすべてになってきたからであろう。
平成21年8月23日

RPの声  HP167('09.10月号)   新刊図書室  No.341

 本の紹介と感想 ---- 宮田 規伊子(豊中市)

『ちょっと昔の道具を見なおす住まい方』
   ――― 山口 昌伴 著
      ――― 出版社 王国社  2008年10月 発行

はじめに
著者山口昌伴(やまぐちまさとも)氏は1937年大阪八尾生まれの京都育ち。早稲田大学建築学科卒。住宅設計から生活研究の道へ。専門は住居学・生活学・道具学。道具学会会長、座る文化研究所長、日本生活学会編集委員、日本産業技術史学会理事。(本の著者紹介欄から)

この本の題名「ちょっと昔の道具から見なおす住まい方」の題名に先ずひかれました。本に出てくる道具は、戦後物のない時代に育った昭和生まれにとっては、なじみのある道具ばかりです。現在家庭ではあまり見かけなくなった、ほうろく・すりこぎ・すり鉢・飯びつ・ちゃぶ台・かなだらい・風呂場の小椅子・床の間等についてうん蓄をかたむけ、著者手書きのイラストが載っています。懐かしさと先人の知恵に改めて気付かされました。合理的で便利だと思っている現在の住まい方を、昔の道具から見なおすヒントがいっぱい詰まっています。

本の内容
この本に出てくる道具は10項目に分類されていて83の道具がイラスト付きで載ってます。
@「美味をうみだす道具だて」まな板、包丁、砥、ほうろく、七りんなど9つ。
A「ごりごりぐるぐるべったらこ」すりこぎ、すり鉢、鰹節けずり、石臼など7つ。
B「昔の道具はエコロジー」飯びつ、米びつ、乾物箱、漬物石、竹の皮など7つ。
C「食卓から見える風景」ちゃぶ台、箱膳、漆椀、めおと茶碗、醤油さし、箸箱など7つ。
D「水の道、湯の道、心身調理術」かなだらい、ポンプ井戸、風呂場の小椅子など7つ。
E「そうじ、せんたく、衣の道具」ざしき箒(ホウキ)、足袋、張り板、洗濯板、ミシンなど8つ。
F「住まいのしつらえ、時のながれ」柱時計、踏み台、火鉢、囲炉裏端、火吹き竹など10。
G「和のたたずまい、巧まざるし掛け」引越、ざぶとん、たたみ、床の間、すだれなど12。
H「情に報いる手間ひまの効能」硯(スズリ)、筆、千枚通し、肖像写真、荒神さまなど6つ。
I「地縁コミュニティーの生き方」土間、上り框(カマチ)、縁側、縁台、リヤカー、川舟など10。

読んでみて
どれもこれも昔恋しい住まいの道具ばかりで、各項目の見出しに載った著者手書きの道具の手書きのイラストを眺め、著者のうん蓄にうなずきながら楽しく読みました。特に面白い箇所には思わず笑ってしまいそうになったり、そうだそうだと言いながら読んだ道具についていくつかご紹介します。

○かなだらい(パッと捨てればもう清浄)
朝、洗面台のボウルで歯磨きするときは、蛇口を開けっぱなしにすることはありませんが、顔を洗う時は気がつくと蛇口を開けたまま、流れる水で顔を洗っています。著者は「なぜ溜めないのか。先の人が使ったあとは奇麗に洗い流したとしても、うがい水を吐き、洟(はなみず)を流す自分の使いぶりからすると、そこに溜めた水には穢(けが)れ感があって、顔を洗いたくない・・」と「掌で湯水をうけてブルルンルンと顔を洗ったり・・流れる水で済ますようになった。」「・・ひと昔前のかなだらいなら、水を溜めて洗うのにやぶさかではなかった。ちょと水を注いで掌でグルッと洗ってパット捨てると、このパッの一動作でかなだらいは潔められた。」ひと昔以上前に、比良山麓にあった夫の会社の保養所に泊った朝、横長の洗面所で流しの縁に伏せ懸けてあったかなだらいに水を注いでパッと捨てて、「パッのおまじないをして」いた自分を思い出していました。最後は「日本では、造り付けのボウルは結局無理なのだからかなだらいに戻したらどうか。蛇口を開いたままだと1分間4リットルは流れ去る。かなだらいならパッと返せばもう清浄、都市全体では大変な節水になるだろう。」という落ちで終わっています。

○風呂場の小椅子(いす)(広がる尻付き小椅子の世界)
今私の家の浴室には檜(ひのき)作りの「小椅子」が鎮座ましましています。この本の小椅子の話を読んで早速買ったのです。著者の詳しい説明によりますと、小椅子は「座面高さ6寸(18p)。8分(24o)の厚板に斜めに蟻溝を切って2枚の脚を八の字に入れ、下方に貫(ぬき)を1本通して脚の外面(つら)に込め栓で止め、脚の下端、床に当たるところは刳(え)ぐってあるので泡立つ湯の迸(はし)りがよい。座面の四隅の丸面取りまで非の打ちどころがない定型であった。」とあります。試しに購入した小椅子の寸法を測ると厚板が30oと少し厚めであった以外は全くその通りの寸法なので驚きました。
 この技術は「大工見習いの最初の卒業制作(ディプロマ)。この振れ(斜め)の寸法出しは、曲尺の裏目表目を使いまわす基本をマスターした証となる。その基本技で作った、風呂場の小椅子は椅子の文化史にも登場しないが、見事な出来を私は惚れぼれと見ていた。」著者は、弥生の登呂遺跡から出土している話から中国の雲南の小民族の日常生活でみる小椅子まで、小椅子の文化史にも及びます。
 私の家では、ここ数十年リビングの椅子の足置きや靴磨きには「尻付き小椅子」を使っています。この素晴らしい道具を浴室でも使わない手はないと早速購入したのです。浴室に足を踏み入れると、快い檜の香りが鼻から脳へ伝わってきて、思わずホッとして、疲れた体と心を慰めてくれます。入浴も一段と楽しくなります。

○床の間(展示<ディスプレー>空間・御床の間)
「床の間とは、いつたいどんないきさつからできてきたのだろうか」から始まります。その歴史は平安時代から始まって、鎌倉・室町時代と社会構造の変化とあいまってその意味合い使い方の変遷について詳しく述べています。そして「現代につづく床の間のかたちは江戸時代前半に、貴人の居処御床の間と書院の押板陳列展示空間を合併して、神聖性をはらんだ上手物お宝展示のハレ舞台となったのであった。・・・かくして床の間は外界と内界、家人と客人、過去と未来の交流をはかる多面的な情報の媒介空間なのであった」とのことです。
 翻って私の家の床の間はどうかしら?と改めて家の中の床の間を観察してみました。南に面した座敷には半間の床の間があり、掛け軸が掛かかっています。が、リビング続きの中座敷には一間の床の間がありますが、本棚と化して夫の本が一杯つまっています。せっかくある床の間も、本来の意味合いからほど遠い存在になっているなと認識させられました。
 著者はこの本の「はじめ」と「床の間」のなかで「床の間は今に残っていてもたいてい物置きがらくた庫。・・大正期の家には極小極まる住戸にも間口一間の床の間があった。・・客人をお客さまとして迎え入れ、客人としてもてなせなくては家ではない。・・その床の間が消えて、私たち『今どきの人』が『失ったこと』が見えてきた。」と床の間の重要性を述べています。
 床の間の現在的意味を改めて考えてみたいと思います。

読み終わって
著者は別冊「日本の住まいをあいしなさい」(2002年9月発行・王国社)の中で「今どきの住まい方が失ったもの」の話として「台所は生命の輪廻するところ」と定義しています。「今まで台所が担ってきた役割の大半を、食品加工業の工場やファミリーレストランチェーンのセンターキッチンなど社会化された台所に任せている」と。そして「台所仕事の社会化によって、何が失われたのだろうか。一に食材への親密な関心の希薄化、二に味覚の繊細さ、味の多様さと深さへの感覚の低下、三に食の健康への自己コントロールの失墜だと私は思う」と述べています。
 住まい方は生き方に通じるんだなと気付かされました。昔の道具を懐かしむだけでなく、先人が培ってきた生活技術を道具から学び、現在の生活・住まい方に生かして行けたらよいなと思っています。
平成21年9月20日

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