RPの日記・紀行
---RPの日常生活のなかからの発見、あるいは旅の感動をお知らせください。---

平成21年11月(海外紀行)
───「韓国紀行」───
林 孝則(羽曳野市)

 7月に入って家内と急に「韓国へ行こう」ということになり、JTBの「韓国紀行・4日間」ツアーに参加することになりました。
 7月14日に出発して17日に帰って来るという慌ただしい旅の始まりです。
 関空から釜山空港に飛んで、そこからはバスでソウルへ。最後の晩はソウル泊まりで、4日目の夕方遅く仁川(いんちょん)空港から関空に帰って来るという内容です。
日本からの添乗員は付かず全て現地ガイド(韓国人)の案内です。釜山空港に着いて、ガイドの旗の下に集まった顔ぶれで、僅か8人のツアーであることが分かりました。夫婦組は二組であとはおしゃれな男性4人組です。偶然にも全員が同年輩で、愉快なメンバーでした。この8人と女性ガイドとドライバーの10人が小型バスに揺られて、釜山→慶州(新羅の古都)→扶余(百済の古都)→水原 →ソウルと韓国の南から北へと旅をすることになります。
ガイドは元々は一人で釜山からソウルまで同行の予定でしたが、釜山が雨のためソウルからの便が飛ばず、釜山入りが遅れたため、初日のガイドはピンチヒッターでした。二人とも40〜50歳代の女性ですが、日本語が堪能だけではなく、日本の歴史にもメッポウ詳しいのには驚きました。新羅(しらぎ)や百済の説明では、「白村江の戦い」やその時に百済から大勢の百済人が日本に渡ったことを詳しく説明してくれました。韓国人ガイドが日本との関係で何のこだわりもなく話が出来るのはこの時期までで、李氏朝鮮時代になるとそうはいかないようです。

 慶州、扶余、水原、ソウルで見学した場所は、慶州では「古墳公園」、【仏国寺】、【石窟庵】。
慶州の古墳公園 仏国寺       
 扶余までの途中で【海印寺】を見学し、扶余では「定林寺址博物館」、「宮南池」を見学。ソウルに入る直前の水原では【水原華城】を見学し、 最後がソウルです。
石窟庵の入口 水原華城        

 ソウルでは「今」と「昔」の両方を見せてくれました。「昔」は【宗廟】と【昌徳宮】です。「今」は「青瓦台」と「ロッテデパートでの買い物」でした。詳しく見学できたところを列記しましたが、実は【 】で囲ったところは全て世界遺産なのです。日本に帰って韓国の世界遺産を調べてみたら、その大半が今回の旅に含まれており、その事を意識して参加したわけでは無かったので、大変ラッキーな気分になりました。
         
昌徳宮の内部 
 海外旅行では見る対象を「今」と「昔」 に分けて考えると、特別に目的を持った場合は別にして、どちらかといえば「今」が多いと思いますが、今回の韓国旅行は、偶然にも「昔」がほとんどでした。私にとっては、かえって良かったと思っています。それでもガイドは「今」を見せようと(?)ソウルの街を何回も走り、その度に車の大渋滞を見、林立するマンション群を見、人口密度の超過密を知ることが出来ました。朝食もホテルの外の一般食堂で、韓国人が普段食べているものを食べることが出来、良い経験が出来たと思っています。
「今」と「昔」の両方を見ることが出来たのは、ソウル駅の旧駅舎です。私も初めてみたのですが、東京駅にそっくりです。勿論、東京駅をまねて1925年に造られたようですが、設計者が東京駅を設計した辰野金吾の弟子の塚本靖であることを知り納得しました。政治色の薄さが旧駅舎の一部を残したのでしょうか。

 今回の旅行を振り返ってみると、韓国に残した日本(日本人)の影響は、負の部分が多かったように感じます。(少なくとも、韓国人が思っている「日本の影響」は間違いなく負の部分が多いと思います)。世界遺産のように、韓国人にとって「大変価値ある文化遺産」のあちこちでは、秀吉による出兵、焼失が出てきました。勿論1910年(日韓併合)以降についてはガイドも一切喋りませんし、こちらも質問は控えました。昌徳宮のガイドの説明で、李朝最後の皇帝の皇后として日本から嫁がれた正子さんが、最後に一人で過ごされた建物(部屋)の説明の時、正子さんは韓国の人々から慕われていましたと聞いた時には何故か複雑な思いでした。

 同じく昌徳宮で、とある池のところで、「ここがチャングムと王様がデートしたときにロケをしたところです」と聞いて「ここに現実がある」と妙に納得したことを想い出します。   
(H21.10.2)

会員のひろばへ戻る
最初の頁へ戻る