Page 3(Vol.41〜Vol.60)
Vol.60 『魔術はささやく』・・・宮部みゆき 著 (新潮社)
Vol.57の『火車』のところでも書いたが、
この作品も筆者の特徴である社会的問題をベースにして書かれている。
今回取り上げられているのは「サブリミナル広告」と「悪徳キャッチ商法」。
いきなり3つの若い女性の死亡事件から始まるがそれが単なる偶然ではなく、
人為的に起こされたものだということが明らかになっていく。
そこには原因となる「悪徳キャッチ商法」と事件を引き起こす手段としての「サブリミナル広告」がある。
ただ「サブリミナル広告」についてはあまり知られていないし、
さらに催眠術というちょっと胡散臭いと思われる手法まで飛び出してきたのにはちょっと興ざめという気がしないでもない。
そうは言っても、この先どうなっていくか予測がつかないことをミステリーの王道とするなら、
この作品はミステリーの中のミステリーと言えるかもしれない。
Vol.59 『五弁の椿』・・・山本周五郎 著 (新潮社)
今回取り上げるのは山本周五郎。
この小説は確か最近NHKでもドラマになっていたと思う。
最愛の父を病気で失い、その父が自分の本当の父親でなかったことを知った娘がろくに看病もせず、
男あさりをしていた実母とそれに関わった男たちを次々と殺していく。
ストーリー自体はミステリータッチで書かれてはいるものの、それほど複雑な構成ではない。
殺すべき男たちに近づき、茶屋でかんざしを突き刺して殺していくというむしろ単純なものだ。
最初の二人を殺したときの話の展開がよく似ていたので、次に殺される男もまた同じ事の繰り返しかと思ったほどだ。
そういった中でいくつかのアクセントを付け加え、
逆に「この先、どう進んでいくのだろう」と読者をひきこんでいく技法は流石としか言いようがない。
最後のターゲットである実父を殺そうとするくだりは娘の憎しみと嫌悪がにじみ出ていて、その心情がひしひしと伝わってくる。
文中に「この世には御定法で裁ききれない罪がございます。」という娘の言葉が出てくる。
つまり法に触れているいないの問題でなく、人として決してやってはいけない事があるという意味だろうが、
その言葉を聞いて昔法律を学んだときに教えられた
「道徳・倫理という観念があって、その中の一部が法によって規制されているにすぎない。」という言葉を思い出した。
Vol.58 『局長罷免−小説通産省』・・・高杉良 著 (講談社)
通産省の人事抗争。
というより陰謀による局長追い落としを狙ったグループが
見事にその陰謀を成し遂げてしまうという実話をもとにした小説。
通産省きっての切れ者で、
実力も人望もある次期次官候補のキャリア官僚が更迭に追い込まれてしまう。
通常なら取るに足らない些細なミスを大きく取り上げ、怪文書という卑劣な手を使い、次第に窮地に追い込まれていく。
この罠を仕掛けた者が誰かは文中では特定していないが、
読んでいると官僚を思いのままに操ろうとする政治家と、
自分の地位の保全と出世にしか興味のない官僚が仕組んだのだということは容易に想像できる。
今も政界・官界の腐敗や不祥事が新聞紙上を賑わしているが、
昔から同じことの繰り返しで全く改革ができていないということだろう。
ただ読み終わった後も、陰謀によって更迭された局長に同情する気には正直いってならなかった。
確かに仕事のできる有能な人物のようだが、役所の悪しき前例や慣習はきっちり守っているし、
そんなことは誰でもやっている事だという開き直り的なところも見受けられる。
私は常日頃から通産省など今の日本には必要ないと思っているのでこうした厳しい考えになってしまうかもしれないが・・。
そもそも通産省の前身である商工省は、明治維新後西欧に伍していくために国内の産業に保護を加えた。
第二次大戦後は敗戦からの復興のためにその力を発揮した。
しかし飛躍的な経済成長を遂げた今の日本にその必要があるだろうか。
規制によって民間活力を押え込んでいるだけの現在の通産省は、まさに百害あって一利なしと言わざるを得ない。
天下り先の確保ばかりに気を取られている役所など不要だという気持ちがこの本を読んで更に強くなった。
Vol.57 『火車』・・・宮部みゆき 著 (新潮社)
宮部みゆきはその時代の社会問題となった出来事をテーマに
サスペンス性をもたせて、ストーリーを作り上げていくのがとてもうまいといつもながら感心してしまう。
今回のテーマは『クレジット破産』。
「クレジット破産」、「自己破産」と聞くと、お金にだらしのない特別な人のように思えるが、
実際にはそうとばかりは言えないようだ。
確かにお金にルーズな人が安易にカードローンの深みにはまっていき、破産するというケースは多いだろう。
正直言って私の個人的な考えでも「自己破産は合法的な借金の踏み倒し」と思っている。
つまり同情の余地は余りないと感じざるを得ない。しかしごく普通の生活を送っている人が、
いつこのような状況におかれても不思議ではない時代になってきているのも事実であり、
この小説の中に登場する人物にも同情してしまう面が多々みうけられる。
さて、この物語はある女性が失踪するところから始まり、
その足取りを追っていくうちにその女性が他人の身分を乗っ取ったことがわかってくるというものだ。
なぜそんなことをしたのか?
身分を乗っ取られた女性はどうしたのか?
乗っ取った女性は今どこにいるのか?
殺人事件に発展するかもしれないと思わせながらも、
その女性の正体が少しずつ明らかにされていくうちについつい同情的になってしまう。
最後にその失踪した女性が見つかったときも、声をかけようとするところで話は終わり、
事の真相をはっきりさせなかったことも読者それぞれに想像がふくらみ、余韻を楽しめるのではないだろうか。
Vol.56 『国書偽造』・・・鈴木輝一郎 著 (新潮社)
時代小説であるが、単なる時代物ではなく
「時代法廷ミステリー」と言えるかもしれない。
時は徳川家光の時代。
対馬藩宗家の家老柳川調興が幕府に奇妙な訴えを起こす。
自分の知行を幕府に返上したいと申し出たのだ。
幕府の重臣はその真意をはかりかねていたのだが、
評定をすすめていくうちに朝鮮国への国書を宗家が偽造していることが明らかになっていく。
その偽造には柳川調興自身も係わっているので、
一歩間違えば訴え出た自分の首が飛ぶのになぜこのような賭けに出たのか?
その調興の思いを織り交ぜながら評定の様子を描いている。
対馬藩で家老といえば藩内では2だ。しかし2といってもわずか2万石の小藩の2でしかない。
それならば自分の能力で幕府直参になって自分の力で出世したいと柳川調興は考えたのだ。
この時代は豊臣家も滅び平和な時代になっていた。戦国時代はもう既に遠い昔の話なのだ。
戦国時代なら主君を裏切ることも珍しくなかったし、自分の力だけで一国一城の主にもなれた。
しかしこの平和な時代では力でのし上がることはできない。
そのため主君である宗家を相手に訴訟を起こし、その評定の席で自分の正当性を主張し幕閣に取り入ろうとしたのだ。
話は調興の思い通りに進んでいくのだが最後の最後でどんでん返しがある。
テレビの時代劇のように問答無用の決定が出されるのではなく、
きちんと証拠調べをして最終決定に至るまでは緊張感が持続していて充分に楽しめるものだった。
Vol.55 『空夜』・・・帚木蓬生 著 (講談社)
診療所の医師となって戻って来た幼なじみに、
次第にひかれていく女心を映し出した大人の純愛小説。
主人公の真紀は既に結婚しているが、夫への愛情は冷めてしまっている。
夫はギャンブルが好きで、金にだらしなく何度も借金をつくっては家族に助けてもらうような男だ。
このまま年をとっていくのだと思っているところに幼なじみが医者として帰ってきて、お互いにひかれあうようになっていく。
ただこの二人はプラトニックな関係で最後の最後まで深い関係にはならない。
一方で主人公・真紀の友人でブティックを経営する女性も、
愛人を囲っている夫への愛情はなくなり年下の男との不倫関係を持っている。
この2組の関係が、四季折々の情景を織り交ぜて並行して描写されている。
理屈から言えばこの関係は「不倫」にあたり、道徳的には責められるものかもしれないが、いやらしさが微塵も感じられない。
それは筆者独特の人間としての感情を素直に表現している技法によるからであろう。
私は恋愛小説はあまり読まないが、恋愛小説の好きな人にはたまらない作品かもしれない。
Vol.54 『企業の闇に棲む男』・・・江波戸哲夫 著 (講談社)
イトマン事件で逮捕された伊藤寿永光をモデルにした作品。
伊藤役の主人公・武藤末吉は企業から絞り取れるだけ絞り取り、
最後にはその会社を倒産させていくという裏社会の人間。
その手口はうまい話でその会社の役員にもぐりこみ、手形を乱発して潰してしまうというもの。
当然責任は他のものに押しつけ、何食わぬ顔で次の獲物を見つけ出していく。
イトマン事件でも不動産取引、絵画取引とさまざまなブラックマーケットに手を出し、最後には逮捕されてしまう。
しかしこの事件の起きた背景にはもちろんバブルというものがあったが、企業のトップの責任感のなさが一番の原因だろう。
文中でも主人公を悪者として描いているのは当然として、それ以上にその回りに集まってくる、
いわば同じ穴のむじな的な社長・銀行頭取には倫理というものはかけらも持ち合わせていない守銭奴として描かれている。
「自分が得することなら」、「ばれなければ」といった欲だけで生きている者が
企業のトップにいたことがこういった事件を引き起こしてしまうのだろう。
Vol.53 『歪んだ器』・・・清水一行 著 (光文社)
清水一行といえば、政官財の汚い部分をえぐり出したような作品が多い。
しかも実際にあった事件をもとに書かれることが多く、徹底的に取材もされており、リアルさが充分に伝わってくる。
そういう点から「企業小説」、「経済小説」の第一人者として人気を博している。
ところがこの『歪んだ器』は今までとちょっと趣を異にしている。
経済、とりわけ現代の不況を背景としていることからすれば「経済小説」と言えないこともないが、
今までの作品のように欲望のためならどんなことでもやってしまうという会社経営者の陰謀・強欲さ・非情さがない。
むしろこの不況の時代をどうすれば乗り切っていけるか、
前向きに生きていくにはどうすればよいのかということが全編を通して貫かれている。
舞台となるのは東京の北千住。
どんどんさびれていく商店街を復興させようと若者達が試行錯誤していく様子を描いている。
その中に企業の倒産、老人介護を絡ませ現代の問題点を映し出している。
先にも書いたように今までの清水一行の作品と視点が違うので、
この暗い時代を知恵を出し合って乗り切ろうという姿勢が見て取れて、
この不況の時代のサラリーマンに力を与えるようなものに仕上がっている。
もっと言えば小さな力でも結集していけば大きなうねりを創り出すことができることを証明しているようにも思える。
これまでの経済社会の非情さを描いたものとは違って人間の生き方を示したような作品だった。
Vol.52 『首魁の宴』・・・高杉良 著 (講談社)
主人公はある経済誌の主幹(発行者)。
経済誌というものは、一流経済誌以外は胡散臭いものが多い。
ここに登場する主幹も「取り屋」と呼ばれている。
つまりある会社の記事を書くことによってその会社から高額の原稿料を徴収するのだ。
もちろんその記事の内容は誉めちぎったものになる。
仮に記事の掲載を断ったりすると、逆に徹底的にこき下ろされる。
さらに定期購読と称して企業に押し売りまがいに売りつけるので返品ということがない。
まさに濡れ手に泡と言えるだろう。
他にも勲章を欲しがっている大企業の経営者に叙勲の裏工作をするからといって
何億円ものお金を巻き上げたり、「歩こう会」を主催して参加を強要し、
会費を徴収したりと金儲けの手段を次々と繰り出してくる。
結局、どんな厳しい要求を突きつけられても政治家や大企業の経営者の多くは後ろめたいことがあるので、
このような横暴にも黙っているしかない。
むしろ裏金が入ってくるので積極的に利用しようというふしもみられる。
金を出すといっても自分の懐から出すのではなく、会社の金なので何の痛みも感じないのだ。
この小説を読むと今の日本経済の低迷ぶりが頷ける。
Vol.51 『藤堂高虎』・・・徳永真一郎 著 (PHP研究所)
藤堂高虎の名を知っている人はそう多くないかもしれない。
戦国時代に足軽から身を起こし、大名にまで上り詰めた武将の一人だ。
ただこの藤堂高虎についてはあまりいいイメージを持たれていない。
というのも浅井長政、豊臣秀長(秀吉の弟)、徳川家康と次々に主君を代え世渡り上手のように言われているからだ。
歴史家の中には「ゴマスリ大名」「日和見大名」などという人もいる。
更に藤堂家にとって不幸だったのは高虎の死後250年経った明治維新の時に幕府方からいち早く官軍に寝返ったために
「開祖・高虎が変わり身が早かったので、変わり身の早いのは藤堂家の家風だ」と世間に思われてしまったことだ。
このため高虎の武将としての力は歴史の表舞台にはあまり出てこず、
もっぱら節操のないゴマスリ大名として知られるようになってしまった。
藤堂家の領地が津・伊賀と私の地元ということで弁護するわけではないが、
「忠臣、二君にまみえず」という思想は封建制度の確立した江戸時代中期からの考えであって、
戦国時代はどちらが勝つか見極め勝ちそうな方につくというのは常識だった。
あの時代、身を起こそうと思ったら誰を主君にするかで将来が決まってくるので、
逆に高虎は人を見る目があったとも言えるはずだ。
更に家康の信頼が厚かったことも経営者が有能な部下をヘッドハンティングしてくるようなもので、
それだけ高虎の能力が高かったことの証明でもある。
実際、戦場では常に先鋒を引き受け、築城の名手でもあったという。
生涯を脇役に徹したため、汚名を着せられている感がなきにしもあらずだが、
正当な評価がされることを望みたい。
地元の津でも藤堂高虎の評価を見直す動きが出てきていることは喜ばしいことだ。
Vol.50 『アフリカの蹄』・・・帚木蓬生 著 (講談社)
国名こそ出していないが、アパルトヘイトによる人種隔離政策の記述により、
舞台となっている国は南アフリカ共和国であることは容易に判断できる。
この国で白人による黒人抹殺という陰謀が密かに進められていくのだが、
そこに一人の日本人医師が立ちはだかるという冒険サスペンス。
アパルトヘイトと言っても白人による黒人の隔離政策ぐらいにしか考えていなかったが、
実態は想像を絶するひどいもののようだ。
参政権はもちろんなく、肌の色が黒いというだけで奴隷や家畜のような生活を強いられる。
また日本人である私にとって遠い国の話だと思っていたが、西欧諸国が経済制裁を加えているのに反し、
日本が最大の貿易相手国となっており、間接的にアパルトヘイトを支援する結果となっていたことも少しショックだった。
この小説の各章にはそれぞれ見出しがついているが、
その見出しを読むだけでも黒人の悲惨な様子が手に取るようにわかり、胸が絞めつけられる。
たとえば、
『私たちが何をしたというのだろう。ただ肌が黒いというだけで罪なのだ。』
『神よ、なぜあなたは私たちを忘れ給うたのか。』
『道をお教え下さい。自由への道を。』
もちろんこの小説はフィクションであり、黒人を全て抹殺するというのは作り話ではあるが、
それにまつわる白人による黒人に対する接し方をみると実際にこのようなこともあり、
珍しくなかったのではないかとも思えてくる。
アパルトヘイト政策が解除された今はこのようなことがないと祈りたいものだ。
Vol.49 『東京下町殺人暮色』・・・宮部みゆき 著 (光文社)
昨今、少年による凶悪犯罪が新聞紙上を賑わしているが、
この小説が書かれたのが1990年なので、ちょうど時代の歯車が狂いだしてきた頃だろうか。
腐乱したバラバラ死体と犯行声明めいた警察への挑戦状。息詰まる展開で話は進んでいく。
主人公は刑事の息子の13才の少年。
当然刑事である父親は警察の一員として捜査にあたるが、この少年もまた少年探偵団よろしく事件に首を突っ込んでいく。
この両面を巧みに描写していきながら事件の真相に迫っていく。
最後に犯人が判ったときには、この時代にはこういうことも実際に起こってしまいそうだとも思ってしまった。
それだけ時代の病巣を鋭く突いているとも言えるだろう。
登場人物もそれぞれ個性があって興味深い。
特に70歳を過ぎた家政婦には母親としての暖かみをかもしだしている。
Vol.48 『臓器農場』・・・帚木蓬生 著 (新潮社)
臓器移植をテーマに『命』というものを考えさせる作品。
病院を舞台にしたミステリーではあるが、ヒューマンドラマと言った方が近いかもしれない。
ある巨大病院で密かに無脳症児が育てられている。
無脳症児は産まれても生きることができないので中絶するのが一般的だが、この病院では出産させ、
その臓器を移植手術に使っているのだ。
産まれてきた赤ちゃんが不幸にも無脳症児であった場合、移植手術は一般的にもされているらしいが、
この病院では故意に無脳症児を創り出している。
移植を成功させれば、その病院の知名度が上がり、臓器を提供した親には多額のお金が入る。
そこには名誉欲・金銭欲が渦巻いているのだ。
ただこの闇の部分に加担した看護婦は、移植によって助かる患者を一人でも多く救ってやりたいとの思いから
「生きることのできない無脳症児の臓器を提供することによって、たくさんの人の命が救える」と純粋に考えている。
実際、移植を待っている患者は何人もいるのだ。
そして移植をしなければ数ヶ月の命なのに、移植をすることによって普通の生活を取り戻すことができる。しかも確実にだ。
看護婦としてたくさんの患者の死を目の当たりにしているからこそこういう考えも生まれてくるのかもしれない。
一般論としては「倫理上問題がある」とか「神への冒涜」とか言われそうだが、
もし自分の子供が移植をすれば確実に助かるとしたらどうだろうか。
どんなにお金がかかっても、たとえその臓器の出所がいかがわしいものでも助けてやりたいと思うのではないだろうか。
脳を持たずに産まれてきた赤ちゃんは『人』なのか『物』なのか。
これに筆者はある登場人物の言葉としてこう結論づけている。
『それでも彼らは人間です』と。
Vol.47 『スナーク狩り』・・・宮部みゆき 著 (光文社)
表紙には「長編サスペンス小説」と書いてあるが、
これをサスペンスと呼んでもよいのだろうか?
確かに読んでいても先の展開が全く推測できず、
話がどういう展開をみせるかに興味がひかれる点ではそう言えなくもないが、
サスペンスと言うにはあまりに単純なジャンル分けにすぎるような気がする。
つまりここには著者独特の「宮部ワールド」が広がっているのだ。
結婚式場にショットガンを持った女性が登場するところからこの話は始まる。
ここで殺人事件が起こり、その事件を中心に話が展開していくと思わせながら、
それはタイトルにもなっている「スナーク狩り」のための一場面でしかなかった。
そして一見全く関係なさそうな釣り具店の店員と自閉症児的な子供を連れた親子を登場させ、
それぞれの場面を同時進行していく。
最初は全く関係のなさそうなこの三者が話の中で重要な役割を演じ、
最後の事件発生の場面には同時に登場してくる。
ショットガンの女性と釣り具店の店員との関係は前半部分で明らかにされていくが、
親子との関係は終盤に至るまではっきりしない。
最後の最後までこの親子は登場してくる必然性がなかったのではないのかとも思われた。
しかし、最後に発したその子供の一言がこの話を完結させるための重要な一言になった。「おじさん」というたった一言が。
先の読めない展開の連続だったが、これこそが「宮部ワールド」の真骨頂なのかもしれない。
Vol.46 『空が見ていた』・・・山際淳司 著 (角川書店)
ちょっと疲れたときに何も考えずに読むには、山際淳司のエッセイは最高だ。
この作品も短い文章の中に、その選手の微妙な心理状態がきめ細かく描かれている。
野球の選手を扱ったものが多いが、テニスやオートバイレーサーなど
あまり馴染みのないスポーツ選手なども取り上げられている。
選手の心理状態を中心に描かれているので、そのスポーツを知らなくても充分に楽しめる。
ここに収められているものの中では『長嶋と金田の十九球』と『失われたボール』が特に印象に残った。
Vol.45 『女将軍伝』・・・井上祐美子 著 (徳間書店)
中国の歴史上、女将軍として官位を受けた実在の人物・秦良玉の生き様を描いている。
私もそうであるが日本人で秦良玉の名を知っている人は少ないであろう。
中国でもあまり知られてないらしい。その理由は秦良玉の生きた時代が「明」末期だったことにあるようだ。
漢民族である明を倒した満州民族である「清」が敵国だった異民族の文化を認めるはずがない。
このように中国史から忘れ去られていた人物を著者は膨大な資料を丁寧に調べ上げ、執筆したのだ。
中国の軍記物を読むといつも感じるのだが、中国の歴史は裏切りと虐殺の繰り返しだ。
この時代も例外ではなく、各地で反乱が頻発する。
それは「明」という国が末期的状態で地方を統治する力がなくなっているからだ。
そんな中、女将軍である秦良玉は徹底的に「明」王朝を守るために戦いに出かけていき、戦功をたてていく。
中央政府の役人にその武功を横取りされても、それでも「明」を守るために戦い続ける。
「明」の滅亡と同時にその生涯を閉じることになったのだが、こういう生き方こそ軍記物のヒーローにふさわしい。
著者が女性ということもあり、国取物語的な戦いの描写ばかりではなく人間としての描写も見られ、
一味違う軍記物という感じがする。
Vol.44 『テロリストのパラソル』・・・藤原伊織 著 (講談社)
直木賞と江戸川乱歩賞を同時受賞したハードボイルドミステリー。
同時受賞は史上初の快挙らしいが、私にとってそういうことはそれほど重要なことではない。
要は私にとって面白かったかそうでなかったかが問題だからだ。
もちろんダブル受賞ということでそれなりの期待はしてしまうが・・・。
新宿の中央公園で爆弾が爆発し、多数の死傷者を出すという事件が起きるところからこの話は始まっていく。
簡単に言ってしまえば、その犯人は誰かということなのだが、
20年前の事件とのつながりも出てきて話は複雑になっていく。
そして最後は予想もしない結果となるのだが、事の顛末が全く自然で何の違和感もなく、
充分に読者を納得させるものになっている。
さらに登場人物も魅力的な人が多数登場している。
主人公であるアル中の中年、昔の恋人のちょっと気の強い娘、謎のヤクザ。
これらの人達はそれぞれの理由で事件に関わっていくのだが、その関わり方も不自然でない。
またちょっと登場するホームレスにも元学者のインテリや渡米経験のある若者などがいて、
彼らから事件解決のヒントを得るような工夫もみられ、無駄な登場人物は一人もいない。
それが読者をどんどんひき込んでいく理由の一つかもしれない。
ダブル受賞ということだけでありがたがって読むつもりはなかったが、
読み終わってみると「さすがにダブル受賞作だ」と思わざるを得なかった。
Vol.43 『その人事に異議あり』・・・高杉良 著 (講談社)
先日読んだ『燃ゆるとき』、『懲戒解雇』が共にとても面白かったので、今回も期待して読み始めた。
そのタイトルからも会社のトップの後継者争いをテーマにしたものだということが想像できる。
予想に反して違っていたのは、主役が女性広報主任だったということと、
人事問題ではお決まりの役員のドロドロした汚い部分があまり表面に出ていないことだ。
主役が女性ということで意識的にそうしたのかもわからないが、
リアルさに欠け緊迫感が少し足りなかったような気がしないでもない。
大手下着メーカーの創業社長が息子に社長の座を譲ろうとするのだが、
創業以来苦楽を共にして来た副社長との軋轢が生じ、その息子も世襲制に異議を唱え、
結局副社長が社長に昇格する。しかし新社長の営業方針によって会社が危機的状況に陥ってしまう。
この一連の流れを創業社長の息子の愛人となった主役である女性広報主任の目で描かれているが、
あえてこの女性広報主任を登場させなくても話しは進んでいくのではないかとも思える。
経済小説というとなかなか女性には馴染まないが、
文中にいくつか現代社会では女性は仕事をしづらい状況にあるという描写があり、
女性向けの経済小説ということができるかもしれない。
Vol.42 『真田幸村』・・・柴田錬三郎 著 (文藝春秋)
真田幸村と猿飛佐助をはじめとした真田十勇士を中心に描いた痛快娯楽時代小説。
著者が前書きで書いている通り、これは「立川文庫」をもとに著者が創り上げたフィクションだ。
それにしても著者の創造力には驚かされる。
大阪城落城を前に秀頼をビルマに逃してそこに豊臣王国を築こうとしたり、家康の影武者が登場したり、
そのときの歴史的事実や時代背景をうまく組み合わせて書かれている。
もちろんそんな事実は確認されておらず、
全くの著者の創作であるのにこういうこともあったのかもわからないと思わせてしまう。
いずれにしても徹底的に豊臣方に味方した滅びの美学を前面に押し立てて書かれているこの作品は、
その反面理屈なしに楽しめサラリと読むことができ、音楽でいえばイージーリスニングといった感じがした。
Vol.41 『閉鎖病棟』・・・帚木蓬生 著 (新潮社)
裏表紙の解説には「精神病院で殺人事件が起きた」と書いてあり、
タイトルも重々しい感じがするので、てっきりサスペンス物かと思っていたが全く違っていた。
そして今流行のサイコ的な異常心理ミステリーでもない。
どちらかと言えば、精神病院を舞台にした人間群像ドラマと言っていいだろう。
この小説の始まりは堕胎をする中学生の登場から始まる。
そして次に父親に自殺された少年、さらに聾唖者の子供が登場してくる。
この3人は生まれた時代も全く違い、最初はどうつながっていくのか見当もつかない。
そして突然舞台が精神病院に移るとこの3人とチュウさんという男が話の中心人物になっていく。
この技法も面白いと思ったが、やはりその内容には特筆すべき物がある。著者は現役の精神科医だけあって、
徹底的に患者の側に立って書かれている。
しかし、これが少しも同情的ではなく全く自然に書かれているのだ。
この小説を読むと、むしろ精神科の患者たちのほうが純粋な心の持ち主であり、
現代社会を生きる私たちのほうが異常なのではないかという気さえしてくる。
社会から隔離された閉鎖病棟で前向きに生きようとする患者達の姿勢は、
この小説を読んだ人全てに自分の人生を少し省みる余裕を与え、
人間としてどう生きていくべきかを考えさせてくれるのではないだろうか。
久しぶりに読んでいる途中、涙を誘う作品だった。
山本周五郎賞受賞作品。
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