■2007/11/25(日) 「モーツァルト!」11/24,25
土曜夜と日曜の昼公演。泊りがけでミュージカル。(笑)
どんだけ好きなんだと言われれば、それほど好きなんですと
答えるよ。
去年のクリスマスイベントからもう一年近くが過ぎた。
ゆったりと満ち足りた思いに包まれて眺める新幹線の車窓に
流れて去っていく高層ビルの灯りさえあたたかい。
何度も何度も繰り返した“帰りの新幹線”の思い出がまた一つ。
製作発表の「ダンスはやめられない」はいらなかったな。
歌ったとしても、広く配信してくれる必要はなかったし
それは中川・井上「影を逃がれて」も一緒だ。
舞台の上でどのように演じ歌ったかが全てであるということを
私は今さらながら思い知った。
× × ×
あの黒モジャのカツラ、あの表情。
それが与えられた情報の全てで、だから一幕で初めて
ウェーバー家の一員として出てきた時、あんまり可愛くて
びっくりした。(笑)
結局 結婚前のコンスタンツェとして舞台の半分を全く違う
髪型(カツラ)や雰囲気の違う衣裳で、貧しい一家のちょいと
頭の悪そうな すれっからしの娘を演じるのだけれど
これがキュート。彼女のこういうキャラ好きだわ。
そして二幕。
もう根本的にミュージカル独特の朗々と歌い上げたりする
歌唱に向いてない歌い手であることは事実だけれど
その異質な感覚はソロ曲で力技でねじ伏せられる。
結婚前後の惹かれあういきさつが今一つわかりにくいのは
彼女の演技のせいなのか作品自体の弱点なのかわからないけれど
その後 今風に言えば うざがられ、次第に心離れていく
ヴォルフガングに媚びることもしがみつくこともできずに
悶々と、そして自爆するように感情を爆発させるのが
ソロ曲「ダンスはやめられない」なのだ。
それはいいとか悪いとかじゃなくて、完全なる彼女の
一人芝居としてそこに存在した。
存在してもいい気がした。
ミュージカル。そんなことは思いもよらなくて、ただ彼女が
大きなステージで、満員の観客の前で歌う姿を夢見てきた何年か。
2007年、やっと一つの夢を目にしたのかもしれない。
素顔は動画ブログそのままの本当に自然体の可愛らしいお嬢さん
なのだろうが、紅のドレスでのた打ち回るように歌う表情、眼
振り付けなのか否かも判別しかねる彼女自身の内から湧き上がる
感情そのままのごとき表現は例のパタパタの左手などありえない。
23才の女なんだ。
ただそれだけを呆然と見せつけられた。
もちろんそれだけじゃない。
もう「影を逃がれて」の背景にフルキャストの一員として歌う姿にさえ
胸を打たれる。
当たり前と言えば当たり前なのだが、何と言われようと(笑)それが
「ミュージカル向きでない」ことを踏まえた上で想像をはるか超える
お芝居をしていたし あれが「持てる力」であることは間違いない。
ミュージカルをする人として通用するかどうかはエライ人が決めれば
いいことだ。
足りない何かを補って余りあるものがあるならそれも一つの評価だ。
ファンとして卑下する必要などどこにもない。
そこに一人の客である私にとって本当に魅力的な演者として
存在していたということなのだ。
× × ×
こんな活動状態だもの、興味の薄れた人、気持ちの離れた人は
多いのだろう。
でも このページをまだ見るチャンスがあるということは、どこかに
捨て切れない「島袋寛子」という人への愛、あるいは愛のカケラが
あるのだと思う。
当日補助席販売というのは意外なチャンスのようだった。
http://www.tohostage.com/mozart/ticket.html
観てみませんか?
あなたの夢を叶えられずに大人になってしまった彼女が、決して
それだけで終わらなかったことを しみじみ体験してみませんか。
■2007/11/27(火) 今日のコンスタンツェ
(略)
拍手の件は私も会場にいて「?」と思った瞬間があった。
それぞれの見せ場のソロや集団演技(って他に言い方は無いのか 笑)の
後にはお決まりのように拍手が起こるのだが、後方で見ていた土曜日は
まるで手を叩いてはいけない場面であるかのように聴こえなかった。
比較的前で観ていた日曜は それでも「ダンスはやめられない」の後に
拍手があったのだが それも他出演者の7割ほどの印象。
彼女の歌の後は ちょっとタイミングが難しいシーンになることが多いのは
確かなのだが、それでも「ダンス〜」の後の拍手が少ないのは明らかに
客の意志なんだろう。
カーテンコールでもBGMが「星から降る金」に変わりメインキャストの
一人目として男爵夫人が華麗に登場→ひときわ大きい拍手
→コンスタンツェ登場→男爵夫人からの流れの拍手
→ナンネール登場→拍手大きくなる→・・・・
というのが嫌でもわかる。これは本当にすごい。(笑)
私はhiroに対してややS気味なところがあるので、こんな露骨な評価を
今までされたことは無いだろうなあ、なんて感慨に耽っちゃうのだが・・
そんなことは気にもせず(推定)動画ブログは11/26分で一挙に更新。
ロビーでのぐだぐだ。楽屋での行儀の悪さ。ノーテンキなふるまい。
全て私の“期待する島袋寛子像”そのままでゆるやかに脱力。(笑)
好きなんだからしょうがないじゃーないかあああああああああああ
ということで全てが愛おしいのですよ。
ヘロヘロしていたり無意味に元気だったり、真面目に一生懸命だったり
どこか感情の切り捨て方を知ってる風なところさえ。
なんといいましょうか。
15才の彼女は自らの意思で彼女のアマデと決別をした。
だから健やかに大人に成長できたのは間違いない。
その後の彼女にアマデが寄り添っていないことは私たちなら嫌でも
知っている。その上で島袋寛子というシンガーを愛し期待してきた。
だけどそれを当然知っているはずのhiroのブレーンの皆様は
諸事情あるのか彼女に今もアマデが寄り添っているかのような
売り方をしようとする。しなければ売れない。
彼女を神童と崇めた世間は彼女のことなどすっかり忘れていたのだが
そう売り込まれれば「そうだっけ」と儲け話にのってくる。
そこに生身の島袋寛子が登場する。
土曜の終演後、ロビーで後ろを歩いていた方が「初めてだから
あんなに太い声になっちゃって可哀想ね」なんて話していたけれど
何も初舞台で特別声が荒れてるわけじゃない。あれが大人になったhiro。
ヴォルフガングはこのままの僕を愛してと歌う。
自分の影から自由になりたいと歌う。
向いてようと向いてなかろうと幕は開いた。
あとは自分でどうにかするだけだ。
■2007/11/28(水) 余韻
製作発表でワンピースで歌った「ダンスはやめられない」を
今はとても聴く気にならない。
舞台での「ダンスはやめられない」は良かった。
だから記憶の中の映像を声を再生しようと日々試みるのだが
それは時間とともに曖昧で、そしてただ心地よい余韻と化していく。
実はあの歌自体にはいま一つわからない流れがある。
パンフレットの歌詞を見ても なんだかワケワカンネー言い分だなと
思うだけだ。
けれど それが彼女の歌となった時点で途方もない情念のうねりを
感じさせる。
彼女のライブでこういう体験がしたかった。したかったよ・・。
しかしいくら良かったからといって地方の人間が仕事帰りに
ホイホイ行ける場所ではない。
ハマっても仕方ない。仕方ないと心を鉄に閉じ込め(笑)
次に会える日を指折り数えるのだ。
しかしこうも「ダンスは〜」の話ばかりになると他に何も
ないのか?という話になってしまうのだが、けっこう歌ってはいる。
ただどうも各所で あのファルセットが気になる。
いかにも音量MAXのバリ地声に対し線が細い。
別にミュージカルでもファルセットは「アリ」らしいのだが
一緒に歌う方たちがあの調子なものだから やはりバランスが
よくない。
でもでも、不思議と口惜しいとかいう感情は湧かない。
それはたぶん彼女が初舞台に際し一年もの時間をもらったから。
レッスンの方向や量が適切だったかどうかはわからないけれど
その時間の使い方を決めたのは彼女だから、全てを甘んじて
受け入れられる。悔いは無い。これはすごく良いことだ。
■2007/12/23(日) 12/22(土)夜 12/23(日)昼公演
12/22夜の部と12/23昼の部を観劇。
12/22夜の部(主演・井上さん)は一か月ぶりの帝劇で一階真ん中あたり。
その一か月間、毎日毎日コンスタンツェを演じ続けた人がそこにいる。
まず目立って違ったのが前回は「ヴォルフガングとコンスタンツェ」と
いう必然性が演出的に説明不足(あるいは演技不足)だったのが
初対面のウェーバー家でのコンスタンツェの様子がわかりやすくなって
いたこと。
きっと演出の手が入ったのだろうけど、hiro自身もとても舞台的な
動きができているのが変化だった。
そして これは今日初めて観たとメールをくれた知人も言っていたように
ベッドインにつながるシーンでヴォルフガングに一枚脱がされて
肩が出たこと。(笑)
これはヴォルフガングは次のシーンのために脱ぐ必要があるためか
前回も脱いでいたけどコンスタンツェは前回は脱いで(脱がされて)
いなかったように思う・・・って 我ながら この食いつきようって。(笑)
歌はファルセットに切り替えると とたんに声量が さらに落ちるのが
気になったけど、精一杯やっていたと思う。
隣の席だった知人の「寛ちゃんはソロ曲に一曲入魂だから」説(笑)と
いうのがあるけど、この日の「ダンスはやめられない」も もう
見事なレパートリー曲になっていて、やはり あれは他の方々の歌とは
異質な印象になってしまうけれど、体の使い方や表情のつけ方が
ますます深くなっていた。
「歌で演じる」のが他の方々だとすると、この曲でのhiroは
「歌を演じて」いるかのようだ。
私はあの曲で皮肉にも彼女の歌い手としてのさらなる可能性を
見せてもらったと思っている。
前回気にした露骨に少ない拍手の件は、もうほとんど他の方に
近い拍手がきていて、これだけでも どんなに励みになるだろうと
他人事ながら(笑)うれしかった。ホントにうれしい。
こういうのを進化とか成長とか言うのだろうけど、とにかく全体的に
“舞台的なもの”になじんできた気がする回だった。
カーテンコールでの動きや、初日の動画ではおじぎ一つとっても
様子うかがいの心理状態が見えていたのが、もう堂々と自信に満ちた
90度のおじぎをしていてブレなかった。
素敵。本当に素敵だった。
そして翌12/23(日)昼の部。今日は千秋楽の一つ前。
彼女が彼女なりの表現で「演じる」ことに取り組めば取り組むほど
ストレートに感情を乗せた歌声は不安定で宣伝文句の「天性の美声」
から程遠くなってしまうという点を意識せざるをえなかった回。
しかし彼女が“ミュージカル歌い”をマスターできる可能性と
必要性は同程度に私の中では低いので もうこの期に及んで
あれこれは思わないな。
歌い手としてのhiroのセンスはまた得がたいものであるはずで
確実に舞台にシフトするという話でも無い限り「ミュージカル
向きでない」という壁を壊す意味が無い。
と、書いてはいるものの 間違いなくこの「私の千秋楽」公演のhiroの
コンスタンツェを、ミュージカル「モーツァルト!」を堪能できた。
「Save the Children 」ツアー仙台が終わった後のような、もちろん
まだ寛子ちゃんにはWキャストそれぞれとの楽日という務めがあるの
だけれど、これで終わってしまうのだという寂しさと、そして
真逆とも言える満たされた思いでしみじみと幸せな夜。
最後のカーテンコールで山口さんに手を沿え押され前に出てきて
中川さんと並んだ時の表情、晴れがましさとまだ手にできないものへの
負けん気と、そして舞台を心から楽しむ様子に 心から「ありがとう」と
拍手を送った。
ミュージカル「モーツァルト!」 2007.11-12 帝国劇場