もし、たら、れば
■2000/08/27 (日) もし、たら、れば

私は、SPEED としてのあり方が大好きで、決して 自分の好きな人だけしか
目に入らないとか、好きな人だけが歌えばいいとかは思わないのですが、
やはり この頃は、解散というのは仕方のない事だったのかなあと思うのです。

SPEED が存在する限り、彼女たちは、あれらの素晴らしいヒット曲を
歌い続けなければならないわけです。
SPEED が存在さえすれば、あの名曲を聴くチャンスがあるのだという思いが
当時「なぜ解散なの?活動休止ではダメなの?」という気持ちにつながったのですが
今、あたらめて考え直すと、それ以上に 彼女たちが「歌い続けなければならない」という
負担の方に目が行ってしまうのです。

もちろん、年数を経て「良くなった」と感じる曲もあるのですが
なんといってもSPEED というユニットは、「旬が命」みたいなとこがあります。
たとえば、「Luv Vibration」は、やっぱり あのプロモーションビデオのような空気が
あってこそなんじゃないかと。
最後のツアーでやった「Luv Vibration」は、進化したパフォーマンスであったのだろうけど
「あれが最高」と言える人は少ないんじゃないかと思うのです。
それがSPEED だと思うのです。

そして、サミットミュージックフェスタでの寛子ちゃんの歌を聴き
これはSPEED が続いていても 有り得たことなのかと、考えてみるのです。
パート割りと、ダンスフォーメーションが きっちりと決まっているSPEED の曲を、
いじることは難しかったのではないでしょうか。
もちろん歌い方をいじることは、素晴らしいことばかりではないのですが
結局、そういう「個人」の成長とか可能性は、しょせんソロ活動で試すしかなかったん
じゃないかと。(9/6へ続く)

■2000/09/06 (水) もし、たら、れば(続き)

「ソロ活動で得たもので、SPEED をさらに大きく」というのは、当初ソロ活動を
始めた頃の、定番の言い訳だったわけですが、多香子ちゃんは、ソロ活動の成果を
どの程度SPEED に持ち込めたでしょう。
歌番組で、一時、ボーカル2人にしか話がふられなかった時代に比べて
たくさんしゃべる(しゃべらせてもらえる)ようになったくらいしか
思い当たらないのです。
あと、上原多香子はフワ〜と揺れて歌ってるだけですが
ほんとは こんなに ちゃんとダンスできるんですよ〜効果。
でも、これは「SPEED の存在が、上原多香子を大きくしていた」にしか すぎない。

99年夏を境に、寛子ちゃんは「BODY & SOUL」 のラップ部分とか
「Breakin'out to the morning」 の「Breakin'〜」 の掛け声?の部分を
低い音でやるようになったのですが、あれは一体何だったのかと思うことがあります。
歌のテンションというか、印象が 変わったことは確かです。
絵理子ちゃんは むしろ、「BODY & SOUL」などは、デビュー時の歌い方に戻して
いた風だったので、私はずっと違和感を持っていました。
それぞれの解釈がぶつかりあって生まれるものもあるのですが
同時に殺さねばならないものもある。
SPEED が続いていたら、絶対 このあと、いろんな葛藤が生まれたはずです。

成長した4人を見たい気持ちは もちろん強いのですが、もう それはSPEED で
なくてもいいように思うのです。
SPEED は、それほどまでに特殊なユニットだったと思うのです。

SPEED は、時代の空気とともに封印されるのが、彼女たちにとっても
一番良かったことなのかなあ、と 今は 思えるようになっています。