柳家小さん師匠

「時そば」

落語界の長老、第一人者であった人間国宝「柳家小さん」師匠が、つい先ごろこの世を去った。まことに残念なことである。さりげなく、たんたんとした語りの中に笑いあり人情ありで、聴くものを否応なしに引き付けた、古典落語の名人であった。

 古典落語の一つに「時そば」というのがあるが、二八(にはち)の屋台そば屋に客が来る。
さんざんソバのことを褒めちぎり、代金十六文を払う時に、
一文、二文と八文まで勘定したところで「いま何時だい」と、亭主に尋ねる。すると亭主が「九ツ(12時)」と答えると、
銭勘定をトウ、十一、十二…と数えて渡し、一文をまんまとごまかすというくだりだ。
この先の話は、そのうまい話を聞いた間抜けな男が同じようにするが、「時」の勘定を間違えてしまい、
余計に払ってしまうという話である。
 江戸時代では、時刻の数え方を一つ、二つ、三つ…と数え、一つの時刻が2時間単位になっていた。
1日は24時間ではなく、日の出から日没までを6等分して、これが昼の一刻(とき)。
同様に日没から日の出までを6等分したのが夜の一刻だから、春分と秋分を除けば昼と夜とで長さが違うのだが、
合わせて1日が十二刻であった。
 時の呼び方は2通りで、時計がわりに「刻の鐘」(寺の鐘)が時間を報せるが、その音の数によって日の出の明け六ツから平均2時間の間隔で、朝五ツ、昼四ツ、昼九ツ、夕七ツ、そして夜の時間に入って、宵五ツ、夜四ツ、夜九ツ、夜八ツ、暁七ツまで。時の数が九ツから始まるのは、易学での陽(宇宙の根元)を表す数、九を取ったもので、それを2倍、3倍…して十の位を捨てるので、八、七と時間が進むにつれて数が減るのだという。
 時間のもう一つの呼び名は、日付が変わる真夜中を「子の刻」(ネノコク)として、
昼夜十二刻に十二支を当てて、丑の刻、寅の刻などとしたもの。
自然の明るさが頼りで、万事手作業の時代だから、時間も1日十二刻で間に合っていたのだろう。
現在のような時刻制になったのは明治6年1月1日からであった。 

(文章提供HIDEsan)
home next