Page 6(Vol.101〜Vol.120)
Vol.120 『東大落城』・・・佐々淳行 著 (文藝春秋)
学生運動盛んなりし頃、その警備にあたった作者が詳細な記録と記憶をもとに記した迫真のドキュメント。
この東大・安田講堂攻防戦により日本の警備体制のあり方が一変した。
それまでの警備は機動隊にいくら怪我人が出ようと決して抵抗しないというものだったが、
そこに海外の警察機構を視察した作者が警備担当者となり、
催涙ガス弾や放水攻めという今までと違った方法を取ることになっていく。
一見力ずくの強硬路線のようにも見えるが、学生側も機動隊側も以前に比べて負傷者が極端に減った。
この流れはその後に起こる連合赤軍あさま山荘事件でも引き継がれ、大きな成果を上げている。
この本は警備する側から書かれているが、
見方をちょっと変えてみると当時の学生運動に参加した学生たちはあまりにも純粋すぎ、
一方の大学側は優柔不断と無能をさらけだした格好になったような気がする。
Vol.119 『首位戦争』・・・清水一行 著 (角川書店)
文中では架空の名前を使っているが、
昭和55、56年に起きたヤマハとホンダの二輪車におけるシェアー争いの様子が題材となって書かれている。
ここではあえて実名で記述していくことにしよう。
当時のオートバイ業界はホンダの一人勝ち状態で、ヤマハはかろうじて2位の座を守っていた。
そこで主人公であるヤマハの社長がホンダに宣戦布告し、シェアー争いに打って出るが、
ホンダの強烈な巻き返しにあい結局敗れ去り、多額の負債を抱え込み、その結果として経営危機にまで追い込まれてしまう。
話としてはこれだけのことなのだが、ヤマハがオーナーの意のままにされている企業であるのに対して、
ホンダは同族経営を拒否した会社であるという両極端な対比も面白い。
また陰湿な性格のヤマハのオーナーに対し、ホンダ側がきわめて陽性に描かれているのも注目される。
ストーリーは主にヤマハの側から書かれているが、
その合間合間に相手方であるホンダの動向を挿入することでお互いの経営戦略の違いもよくわかる。
企業が生きるも死ぬもトップの考え方一つだということを証明した一冊だった。
Vol.118 『真田残党奔る』・・・五味康祐 著 (文藝春秋)
タイトルからして非常に興味をそそる。
そして登場人物も猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、穴山小介、筧十蔵などの真田十勇士生き残りに柳生宗矩、
柳生兵庫介といった柳生一族が出てきてさらに楽しみが増していく。
もっと言えば宇都宮城釣り天井事件に伊達政宗の陰謀なども加わり、前半部分はとてもわくわくしながら読むことができた。
しかし残念ながら、後半は盛り上がりが尻すぼみになってしまい、あっけない幕切れになってしまった。
最後の最後に真田の残党による大どんでん返しがあるものと思いながら読んでいたのに、
結局これといった見せ場もなくなんとなく物語が終結してしまった感じだ。
もっと真田の残党による活躍を前面に出せば、読み終わった後に爽快感が残ったかもしれないのだが。
Vol.117 『1億人の大質問』・・・素朴な疑問研究会 編 (河出書房)
雑学好きの私にとっては、この手の本はついつい手に取ってしまう。
ただ内容は特にこれはという目新しい発見もなく拍子抜けだった。
「ふ〜ん、なるほど」と思えるものがあれば、読んだ甲斐もあったというものなのに。
もっともっとマニアックな疑問が追及されていたら、きっと楽しいものになっていたと思うのだが・・・。
Vol.116 『流転の王妃の昭和史』・・・愛新覚羅浩 著 (新潮社)
昭和12年、軍部による政略結婚により満州国皇帝
(映画『ラストエンペラー』でお馴染みの愛新覚羅溥儀)の弟である愛新覚羅溥傑と結婚し、
時代の波に翻弄され流転の人生を送ったある日本人女性の一生。
日満親善という美名のもとに結婚して以来、思いもかけない数々の試練に遭遇し、苦難の道を歩むことになる。
戦争が終わってからもこの夫婦が再開できたのは16年経ってからで、その間の苦労も並大抵ではなかったようだ。
そんな苦難と悲しみの中に夫婦・親子の愛情がにじみ出てくる。
戦争というものが多くの悲劇を生み出すということを再認識する意味でも、
戦争を知らない世代の人には読む価値のある一冊のように思える。
Vol.115 『竜馬がゆく』(一〜八)・・・司馬遼太郎 著 (文藝春秋)
言わずと知れた司馬遼太郎の代表作。
この本を最初に読んだのは学生の頃だったが、今再び読んでみても当時の興奮が蘇ってくる。
前回読んだ時は、幕末という激動の時代の中で一人の青年が大活躍しながらも、
志半ばで非業の死を遂げるという「男としてこうありたい」という憧れのような思いを込めて読んでいたが、
今回は主人公・竜馬をとりまく女性たちがとても魅力的に描かれていることに気がついた。
竜馬の妻となった「おりょう」、姉の「乙女」、寺田屋の女将「お登勢」、
家老の娘「田鶴」そして千葉道場の娘「さな子」などなど。
それぞれが個性を持って脇をかためていて、この小説にとって誰一人として欠くことのできない存在になっている。
(中でも姉の「乙女」は私の大のお気に入りだ。)
考えてみると、いわゆる勤王の志士と呼ばれた人たちが討幕活動をしているときも、
竜馬は独自の考えから、彼らの行動とは一線を隔している。
歴史の表舞台に登場するのは薩長連合の頃からであろう。
その時までは各々の女性との関わりを描くことによって、
竜馬の人間としての器の大きさを知らず知らずのうちに読者の心の中に染み込ませていっているようだ。
そういう面では歴史に興味がない人でも読みやすいものだといえるだろう。
読むたびに新しい発見ができるということからすると、
この本を後年もう一度読んでみると更に違う感動を与えてくれるかもしれない。
Vol.114 『司法の犯罪』・・・伊佐千尋 著 (文藝春秋)
司法制度改革が叫ばれて久しいが、ほとんどこの改革は進んでいない。
その改革すべき制度の主なものは陪審員制と死刑制度だろう。
ここでも実際に起きた事件で冤罪被害にあった元被告の事件を検証して、
司法警察の横暴・証拠の捏造等を指摘している。前半部分はこの事件経過の説明がされており、
冤罪が生み出されていく経緯もよくわかる。
しかし後半は作者の陪審員制度導入、死刑制度廃止の思い込みが強すぎて、現行制度に対する批判が少々鼻につく。
人が人を裁く以上、間違いがないとは言えない。
しかもこの間違いは絶対にあってはならないことだ。
その間違いをなくすために現在の三審制がもちいられている。
どの制度が正しいのかはまだまだ検討する余地がある。
陪審員制を取り入れれば、間違いなく無罪が増えるはずだ。
検察側は法律の素人である陪審員を納得させるだけの証拠を示さなくてはならなくなるからだ。
感情論に流されて判断を誤る陪審員も出てくる可能性もある。そうなれば被害者の感情はどうなるだろう。
この作者が言うように陪審員制を取り入れれば、誤審がなくなるというような単純なものでもないはずだ。
Vol.113 『帰郷』・・・海老沢泰久 著 (文藝春秋)
表題の「帰郷」を含めた6編の短編集。
海老沢泰久といえばスポーツライターとして知られており、
ノンフィクションは何度か読んだことがあるがフィクションは読んだことがなかったので、
期待に胸が膨らんだ。第111回直木賞受賞作ということからも、尚一層気持ちを昂ぶらせた。
しかし読み終わってみると正直言ってがっかりだった。
それぞれの「人生」の中での虚脱感のようなものがテーマとして書かれているようだが、
読んだ後の心の中には言い知れぬ切なさのようなもやもやとしたものが残ってすっきりしない。
文学的には評価の高い作品かもしれないが、個人的にはもう一つだった。
直木賞受賞作品に対して大変僭越ではあるが、私的には星三つがいっぱいいっぱいだ。
Vol.112 『大蔵省VS.アメリカ』・・・塩田潮 著 (講談社)
外交というものはお互いの国益をかけた戦いの場であるはずだ。
しかしこれまでの日本外交をみていると、終始相手のペースに乗せられてしまっている。
ここで紹介されている「円ドル戦争」でもアメリカの要求に屈してしまい、
譲歩に譲歩を重ねるという情けない結果となってしまっている。
大蔵省といえば、まぎれもない日本のトップ頭脳の集団であるはずなのに、なぜこうまでもいいようにやられてしまうのだろう。
アメリカは実際に会社経営の経験のある経済の修羅場をくぐり抜けてきた経営者を
交渉人に仕立ててくるのに対して、日本は東大から大蔵省に入り、
決められたレールの上を歩いているだけの人が交渉に当たっている。
実務を経験した人と机上で理論を振り回しているだけの人との差が出てくるのかもしれない。
あの手この手で円高誘導を画策するアメリカに対し、
ほとんど無策と言ってもいいほど反論できない大蔵省には失望してしまう。
1985年のプラザ合意以降、円がドルに対して2倍以上にはね上がり、その結果円高不況になり、
その後の相次ぐ利下げによりバブルを生み出し、21世紀になった今もその後遺症に苦しんでいる現在の日本経済をみてみると、
弱腰な大蔵省の交渉姿勢は大いに批判されるべきものであろう。
Vol.111 『逆転の歯車』・・・清水一行 著 (光文社)
いきなり国会での証人喚問の場面から始まる。
そして読み出すとすぐ、これは「ロッキード事件」をテーマにしたものだということが容易に想像がつく。
さらにこの世紀の大疑獄事件の裏側が作者独特の鋭いタッチで暴き出されていくのだと期待がふくらむ。
しかしその内容はロッキード事件そのものにはあまり触れられておらず、
主人公である専務(実際には有罪判決を受けた)の不幸な生い立ちから入社してからも
不遇の時代を過ごしたことが事細かに書かれている。
贈賄罪という犯罪に手を染めているにもかかわらず、ややもすれば同情的に書かれているとも受け取られかねない。
清水作品の多くは巨大企業の犯罪をバッサリ斬り捨てているということを考えれば、ちょっと異質のものを感じてしまう。
そこでインターネットで「ロッキード事件」のことをちょっと調べてみたら、
この主人公になっている被告は有罪判決を受けたとはいえ、
その当時の評価では「有罪はかわいそう」というものだったようだ。
5億円の現金受け渡しの実行犯として処罰されたのだが、
そのお金がどういう種類のものだったかもはっきり知らされておらず、
ただ会社の指示で現金を持っていっただけだったとも言える。
役員だったとはいえ、社長からの指示があれば断ることも困難なこともあるだろう。
このような事情があったこともあって、主人公を悪人として描くことに躊躇したのかもしれない。
Vol.110 『暗闇商人』(上)・(下)・・・深田祐介 著 (文藝春秋)
ヨーロッパ、東南アジア、北朝鮮を舞台にした国際冒険小説。
とりわけ北朝鮮と日本赤軍が実際に起こした数々のテロ事件をモデルに話が組み立てられているので、
その事実を知ったうえで読むと更に面白味が増すような気がする。
そのテロ事件とは1980年代から頻繁に起こった北朝鮮による拉致事件。
さらに『人の命は地球よりも重い』の言葉で知られている1977の「ダッカ・ハイジャック事件」。
そして1986年の「若王子三井物産マニラ支店長誘拐事件」、
1987年の「大韓航空機爆破事件」へと続いていく。
登場人物も1987年逮捕された「丸岡修」、1988年逮捕された「泉水博」、
2000年逮捕された「重信房子」と思われる人たちが登場し、
ストーリー自体はフィクションではあるが、臨場感あふれた秀作といってよいだろう。
北朝鮮に拉致された主人公のヒロインが、
もう少し慎重に行動すれば北朝鮮の拘束から逃げ出すチャンスもあったのではと思われる場面もあり、
その点がちょっと気になったが、その点を割り引いてもとてもリアルですばらしい作品だった。
Vol.109 『青春の蹉跌』・・・石川達三 著 (新潮社)
学業優秀ではあるが人格的・道徳的に未成熟な学生が司法試験に合格したことで、
人生の合格者と勘違いしてしまった悲劇を、
当時の時代感覚を鋭くとらえながら心理描写を中心に描かれている。
ストーリー自体は、出世の妨げになる妊娠した彼女を殺して、
資産家の女性と結婚しようとするというとても単純なものだが、
なんでも打算で物事を割り切るという現実主義者である主人公の揺れ動く心の内が細かく描写されている。
昭和40年代当時の日本社会の歪みを描き出していると言えなくもないが、いまこの時代に読んでみると、
その当時は受け入れられた作品かもしれないが、今ではどうだろうという気がしないでもない。
石川達三と言えば誰もが知っている一流作家ではあるけれども、
「面白かったか?」と聞かれれば「それほどでも」と答えざるを得ない。
Vol.108 『宇宙のあいさつ』・・・星新一 著 (新潮社)
巻末に「昭和37年に発行された」と記してある。
ということは40年前に書かれたということになる。
しかしその内容は今もまったく色あせておらず、
高校時代に読んだ時と同様に今回も文句なしに楽しませてもらった。
星新一の面白味はなんと言ってもその意外な結末にある。
自然と読者に「最後はどうなるのだろう?」、
「何かどんでん返しがありそうだ」との期待感をいだかせてくれる。
更に付け加えると、その物語性も見逃すことができない。
わずか10ページほどの短い文章の中で、ある時は果てしない宇宙の世界へと導いてくれ、
またある時はメルヘンチックなおとぎ噺の世界に連れていってくれる。
最後のオチもブラックユーモアあり、メルヘンありと多趣多彩だ。
なんの理屈もなく、マンガ感覚で読むことのできる肩の凝らない一冊だ。
Vol.107 『真田三代記』・・・土橋治重 著 (PHP研究所)
『真田三代記』は江戸時代、元禄の頃書かれた大衆小説だ。
だから当然ここに出てくる真田三代はスーパーマンのような天才策士として描かれている。
真田三代とは昌幸、幸村、大助の三代。
この三人の中で幸村は大阪の陣での活躍で知られており、今でも人気のある武将の一人。
ここでも半分以上が大阪の陣の描写がされているが、
個人的には関ヶ原の戦い前夜の昌幸、幸村父子による上田城での攻防のほうが好きだ。
あらんかぎりの知謀・奇略で徳川勢に向かっていく姿は、いかにも巨大権力に挑んでいく潔さを感じさせてくれる。
Vol.106 『続大阪学』・・・大谷晃一 著 (新潮社)
Vol.97の『大阪学』の続編。
前作に続いていろんな角度から大阪ウォッチングをして、大阪の真の姿を描き出している。
内容も今回の方が庶民的なテーマが扱われていて読みやすい。
ここでは私なりの「大阪」について総括してみることにする。
1.大阪弁
大阪人は東京でもどこでも遠慮せずに大阪弁を使う。標準語をしゃべろうという意識もない。
そして最近 はメディアの発達により大阪弁は日本中で認知されつつある。
2.インスタント・ラーメン
インスタント・ラーメンを発明したのは日清食品の安藤百福。
今では日本はおろか世界中で食べられて いる。
「ボンカレー」の大塚化学も大阪の会社だし、お好み焼きも大阪で生まれている。
とにかく大阪の 食品会社は元気がいい。
3.テレビ番組
最近大流行の視聴者参加番組。
大阪の局は制作費が少ないので、視聴者を参加させて番組を作って いた。
今ではこの方式はバラエティーの大きな柱となり、東京のキー局がこういう番組をたくさん作って
いる。
4.コマーシャル
大坂で作られるコマーシャルの割合は、全体の約10%。
つまりほとんどが東京で作られていることにな
る。しかし印象に残るコマーシャルは大阪製作のものが圧倒的に多い。
たとえば「大阪の迷惑駐車」、 「タンスにゴン」、「引っ越しのサカイ」、
「関西電気保安協会」などなど。
「コマーシャルは目立ってなん ぼや」という声が聞こえてきそうだ。
5.船場商法
大阪は町人の町、東京は武士の町。
この流れがあるからか大阪は形式にとらわれず、徹底的に合理 性を追求していく。
この結果、次々と企業が生まれてきた。現在の巨大商社の半数は大阪で産声をあ げている。
以上のことから、「大阪と大阪人は永久に不滅です」と結論づけざるを得ない。
Vol.105 『ひまわりの祝祭』・・・藤原伊織 著 (講談社)
東京のど真ん中で世捨人のような生活をしている中年の男がいる。
7年前に妻が自殺してから、世間との関わりを一切断ってしまった。
そんな男のまわりに謎めいた者たちが次々と登場してきて、思いがけない事件に巻き込まれていく。
キーワードはゴッホの「ひまわり」。
44で紹介した『テロリストのパラソル』をしのぐハードボイルド・ミステリーだ。
ストーリーはとても緻密かつ繊細。
次から次へと出てくる「なぜ?」、「どうして?」という疑問を、
話がすすむにつれて一つずつ明らかにしている。それも自然にさり気なく。
それでいて「ひまわり」についての一番大きな疑問は最後の最後まで引っ張っている。
登場人物も『テロリストのパラソル』でもそうだったように、それぞれが個性的で魅力的な人物だ。
誰一人が欠けてもこの話が成り立たないくらい一人一人が重要な意味を持っている。
文章やストーリーに全く無駄のない最高傑作と言ってもよい作品だ。
Vol.104 『村が消えた』・・・本田靖春 著 (講談社)
1932年、満州に渡った開拓農民が敗戦でその地を追われ、
終戦後入植した青森県六ヶ所村を今度は「開発」という名のもとに、
再びその土地を手放すに至るまでの農民の悲劇が詳細に記録されている。
テーマとしてはとても私好みのものなのだが、その記述の仕方については大いに不満がある。
村人それぞれの生き様を1人ずつ紹介していくのだが、極端な言い方をすれば、
皆それほど大差はなく同じような記述が延々と続くという印象が残った。
しかも時代がしょっちゅう前後するのでとてもわかりにくい。
国家に翻弄された無力な農民の姿を描きたかったのであろうが、
読む側にとってはちょっとうんざりという気持ちになってしまうのではないだろうか。
Vol.103 『大谷吉継』・・・野村利雄 著 (PHP研究所)
関ヶ原の戦いで西軍につき、敗れ去った戦国武将。
この大谷吉継は、負けるとわかっていながら義のために西軍についたように描かれており、
いわば「滅びの美学」の精神が一貫して流れている。
主人公である以上、義に厚く男らしい武将として書かれるのは仕方のないことだが、
あまりにも美化されすぎていてちょっと興ざめだった。
ストーリーの展開も忠実に歴史をたどったというだけで、山場のない盛り上がりに欠けるものだった。
Vol.102 『悪魔祓い』・・・清水一行 著 (角川書店)
清水一行がもっとも得意とする企業小説。
さらに言えば、同族企業の腐敗ぶりを描き、
そこに銀行を絡ませるというのは著者の十八番と言ってもいいだろう。
ここでいう悪魔とは創業者一族の四兄弟のこと。
創業者一族が支配する大手製紙会社に、再建のため乗り込んできた銀行を追い払おうと画策するが、
結局は同族支配を崩壊させるに至ってしまうという話。
そこにさり気なく意味ありげな女性関係を盛り込み、読みやすさも増している。
話の内容自体はどろどろとした企業悪そのものなのだが、主人公である若手社員のおかげで、
ある面ではヒューマンドラマとしての仕上がりになっている。
これこそが清水作品の持ち味の一つと言うことができるかもしれない。
Vol.101 『歳月』・・・司馬遼太郎 著 (講談社)
卓抜した理論と事務能力で明治新政府で司法卿として敏腕を振るいながら、
非業の死を遂げた江藤新平の一生。
江藤には策士というイメージがあるが、この本を読んでみて、
ちょっと違うのではないかという気がしてきた。
むしろ江藤という人物は生真面目すぎるくらいの政策家であり、決して政略家ではなかった。
薩長藩閥によって牛耳られていた新政府を欧米列強にも負けないような法治国家にしようと
役人の不正を徹底的に正していったために多くの敵をつくってしまうほどの正義漢だったようだ
(ただ権力を握りたいとの野望は持っていたようだが)。
その数多くの敵の中で最大の敵は大久保利通であり、
征韓論争のやりとりはまさに息をもつかせぬ緊迫感にみなぎっている。
結局、江藤は「佐賀の乱」で大久保の罠にはまって殺されてしまうのだが、
その刑の執行方法は江藤が作り上げた法律にはない梟首というものだった。
近代的な法治国家を目指していながら、無理矢理理屈をこじつけて、
法に定めのない方法で刑を執行した大久保こそ策士と言えるかもしれない。
さぞ江藤は無念の思いを胸に死んでいったであろう。
また全編を通じて言えることだが、大久保の謀略が随所に描かれているので、
作者は大久保利通のことが嫌いだったのではないだろうかとも思ってしまう。
特に後半部分では江藤を殺すためには手段を選ばないという感じがして、私自身嫌悪感さえ感じてしまった。
あくまでも小説であり、主人公を美化するためにはやむを得ないところはあるかもしれないが、
作者の徹底した資料調査力には定評があるので、この小説に書かれていたことは案外事実に近いのかもしれない。
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