|

長勢法相の執行命令により、これまで(7/10)7人が執行され殺された。大量死刑執行の時代、厳罰化の時代に突入したと言われている。それを支えているのが報道だと思う。それらを問題にしていかなければと思う、一方で、それだけではダメなんだろうなあと思う。報道に煽られ、不安にかられる人びとの側のこと、大量死刑、厳罰化によって不安感を取り除き、安心を求める側の人々のことを意識して問題にする必要があると思った。 15年程前にかたつむりの会の連続講座で「死刑がなければこの世は闇だ」をテーマに語られた(「死刑の文化を問いなおす インパクト出版会」)吉田智弥さんに、今の状況の中で、どのように考えられているかをお聞きしたいと思った。講演の詳しい報告は次号にと考えているが、ここではぼくの中に残った二つの事を書いてみようと思う。 ●「世間」ということ ●光市母子殺人事件被害者家族の本村さんのこと この日の集まりのタイトルとして「安心を求める人びと」「普通に支えられる」という言葉を使った。本当に「何気なく」用いた言葉だったけれど、それらの言葉の意味するもの、その本当の姿は何なのかと思う。話の中で、西部邁の言葉をともやさんは引用していた。 「愚昧、軽率、卑劣、臆病などによる多数の同意ということがありうる」 この「多数の同意」「多数派の人びと」というものが「安心を求める人びと」あるいは「普通」と同じものなのか。 |