Page 5(Vol.81〜Vol.100)



Vol.100  『死刑囚 永山則夫』・・・佐木隆三 著 (講談社)

「広域重要指定108号事件」。
1968年、19歳の少年が一ヶ月の間に東京、京都、札幌、名古屋で殺人および強盗殺人の罪を犯し、 「連続射殺魔」として世間を騒がせた。 事件当時は未成年者ではあったが、その引き起こした事件の重大性から実名報道されたらしい。 この事件をノンフィクション作家として知られている筆者が、 膨大な警察調書・公判記録を徹底的に調べ上げ、その全貌を見事なまでに鮮烈に描き出している。 実際の調書や証言をもとに事件の様子を時系列に書いているので、その状況描写はとても細かく、またとても生々しい。 特に第一審の裁判の様子は全てが記録されていて、まるで実際に裁判を傍聴している気分にさせてくれる。

裁判の経過は
   第一審(東京地裁)  死刑
   第二審(東京高裁)  無期懲役
   第三審(最高裁)   東京高裁へ差し戻し
   第四審(東京高裁)  一審判決を支持(死刑確定)
となり、1997年8月1日、東京拘置所で死刑が執行された。

当時の事件としては裁判が始まってから執行まで約30年と異常な長さだ。 もともと逮捕された当時は「早く死刑にしてくれ」と言っていたのに獄中で読書にふけり、 マルクス主義に傾倒していくにつれて「死刑制度の廃止」、「貧困と無知が悪い」、 「資本主義が悪い」といった主張を繰り返し、弁護士の解任による裁判の停止もたびたびあったようだ。 そういった法廷闘争をしているうちに支援組織が結成され、獄中結婚をし、獄中手記『無知の涙』を出版しベストセラーとなり、 その印税を遺族に送っていたことも第二審(東京高裁)で無期懲役に減刑されたことの理由の一つであるようだ。 ただ私の考えではこの第二審の内容には大きな不満がある。 裁判というものは事実の認定を最優先させるべきなのに、 この第二審ではもっぱら情状理由の応酬に終始していて、まるで哲学論や宗教家の問答のようなやり取りになっている。 「貧しかったから、無知だったからかわいそう」、「遺族にお金を払ったから」という理由のみで減刑されるのでは、 社会秩序の安寧が守れないのではないだろうか?
実際、同じ時期に『少年ライフル魔・片桐操(当時18歳)』は 一人を射殺、十数人に怪我をさせて死刑になっている (この事件は偶然その現場を永山自身も目撃している)。 刑罰というものは、殺した人の数だけで単純に決められるものではないが、 この第二審の無期懲役という判決は、過去の判例と照らしても量刑不当と言われても仕方がないだろう。
死刑制度が是か非かという問題はあるにしても、社会に与えた影響を考えると、 この事件での死刑という判決もやむを得ないのではないだろうか。



Vol.99  『ソウルと平壌』・・・萩原遼 著 (文藝春秋)

日本人でソウルに滞在したことのある人はたくさんいるだろうが、 ソウルと平壌の両方で生活したことのある人となると皆無に近いのではないだろうか。 それほど北朝鮮という国は我々日本人にとって近くて遠い存在であると言ってもよい。 筆者は元「赤旗」の記者だったことから1年間平壌に滞在した経験があり、 この本で北朝鮮の真の姿を紹介してくれている。 冒頭で「赤旗」の記者だったことが紹介されていたので、北朝鮮寄りの記述がされているのだろうと思ったが全く逆で、 韓国に対してはとても友好的(ほめ殺しに近いともとれるが)に書かれているのに反し、 北朝鮮については徹底的に批判している。 朝鮮民主主義人民共和国が建国された頃はともかくとして、1967年以降の金日成・金正日親子の徹底した鎖国政策と情報操作、 そして反体制派の粛正に関してはとても生々しく書かれている。

食料支援問題についても、人道的立場というだけで援助すべきではないと言っている。 この点は私個人の考えととてもよく似ている。 私は援助を受けているのに「日本が援助を受けてくれと言うので、貰ってやった」などと言っている 北朝鮮に対する感情論で先走ってしまっていたが、著者は明確で論理的にその理由を述べている。 援助を受ける前に北朝鮮自身でまずすべきことがあるというのだ。
それは、
  1 軍の保有している非常時のための軍用備蓄米を放出すること
    (100万人が3ヶ月食べていけるだけの米を備蓄している)
  2 軍事費を削減して、食料費に回す
    (軍事費が北朝鮮のGNPの約25%を占めている)
  3 軍の人員を削減する
    (人口2000万人の北朝鮮に110万人の軍人がいる。これは中国、ロシア、アメリカに次いで世界第4位)
  4 不要な建造物作りをやめて食料費に回す
    (金日成の遺体を保存している記念宮殿に1億2000万ドルもかけている)

これらのことをやったうえで支援を求めるべきだという。至極当然のことであろう。 食料の援助を受けながら、ミサイルを開発しているようではとても信用できない。 一日も早く鎖国政策を止め、かつての日本軍の大本営発表のような嘘にまみれた情報操作を止めるべきだ。 正しい情報を国民に知らせれば、今は世界で孤立している北朝鮮という国も大変革を成し遂げることができるはずだ。 鎖国によって世界情勢を知らなかったかつての日本が江戸時代末期に黒船を見て世界情勢を知り、 明治維新に突入していったように。

本の感想というより、自分の考えをつらねるような形になってしまったことをご容赦願いたい。 また、非常に長文になってしまったことも・・・。



Vol.98  『「三国志」の人物学』・・・守屋洋 著 (PHP研究所)

「三国志」は特にサラリーマンには人気のある話のようだ。 私自身もそれなりのものをいくつか読んだことがあり(漫画も含めて)、だいたいのストーリーは知っている。 ただ私たちの知っている「三国志」は小説としての「三国志」であり、 そこには読者受けするためにかなりのフィクションが織り込まれている。 私たちが知っている「三国志」では劉備は天下平定のために戦う勇者として描かれており、 その最大のライバル曹操は権力欲の強い悪者として描かれている。 また「三国志」の後半の主人公である諸葛孔明は天才的軍師でどのような難局も乗り切ってしまい、 司馬仲達などはいつも孔明の術中にはまって臍を噛んでいるボンクラのように思わせるような記述が目立つ。 これを「正史三国志」と比べてみると微妙なニュアンスの違いがみられる。

「正史三国志」の記述から主な登場人物の批評を拾ってみると
  劉備・・・義にあつい人情の人ではあるが、兵法に関しては二流の人物
  曹操・・・巧みな権謀を駆使して権力を握った乱世の英雄
  孫権・・・守成に甘んじるだけの乱世においてはしょせん二流の人物
  諸葛孔明・・・手堅い用兵が得意で、決して神憑り的な術策を用いているのではない名軍師
  司馬仲達・・・諸葛孔明の力量を見極めたうえで、負けない戦をすることに徹した天才的な名手
このような感じになっている。
この「正史三国志」の人物評によると乱世においては曹操のような人が、 平時においては孫権のような人がその時代のリーダーたりえるようだ。



Vol.97  『大阪学』・・・大谷晃一 著 (新潮社)

このタイトルを目にした時「どうせ大阪のことを面白、おかしく書いているのだろう」と思ったが、 その内容はきわめて真面目で、まさに『大阪学』そのものだった。 その反面、堅苦しい文章なのかというと大阪人らしいユーモアがちりばめられていて肩が凝らない。 大阪弁や大阪の歴史に始まり、果てはきつねうどんまで。

大阪というものを知的に愉快に明快に理解しようという人にはお勧めの一冊。



Vol.96  『死刑囚の最後の瞬間』・・・大塚公子 著 (角川書店)

死刑囚官房となっている東京拘置所四舎二階。 通称0番区(3桁の囚人番号の末尾が死刑囚は0であることからきている)。 ここでかつて世間を騒がせた凶悪犯が最期の時を待っている。
事件が起きた時にはニュース等でさかんに報道されるが、死刑執行は秘密主義の中で行なわれるので、 彼らが処刑までの日をどのように過ごし、どのようにして人生を終えていったかは知ることができない。 この本では13人の死刑囚の最期を通じて、死刑執行の実態に迫っている。 手続きや執行方法の詳細な説明もさることながら、いつ執行されるかわからず、 おびえながら生きていかなければならない死刑囚の様子なども、教誨師の証言などによって生々しく伝えられている。 ほとんどの死刑囚は後悔の念を抱きながらも、被害者へのお詫びの気持ちを持ちつつ心静かに逝くという。 執行の日までの生活態度も、むしろ我々より真面目なのではないかとも思ってしまう。 その生い立ちや生活環境を知ると、同情してしまいそうにもなる。 ただ単純にそう考えるのは少し危険かもしれない。 何故彼らがここにいて、処刑されなければならない立場にいるのかを思い出す必要があるだろう。 それだけの事をやってしまったのだ。

著者は死刑廃止論者のようなので、死刑制度を「合法的殺人」と位置づけているようだが、 まったく偶然に被害に遭った人のことを考えると死刑制度もやむを得ないのではないだろうか。



Vol.95  『従軍慰安婦・慶子』・・・千田夏光 著 (光文社)

前出の『美貌なれ昭和』と同時期の昭和12年からの戦争に突入していく 暗黒の時代が描かれているが、その内容には大きな違いがある。 『美貌なれ昭和』に出てくる人たちは戦争のためにその志を遂げることができなかったとはいえ、 その人生の中で光り輝き、脚光をあびていた時期があった。 しかし、ここに出てくる女性たちはタイトルからも想像できるように、地獄の日々を送らざるをえなかった。 これは元従軍慰安婦だった女性や関係者の証言と詳細な資料をもとに書かれたノンフィクションだ。

この本を読むまでは従軍慰安婦という言葉を聞いても、 ただ「かわいそうに・・・」という漠然とした思いしかしなかったが、 こうやって従軍慰安婦の赤裸々な証言を目の当たりにするととても胸が締めつけられる。 特になかば騙されて連れてこられた朝鮮人女性(8割が処女だった)が、 騙されたと気付きながらもどうすることもできずにあきらめていく心理描写や、 初めて男を受け入れるときの泣き叫ぶ様子は哀しみにあふれている。 一国の指導者が間違った方向に舵をとってしまったため、 このように不幸な女性を生み出してしまったということを私たちは忘れてはならないだろう。
この本の中にも出てくるが、 あの「南京大虐殺」については「30万人も殺したというのは嘘だ」という人がいる。 私も30万人という数字は中国政府が「日本人はこれほど残虐な人種だ」ということを 世界に宣伝するための水増しされた数字だと思っている。 だからと言って残虐行為がなかったということにはならない。 そもそも従軍慰安婦の制度ができたのは、中国を占領した日本軍が略奪・強姦を繰り返すので、 それを静めるためにできたのだから。 戦争という狂気の時代には、今では想像もできない悲惨な出来事が当然のように起こってくる。 我々の今の繁栄はそうした犠牲の上に成り立っていることを忘れてはいけない。



Vol.94  『美貌なれ昭和』・・・深田祐介 著 (文藝春秋)

東京−ロンドン間を国産飛行機「神風号」で飛び、 スピード世界記録を樹立した飯沼正明・塚越賢爾と天才バイオリニストとして世界にはばたいた 諏訪根自子の光と陰を描き出したドキュメント大作。

彼らが活躍するのは昭和10年代前半。 日本は戦争への道をひた走っている。 西洋からは極東の非文明国と蔑まされていた時代だけに、 国産機で東京−ロンドン間のスピード飛行記録を樹立した時は日本はおろか世界中から賞賛された。 一方の諏訪根自子も生活の本拠をヨーロッパにおき、天才バイオリニストとして喝采をあびていた。 まさに同じ日本人として誇らしく思え、胸のすく思いがする。 彼らの生涯に戦争というものがなければ、それぞれ更に栄光の道を歩んでいき、 益々世界から注目された存在となっていたことだろう。 そういう意味で彼らも戦争の犠牲者だったと言うことができる。 志半ばで生涯を閉じたとはいえ、この頃元気のなくなってしまった日本人にとっては、 こういう壮挙があったことを知るだけでも勇気がわいてくる。



Vol.93  『亡国の徒に問う』・・・石原慎太郎 著 (文藝春秋)

石原慎太郎がさまざまな諸問題に言いたい放題言って、バッサリと斬り捨てたという感じの辛口評論集。 個人的には彼のような強烈なリーダーシップを持っている人は嫌いではないので、楽しむことができた。 また作家だけあって説得力があるのか、 彼の言い分にはいちいち筋が通っているような気がしてきて妙に納得もさせられてしまった。 その中で一つだけ危惧するのは、彼の歴史観ではアジア諸国が猛反発するだろうということ。 太平洋戦争自体は日本の非として認めながらも、その原因は欧米の植民地支配にあるというのでは、世界が納得しないだろう。 日ごろの言動からもわかるように何にでも喧嘩を売っているという感じがしないでもないので、 この人が首相になったらさぞ外交は大変だろうと思ったりもしてしまった。



Vol.92  『収容所から来た遺書』・・・辺見じゅん 著 (文藝春秋)

第二次世界大戦終了間際、いきなり参戦してきたソ連軍によって捕虜にさせられ、 シベリアでの抑留生活を強いられた人たちの証言をもとに作られたノンフィクション。

シベリアに抑留された人は50万人とも60万人とも言われている。 そして多くの人たちが飢えと寒さの中死んでいき、白樺の林の中に埋められていった。 シベリアというところは冬になると氷点下20度や30度は当たり前でマイナス20度だと 「今日は暖かい」という言葉の出てくるような極寒の地だ。 そこで彼らは森林を切り開き、建築物を建てるという強制労働に従事させられていた。 数年後、ほとんどの人は幸いにも帰国を許されることになるが、数千人の人たちは戦犯として抑留され続ける。 戦時中、諜報機関や特務機関に配属されていた者、 あるいは日本政府の国策会社にいたというだけで有罪とされてしまったのだ。 裁判といっても形ばかりのもので、一切の弁護も許されず即日「強制労働25年」の刑が言い渡される。 この希望の見えない収容所で最後まで帰国をあきらめず、みんなの精神的支えとなった男の話がこの作品だ。

当時の収容所生活は想像を絶するものだったであろう。 毎日毎日苛酷な労働を強いられ、食べる物も充分にはなく、更に冬には氷点下30度の世界が待っている。 そのうえ帰国できるという保証は全くない。 このような状況に置かれたら、希望を持てという方が無理な話かもしれない。 そんな中、その男は相談相手になったり、みんなを励ましたりし、いつかは帰国できると言い続けていた。 そうこうしているうちにその男のまわりには一人二人と仲間が増えていき、 「最後まで諦めずに頑張ろう」という団結心が芽生えてくる。 結局その男は収容所で病死してしまい帰国はかなわなかったが、 彼を慕っていた仲間たちによって彼が密かに書いた遺書を日本にいる家族に届けようという計画が持ち上がる。 これは当時の収容所生活を考えると途方もない計画だった。 というのはだいたい自分たちだっていつ帰国できるかわからない。 第二に収容所では読み書きは禁止されていて、帰国の時の検閲で文字の書いてあるものは全て没収されてしまうからだ。 そこで彼らはその遺書を何人かで暗記して帰国の日を待つということにした。 その後、日ソ国交正常化のおかげで帰国できたのは戦争が終わってからなんと12年の年月が経っていた。

引き上げが完了すると中間たちによって暗記された遺書が次々と妻の元に届くようになる。 その遺書は「本文」、「お母さんへ」、「妻へ」、「子供たちへ」となっていて、4500字を超える非常に長いものだった。 それは母へのお詫びであり、妻への感謝であり、子供たちへの生きていく指針のようなものであり、 その男の家族に対する深い愛情で満ち溢れている。 文中にも全文が紹介されているが、読んでいると涙を禁じ得ない。
今こうしている時にも世界のどこかで戦争が繰り広げられ、 そこには語り尽くせないだけの悲しみがあるのだと思うととてもやりきれない気持ちになってしまう。

第11回講談社ノンフィクション賞、第21回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。



Vol.91  『賞の柩』・・・帚木蓬生 著 (新潮社)

ノーベル賞という世界で最も権威のある賞をモチーフにしたサスペンス。
ある学者がノーベル賞を受賞したが、その裏には名もない研究者の大発見を横取りし、 いかにも自分の発見のようにみせかけ論文発表し、 更にライバルとなる研究者を次々と死に追いやるというとんでもない事実が隠されていた。 もちろん現実にはあり得ない話なのだが、殺人はともかくとして、 ノーベル賞を受賞するには多少の不正も存在するのではないかなどと思わせるくらいよくできている。

それはともかく筆者独特の人間愛にあふれた文体でストーリーは展開していき、徐々に真相が明らかにされていく。 おそらく筆者はこの作品で、人間なら誰でも持っている人間性の一側面(良い部分も悪い部分も)を描こうとしたのだろう。 人間というものは「素晴らしさと恐ろしさ」を併せ持ち、「偉大さと愚劣さ」を持ち合わせているということを。



Vol.90  『群狼の島』・・・船戸与一 著 (徳間書店)

この作品でみられる手法は作者の得意技の一つであるようだ。 その手法とは主人公の名前は一切出さず、「おれ」で最後まで貫き通され、 「おれ」の目でストーリーを展開していくというもの。 以前読んだ『山猫の夏』でもこの手法がとられていた。

さて話のほうだが、それぞれ復讐する仇を持った男たちが次々と登場してくる。 兄を殺された日本人、父親を殺されたフランス人、祖父を殺されたウクライナ人などなど。 これらの復讐劇の裏には単なる私怨ではなく国家というものが介在し、 それに翻弄された人たちの怒りが隠されていた。 その男たちがあることからロシアの軍事施設を爆破する計画に巻き込まれていく。 その過程で男たちのそれぞれの復讐も次々と成功していくのだが、 結局最後まで生き残っていたのは「おれ」ただ一人ということになってしまう。

人や国家が殺しあう。 これが「時の流れ」であり「それが歴史だ」という考えからいつまで経っても 我々人間が抜け出せないということは、昨今の世界中で起こっている地域紛争をはじめとして、 相変わらず殺戮の歴史で彩られていることが証明している。 この小説はまさにそのことを示していると言うことができるだろう。



Vol.89  『縦走路』・・・新田次郎 著 (新潮社)

登山仲間である二人の男が八ヶ岳で出会った美貌のアルピニストに同時に思いを寄せることになる。 そこに彼女に対して異常なライバル心を持つ高校時代の旧友が加わり、複雑な恋愛感情のもつれが生じる。 私の目からは二人の男はあまりに愚直すぎるし、美貌のアルピニストは気位が高すぎる。 一見すると高校時代の旧友はいつも意地悪ばかりして歪んだ心の持ち主のようにも感じられるが、 一番人間らしさが出ているようにも思えた。

これを恋愛小説として読むと、ちょっと拍子抜けするかもしれないが、 自然と人間とのドラマとして読むと違った面白味を感じることができるかもしれない。 それぐらい自然の描写が正確ですばらしかった。 山岳小説の第一人者としての面目躍如といったところだろうか。



Vol.88  『始皇帝』・・・安能務 著 (文藝春秋)

貧乏性のため、読み始めたら面白かろうが面白くなかろうが 最後まで読まないと気がすまないので、一応読破はしたがはっきり言って退屈極まりないものだった。 中国の歴史を学びたいとか、リーダーとしてどうあるべきかを知るための自己啓発として読むのなら 意味があるのかも知れないが、単なる娯楽として読むにはいささか難しすぎた。 秦の始皇帝といえば、中央集権的な法治国家を作り上げ、あの広大な中国を統一したというぐらいの知識しかなかった。 本書はその過程を淡々と記録しているにとどまり、 『三国志』のようなドラマチックなものを期待していたが、ちょっと裏切られたような気がする。



Vol.87  『防壁』・・・真保裕一 著 (講談社)

危険と隣り合わせの、命を賭けた任務に就く特殊公務員を主人公にした4編の短編集。
そのラインナップは
  『防壁』…政府要人を守る警視庁警護課員(シークレットポリス)
  『相棒』…海難救助にあたる海上保安庁特殊救難隊員
  『昔日』…不発弾を処理する陸上自衛隊爆発物処理隊員
  『余炎』…火災の鎮火にあたる消防庁の消防士
この危険な仕事にたずさわるとても強い男を描くと同時に、主人公を取り巻く女性を登場させ、 逆に男と女の人間的な弱さというマイナスの部分を浮き上がらせている。 そのためか事件が解決した爽快感というよりも何とも言えない切なさが心に残る。
この本を読んでみると、以前コミックで読んだ弘兼憲史の『人間交差点』に 雰囲気が似ているという感じがした。



Vol.86  『豚に食わせろ』・・・豊田行二 著 (角川書店)

インスタントラーメンの研究開発に情熱を燃やした人の物語。
日本で初めてインスタントラーメンが発売されたのは、ご存知のとおり日清食品の「チキンラーメン」。 この「チキンラーメン」(文中では「コッコラーメン」)に続いてカップめんの開発競争の様子が描かれている。 インスタントラーメンを発明した人といえばモデルとなっている主人公は 日清食品の創業者・安藤百福であることは容易に想像がつく。 フィクションなので全てが事実と言う訳ではないが、 ことインスタントラーメンの研究開発についてはほぼ事実どおりに書かれているようだ。 それによるとそもそもインスタントラーメンとは戦時下における非常食として開発されたものらしい。 しかし製品が完成した頃には戦争は終わっていて、最初は全く売れなかったようだ。 しかしベトナム戦争でアメリカ兵がガリガリ齧っている姿がテレビに映し出されてから売れ始めるというツキもあった。 後に発売される「カップヌードル」も連合赤軍あさま山荘事件で 機動隊が食べているのが放映されてから爆発的に売れ出したという話も聞いたことがある。 こういうツキにも恵まれながら業績を伸ばしていったが、先発企業には先発企業の苦労もあったようだ。 その最たるものは模倣品対策で特許戦争・値下げ競争・訴訟合戦とさまざまな厳しい闘いを強いられることになる。 この小説はその模様を主人公が子供の頃からトップ企業の会長になるまでを描いた痛快サクセスストーリーである。

正直言って日清食品は手段を選ばず後発メーカーを潰しにかかるという イメージを持っていたのであまり好きではなかったが、 今インスタントラーメンが我々の生活に根づいていることを考えれば、 その研究開発にかけた情熱を無視することはではず、賞賛せざるをえないだろう。



Vol.85  『俺の考え』・・・本田宗一郎 著 (新潮社)

本田宗一郎に関する本は書店のビジネス書のコーナーに行けばズラリと並んでいる。 このことはそれだけ本田宗一郎という人が魅力的な人物であるということの証明でもあるだろう。 ただその多くは本田宗一郎自身が書いたものではなく、経済評論家や本田の部下だった人が書いたもので、 そこには企業のトップとしてどうあるべきかが書かれている。 私個人も世界に自慢できる日本企業の代表は「ホンダ」と「ソニー」だと思っている。 「ホンダ」も「ソニー」も小さな町工場から世界のブランドにのし上がった企業だ。 現在に至るまでには巨大資本に対抗するための技術研究、役所との闘いなどいくつもの苦難を乗り越えてきている。 それははたから見れば全く無謀とも思えるチャレンジの連続で、たくさんの逸話も残っている。 本書はその夢を現実に変えてしまった本田宗一郎という男の考え方をエッセイ風に書き上げたものであり、 さまざまなテーマに本田の思いが綴られている。 本田宗一郎というと技術は一流だが会社の経営は苦手というイメージがあるが、 人を見る力、先を読む能力についても天才であったと思い知らされ、 企業を生かすも殺すもトップの考え方一つだということを再認識させられた。

これが書かれたのは本田が社長だった時なので昭和30年代なのだが、現代社会でも通用するものが多く、 逆にこの厳しい時代だからこそ読む価値のある一冊と言えるかもしれない。



Vol.84  『時効成立 全完結』・・・清水一行 著 (角川書店)

昭和47年に起こった「東芝3億円強奪事件」をテーマにした作品。
あの事件が起こった時には子供ながらに3億円という金額に驚いたのを今でもよく覚えている。 この事件は何度もドラマ化されているが、この小説に出てくる犯人は今までドラマなどで見てきた犯人像とは全然違い、 私たちの想像している犯人像とはかなりかけ離れている。 どうしてもこの犯人は頭が切れて、水も漏らさぬ計画を綿密に立て実行に移し、 まんまと成功してしまったというイメージがあるが、ここではまったく正反対だ。 ギャンブル好きで女にだらしなく、更に強奪計画も行き当たりばったりの思いつきで考えられていき、 緊迫感は微塵も感じられない。

今まで読んだ清水作品は緊張の連続でストーリー展開していくというものが多かったので、 ちょっと違和感を感じてしまった。 筆者にとって苦手と思われる濡れ場が頻繁に出てきたこともそう感じさせた理由の一つかもしれない。



Vol.83  『百戦百勝』・・・城山三郎 著 (角川書店)

城山三郎と言えば経済評論家としても名が知られている。 私にとっては作家というよりも評論家のイメージが強い。 となれば自然と彼の書く経済小説は経済界の裏側をついた面白いものであるだろうと期待してしまう。 そういうことで期待に胸をふくらませて読み始めたが、 どこにでもあるような単なるサクセスストーリーでしかなかったという感じがしてちょっと拍子抜けだった。

タイトルの通り相場の世界で連戦連勝をし、巨額の富を築き上げた男の人生を描いたものだったが、 話があまりにうまく行きすぎていて盛り上がりがない。 最後には成功するにしても窮地に追いつめられて、そこを切り抜けていった部分がもっと話の中に入っていれば、 更に成功した時の爽快感が読者に伝わったのではないだろうか。 貧農のせがれが丁稚奉公に出て、努力と才覚で富を築いていくというのは世間ではよくある話だ。 ただそういう成功者もいい時ばかりだったのではないはずだ。 その失意のどん底に突き落とされて、 そこから這い上がっていく様が読者に勇気を与えるのにと思うと残念でならない。

この小説のモデルは山種証券の創業者である山崎種二であるというのは容易に想像がつく。 協和証券の佐藤和三郎とともに一世を風靡する相場師だった。 当時は「買いの左藤」、「売りの山崎」と呼ばれていて、憧れの的だったようだ。 ただ一世を風靡した伝説の相場師であろうと、やはり苦境に立った時はあったはずだ。 そういうことを書かずにうまくいったことばかりをかいているのは、 うがった見方をすれば山崎種二に媚びを売っているのではないかと思ってしまう。



Vol.82  『山猫の夏』・・・船戸与一 著 (講談社)

700ページを超える長編だったが、スリリングな展開の連続で一気に読み終えてしまった。 しかし、話の内容は一見するととても単純なもので、 ブラジルのアマゾン川奥地の対立する両家の娘と息子が駆け落ちしてしまい、 それを捜索するというものにすぎないとも思える。 さしずめ南米版「ロミオとジュリエット」というところだろうか。 その捜索のために雇われたのが主人公でもある「山猫」と呼ばれる日本人で、 彼の行動とともに話が進んでいく。 船戸作品の主人公は完全無欠の殺し屋というのが多いが、この「山猫」もその例にもれず、 行動のすべてが完璧すぎるくらい完璧でまったくスキがない。 金で雇われて危険な仕事をし、仕事の遂行のためには、 躊躇なく人を殺すことができる冷血な人間なのだが、文中の描写の節々に人間らしさが見え隠れしている。 それにより読者にとっては、この主人公はただ単に金のためだけで行動しているのではなく、 何か他の目的があるに違いないと想像させられることだろう。

最後にはこれも船戸作品のお約束ではあるが、主人公は死んでしまう。 ただ、最終章までたどりつくと「山猫」の本当の目的が明らかにされ、 納得するとともに少しほっとした気分にさせてくれるものだった。



Vol.81  『毒煙都市』・・・清水一行 著 (徳間書店)

時は日中戦争真っ只中の昭和12年。
九州・大牟田市で実際に起きた「三池染料爆発事件」をモデルに書かれている。 その内容は戦時下にあったとはいえ、現在の私たちには考えられない企業犯罪であり、国家犯罪であると言うべきものであろう。

財閥系の化学工場が爆発し、その後赤痢に似た症状の疫病が発生する。 その化学工場では軍からの秘密の命令により、生物兵器を作っていたらしい。 これは当然軍事機密であり、一般に知らしめることはできない。 この事実を隠すために国や県、そして財閥と軍部は驚くべき手段に打って出る。 その疫病の感染源が水道水であると印象づけるために、 赤痢予防薬として赤痢菌の入った薬を市民に配布し、赤痢患者を大量発生注せ、 国から派遣された調査チームは「こんなに大量発生するのは水道水しか考えられない」との声明を発表する。 これによってこの疫病の犯人は市の水道水ということになってしまった。 まさに「シロ」を「クロ」に塗り変えてしまい、 700名以上の死者を出した原因を闇の中に葬り去ってしまったのだ。
異常な時代だったとはいえ、今では考えられないひどい情報操作だった。




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