――判決編:勝訴するも・・――
週刊金曜日2005年2月11日号
| 完全勝訴! 素晴らしい判決に傍聴席には涙が溢れた。だがハンセン病医療がどう変わるかはこれからだ。その動きはあまりにもないに等しいのだ・・。 |
| 速報(06年1月13日) 勝訴の後、国は控訴していましたが、1年近く経った06年1月12日、裁判所の和解案に応じ、原告側の実質勝訴が確定しました!詳細はここを。 |
勝訴
「被告は、原告に対し、5000万円を支払え」
一月三一日、東京地裁において、佐藤陽一裁判長が判決の主文を読み上げると、傍聴席のあちこちから「あ・・、すごい」との小声が上がりすぐに大きな拍手に変わった。
原告の山下ミサ子さん(六六歳)がハンカチを目に当てている。傍聴席に座る山下さんの夫も泣いていた。現役の国立ハンセン病療養所の医師でありながら証言台に立ち、山下さんの元主治医と対峙した並里まさ子医師は、真っ赤にした目から涙をこぼし手を叩いていた。
沸き起こった拍手は、最後までたった一人の原告として闘い続けた山下さんの勇気への労いだった。
おさらい
本裁判、ハンセン病医療過誤訴訟についての詳細は、本誌二〇〇四年一〇月一五日号に譲るが、以下簡単に説明する。
山下さんは、一九五三年、一五歳でハンセン病を発病し九州のハンセン病療養所に入所した。七〇年に東京で社会復帰。だが、八一年に顔面に掻痒感が走り、療養所「多磨全生園」(東京都)で診断を仰ぐと、小関正倫氏ら数人の医師は、顔面からの菌検査を怠りハンセン病再発を確認しなかった。八七年にやっと再発と診断しても、WHO(世界保健機関)が勧告していた複数の薬剤による治療を行なわないどころか、四年間いっさいの抗菌剤を投与しなかった。
山下さんは、その「治療」で、頭髪は抜け、兎眼(瞼が閉じない)や垂れ手(手首がブラブラになる)が現れた。同じような症状になった小関医師の患者には、失明、死亡や自殺が散発した。「私もいつか・・」。そんな不安のなか、九二年に赴任した並里医師からの熱心な治療で、五年かけてようやく完治を果たすのだ。
全生園には、症例会議もなければ厚労省の査察もない。内外から批判のない医療体制では、腕も信念もなくても、医師は入所者の上に君臨でき、山下さんの体に残った上記の後遺症に責任を取らない。山下さんは〇三年に退所すると、「小関医師たちは許せない。全生園の医療体制を変えたい」と提訴に踏み切ったのだ。
小関医師らは公判では「当時の日本の治療水準に従っただけ」との主張を展開したが、今回の判決は、医師らの過失を全面的に認めたものだった。
いわれなき非難
提訴からの二年間は辛い道のりだった。まず、山下さんのような症例は、本人の言葉を借りれば「氷山の一角」なのに、原告は最後まで彼女一人であったことだ。療養所の現役医師を訴えるとなると診療拒否にも発展しかねないので、氷山のその他の人たちは二の足を踏んだのだ。
もっと辛い現実もあった。山下さんは、後遺症の治療で定期的に全生園を訪れる。だが昨年のある日、園を歩いていたら、突然「ここ歩いてんじゃねえよ!」「国の世話になっといて裁判で金目当てか」などの罵声を浴びたのだ。
「それが、一度や二度ではないんです。なかには、入所者自治会の人もいましたから」(山下さん)
本来、元入所者が起こした裁判ならば、入所者自治会からの支援があって然るべきなのに、今回、自治会は山下さんに何の支援もしていない。山下さんの支援者の元患者の一人はやるせなさそうに語る。
「小泉首相の控訴断念で話題になったハンセン病国家賠償裁判では、2000人以上もの原告が『人権だ、人権だ』と叫んでいたのに、いったい今何をしてるのか。たった一人で立ち上がった人を支援しないばかりか、非難するんですから・・」
山下さんの裁判は孤独と悔しさに耐える闘いでもあったのだ。
開業への道
同じように、国のハンセン病への取り組みに無念さを噛みしめていたのは並里医師である。
「実はですね、山下さんはこの裁判を三回ほど中止しようと思ったことがあったんですよ。でも、山下さんを支えたのは皆さんなんです」
裁判後の集会で、支援者にこう話しかけた並里医師であったが、本裁判は、自身の生き方に区切りをつける位置づけをもっていた。国立ハンセン病療養所「草津楽泉園」(群馬県)副園長の肩書きをもつ並里医師は、今春退職し、六月に埼玉県所沢市での開業を決めているのだ。
「直接のきっかけは二年前です。厚労省がハンセン病医療の委託研究を公募していたので、ミャンマーのハンセン病をテーマに詳細を詰めて応募しました。結果は、もう一つの応募が採用されたんですが、その後の報告書を見てその杜撰さに驚きました。公募の審査委員も、世界のハンセン病医学の動向を理解する人が一人もいなかったんですね」
国に身を置いていたら、心血注いだものは報われない。こう思ったとき、並里医師は開業を決めていた。
二年前は、山下さんが提訴に踏み切った年でもある。並里医師は、証言台ではあくまでも国立療養所副園長という立場で臨むことを決めていた。そして、昨年七月の証言を区切りとして、開業準備を進めていたのだ。実際にどういう病院を?
「療養所を出た退所者の方々を支援する病院を作りたいんです」
退所者にも必要な療養所の医療
今回の判決要旨に、裁判所は以下のコメントを入れている――「らい予防法(筆者注:強制隔離を謳った法律。五三年制定、九六年廃止)が国立療養所にハンセン病の診療活動をほぼ独占させたことにより、日本におけるハンセン病医学の研究及び診療が、外部からの批判にさらされる機会や、新しい情報を積極的に取り入れる機会の乏しい閉鎖的な環境の下に留まった(後略)」
一九五〇年代、ハンセン病治療は隔離ではなく一般病院でが世界の主流に移行していた。らい予防法はまさしく時代に逆行したのだが、もし町の一般病院でハンセン病治療が行われていれば、山下さんは働きながらの治療が可能だった。だが、予防法が廃止され、国賠裁判に勝訴しても、現実は依然変わらない。退所者が気兼ねなく通える病院はほとんど皆無。退所者の多くは、自身の過去が露見せぬよう、その治療には療養所の病院を頼るのが現実である。 つまり、退所者にとっても、全生園の医療体制改善は必要なことなのだ。
今回の裁判でも、いつも傍聴席を埋め山下さんを応援したのは、その多くが退所者だ(入所者は園や自治会からの圧力を怖れ膨張を控える)。
「退所者の多くは、らい予防法が生きていた二〇年も三〇年も前に園を出ています。今と違って、国からの給付金がなかった時代ですよ(筆者注:〇一年の国賠裁判勝訴で退所者に給付金が支払われるようになった)。この、すごい覚悟で社会に飛び込み必死で生きてきた人たちを支援したいんです」(並里医師)
開所は六月一日の予定である。
控訴するか?
一方、関係者を巡る一つの懸念。それは、一月五日、山下夫妻が全生園の青ア登園長と新宿で面談した際、青ア園長が「敗訴しても控訴しますよ」と明言したことだ。おそらく厚労省からの意思伝達があったと推測されるが、この発言に関係者は憤る。
並里医師とともに証言台に立った和泉眞藏医師(元・国立療養所「大島青松園」外科医長)は「国家賠償裁判で国の責任ははっきりしたのです。それでも、これほど非常識な医療を巡り正当性を主張し、さらに控訴するとは、国がいかにハンセンの問題を認めていないかを如実に示している」と国を正面から批判した。
判決確定は二月一三日。それまでに控訴断念に向けて関係者は動き出す。そして、山下さんは願っている。
「療養所にいるみなさんが安心して療養生活を送れるよう、医療体制が変わることを心から願うばかりです」
裁判には勝った。だが今後、国から、「謝罪」「小関医師らの人事異動」「療養所の医療体制改革」の三つを引き出さねば本当の勝利とはいえない。また、療養所だけではなく、一般社会にも多くの元患者が住む以上、並里医師に続き、退所者を受け入れる一般病院が全国各地に増えていくことも外せない課題である。
先月、療養所での堕胎でホルマリン漬けにされた胎児の存在が大きく報道された。そういう過去の洗い出しも大切だが、今、この日に、なお医療過誤で苦しむ人々がいる。そのことに少しでも思いを馳せて欲しい。
| 追記:国、控訴を決める。山下さんは、私も含めた関係者とともに、控訴をしないよ判決直後に厚労省と交渉をもったが、残念ながら国は控訴を決めた。控訴審第1回は4月27日、東京高裁にて行われた。2回目は6月22日。3回目は8月24日の予定。 |
| 追記2:裁判所、和解案を出す! 山下さんが求めているのは、裁判に勝つことだけではありません。「国と担当医師からの謝罪」「全生園の医療改革」「小関医師らの人事異動」の三つです。このうち、小関医師は、2005年秋に全生園を退職したことで、求めの一つは実現したかに思われます。しかし噂では、判決が国側の敗訴で確定すれば、退職金がなくなるため判決確定前に自ら退職の道を選んだとも言われていますが、事実かどうかは確認する必要があります。 そして、05年9月から、山下さんと国とは月に一度の和解交渉を進めてきたのですが、12月15日、裁判所から和解案が出されました。その概要は 原告側要求を尊重し、全生園長が和解成立の際に、その席上で @患者本位の医療の推進(インフォームド・コンセント、セカンド・オピニオン、カルテ等の診察・医療情報の開示など) A相談体制の充実 B医療機能評価機構の受審 の3点について約束した所感の表明をすること。 更にその所感を表明したことを全生園で翌日公表すること。 更に所感の趣旨が尊重されるように、当分の間、全生園長交代の際に適切な措置をとること 和解案では、一審判決の損害賠償金額6000万円から3000万円へと減額されていますが、原告側は、全生園長の所感の表明が実現するのであれば訴訟の意義があったと考え、裁判所の案の受け入れを裁判所に伝えました。 しかし、問題は、この案を国が受け入れるかです。これまでの経過から国は、医療改善に繋がる条項を入れることに強く抵抗をする可能性があります。そこで、その国を動かすために、山下ミサ子さんを支える会をはじめ関係団体に≪厚生労働省にFAX・メールを集中させる作戦≫を展開します。以下は山下ミサ子さんを支える会からの行動原案です。なお、要請期日は、次回の和解協議の1月12日までです。 @、以下の要請書を参照し、厚生労働省にFAXかメールにて各自で要請をお願いします。 A、FAXの場合は、以下の要請書または添付の要請書(同じもの)をプリントアウトし、署名の上、 厚生労働省 FAX 03−3580−9644 までお送りください。 B、メールの場合は、以下の要請書に署名したうえでコピーし、 以下のところに貼り付けて送信してください。(※厚生労働省から即座に返信がきます) https://www-secure.mhlw.go.jp/getmail/getmail.html C、期日は1月12日までです。ねらいは年末年始の間に私たちの思いを厚生労働省に集中させること。 是非ともご協力をお願いします。 ************************************************************************** 要 請 書 厚生労働大臣 川 崎 二 郎 様 2005年1月31日、原告山下ミサ子(仮名)さんの全面勝訴となった国立ハンセン病療養所多磨全生園における日本で最初のハンセン病医療過誤事件について、現在、東京高等裁判所第11民事部において、山下さん(被控訴人)と、国(控訴人)との和解協議が進められています。 こうした中で、裁判所より、原告(被控訴人)山下側が強く要求していた全生園の医療改善を含む和解案が示されました。 その内容は、原告(山下)側要求を尊重し全生園長が和解成立の際に、その席上で@患者本位の医療の推進、A相談体制の充実、B医療機能評価機構の受審の3点について約束した所感の表明をすること、更にその所感を表明したことを全生園で翌日公表すること、そして、所感の趣旨が尊重されるように、当分の間、全生園長交代の際に適切な措置をとること、というものです。 和解案では損害賠償額が減額されているものの、裁判所の提示した内容(上記の内容を含む全生園長の所感の表明)が実現するのであれば、一人で訴訟に立ち上がった意味があると考え、原告山下側では和解案を受け入れることを裁判所に伝えました。 国は、統一交渉団との間で、「厚生労働省は、・・社会の中で生活するのと遜色のない水準を確保するため、入所者の・・・医療の整備を行うよう最大限努める」との合意をしており、又、和解協議において、患者本位の医療を尊重する方向で努力している旨述べており、裁判所和解案を拒否する理由はありません。 山下さんのご主人は癌とたたかいながら、全生園の医療改善に向けた彼女の思いを支えています。 2006年1月12日に、次回の和解協議が予定されていますが、国が裁判所の示した医療改善についての提案に応ずるよう強く要請します。 2005年12月 日 氏名 |
| 追記3 国、和解に合意=原告の実質勝利(以下、「山下ミサ子さんを支える会」から引用) 06年1月13日の新聞でも報じられましたが、国は和解案に合意しました。 1月12日、国は山下ミサ子さんに対して医療過誤があったことを認め、裁判所提示の和解案を全面的に受け入れました。 原告山下ミサ子さんが終始国に求め続けてきたことは、多磨全生園の医療改善・改革であり、患者の権利の回復でした。今回の和解では、病院などの医療機能を中立的な立場で評価して問題点の改善を支援する「財団法人日本医療機能評価機構」を受審することが盛り込まれました。これは山下さんの願ってきたことが認められたことを意味します。医療も隔離されてきたハンセン病療養所に、はじめて第三者機関の審査が入る画期的な和解だと受け止めています。 1月31日、全生園の園長(但し、病気のため副園長出席)が、和解に出席して、@患者本意の医療の尊重 A相談体制の確保 B医療機能評価機構への審査の申し込みを含む所感を表明したうえで、和解が成立することになっています。 なお、その翌日、全生園でその所感の内容が園内放送で公表されることになっています。 |