7/1「吉田智弥さんを囲んで」から考えたこと


7/1「吉田智弥さんを囲んで」から考えたこと

長勢法相の執行命令により、これまで(7/10)7人が執行され殺された。大量死刑執行の時代、厳罰化の時代に突入したと言われている。それを支えているのが報道だと思う。それらを問題にしていかなければと思う、一方で、それだけではダメなんだろうなあと思う。報道に煽られ、不安にかられる人びとの側のこと、大量死刑、厳罰化によって不安感を取り除き、安心を求める側の人々のことを意識して問題にする必要があると思った。
15年程前にかたつむりの会の連続講座で「死刑がなければこの世は闇だ」をテーマに語られた(「死刑の文化を問いなおす インパクト出版会」)吉田智弥さんに、今の状況の中で、どのように考えられているかをお聞きしたいと思った。講演の詳しい報告は次号にと考えているが、ここではぼくの中に残った二つの事を書いてみようと思う。
●「世間」ということ
●光市母子殺人事件被害者家族の本村さんのこと
 
この日の集まりのタイトルとして「安心を求める人びと」「普通に支えられる」という言葉を使った。本当に「何気なく」用いた言葉だったけれど、それらの言葉の意味するもの、その本当の姿は何なのかと思う。話の中で、西部邁の言葉をともやさんは引用していた。
「愚昧、軽率、卑劣、臆病などによる多数の同意ということがありうる」
この「多数の同意」「多数派の人びと」というものが「安心を求める人びと」あるいは「普通」と同じものなのか。
 

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ともやさんはそういうものを含めた、日本独特の言葉「世間」という言葉を出された。単に「多数」あるいはその「同意」というよりも、もっとぴったりくるように思う。では「世間」とは何かということだが、「何か、わからへん」ものであるらしい。
ともやさんは、話の中で、言われている「世間」の中味を分類された。
●ホンネを隠さないと生きていけない「世間」(例えば、長いものには巻かれろ)
●冷たい世間、権力=支配者としての「世間」(例えば、世間から冷たい目で見られる)
●対立する、又は、向き合う相手の「世間」(例えば、世間を敵にまわす)
「こういうことをしたらアカンで」、「ホンネを隠して生きていかなアカンで」と言われたりする。言われなくても無言のうちに無意識のうちに強制され、「行動を制約する」ものとして「世間」はある。そこから「思いきって踏み出すためには、大きな覚悟を必要とする」「恐い、危ない」。ぼくにも、臆病で、足を踏み出せなかったことがある。その、「怯えて、足を踏み出さないことにより、『安心』を確保することが出来る」ことになる。
その「世間」と対立するもの、「『世間並』と見なされない集団」の一つとして「現に刑務所・拘置所・留置場に拘留されていたり、過去に犯歴のある人たち」がある。その中には「死刑囚」も含まれているだろう。それを支援するもの、死刑制度に反対するものも「世間」と対立するものとなる。足を踏み出さずに、多数に同意して、マスコミで流される「加害者」やそれを弁護する弁護士へのバッシングを受け入れ、あるいは手をたたいて迎え入れることで、じぶんの「安心」を確保しているんだということだと思う。
 
もし、ぼくたちの闘いを「宣伝戦」だとしたら、働きかける相手は「世間」ではないかと思う。ともやさんから教えられた、「世間」という、何かわからないものを、もっと知りたいと思った。
 

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もうひとつの、「光市母子殺人事件被害者家族の本村さんのこと」。
ぼくは、ともやさんにお話を依頼した時に、「テレビなどで発言しているのを見ていて、本村さんに対して『嫌悪感』を抱いてしまう、それはなぜなんでしょうね」と書き送ったことに対して、考えたことを話してくれた。
ともやさん自身も「嫌悪感」というのではないけれど、それに似たものを感じるとした上で、二つのことを話された。
 
ひとつとして、ともやさんは言う。「彼の立場だったらどうするかを思った時、どうしても加害者のことが許せないと思うだろう、殺したいという思いを持つかもしれない」「でも、近代刑法では、敵討ち、決闘は認められていない。国家がそう縛っている。国家が私たちに代わって仇討ちをしてくれる。そういう国家がしてくれることを認めることになる。国家を全能とする。国家が肥大化し、国家が人を殺しても認められることになる」本村さんへの「嫌悪感」は、そういう国家への「反発」であり当然ではないかと。
 

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「本村さんへの嫌悪感」について考えることの、もう一つとして、「自分の内側にある欠損のバランスをとらなければ、精神は癒されない。治癒されない。本村さんは、家族が殺され、心のもって行き場所がない」大きな悲しみの中にある。「自分の内側」のバランスをとるためには犯人の抹殺しかない。「自傷他害への衝動は、『自己治癒』行為」であると。
平穏なところにいるものから見ると「ゆがみ」がある。本村さんのその「ゆがみ」方に反発をおぼえるのではないか、と。
「じゃあ、なぜ、『世間』は本村さんを認めるのか。
それは、『不安感』(「世間」と対立し、その外へ踏み出そうとするものは許されないという「不安感」、身内や親しいものが殺された時に「世間」からはみ出した行動をとることは許されないという「不安感」。犯人の死刑に何が何でもと執着することを肯定しないことにより、「世間」に対立しているとみなされるかもしれないという不安感。被害舎は被害者らしくなければならないという゜不安感)が起こらないように、あらかじめバランスをとっているのではないか」と。
ともやさんは更に、「本村さんが国家に依存、丸投げして、『ゆがみ』を強めていく前に、本村さんの『ゆがみ』を受け止め、話をする関係が身近にいる人との間にあったなら、本村さんは、今とは、別のあり方になったかもしれない」と話された。
 

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自分ひとりの中で、感じとして持っているだけで、それから考えを広げたり深めていくことが出来なかったことがある。「加害者と被害者」のこと。あるいは被害者感情のことについて。
擬似「被害者感情」(水田ふうさんはこういう表現をしている。それは向井孝さんが、使われていた非被害者感情とも重なるものだと思う)について言えば、それは「被害者感情」とは違い、無責任であり、「社会秩序」、「世間」を形作るものとしてあり、否定していくものとしてあると思う。
でも、被害者家族を前にしては、あるいはその発言に対しては、何も言えずただ、頭を下げるしかない、とずっと思っていた。でも、本村さんに対して「嫌悪感」を抱いているのも事実。ぼくの中にある矛盾したものについて、ともやさんは「被害者」にある「ゆがみ」という言葉を出された。
 
前述したかたつむりの会の連続講座で、「仇討ちと死刑」のテーマで池田浩士さんが次のようなことを話されていた。
仇討ちの「最長記録」として記録に残されているのは、41年だという。新発田藩の人で、その人は、仇を討って藩に帰参すると、藩では大歓迎をして重く取り立てられ町奉行になったという。しかし、苛烈な町奉行であったという。どんなに貧しく不遇な民に対しても苛烈な裁きをして評判が悪かったという。41年間敵を探し歩き、その一念に凝り固まった彼はやさしい心を忘れてしまった、と。
 
もう一つ、同じ講座の中でなだいなださんが「安心の危険より、不安の安全=vというテーマで話されている。なださんは精神科医になりたての頃(1955年)精神科の病院はほとんどが閉鎖病棟。もう良くなっても家の人が引き取らない。アルコール中毒患者は、激しい幻覚や妄想が出るような時に傷害事件を起こすことが多かった。永久に閉じ込めておいてくれと言ってくるのは家族だった。この人は絶対にお酒なんて止められない、と決めつけている人たちは、自分は被害者だと思っているから、自分の考えが間違っているとは思わない。しかし、その考えに基づいて人間を精神病院に永久に入れていたら、いつの間にか加害者になっている。しかし、加害者意識というものを全く持っていない、と。
 

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これら二つのことは、あと付けだけれど、ともやさんの言った「本村さん、被害者のゆがみ」と通じると思った。被害者であっても「絶対」ではない。いつの間にか「ゆがみ」を持ってしまう。持ってしまった自分に気がつかない。
 
それは、またぼくのことでもある。誰かの「問題」発言に対して、自分を正義としてしまい、勝ち誇ったように、「鬼の首を取った」かのように相手を攻めたてる、そういう性癖がぼくにはある。いつの間にか加害者になってしまっている。「ゆがみ」ということ。そういう自分に気がついて赤面する。
問題を指摘するのなら、それだけの「資質」も問われるんだと思う。
 
多数、不安感、安全、世間、被害者、加害者、「ゆがみ」、正義ということ、互いに繋がりあって、影響しあって存在しているんだろうなあと思います。
これからも考えていきたいテーマです。            (坂口)
 


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