RPの日記・紀行
---RPの日常生活のなかからの発見、あるいは旅の感動をお知らせください。---
平成21年10月(海外紀行)
───「アドリア海に沿っての旅」───
浜田 初子(大阪市)
◆2月25日(水)雨
朝から雨、久しぶりのアリタリア航空で一路ローマへ。モニターで映画を見たりしながらローマ経由トリエステに飛び、アルプス麓のスロベニアのブレッド泊。ローマで国内線が遅れて深夜着。今回は3組のカップル以外は皆一人旅なので気楽である。
◆2月26日(木)
アルプスの瞳といわれるブレッド湖観光。薄氷の張る宝石のように美しい湖を手漕ぎボートでブレッド島へ。遠くにヨーロッパアルプスの白銀を頂く山々を臨みながら、バロック様式の聖マリア教会で幸せの鐘を鳴らす。数十メートルの塔上にある鐘は教会内のロープにぶら下がってやっと湖に鳴り響く。船で岸辺に戻り、湖を見下ろす断崖に立つブレッド城へ。城を見学して、聖フランシスコ会のブラザーのワイン・セラーでロゼワインを購入。昼食後、ボストイナ鍾乳洞へ。この鍾乳洞が見たくて来たといわれたご夫妻に「えっ」と思う。ただ知らない町を訪ねたい!と何も調べないままにやってきた私。鍾乳洞に入りトロッコで2キロ進み、その後歩いて観光。2000人程のコンサートも行われたと言う広い場所もあり、あまりに大きなスケールにただ驚く。日本の鍾乳洞の規模は小さいけれど美しい、と一人合点。クロアチアの最北西にあるイストラ半島のロヴィニへ。海を挟んでヴェネチアに近い半島はヨーロッパの避暑地で、海辺の快適なホテルで過ごす。
◆2月27日(金)
延々と360キロを移動してシベニクへ、新鮮な魚介類の昼食をいただく。ローマ時代の城壁の遺跡が、新しい建物の土台になっていて街中に溶け込み上手に活かされていた。オレンジ色の屋根と石畳の路地が続く市内観光。アダムとイヴ像や、外壁に71人の人面像のある世界遺産の聖ヤコブ大聖堂などを観光。その世界遺産の教会の前の建物には、道をを挟んで洗濯物がひらめいているという生活感が珍しい。どこの路地を歩いても、角を曲がると教会に行き当たる感じで、イタリアの旧い街を連想する。運河に囲まれたスプリットへ。
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| 聖ヤコブ教会
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アダムとイブの門
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ディオクレチアヌス帝
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◆2月28日(土)
古代都市が眠るスプリットはネクタイ発祥の地で「CROAT」と言うブランド店あり。土曜朝市を見学、目もさめるようにきれいな色の野菜や果物などが並び、輪島の朝市のような元気なおばあさん達が生き生きと働いていた。1800年の歴史を誇るローマ皇帝ディオクレチアヌスの宮殿観光。キリスト教を徹底的に忌避、ふるさとクロアチアに隠棲し、ジュピターとして君臨した。次のローマ皇帝コンスタンチヌスがキリスト教を認め、キリスト教がヨーロッパを席巻して行く。土曜市の魚介類の市も見学。週末で赤十字の健康診断車や、消防署主催のはしご車が出て、それに乗るために並ぶ親子連れなど、週末のスプリットは大変な賑わいだった。お魚が鯉のぼりのように飾ってある昼食後、世界遺産トロギルへ。聖ロブロ(火あぶりの聖人)大聖堂(クロアチアを代表する教会)を見学後、アドリア海を南下して、途中ボスニア・ヘルツェゴヴィナのネウムによって分離され、飛び地となっているドブロクニクを目指す。アドリア海に面する沿岸に21キロにわたってボスニアヘルツェコビナが突出、パスポートを準備して国境を越える。ネウムのス−パーで休憩、ガイドの説明では、アドリア海の沿岸で上質の塩がとれる塩田があり、内陸部の国から海への出口を分け合うことで争いをなくしているとの事。アドリア海の真珠ドブロクニクへ。
◆3月1日(日)
ドブロクニクの旧市街観光、聖ロヴリェナッツ砦の入り口の石に刻まれた『いかなる黄金をもってしても自由を売るは正しからず』、また総督邸大評議会の扉に刻まれた『私事を忘れ公共の善に務めよ』と。オスマントルコやヴェネアチなど、他国に支配されてきた時代から、莫大な税金を支払い、アドリア海に面した地の利を活かした貿易で、他国に囲まれた飛び地の街を守り通してきた歴史を持つ。
城壁内のフランシスコ修道院やプラツァ通りを散策、大聖堂ではティツアーノの絵を鑑賞し、スポンザ宮殿などを散策した後、自由時間に城壁を1周。観光客の少ないシーズンオフに感謝して、ゆっくり海側からと山側からの市街を見下ろしながら歩く。遅い昼食後、国境を越えたネウムに立ち寄り、修道院製のチーズや塩田の塩など購入し、460キロを走ってプリトヴィツェ近郊泊。
◆3月2日(月)朝のうち雨
◆3月3日(火)
トリエステ経由でローマへ。
◆3月4日(水)無事関空着。
今回は旅大好きな一人旅の人が殆どであったが、旅行社が一人部屋を半額にしたことが功を奏したものであろう。元気なシニアや女性の一人旅の需要が多いことを踏まえて、このような取り組みを歓迎した旅であった。
(H21.9.18)