hiro FCイベント 大阪(2001/7/29)
■2001/07/29 (日) とりあえず大阪イベントから帰る

絵理ちゃんのファンの方が、なぜ、このライブでの素晴らしさがCDやテレビで
伝わらないのだろうかと嘆くように、

なぜ、寛子ちゃんの この爆裂カワイサが雑誌やテレビで伝わらないのか。
とか。(笑)

ほんとにFCイベントとしては、最高のもので、2階まで一般客で埋まった中、
元気で、楽しげで、言葉通りファンに「してあげたい」という気持ちのあふれた
ひととき。
予想通り、一か所しか行けないのなら、大阪というのは当たりだったのかもしれない
とか思いながら、気持ち良く帰ってきました。

実際、声は時々裏返るし、あれだけの曲数でも歌詞が とんでしまうのは
なぜだろうという思いもあったけど、最後のアカペラでのサービスの何曲かは、
当時の歌声を 再現どころか、はるか超えるものを感じさせて意外なほどだったし、
カバー曲も確かに評判通り。
あと、舞台に上がった方々には申し訳ないけど、あそこまでやってくれると もう、
うらやましいという感情など超えて、痛々しい(笑)思いさえあり、またそれは
彼女のタレントとしての覚悟でもあるんだろうなと、変に感慨深かった。

ラジオ観覧の時も書いたけど、私、レポ能力無いです。
もともと、生の姿に接するチャンスも少ないので、何か書こうなどと思って
見るような もったいないことはできないのです。(笑)

また、明日から、一つ思い出しては あれこれと、書いていきますね。

■2001/07/30 (月) あの日あの時
【あの日あの時】

マイクを手離して、カメラで会場を撮影するというコーナーで、当然 生の声での
やりとりになるわけで、そこで何度も繰り返された「せ〜の!」が、今日は耳から
離れない。これが可愛くってねえ。(笑)
これもまた、たまたまではなく、ファンサービスという意識があったのだろう、
とことん「FCイベント」として考えたんだろうなあ、と思う。
生の声って、張り上げていたせいもあるけど、普段のイメージより、もっとタイトで
艶があるのね。可愛い。←しつこい(笑

彼女は、何回か、観客が いっぱいに入っていたことを喜んだ。
開演前、2階席に人が入り始めたのを見て、それが関係者でも招待客でもない、
「観客」だとわかった時、ドームを何度か観た自分でも、確かに うれしかった。
彼女は、会場の声を聴き取ろうと懸命だったし、何度も感謝の言葉を口にした。

アンコールで、グッズのTシャツの袖を まくりあげ、ピンクの何かで留めて出てきて、
ご丁寧に、リストバンドも2種類はめて(笑)、フォトアルバム等は売り切れたものの、
まだTシャツはあります(実際は大人サイズは売り切れだった)、宜しくお願いします、
「おそろいネ」と頭を下げた姿も、決してSPEED時代と比べてどうこうではなくて、
こういうことも言う年齢、立場になったんだなあと、ただ見とれていた。
「『Your innocence』と、『ビューティー7』を、両方 宜しくお願いします。」とも
頭を下げたっけ。
ドームツアーを2度もやったのだとか、紅白に何回出たのだとかいう経験が、
この人にとって、何だったのだろうかと思うくらい、このイベントの彼女は初々しくて、
謙虚で、それでいて誠意ある自信に満ちた、私にとって、実に気持ちのいいものだった。

■2001/07/30 (月) あの日あの時〜歌声

「In Season」、「AS TIME GOES BY」と続いたダンスは、自分が いかに彼女のダンスを
愛しているかを再確認させてくれた。

今日になって、イベント全てをご覧になった方から、「東京は、もっと歌が良かった
んだよ、会場とのやりとりも もっと盛り上がっていた」という話を聞かせていただいて、
でも、そんなこと全然気にならなくてさあ。(笑)
きっと、沖縄から、いや、それどころか、絵理ちゃんのイベントまでご覧になった方が
けっこう いらっしゃるんだろうし、そういう方々が「ああだった、こうだった」と
比較されている話を読ませていただくのは とても おもしろい。
でも、もう、自分の環境で、最大限の努力の末、行くことができた大阪イベントが、
自分にとって、とても楽しいものだった、それこそが 価値のあることのように
思えてならない。

【歌声】

確かに、曲によって、声が裏返ったりするのが目立ったけど、たいていは気持ち良く
歌えていた。
アカペラでの歌声は、ものすごく安定したものに聴こえたし、その中の「Delicious」が
十分あの曲の世界を伝えていたのも驚きだった。
そして、生では歌えないだろうと考えていた方が多かっただろう「Sweet love」も、
CDに見劣りしなかった。

これはもう、歌いにくい歌に関しては、避けられるものは避けていくしかないのだろうな。
その分、抜群に良い部分が出てきているし。
皆さんが「いい」と言っておられるカバー「I`ll be there」は、カラオケではなくて、
わざわざキーボード演奏者が出てくるという、贅沢なものだった。
相当な自信があったのだろう。

実は、どちらかというと、東京でも そうだったという、歌詞忘れの方が気になった。
定番ジョークで、「上原多香子が歌詞を覚えられる限界は2曲」というのがあるのだが、
寛子ちゃんというのは、まるで現在、その境界線が数曲ということになっているかの
ようだ。
もう、たびたび本人が口にする緊張とか、それが原因になるレベルの時期じゃないし、
小学生の時から舞台に立って来た人が、あの曲数を、こうも はっきりと歌詞を
とばし「続ける」ということが不思議でならない。
怠慢、ではないと思う。じゃ、なんなんだ。

■2001/07/30 (月) あの日あの時〜hug

知人の知人という方(女性)が、東京で「誕生日の人」として上げてもらいながらも、
その時は、最年少の女の子だけが、代表ということで この光栄にあずかったという
ことなのだが。

実際に会場での あれこれを体験して わかったのは、この「誕生日」というのは
もちろん申告制ではなくて(笑)、FC名簿と、チケット購入者、ということで
照らし合わせて得た資料のようだった。
ということは、次のステージに、どういう種類の該当者がいるかということは
事前に わかっているわけで、ハプニングということは考えられない。

だからこそ、謎でさあ。

名を読み上げて、ステージに招けば、女の子は一人きりで、あとは あのような
ご立派な成人男性の面々だということは わかっていたはず。
代表を無難な女の子にすることも可能だったはずだし、それ以前に、直筆メッセージ入り
カードを手渡しして握手、でも十分すぎるほどのファンサービスだったわけで、
それでも彼女は、ステージでのハイテンションという理由でもなく、汗の光る
キャミソールという薄着で、ファンの男性にハグしていたわけだ。
当の男性諸氏の反応が、最初の お一人を除いて、あまりにも薄かったのもあるけど、
これが見てて、「うらましい」とかいう感情が全然湧かなくてねえ。
たまたま、呼ばれた方が、自分の前を横切って出ていかれたのだけど、その時、
こんな(笑)私でも圧倒される、間近で見る成人男性の迫力に、東京の様子を聞いていた
自分は、すぐ「ハグ」を連想して、心乱れちゃいました。

実際、舞台の一人目の男性がハグされた時、それを ただ微笑ましく「うらやましい」
と思った方も多いだろうけど、すぐに、左にズラリと並ぶ面々をチェックして
暗澹たる気持ちになった方もいらっしゃるんではないかなあ。

彼女流に考えた末と思われる(それも東京一部では考えてなかったわけだけど)
ファンサービスに、反対意見するスタッフがいなかったということは、喜ぶべきこと
なのかな?
これがハプニングでないことは明白で、演出側からの指示とも思えず、
本当に自らが「ファンのため」と課したメニュー、こちらから見れば、ある意味「枷」
だったとしたら・・
なぜだか、'74に西河克巳監督で映画化された「伊豆の踊り子」のラストシーンが
思い出されて、胸がキュンとしたのだった。

■2001/08/01 (水)

大阪イベントを気持ちよく見ることができた理由の一つに、すぐ後ろの方が、
見事なほど正統派の声援を送っていらしたということがある。
誕生日の人の名が呼ばれれば、一人一人に、きちんと「おめでとう!」と声をかけ、
アンコールの時も、周囲を引っ張ってくれた。
そして、寛子ちゃんが、会場の声に耳を傾けている時は、ちゃんと場に合った声を
かけて。
こういうのって、けっこう重要で、きっと神様が、滅多にこういうチャンスの無い
自分のために用意してくれた場所だったんだ・・とか思っている自分は幸せなヤツ。(笑)
昨日、同じように大阪に参加された方のレポ、その待ちに待ったイベントが、
いかに楽しかったか、いかに彼女は魅力的だったか、でも あそこはちょっと残念・・
とかいう話を熱心に書いておられるのを、心から楽しく読ませていただいた。
そう、「一回」の重みが違うのだよねえ。

何度も観覧やらライブのチャンスがある環境の方は、
「今回は あれが良かったかな」「今日はダメ」で片付けたり、あるいは、
「一回のステージ見たくらいでガタガタ言うな!」とか言い放つことができる。
そして今日あたり、観覧募集に電話したりしているんだろうなあ。(笑

生のステージは生き物で、たった一度しかありえないものだけど、その たった一度しか
ないステージが、正真正銘「かけがえのない一回」になる人たちというのが存在すると
いうことを、寛子ちゃんが、いつも心の隅に覚えていてくれるといいなと思う。

■2001/08/25 (土) エビの店

大阪イベントの日は、連れの希望もあって、先にUSJに寄りまして、せいぜい
2〜3時間の滞在に、あの入場料はどうなのよA^^;というところもありましたが、
まあ、あんなもんでしょう。
人気アトラクションは、時間の関係で避けて、地味なアトラクション2つほどでしたが
ちゃんと楽しかったですね。もう二度と行かないような気もしますが。A^^;
ちょっともう、ああいう遊び方をする気力体力が不足しているなあというのは
前回のTDL同様、感じました。

で、まあ当然 私のことですから(笑)、連れを引っ張って、「やっぱり、ここまで
来たら、有名な店に入りましょう」とかナントカA^^;、いつかのラジオで寛子ちゃんが
言っていた「エビの店」に入ったわけですね。
そして、無難にオススメ料理を注文したら、大量のエビフライと大量のフライドポテト
としか表現できないプレートが出てきまして、ん〜アメリカン。(笑)
連れにも手伝ってもらいましたが、彼女とて、大量のフライドポテトが添えられた、
巨大なチキンバーガーに苦戦。
さすがに お残ししてしまいました。反省。

しかし、何と言っても、このお店で特筆すべきは、店員さんの、超フレンドリーぶり
でしょうか。
同じ目線の高さで、親身にメニューの相談に乗ってくださいます。
気がつくと、隣の席に座っていたりします。A^^;

「いや、さすがだね。大阪は。」とか なんとか言って、店を出ました。
大阪、好きやねん。(エセ)

■2001/09/03 (月) 大阪駅で

【大阪駅で】

「堂本兄弟」HPに載っているhiro分の歌のチャートで、4位の「TSUNAMI」の
解説が、『お父さんを思い出す曲』とある。
当然「弟」の間違いなのだが、『弟を思い出す』ってのも、考えると変なもんだな。
弟さんが12,3歳とすれば、その半分しか一緒に暮らしていなかった姉というのは、
そんなものなんだろうか。

イアンソープの件で、福岡行きに乗ってしまおうかと考えてしまったというのは、
まさに あの大阪イベントの夜の新幹線ホームでのことだったのだが、実は、あの時、
新幹線での彼女を見た。
栗色の柔らかな前髪をピンで留めて、今、駅弁に箸をつけようというところ。
それを ここに微に入り細に入り書かなかったのは、それを書くために、たくさんの
言い訳を書かなければならないのが面倒だったから。(笑)
そして、その言い訳が しょせん言い訳にしか見えないことを、SPEED時代からの
数ある目撃レポで、知っているから。