RPの声  HP168('09.11月号)  新刊図書室 No.342

 本の紹介と感想 ---- 橋本 喜美子(大阪市)

『無差別殺人の精神分析』
     ―――― 片岡 珠美 著
      ―――― 出版社 新潮社(新潮選書) 2009年5月発行

殺すのは誰でもよかった
平成21年7月5日(日曜日午後)大阪市此花区でパチンコ店がガソリンを使用して放火炎上する事件が発生した。大勢の人でにぎわっていた時間帯だ。4人が死亡、19人が重軽傷。「誰でもよかった」人生に嫌気が差した通り魔だ。テレビや新聞で報道され、またかと暗い気持ちになっているとき、主人が7日の夕方RP月例会で編集者から、この本を読んで、ひと言感想を書いてくれと手渡された。表題を見てびびったが、目を通してゆくといろんな背景が映し出されてきて、興味をそそられてきた。
 本書で取り上げられている無差別殺人事件は、次の6件である。
@秋葉原無差別殺傷事件   加藤智大 2006年 死者7人
A池袋通り魔殺人事件    造田博  1999年 死者2人
B下関通り魔殺人事件    上部靖明 1999年 死者5人
C大阪教育大付属池田小事件 宅間守  2001年 死者8人
Dコロンバイン高校銃乱射事件
   エリック・ハリス、ディラン・クリーボルド 1999年 死者13人
Eヴァージニア工科大学銃乱射事件 チョ・スンヒ 2007年 死者32人
 
数え切れない多くの事件が次々とテレビをにぎわし、社会に衝撃を与えている。容疑者の抱いている孤独感・疎外感・負の連鎖反応をとどめることができないのか。格差社会の不安・欲求不満が圧倒的に多く、それで犯罪に走るのではないか。
 何か「抑止力」「歯止め」となる力はないのか。殺害者を生み出さないようにする手段は何か。彼らは世間の人々に冷たい視線で見られていると思い込んでいる。自分のよりどころを求めるが、それが見当たらない。正体不明の危機感を持ち八つ当たりをする。
 「子供の幸福を願わない親はいない。」
 今思うと家庭や社会、多くの人の接する所には本当に笑いが少なくなっている。大いに笑うべきである。

母親のスパルタ教育〜秋葉原事件の場合
第一章オタクの聖地、秋葉原の加藤智大(ともひろ)にスポットを当てて考えてみた。
 母親の子育て論の目標とは、智大の母親は、県下一の進学校を卒業後大学受験に失敗し地元の信用組合に就職、結婚、自分の果たせなかった夢を子供にと教育熱心で有名。同時にある種のコンプレックスを抱いていたという。
 加藤は3歳下の弟と幼少期から厳しく育てられた。冬の寒い夜に薄着で外に立たされてた。近所の人もこれを見て哀れんでいたという。小学校の頃から珠算やスイミングスクール・学習塾に通い天才教育をしつけられたとのこと、近所の子供たちが遊んでいるのをうらやましく眺めていたという。
 加藤はよく友人に「僕と遊んでいたことを言わないでくれ」と子供ながらに口止めのうそもついていた。
 小学校4〜5年のとき母親に叱られ1時間以上かかる祖父母の家まで弟と一緒に歩いていく、祖母の顔を見たとたん大泣きする。「家を出ていけといわれた」と母親のことを話す。
 また、両親は事あるごとにかばおうとする祖母に、「教育していることに干渉しないでほしい」と不満をぶっつける。
 「親は周りの人たちに自分の息子の自慢をしたいので完ぺきに仕上げたい」というような勝手きわまりない考え。子供は「窒息」する。母親返上、母鬼と称したい。
 勉強の仕方では、親の書いた作文で賞を取り、また絵でも賞を取って、それを誇りとしている。親に無理やり勉強させられたから完ぺき、親の検閲があるといっている。
 幼少期から厳しく育てられ叱責されたせいか?プライドが高く、傷つきやすく、自己というものを持っていないと思う。なにを尺度としているのか?自意識過剰で周りの人間が全部敵に見え、何を見ても聞いてもそれを自分なりに消化できず被害者側で受け止める傾向が強く感情のアップダウンもすごく激しく、善・悪をコントロール出来なくなるのではないか?現状から脱却出来ず前後左右の判断が出来ないまま成長してきたのではないか?

殺戮者になる者と私たちを分けるもの
どの事件を読んでも皆社会的要因につながると思う。胸の痛みがずしんと重い。国が変り社会が変っても親子は絶対変ることは出来ない。
 本書は、第一章から第三章で前記の6事件を分析し、第四章は「無差別殺人は防げるか?」、第五章は「殺戮者を生み出さないために――何が抑止力になりうるのか?」となっている。第五章では、「家庭教育」の問題として「殺戮者を生み出さないための方策を考えるうえで、家族の影響を無視できないのはたしかである。すべてを家族のせいにすることはできないが、本書で取り上げた事例にも、なにがしかの家族の問題が認められた」とし、「母性と父性」について述べている。
 「子どもが成長する過程において・・・『母性』と『父性』の果す役割は大きい。つまり、『子どもを優しく包み、外敵から守る』のが母性の役割であり、『子どもに自立を促し、社会に押し出す』のが父性の役割である。ところが、本書で取り上げた事例を振り返ると、母性と父性がうまく機能していないことがわかる」
 親として、幼児教育に携わった者として、もっとも強く胸に迫る指摘である。
 本書を読んで、私が思うことは、次のような事項である。
○今日を大切に生きることの出来る人間を育てることを十分に意識すべきではないか?
○昨日はどんなにもがいても過ぎし出来事はもどらない。
○明日は誰しも解からない。生きて命を与えられているか?
○未来に向かって努力することはできる。
それを絶対に忘れては人間として生かされている意味はない。
 今人間全体に欠けていることは「和」だとおもう。聖徳太子は、17条憲法の冒頭で「和を以って貴しとなす」と諭されている。
 この一番大事な基本が示されていることをもう一度思い起こし、この精神に基づいた教育を実行して欲しい。
平成21年7月17日

RPの声  HP168('09.11月号) 新刊図書室

 本の紹介と感想 ----佐武博司 (宝塚市)No.343

『無趣味のすすめ』
   ―――― 村上 龍 著
    ―――― 出版社 幻冬舎   2009年3月 発行

生きるのが下手人間として
私は今般、75年の人生で初めて2週間ばかりの入院経験をし、その際に持込んだ本の中の1冊が掲題の本でした。私にとっては、これまで仕事人として走り続けてきて、小休止となるべき入院に当たって読んだ本が「無趣味のすすめ」でしたので、いろいろ感慨深い思いで以下を記させていただきます。
この本が書店の店頭に並んでいるのを見たとき、タイトルを見た瞬間に、厄年の40歳ころに新聞の広告で仏教伝道家、紀野一義著「生きるのが下手な人へ」なるタイトルを見て、「それは、おれのことではないのか?!」とギョッとしたことを思い出しました。それがキッカケで、当時総合商社の繊維貿易部門課長として第一次オイルショック後の不況で悪戦苦闘していたこともあって、紀野一義の本やら仏教関係の入門書をむさぼり読んだものですが、今回もその時と同じような「あれ!おれへの応援メッセージ?」というような妙な受け止めで、早速この本を買い求めました。
現下の大不況期のビジネス・仕事に取り組む働き方・生き方を説く38項目のエッセーの第一項「無趣味のすすめ」において、「わたしは趣味を持っていない。・・・真の達成感や充実感は・・・わたしたちの『仕事』の中にしかない」と言い切る著者に、妙に喝采を送りたいような共感を覚えた次第です。
 そして今私は、サラリーマン生活33年の後、55歳からの転職経験を基に62歳で人材紹介会社を起業し、現在(75歳)もこの仕事を天職として「生涯現役」の意気で取り組んでいます。

趣味と仕事〜どちらも生活の一部
著者は「現在まわりにあふれている『趣味』は、必ずその人が属する共同体の内部にあり、洗練されていて、極めて完全なものだ。考え方や生き方をリアルに考え直し、ときには変えてしまうというようなものではない。だから趣味の世界には、自分をおびやかすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。」としている。
 私は著者が指摘するような趣味の世界に身を置いたことがないので分からないが、私が38歳から健康法で毎朝のジョギングを始め、56歳から市民マラソンに参加するようになって体験したフル・マラソンでは、著者が指摘するレベルではないのかもしれないが、「心を震わせ精神をエキスパンドするような歓喜・興奮・達成感・充実感」を多少なりとも味わってきました。ただ、私にとってのマラソンは趣味といったことではなく、仕事を達成していくための心身の健康づくりの意味合いで取り組んできたものであり、仕事と切り離せないものではあります。
「無趣味のすすめ」も、趣味と仕事を対極に位置づけるものではなく、どちらも生活の一部なのだから厳しく区別すべきことではない。著者は「仕事が趣味の是非」などというような野暮な問い方はされずに、「仕事のできる人間は、実はオンとオフの区別がない」としております。

示唆に富む指摘〜人材紹介の分野から
さて、この本は現下の厳しい時代に生き延びるためのプロビジネスパーソン個々の人の生き方、働き方について示唆に富んだ指摘をされています。私が生涯現役として取り組んでいる人材紹介の分野でいえば、
転職のときの有用な人脈
「転職や退職後の再就職を考えているときの有用な人脈は、『弱いきずなの人間関係』」すなわち、あまり頻繁に会わないような弱い関係の知人の紹介が役に立つ。ただし、「情報や知識や何らかの人間的魅力など、その人に何らかの有用性がなければ相手にしてもらえない。まずは自分を磨くことから始めなければならない。」(「仕事における有用な人脈」)
自分の能力を査定
「転職が合理的なのは、基本的には、高度専門職、つまりスペシャリスト、著しい実績を持つ人だけだ。・・・後悔のない転職をするために、ビジネスマン&ウーマンがまず考えなければいけないのは、自分の能力がどの程度のものか、今の会社でどのくらいの評価を得ているのか、ということだろう。」(「後悔のない転職」)
サバイバルの秘訣・コツはない
「残念ながら、大不況をサバイバルするための秘訣やコツはない。破綻したリーマンの社員を考えてみれば、すぐに分かる。良質の顧客と卓越した能力を持ち、実績のある社員は、転職先を見つけるのが容易だ。」(「金融不安と大不況」)
「『一生安泰な仕事や資格やスキル』そんなものはないとまず自覚すべきである。」(「語学の必要性」)
等々。
 手厳しいが、雇用問題を中心に、幅広い視点と洞察に立脚し、人頼みではなく、生き延びる戦略は個人がそれぞれ立てよ、と説く箴言(しんげん・戒め)には、窮地におかれている弱者に「共感」や「同情」はしないが、厳しくも優しいまなざしで弱者のことを憂え、積極的な発言をしていることが分かります。

生涯現役〜少なくとも最後まで歩かない
さらに、著者は「生涯現役」というテーマにも触れています。「定年後に悠々自適の生活を送れるのは一部のお金持ちだけ、になりかねない。だから『生涯現役』という生き方について考えを巡らすのは合理的だ」とし、「そりゃ生涯現役をつづけるほうが面白いし楽しいに決まっているけど、ゴルファーとか作家とか、そういう職業以外の一般的なサラリーマンはどうすればいいのか」という問題提起をされている。これについても、著者は、コツや秘訣を覚えても無意味とし、「他人のアドバイスに依存する人は、路頭に迷うかもしれない」と突き放しているのですが。(「アドバイスについて」)
 私自身の例でいえば、ラッキーな要素もありましたが、サラリーマンにも早い段階から目標をたてキャリアデザインを描き、それに向けての積み重ねの準備があれば生涯現役の道はある、というのが私なりの感想であります。もちろん、その場合の生涯現役は、実業界での現役とは限りません。
ところで、私は今般初めて病院入りを経験しましたが、仕事人間そのままに走り続けてきたこれまでの来し方を思い、これからの生き方を考えるよい機会を与えられたと受け止めています。その一方で、どうするか迷った末にパソコンを病院に持ち込み、求職者さんなどのメールのやりとりをして家族も含め周囲を心配させましたが、病院の担当看護師さんは、「そのような張り合いを持っている人の方が治りが早いですよ」と逆に励ましてくれました。入院治療することになって、「生涯現役」が頓挫するのではないかと心配された向きがあったかもしれないのですが、私にとってはこの入院経験がさらに前向きの生き方に結びつくキッカケになったことをありがたく思っている次第です。
村上龍の本書と並行して、マラソンランナーで作家の村上春樹の「走ることついて 語るときに 僕の語ること」サブタイトル:「少なくとも 最後まで 歩かなかった」という本を入院見舞いに来ていただいた友人から贈られて読みました。
 マラソンを走らない人には、「少なくとも最後まで歩かなかった」とはなんとキザなことを!と思われるかもしれませんが、同著を贈っていただいたその友人は「佐武さんも、最後まで歩かないで、走り続けてくださいますように。わたしも、なんとか走り続けます」と記されおりました。
マラソンランナーの村上春樹は、出場する市民マラソンの目標設定とともに完走に向けて「最後まで歩かない」ための普段(不断)の積み重ねの努力をされていると思いますが、一方で「マラソンは人生」「人生はマラソン」ともいわれる人生マラソンを途中の山・谷を乗り越えながら、「へこたれずに走り続けるのだ」という別の深い意味がこめられているように、私なりに受け止めております。
平成21年10月3日

RPの声  HP168('09.11月号)  新刊図書室 No.344

 本の紹介と感想 ---- 堀田 武史(奈良市)

『女三人のシベリア鉄道』
     ―――― 森 まゆみ 著
      ―――― 出版社 集英社 2009年4月発行

女流作家三人の跡をたどった著者
与謝野晶子・宮本百合子・林芙美子の三人が愛を求め、夢を追って、シベリア鉄道に乗った。女ひとりの異国の旅は心細くもあり、何かとたいへんなことだったに違いないが、明治から昭和の初めにかけて、その時代の人たちの熱情と気迫は、とても今の人たちとはスケールが違うようだ。
 第四番目の女、著者の森まゆみは、2006年の9月と07年の10月、ロシアと中国の女大学院生の同行を得て、上記女性作家たちの足跡を追い、モスクワ・パリまでの鉄道を完乗した。
 帝政ロシアの極東軍事政策もあって、シベリア鉄道が前線開通したのは1904(明治37)年秋、20世紀に入ってからである。まさに日露戦争の年であって、この鉄道はロシアの兵隊や物資の輸送に大活躍した。

旅人たちのそれぞれの事情
1912(明治45)年5月5日、新橋を旅立ち、ウラジオストク経由、シベリア鉄道でひとり、パリまで向かった女性がいた。歌人与謝野晶子である。当時晶子は33歳で7人の子の母であった。下の2人は養女に出し、上の5人を夫寛(鉄幹)の妹静子に預けて、たったひとり、シベリア鉄道に乗ったのである。しかも、外国語は英語も含め、まったくといっていいほど使えない。これは先に船でパリに行った夫を追う旅であった。
 女性史の上で、与謝野晶子ほど圧倒される人はいない。彼女は生涯に5万首余の歌を詠み、13人子を産み、そのうち11人が育った。
 もうひとりのシベリア鉄道を旅した女性作家のことを考えはじめる。中条百合子。それは1927(昭和2)年11月、彼女が28歳のときのことだった。正確には3歳年上の同行者湯浅芳子との二人旅である。百合子は17歳で作家デビューした。芳子はロシア語の翻訳をしていた。百合子は帰国後、共産党に入り9歳年下の宮本顕治と結婚した。
 ここで三人目の旅人に登場してもらわなくてはならない。作家林芙美子、百合子より4年あと、1931(昭和6)年11月の渡欧時には27歳である。夫の手塚緑敏を残して、シベリア鉄道経由三等列車。これはパリにいる恋人を追いかけた旅だともいう。
 林芙美子は1903年に門司で生まれたらしいが、「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない」と「放浪紀」の冒頭にある。
 晶子は1912年明治天皇が亡くなったのをパリで聞いて号泣した。帰国後、小説「明るみへ」を書き、女性の地位向上に論陣を張る。
 1929年大恐慌をパリで知った百合子は、モスクワに戻り、翌年シベリア鉄道で帰国してプロレタリア作家同盟に加わった。
 1931年、シベリア鉄道でソヴィエトを通り、「ロシヤは驚木桃の木さんしょの木だ。レーニンをケイベツしましたよ」と夫に手紙を送った芙美子は、榛名丸で海路帰国し、おびただしい紀行文を書いた。
 四人目の女、著者森まゆみは、ワルシャワでロンドンから飛んできた19歳の大学生の息子と再会し、照れてニヤニヤする息子に母親として満足し、シャンパンだって飲める豪華バイキングの朝食をともにした。

感想〜五木寛之「青年は荒野をめざす」との比較において
評伝と鉄道紀行文の合体で、冗長かつ私的に過ぎる。
 近代文学を代表する三人の女性作家たちの足跡を追い、勇敢な女たちのエネルギーと作品に思いをはせ、現地の人々の声に耳を傾けながら、旧社会主義国の重い歴史を体感したノンフィクション、とうたっているが、雑多であり時系列と進行プロセスがちぐはぐで、分かりにくく、読みづらく、面白味がうすい。
 著者はあとがきで、1970年代の学生が五木寛之のベストセラー「青年は荒野をめざす」の影響を受けた、と述べている。主人公のジュン18歳が大学進学を断念し、トランペットを携えてソ連船でナホトカに渡る。そこからハバロフスクまで飛行機、さらにシベリア鉄道でモスクワへ、ヘルシンキへ、パリへ、マドリ−ドへ、ジャズ・ミュージシャンを目指すジュンの冒険である。植草甚一の解説に、「よくスイングするなあ、これは」とある。面白い。一気に読める。ノンフィクションとの差を思った。
平成21年10月7日

RPの声  HP168('09.11月号)  新刊図書室 No.345

 本の紹介と感想 ---- 浜田 初子(大阪市)

『許されざる者』上下
     ―――― 辻原 登 著
      ―――― 出版社 毎日新聞社 2009年6月発行

愛読作家との奈良での出会い
昨年秋、平城遷都1300年記念読書会で奈良の県立図書館に参加した。
 奈良に縁の遣唐使の小説「翔べ麒麟」(とべ きりん) について著者の辻原 登氏が講演をされた。「翔べ麒麟」を読んでいなかったが、遣唐使への優しいまなざしが感じられて、天平時代に心がときめき講演会の後、遣唐使について少しお話を伺った。
 帰宅してすてきな一日だったと思いながら今日の新聞連載小説を読み、何気なく作家の名前を見て驚いた。「許されざる者」の著者がなんと辻原登氏であった。1年以上毎日楽しみにしていた新聞連載小説の作家に出会えた幸運の一日。今年3月に連載も終わり、ちょっと寂しい思いをしている昨今である。

熊野在住医師の大ロマン〜世界文学の名場面を彷彿(ほうふつ)
20世紀初頭、日清戦争に勝った日本が、ロシアとの戦争に突き進んでいたころ、紀伊半島の熊野地方の町、森宮(しんぐう)に、アメリカで苦学し、シンガポールやインドで研究を積んできた若き医師槇(まき)孝光が船で帰ってくる。故郷森宮で貧しい人からは治療費を受け取らず献身的な医療活動をし、「毒取ル(ドクトル)先生」と慕われている。反戦思想を抱く彼を慕ってその周囲には「熊野革命五人団」という過激派も集まってくる。
 槇を主人公に、藩主の家を継ぐ陸軍少佐とその美しく気高い人妻との恋、大陸での戦争、広大な山林を相続した若く美しい姪(めい)を巡る陰謀等々、息もつかせない物語が続く。
 日露戦争が勃発(ぼっぱつ)すると、森宮の人々も徴兵されて戦地におもむく。ドクトル槇も、脚気が蔓延(まんえん)している陸軍へ、医療活動のため志願して満洲にわたり、そこで軍医森林太郎(鴎外)の方針に反して脚気(かっけ)の治療に専心し患者を救う。
 森鴎外や石光真清(まきよ)、幸徳秋水、田山花袋など、実在の人物を実名で登場させ、架空の人物と実在の歴史的人物が出会い、互いに議論したり心を通わせたりする。
 槇がインドからの帰国途中、仏教教団の宗主と思われる人物と出会い、彼からロシア・ヤルタの波止場で拾われた女性ものの柄付眼鏡(ロールネット)をもらう。その柄にはロシア語で名前が刻んであり、槇は恋する婦人にそれをプレゼントする。チェーホフの小説に出てくる主人公の報われない恋と、槇と婦人との恋を連想させる。古今東西の文学を下敷きにした場面を虚実取り混ぜた大ロマンスである。

モデル大石誠之助のこと
この小説の主人公槇医師は、大逆事件で刑死した大石誠之助がモデルであるが、小説では大逆事件の前の時点で終わっている。なんだか救われる思いであった。
 誠之助は医師であるとともにクリスチャンであり、優れた文化人であり、禄亭(ろくてい)と号し雑俳の大家でもあった。「米の値に太き吐息をつきながら細き煙もたたぬ貧民」「恋の坂登りつめ運下り坂」などがある。
 誠之助を敬愛していた与謝野鉄幹と佐藤春夫は、彼が処刑された時、彼を悼む詩を書いている。
   大石誠之助は死にました、
   ・・・
   人の名前に誠之助は沢山ある、
   然し、然し、
   わたしの友達の誠之助は唯ひとり。
   わたしはもうその誠之助に逢われない、
   なんの、構うもんか、
   機械に挟まれて死ぬような、
   馬鹿な、大馬鹿な、わたしの一人の友達の誠之助。

  それでも誠之助は死にました。
   ・・・           鉄幹
(新宮市観光協会発行記事の「大逆事件と大石誠之助」より)
平成21年10月8日

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