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院長紹介


加 藤 誠 也

昭和53年 札幌北高卒業
昭和53年 北大歯学部入学
昭和59年 北大歯学部卒業
昭和59年 北大歯学部第二保存科(歯周病教室)入局
昭和62年 12月より日高町にて委託開業

平成6年 加藤歯科医院開業

日本口腔インプラント学会
北日本口腔インプラント研究会日本ヘルスケア歯科研究会日本フィンランド虫歯予防研究 会会員

子供時代から
 昭和34年4月25日に北見で生まれました、三人兄弟の長男です。今と違って、自宅で産婆さんに取り上げてもらったそうです。ちなみに父の誕生日は4月24日です。(残念!)



 小学校からはずっと札幌に住んでいます。最初に入学したのが白石小学校です。木造の校舎で、歩くと木でできた廊下がみしみしと鳴るようなものすごく古い建物でした。在校中に100周年を迎えましたが、いまは味気ないコンクリートの校舎が建っています。

 小学校の4年生からは転校して、北区北34条西7丁目の和光小学校に通いました。当時加藤家ではちょっとした事件がありました、父が会社の上司と意見が合わずに、会社を辞めてしまったのです。住んでいた家も会社が借りてくれていたので、すぐにそこをでで、親戚の借りていた狭い(失礼)アパートに一家5人がお世話になりました。次に住むところが決まるまで、一ヶ月近く学校には通えなかったのです。ですから、転校した当初は自分にはハンディがあると思って結構一生懸命勉強したように思います。父は会社の支店長をしていました。そのためか、よく貰い物をして家にケーキやお菓子を持って帰ってくれていました。あるいはよく会社の人も家に来ていたようです。ところが、会社を辞めたとたん、お中元やお歳暮などの貰い物や会社の人たちもパッタリこなくなりました。楽しみにしていたお菓子が食べられなくなったのも悲しかったですが、会社を辞めたとたんに人付き合いががらっと変わってしまう大人の世界が納得できませんでした。その後、いろいろありましたが父と母は苦労してわれわれ兄弟三人を育ててくれ、三人が三人とも暖かい家庭を持つ事ができ、とても感謝しています。

 小さかったときは、よく父がプラモデルを作ってくれました。当時、コンバットというアメリカの戦争ドラマを見ていたせいかもしれませんが、シャーマン、タイガー、ロンメルなどの戦車をよく作ってくれました。当時はモーターで動くものが多かったので、できあがるのを楽しみにしていました。父は几帳面な人で小さな部品の一つ一つを丁寧に作ってくれました。しかし、せっかく作ってもらっても、遊んでしばらくすると中がどうなっているかみたくなり、分解するのがパターンでした。父は躾については厳しい人で、よく怒られましたが、そういうときは全く怒らずに好きにさせてくれました。おかげさまで、科学する心はしぼまないで現在に至っています。割と、メカや電気関係にはつよいです。そういえば、小学生の時には1人で、狸小路の梅沢無線や大阪屋に行ってパーツを買ってラジオをつくったこともあります。今でも、スピーカーの自作をしたり、真空管アンプのキットを作ったりしたのもルーツはその辺にあるようです。

 子供の頃は医者か科学者になりたいと思っていました。白衣を着た職業にあこがれがありました。小学校の卒業文集には将来は医者になって海外の困っている人たちを助けたいなんて書いていました。
 大学入学
 その後は北陽中学校、札幌北高と進学し高校三年生の時に北大歯学部を受験することにしました。動機は、会社勤めはしたくないと小さいときに思ったこと、白衣を着た職業へのあこがれ、そして旺文社蛍雪時代の記事です。それには、歯科医院は不足していて患者さんは困っているという風に書いてあったのです。それをすっかり信じて人助けになるのなら歯医者もいいなと思ったのですが、今や歯医者はあふれ過剰供給になってしまっています。職業を選ぶときは慎重なリサーチが必要!
(なんて思ったこともありましたが、自分にとって歯医者とはやり甲斐と取り組み甲斐のある天職であると信じています。)


 高校での成績はいまいちで、担任の先生からは浪人しても難しいだろうといわれましたが、受験が近くなってから勉強を頑張り、なんと試験の前日も午前3時くらいまで一夜漬けをしまして、何とか現役で合格することができました。(受験生の皆さん、あきらめないことが大切です)試験当日は珍しい大雪で、試験時間が3時間くらい遅くなり地元の私たちに有利に働いたようです。(たまに神風も吹きます)試験場に向かう途中、十八条の地下鉄駅直前で満員バスに乗っていたわたしの目の前を霊柩車がとおっていきました。普段はほとんど見かけたこともなかったのに、よりによってこんな日にみてしまうなんて。『えんぎでもない、もうだめだ』とその時に思ったのを憶えていますが、今ではちょっと罰当たりですがラッキーアイテムの一つと思っています
 大学に入学して、歯学部のボート部に入りました。茨戸の壊れかけた古い農家を借りて合宿をして、朝早くからカッコウの声を聞きながらボートをこぎ、授業出席し、夕漕ぎをする。冬は室内でウエイトトレーニングをし、今と違って筋肉質の体つきをしていました。ここでは、歯科医師に大切な体力(歯科医師は肉体労働者です)と精神力を鍛えることが出来ました。また、貴重な先輩後輩の仲間が出来ました。

2年くらい前に、朝日茨戸レガッタに先輩たちとオールドクルーで出場しました。バテバテでしたが、20年たっても体はボートの漕ぎ方を覚えていたのがうれしかったです。体育系のクラブに入ったのはこれが初めてでしたが、練習してみると長距離走に向いていて、歯学部のマラソンで優勝したり、北大の駅伝で区間賞をとったりしたしたこともあります。(自慢してしまいました)2002年の洞爺湖マラソンで足を壊して以来しばらく走っていませんが、今年は3度目の北海道マラソンを目指して練習再開と思っています。


 教科書を買うために夏冬休みはほとんどバイトをして過ごしましたので、いろいろな経験が出来ました。授業料の免除や日本育英会の特別奨学金を受けたりして豊かではなかったですが、充実した大学生活を送ることが出来たと思っています。
 医局員時代
 大学生時代に大切な出会いがありました、ボート部の顧問をされていた石川純教授です。石川先生は日本の歯周病治療の先駆者で、歯周病の原因療法の中心にブラッシングを広められた方です。卒業をした時に矯正か歯周病教室のどちらに残ろうかと少し迷いましたが、尊敬する石川先生の率いる歯周病教室に残らせていただくことにしました。感謝することを教えてくださった人生の師でもあります。妻と知り合えたのも全く石川先生のおかげであり、感謝してもしきれないほどです。私の歯科医院で積極的に歯周病に取り組んでいるのも、ブラッシング指導をよくしているのも石川先生の教えによるところが大きいのです。歯周病を治したい、予防したいと思われる方は歯ブラシをまずしっかりとしましょう。

 歯周病学教室である第二保存科には、3年半程お世話になりました。早く一人前の歯科医師になりたくて、専門の歯周病の治療のみではなく、いろいろな治療を学びました。特に、保存科ですから、いかにして歯を抜かないで保存するかを重視する臨床の姿勢が身に付いたと思います。
 日高町
 昭和62年の十二月に医局を退職し、日高町での委託開業を始めました。大学にいては、時間の制限のため自分の納得のいくように患者様が診られないこと、将来設計として開業をするにしても頭金を貯めなければならないなどの事情の他、無歯科医地区で人の役に立ちたいという子供の頃からの志の実現をしたかったのです。幸い町の方にも好意的に受け入れていただき、幾人かの方には『今まできたなかで一番いい先生だ』とまで言っていだだけました。社交辞令でも誉めていただけると、根が単純なだけに一生懸命に頑張って診療をしました。最初の診療所は、平屋で古くて小さな建物でしたが、4年後くらいに広い真新しい診療所をたてていただき、やっとトイレが水洗になったのがうれしかったのを憶えています。今の診療室の天井の高さや広さは当時を忘れないように同じにしてあります。

 日高町では、仕事の他、オフロードバイクのエンデューロレースの手伝いをさせてもらい、山の中をバイクで走る楽しみを憶えました。現在もヤマハのDTというバイクを所有していて、ときどき走りにゆきます。骨を埋めようかなと思った日高町ですが、迷った末、子供の入学を機会に札幌に帰ることにしました。子供の教育のため、家族は札幌に住み、先生は単身で仕事をするというパターンが日高では多いのですが、将来にわたって家族が一緒に住めるようにするためです。やめるときには、送別会をしていただき、引っ越しの時も多くの方に手伝っていただきました。6年半という短い期間でしたが、日高ではいい時をすごさせてもらったと思っています。
  中頓別のレースに向かう途中。元気なのはここまででした
 現在
平成6年の7月に現在の加藤歯科医院を開業しました。
  1. 常に治療技術・補助技術の向上を目指し、質の高い歯科医療を患者様に提供する
  2. 院内を清潔に保ち、消毒を完璧に行い、院内感染を防止することにより患者様に安心して治療を受けていただく
  3. 患者様には、親切にやさしく接して、行って良かったと喜んでもらえる医院とする

という三つの目標を持って、診療を続けて11年が過ぎました。今まで4600人ほどの方に来ていただきました。
まだまだ、至らないところは多いと思いますが、院長、スタッフ一丸となって頑張りますので今後ともよろしくお願いします。
 私の3つの挫折
最初の挫折
開業するときは、まず、自分のしたいようにするんだと考えて、週休二日制・労働時間は週40時間になるように診療時間は今と違って短くしていました。自分も楽をしたいと考えていたのです。ですから、新しいスタッフを募集したときも条件がよかったせいか楽に集まったと思います。治療には自信がありましたし、消毒・滅菌を完璧にやっていれば、きっと評判になって患者様はたくさんきてくれるだろう。と、何の根拠もなく甘く考えていました。日高町で比較的うまくいったと自分で思っていたためです。

 ところが、実際に開業してみると初日は5人、二日目は7人、3日目は3人と低迷。1ヶ月目の平均が5人、2ヶ月目が12人、3ヶ月目が15人と苦戦が続きました。5ヶ月目にしてこれではいけない、患者様が来やすいように夜間を延長し、土曜日も診療をしようとスタッフに頭を下げて時間の延長をしました。やはり、楽をしては、成功はできません。やっと何とか札幌で開業していけるな(生きていけるな)と思ったのは、開業してから一年近くたってからです。この間、スタッフや家族の前ではきっとうまくいくさと強気のふりをしていましたが、精神的にはかなりきつかったです。

 ですから、私の中では来院してくださる患者様には、いつも感謝の気持ちがあります。市内にはたくさんの歯科医院があるにもかかわらず、当院を選んで、自分の大切な体のことを任せていただける、信頼していただける、歯科医師としてこんなうれしいことはありません。ですから、巷でよく聞く『何でこんなになるまで放っておいたんだ』と患者様に言ったこともありません。患者様にしてみれば、『いきたくないけど、こんなになっちゃたから、しかたないから歯医者に行こうか』と思ってきているのに、いきなり怒られるとはひどい話ですよね。また、何かの都合で通院ができなくなって、中断した患者様がまたきてくださるのもとてもありがたいと思います。当院に何か不満のある方は二度ときてくれません。また来てくれるというのは、いくらかは我慢していただいているかもしれませんが、当院を認めてくださっていると感謝せざるを得ません。
二つめの挫折
開業してから、1年半くらいたったときでしょうか、手に赤い湿疹が出てきてとっても痒くなってきました。ゴム手袋についているパウダーが肌に合わなかったようです。私は子供の頃から蚊に食われるとひどくはれてしまう体質だったのです。対策として保護クリームを使ったり、酸性水を使ったりしましたが、効果はなかったです。湿疹はどんどん広がるし、掻くために皮膚は傷だらけになって憂鬱な日々を暮らしていましたもちろん、いろいろな手袋を試してみましたが、なかなかよい結果が出ません、本当に憂鬱で、歯医者をやめたいとまで思っていました。

 そんなときに、友人から教えてもらったのが、現在使っている手袋です。これは、値段は高いのですが、見事に湿疹は治まってくれました。しかし、次の問題が起こりました。経費がかかりすぎるのです。私の考えとしては、ゴム手袋をしていても、患者様ごとに使い捨てないでそのままゴム手袋ごと手を洗って次の患者様をみるというのは、感染から自分を守るには有効ですが、患者様を守るには不十分であると思っています。やはり、患者様ごとに使い捨てるのがベストと思っています。(もちろん、そう考えていない先生もいらっしゃると思いますので、良い悪いではなく、あくまで私の考えです)使い捨てるには、経費がかかりすぎるけど、自分としてのベストを患者さんに提供したいと考えしばらく使い捨てていましたが、実は困ったなあと思い続けていました。

 そんなある日、考えついたのが現在行っている、ダブル手袋法です。まず、自分をアレルギーから守るための手袋をして、その上に患者様を守る使い捨ての手袋をはめるのです。これで、経費の上昇は少なく抑えることができ、なおかつ使い捨てにすることで患者様を院内感染から守ることができるという優れた方法です。(と、自分では思っています)患者様を守りたいという気持ちを持ち続けていなければ、手袋をしたまま手を洗って繰り返し使って、それになれてしまっていたと思いますが、最初のこだわりを持ち続けていて良かったと思っています。

 確かに、二重に手袋をしていると細かい歯科の作業はしづらかったですが、今は毎日の診療で訓練されて、全く苦になりません。ただし、ゴム手袋をしていると見た目以上に暑いです。時々あせもができますが、以前のアレルギーに比べると天国です。
三つ目の挫折
喘息になってしまいました。たぶん開業して、3年目ぐらいの冬だったと思うのですが、やたら咳が出て止まらなくなりました。また、風邪だろうと思ってかぜ薬や咳止めをのんでみたりしましたが、治りません。だんだん、息をするのも苦しくなってくる始末。患者様に今日の治療の説明をするにも、息ができないで汗だくになってしまうこともありました。そのうちに、のどからひゅーひゅーと息をするたびに音がし始めました、痰が絡み何か少し血がにじんでくる感じ。

 当時は、喘息になるなんて全く考えておらず、まさか結核?などと考えて近所の病院に行ってみました。そうしたら、加藤さん喘息ですね、とあっさり診断されて、飲み薬と吸入剤を処方してもらいました。薬を飲むとあれほど苦しかった呼吸も嘘のように楽になり、のどのひゅーひゅーからも解放されました。

 喘息は治らないといわれ、うまくつきあっていけるようにしています。普段は何ともないですが、体調が悪いときや風邪気味の時は出やすいので、早めに薬を服用して押さえています。自分がなってみて、初めて喘息のつらさがわかりました。呼吸をしても酸素が吸えないつらさは経験しないとわかりません。特に歯科の治療では、口を開けていなければならないので、呼吸の苦しいかたは大変です。私も、そのつらさはわかりますので、遠慮なく申し出てください。また、他の病気のかたも、できるだけ配慮をしますのでお申し出ください。自分が病気をして初めて、病気を持っている人の苦労がわかりました。
  •  もちろん、他にもここでは書ききれないほどの挫折や失敗がありました。でも、何とかそれを乗り越えて現在も頑張っています。
 特に現在予防歯科を目指しています
 私が予防歯科を始めたきっかけは三年前の、長男の高校受験でした。受験が近づいた12月のある日、息子のことが心配だった私は、神様に(困ったときの神頼みの神様です)しばらくお酒をやめるのでどうぞ息子を志望校に合格させてくださいとお願いをしました。息子のためだと思うとこの禁酒は比較的長く続きました。(今はまた飲んでいます)当時、時間の出来た私は、買ったままで読んでいなかった歯科関係の本や雑誌を読みまくりました。自分は勉強家である言いたいわけではありません、歯科関係の本は高いので、読まないままではもったいないと思ったのです、本音は。と、その中で出会ったのが山形県酒田市で開業されている熊谷崇先生のお書きになったクリニカルカリオロジーという本です。

 簡単に言ってしまえば虫歯予防の本なのですが、私にとってはすごい衝撃がありました。なぜなら、私の歯科治療に関する考え方を180度転換させるものだったからです。

 私は日々、患者様にとっていい治療をしようと心がけてきたつもりですが、本当にいい治療とは歯を抜かないで出来るだけ持たせるように処置することではなく、きれいに削って詰めることではなく、治療・処置をしないですむように予防をすることだったのです。本当に、自分がこれからやっていくのはこれしかない!本当に人の役に立つには予防をすべきだ!

 そう思った私は、予防関係の本を買いまくって勉強したり、熊谷先生がつくったヘルスケア歯科研究会に入会、患者様に説明するプリントやスライドを作ったり試行錯誤しながら現在に至っています。北海道で行われた熊谷先生の講義を聴きにスタッフと帯広に行ったり、札幌や函館での予防のセミナーに出席したり予防に関する勉強を重ねてきています。去年2004年には山形県酒田市で行われた熊谷先生のセミナーに3回出席しオーラルフィジシャンの修了証をいただきました。(メディカルトリートメントモデルを実行する研修、詳しくは待合室の資料をご覧ください)私が予防歯科にとりくんだのは息子の受験がきっかけになったという話ですが、幸い息子は志望した高校に合格し、私もライフワークを見つけることが出来ました。


私の夢
将来の加藤歯科医院には、初診の方以外は治療を受けるためではなく健康なお口の状態を維持するために来院する。清潔で明るい院内には患者様とスタッフの笑顔と笑い声があふれている。スタッフはやりがいと気力に満ちて生き生き、わくわくと仕事をしている。そんな新しい歯科医院をこれから作っていきます。
 予防歯科を広めて、患者様が生涯、何でもかめる自分の歯、美しい笑顔、きれいな息を持った豊かな人生を過ごしていただけることが私の夢です。あそこの、歯医者にいってよかったなと思っていただけるように頑張ります。
先日、残念なことに石川先生が病のためお亡くなりになりました。私などは石川先生にとっては何百番目かの末弟だとおもいますが、教えていただいたことを生かし、先生に恥ずかしくない治療をしていきます。そしていつか、予防中心の歯科医院ができましたと報告したいと思っています。
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