1974年3月、知的障害児施設のK学園で
女子園児と男子園児が相次いで行方不明になり、園内の浄化槽から水死体で発見された。
女子園児については事故死とされたが、兵庫県警は男子園児殺害の容疑で元保母を逮捕した。
この後、四半世紀にわたって裁判が続くこととなる。
一審の神戸地裁は園児の目撃証言や自白の信用性を否定して、1985年10月無罪を言い渡した。
検察側はこれを不服として控訴したが、大阪高裁は一審を破棄して審理を神戸地裁に差し戻した。
差し戻し審の神戸地裁は、すべての争点において検察側の主張を退け、
1998年3月再び無罪を言い渡したが、検察側は異例の再控訴に踏み切った。
そして第2次控訴審で大坂高裁は差し戻し審の無罪判決を支持して検察側の控訴を棄却し、3度目の無罪判決を言い渡した。
これを受けて大阪高等検察庁は1999年10月8日に上告する権利を放棄する手続をとり、
初公判からじつに21年ぶりに無罪が確定したのである。 |