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あさくさばし科学サークル |
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2004年11月号 太陽がどっちの方角から上がっているか自信を持って答えられない中学生が一クラスに何人かいるそうです。 地球の自転については、「えっ!地球が回っている!!」と驚く子どもも大分いるのが現実!! 以前は、屋上に上って太陽の動きを観察したそうです。そうするだけの時間があったのです。今年は、授業時間を割いて観察することができないので、理科係が代表で観察をしたそうです。そうすると、理科係についていって一緒に観察する生徒も中にはいるそうです。観察しなかった生徒は…、多分わかっていないのではないか…というお話でした。 「話し」としてやるのと、「現実に動いていることを知る」ことの間には、大きな隔たりがあるようです。 「宇宙に関心がない」中学生が、ほとんどだと言うお話でした。 第30回参加者 横川崇さん(太田・大森十中) 小川春子さん(大田・大森第三中) 関根百合子さん(大田・石川台中) 大河内範子さん(相模原市青少年相談センター) 榎本洋一さん(小山台)と吉埜和雄(小山台)の6名でした。 第32回は… 日時 12月20日(月) 6時から9時まで 場所 小山台高校物理室 (どなたでも気軽に参加できるサークルです) 成績は、自分を測るものさし…か 中学校で、期末試験の答案を返すと、「先生!あっているのに×になっています。」と生徒から言われることがあるそうです。その中には、テストを返却してから、生徒が間違った答を書き換えて来る場合も結構あるそうです。 「答案をすべてコピーしている先生も学校にはおられる」というお話も出てきたので、なかなか深刻な問題なのかもしれません。 書き換えをするのは、真面目によく勉強をしている子が多いのだそうです。 韓国では、大学の入学試験で、携帯電話を使った不正行為が問題になりました。 研究者によるデーターのねつ造だって、根っこは同じかも知れません。 ある大学生が「大学生は自分を確かめられないでいる」と話してくれました。“高校の時までは、成績が「54321」でつく。「頭がいい、ふつう、ばか」がはっきりつく。で、「自分は、4。普通より少しましだ」と思うと安心出来る。いつも「自分が、普通であること」が確かめられる。だけど、大学生になったとたんにそれがなくなる。自分の価値を「54321」で決めてきたので、いったい自分がなんなのか、普通なのかどうなのか、とても不安になる。”とまあ、このようなお話です。 とくに学校の成績の良い子は、自分で、自分という「人間をはかるものさし」が成績だと、思いがちです。 「人間はものさしではかれるのだよ」と、答案を返すたびに繰り返し教えているようなものかもしれませんね。 あの大学生は、どういう人間として生きていこうかと、模索を始めたのかもしれません。そういえば、ノーベル賞を受けた田中さんは、大学受験の際に、自分の両親が本当の親ではないことを知り、自分という人間はいったい何なのか悩み、大学を留年したという話を聞きました(聞いた話なので、不正確ですが…)。 大学生の話を聞きながら、「若い」ことをまぶしく感じました。きっと、自分の生き方を見つけていかれることと思います。
習熟は必要か 苦しい練習をしないと自然科学はわからない…か? 「理科教室」の12月号に板倉聖宣さんが、“自然科学のプロになるひとなら習熟もしなくてはいけないが、自然科学は習熟しなくとも「わかる」”と、このようなこと(今手元に本がないので…)を書いておられます。 ここで言う習熟を、私は、計算問題をたくさん解いたり、問題集の問題をやることだと受け取りました。 しかし、中学生には、高校入試がありますし、多くの高校生には大学入試がありますし、現場の教員としては「習熟は必要ないからやらない」というわけにもいきません。 また、高校では、理科は選択である場合が多いのですが、選択するときの基準は、多くの場合「成績がよいかどうか」つまり「試験でよい点が取れているかどうか」です。つまり、習熟に成功しなかった生徒は、「学ぶことを放棄する」ことになっているわけです。 板倉さんは、無理して学ばせるという発想をすて、学びたくなるような中味のある授業にすることが大切だと言います。でも、高校生になった頃には、すでにイメージができあがっていて、そのイメージに太刀打ち出来る自信は正直言ってありません。 試験の後どうするか このあいだ、中学の先生であった鷹取さんに、2年生の期末試験の答案(実物)を見ていただきました。 まず、「試験の後、解答を張り出しているかどうか」聞かれました。私は、張り出していません。理由は、試験の後もう一度自分で考えてほしいと思っていたからです。しかし、鷹取さんは、“試験のための勉強をしているはずで、それで試験を受けたのだから、自分の考えは正しかったのかどうか、何が間違っていたのか、記憶が新鮮なうちにもう一度考えるチャンスになるのではないか”と言われました。 つぎに「返すときに解答をするのか」と聞かれました。“基本的にはしていません。理由は、さっきと同じです。ノートを見ながらもう一度やってほしいからです。”と話すと鷹取さんは「じゃあ、自分で考えても分からない子はどうしたらいいのですか?」と言うのです。 今回の試験に出した問題は、授業で扱った問題と全く同じ問題はひとつもありません。ですが、私自身としては、授業がわかっていれば出来るはずだから、もう一度ノートを見て自分で考えれば分かるに違いないと言う前提があるのです。そして「どうしてもわからなかったら質問にきて!」と言っているのです。 でも、鷹取さんに言われて、そのあと、はたと考えました。 「 さよなら、さよなら、さよならぁ 途中、ついてこれなかったです。 そうなったのは、確かにオレのせい 確かにオレのせい♪♪ 」 これは、3年生のある生徒が書いてくれた感想です。多分…歌の歌詞にかぶせてあるのだろうと思います。 3年生は、選択です。2年生の段階では、3年で物理をやろうと思った人たちです。しかし、2学期には、授業に参加しない人がずいぶん出ます。物理が受験でいらなくなって、他の教科の勉強をしている人、物理はいるのだけど2年生で勉強した範囲をやっている人。私の授業に参加している人。この状況をなんとかしたいと思いながらも、毎年どうにもできないでいます。その状態になぜ耐えられるかと言えば、もう一人の物理の先生と準備室でなぐさめ合っているからです。 鷹取さんに言われてみて、「できないのは、あなたがわかっていないから」「ついてこられないのはあなたが悪い」そういう気持ちがあることをはっきりと自覚しました。 先ほどの彼の歌にかぶせれば… 「出来るように出来なかった、私」 覚える なにはともあれ、試験はあります。 わかった気がしないのに、試験を受けなければならないとすれば、そして良い成績を取りたいとすれば、覚えるしかないのではないでしょうか。 再び習熟のこと これから始まる、3年生の試験問題は、受験用の問題です。 ……うーむ。どうしよう。 ……わからずに暗記して、暗記したことを書くのがテストなら、答案の改ざんももしかするとそれほど抵抗感がないのかもしれません。そうする生徒の気持ちを想像すると、せつなくなります。 プランをしっかり考えよう 授業のプランはしっかり考えましょうね。 自分だけではなく、みんなで!! 授業を始める前に、プランがみんなで検討出来ていると、授業はずいぶん変わると思います。とりあえず、今できそうなことはこれです。 実は私たちも宇宙に関心がない 私は、南半球に行ったことがありません。 関根さんと、小川さんは、オーストラリアに行っています。 「太陽は、北にありました?」とお聞きすると 「どうだったかなぁ…」という感じです。 日没などを見に行ったので、東と西はわかっていたそうです。で、いろいろ思い出してもらって……。 「東がこっちで、西がこっちで、ああ、そうだ影は南に出来ていた。うん、太陽は北にあった!!」 と、こんな感じでした。 日没を見に行ったのも、西という方角を知りたかったわけではなく、その美しい景色を見に行っていたのです。その記憶をもとに、西が確定する。それと、昼間同じ場所にいたときの記憶を重ねる。それで、やっと、太陽が北に上っていたことに気がついたのです。 つまり、普段の生活のなかでは、どっちが南だってかまわない。…のです。 宇宙に関心がないのは、なにも中学生ばかりではない、私たちだってそうなのです。 では、懸(あがた)秀彦さんの調査から。 雑誌「科学」7月号の “理科を学ぶ小学生たちの苦悩「それも地球はまわっている?」”より引用です 太陽と地球の関係 太陽が地球をまわっているかを、二者択一で聞いたら 地球は太陽の周りをまわっている 56% 太陽は地球のまわりをまわっている 42% 無回答 2% また「人工衛星と同じように地球のまわりをまわっている天体はどれですか?」という問いの、太陽、月、火星、わからないという選択肢に対し 月を選んだ 39% 太陽 24% 火星 27% “前問で天動説を選んだ子のほとんどが太陽ないし火星を選んでおり、4〜5割の児童が概念として地球中心の宇宙像を持っていると推察される”と懸さん。 日没の方位について 正答率は、地域によって異なり、高い地域は83%、低い地域は62%。“日没の方位は、小学校3年の理科のみならず、同じく3年で社会科でも地図の学習として扱っている。調査結果には都市部の学校ほど正答率が低くなる傾向が見られ、日没や日の出を見ることが日常体験として失われている影響があると考えられる。” 月の満ち欠け 「月の形が毎日変わるのはどうしてですか?」 地球から見て太陽と月の位置関係が変わるから 47% 月が地球の影にはいるから 37% いろいろな月の形があるから 2% わからない 13% 無回答 1% “改訂前の教科書では、月の満ち欠けを説明するために丸い地球を中心に丸い月がそのまわりを公転しているイラストが教科書には登場していた。この図が無くなったことにより、月の満ち欠けのみならず、地球は丸いことを説明する必要が小学校の天文単元からはまったく無くなってしまった。” これらのデーターから 懸さんは、学校以外で子どもたちが得る、天動説の立場からの宇宙や太陽系の情報と、学校での学習が矛盾しており、生徒自身が整合性を取れずにいる可能性が高いと言い、これが学ぶ意欲の喪失につながっていると言います。また、次期指導要領では“太陽、月、地球が球体であることを前提として示し、宇宙からの視点も取り入れて、太陽系を鳥瞰する図を用いることで地上から見た天体の動きを宇宙での各天体の位置関係等と関連づけて理解出来るよう配慮すべき”としています。 まとめとして “義務教育における天文教育の目的を実学的な視点から宇宙像の理解・科学的世界観の育成に重心をずらすことを検討すべきではないだろうか?また、学習の手法として必ずしも実験・観察に頼らない指導方法を理科の教授法のひとつとして確立すべきではないだろうか?” と述べている。さらに中学校にも触れて“中学校での天文分野の学習は一方,地球の自転と公転太陽,惑星に関するものにほぼ限られてきた。正しい宇宙像を獲得させるためには,義務教育で銀河やさらには宇宙全体を取り上げ,宇宙の階層性および時間と空間のスケールについて認識させる必要があると考えられる。さらに,宇宙像・世界像の理解において,宇宙を構成している基本単位である恒星と銀河についての理解は重要であり,特に恒星の進化の過程を理解することは,元素の起源を知り,生命のルーツをたどる上でも重要であると考えられる。”とし、“表4は以上のような観点から作成した試案である。もちろん,他の学習内容との摺り合わせも,時間数の確保も課題のままであるが,ご批判いただければ幸いである。” その試案も引用してみます。 懸プラン 〔小学校〕C地球と宇宙 第3学年 ひなたとひかげ(12時間) ア 日陰は太陽の光を遮るとでき,日陰の位置は太陽の動きによって変わること。 イ 地面は太陽によって暖められ,日なたと日陰では地面の暖かさや湿り気に違いがあること。 第5学年 地球と太陽と月(12時間) ア 地球,太陽,月は球形をしていること。 イ 地上から見ると太陽や月は絶えず動いていて,東の方から出て日本では南の空を通り西の方に沈むこと。 ウ 月は日によって形が変わって見え,月の輝いている側に太陽があること。 (注:太陽系を鳥徹する図を用いて理解させる) 第6学年 星とその動き(16時間) ア 星には,明るさや色の違うものがあること。 イ 星の集まりは,時間がたつと位置や向きが変わるが,並び方は変わらないこと。 ウ 地球は太陽のまわりを回っていて,星座の星は太陽系の外に存在していること。 〔中学校〕 第2分野(第3学年)地球と宇宙 (ア)身近な天体 月・太陽・惑星・明るい恒星など身近な天体を実際に観察し,科学的な手法でその天体の特徴を理解すること。 (自転と公転 月の満ち欠け,太陽のエネルギー) (イ)太陽系と宇宙 地球と他の惑星(特に金星火星)とを比較し,生命の存在できる環境について認識し,地球環境をより一層理解すること。 (惑星の特徴,太陽系の構造,銀河系,宇宙の構造) (注:金星の満ち欠けの観察は省く) (ウ)宇宙と人間 正しい宇宙像を認識し,個々の宇宙観の形成を援助すること。 (元素の起源,宇宙の歴史) (注:「私たちは,いま,どこに存在し,どの時代に生きているのか」の理解,すなわち生徒個人の「自分探しの旅」を援助する)
雑誌「科学」に小学校や中学校のプランが… 懸さんの懸念は、新聞でも大々的に取り上げられました。また、雑誌「科学」に、小学校や中学校のプランが載ることも珍しいと思います。 大体、天文分野の学習が、これほどまでに話題になったことはあったでしょうか。 私たち現場の教師が、このような議論に、自らの意見を表明していくことは、議論を机上の空論にしないためにも大切なことだと思います。 サークルで出た話などから懸さんのプランを見ると 小学校について…懸さんの調査にもありますが、子どもたちは目を空に向けていません。中学生でも、「お日様がどっちから出るのか」知らない子がいます。ですから、小学校でも、目を空に向けることはやはり必要です。その上で、鳥瞰図などを利用して、位置関係、見かけの運動と実際の運動の理解が必要なのではないでしょうか。 6学年のアとイは、あまりにも星座の存在を意識しすぎているように感じるのですが…。年周運動の観察は難しいと思います。恒星を背景に、月の位置が変わっていくこと、太陽の位置が変わっていくことのほうをまずやる方がよいように感じるのですが…。 地球が球形であるわけ。地球と月と太陽の大きさ。月の模様の正体。地球と月の距離、地球と太陽の距離。なども、扱いたいと思います。 中学校について…書き方が抽象的です。そこで、何を扱うのかが見えてきません。かっこの中が、学ぶべき中味でしょうか???吉埜の、個人的な印象ですが…。月は地球と同じ材料から出来ている星であることなど、星とは何なのかがわかるような学習が必要ではないかと思います。地球の自転では、フーコーの振り子の実験も触れたいと思います。公転では、年周視差についても触れたいと思います。太陽系の惑星がどのくらい太陽から離れているか。ハレー彗星などの彗星の存在。また、流星とはなにかも学びたいと思います。銀河系では、銀河系の直径、太陽系の位置、隣の銀河までの距離。恒星の生成と、進化、そしてどうなるか、超新星爆発なども扱いたいと思います。また、宇宙が膨張していること、ビックバン理論についても簡単には触れ、星だけではなく宇宙自体が時間とともに変化していることを、簡単でも学びたいと思います。地球の気象については、むしろ、気候の所で学ぶべきではないでしょうか。もしここでやるとすれば、タイタンの話しなどもだし、特別な星として地球を扱うことだけは避けたいと思うのですが…。 教科書に出ている、地軸の傾きを考える問題は、やるべきかどうか 「東京(北緯35°)で夏至の太陽の南中高度を78°とすると地軸の傾きは、実際は約何度と考えられるか」 と言う問題です。 私は、個人的には、こういう問題は好きです。 78°という角度を、自分で測る気にはなりませんが、測ろうと思えばはかれそうです。「南中高度がわかると本当に地軸の傾きがわかるのだろうか」、こう思ったとたんに「地軸の傾きってどうやって測ったのだろう??」と、気になりはじめます。夏至の日に、赤道から太陽を見たら…とか。夏至の日に頭のてっぺんに太陽が見えるのは、北緯何度のところだろう…とか。つまり考えてみたくなるのです。 エラトステネスが、地球の大きさを測った方法を知ったとき、すごいと思いました。アリスタルコスが、太陽までの距離を測った方法を知ったときも、すごいと思いました。(地球の大きさや太陽までの距離を知識としては知っていても、どうやって測定したのか知らない、そういう知識はたくさんあります。)知っていても、測定方法がわからないのに、エラトステネスやアリスタルコスはとってもすごいと思うわけです。 「地軸が何度傾いている」とか「地球の半径はいくつである」「太陽までの距離はいくつである」ということは、資料を開けば書いてあります。それらを知ることよりも、「なぜそれがわかったのか」を、知ることに魅力を感じるのです。 ビュリダンの「天体・地体論」では、地軸の傾きは問題にされていません。天動説の立場ですから当然かもしれません。ダンネマンの索引に、地軸と言う言葉はなく、かといって地球について書いてある所を全部見る気はしませんでした。 エラトステネスは、夏至の太陽の高度を測定していたのではないでしょうか。そこから地軸の傾きについて「だれかがやっていた」という記載を見つけられないかと思って、エラトステネスでダンネマンを見ると「アレクサンドリアにアルミラ儀(輪球)を設置し、それによって南北回帰線の開きを、円周の11/83、つまり47.7°と測定した」とかいてあるのです。でも、地軸の傾きについては見つかりませんでした。 教科書の問題を解くためには、作図をして、考えなくてはいけません。 数学が苦手な人にとっては、それだけでうんざりするかもしれません。でも、逆に、数学の知識を使って自然がわかる楽しみを知る問題でもあるのではないでしょうか?? 実際に、授業をしたことがないので、何とも言えませんが。 私は、この問題をやらないのは、もったいない…と思いました。 12月20日 月曜日 6時から9時 内容は 中学校の「自然と人間」のプランについて 工作 ぶんぶんゼミ |
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2004年10月号 東西南北などの方位をどう教えていますか。 横川さんは、「お昼頃、太陽のある方向を南」と教えておられます。 太陽を見るのです。 私は、子どもの頃、コンパスが指し示す方向を南北と思っていたように記憶しています。コンパスを見ないと南北はわかりませんでした。 横川さんの話を聞いて、思い出したのですが…小学校の頃だと思いますが、コンパスをもたずに、南がどっちか分かる子がいて、驚いた覚えがあるのです。私は、コンパスがないと南北はわからない(正確には…)のに、だから、コンパスを使わずに南を言い当てる友に、驚いたのです。 私は、現実の自然を見るより、コンパスの不思議の方に心を引かれる子どもだったのかも知れません。 なかには、“私のような子どもがいる”ことも、わかってほしいと思います。 第29回参加者 横川崇さん(大森十中) 大森薫さん(大森十中) 関根百合子さん(大田・石川台中) 佐々木修さん(大田・入新井第4小) 荻原章徳さん 酒井正明さん 榎本洋一さん(小山台) と吉埜和雄(小山台)の8名でした。 第31回は… 日時 11月29日(月) 6時から9時まで 場所 小山台高校物理室 (どなたでも気軽に参加できるサークルです) 地球の大きさ 仮説実験授業では、直径13cmの円を地球に見立てています。 実際の地球は回転楕円体なので、直径は赤道方向が長く、12755km、極方向は、12712kmで、約13000kmです。それを100000000分の1(一千万分の一)にしたのが13cmの地球です。 私も、ボール紙で直径13cmの円を切り取り、地球として利用させてもらっています。 同じ縮尺で月や、太陽は 月の直径 約3.5cm 太陽の直径 約14m です。 □どれくらい離れているか、平均的な距離も、同じ縮尺で出してみます 地球と月の距離 約3.8m 地球と太陽との距離 約1.5km 太陽と火星との距離 約2.2km 太陽と木星との距離 約7.8km 太陽と土星との距離 約14.3km 太陽と冥王星との距離 約59.2km ずいぶん離れていることがわかります。太陽の万有引力が、こんなに離れている冥王星にも及んでいて、冥王星の動きが万有引力の法則と運動の法則で理解できるのは、驚きです。 □惑星が、太陽のまわりを一周する時間、公転周期もみてみます 地球は、1年です。これを基準にします 水星0.24年 金星0.61年 火星1.88年 木星11.9年 土星29.4年 天王星84.0年 海王星164.8年 冥王星247.8年 火星の公転周期は1.88年です。何倍すると値がほぼ整数になるのかやってみると、16倍で、約30年です。地球と火星がピッタリ同じ位置関係になるのは、約30年に一度なんですね。チェコブラーエの長年にわたる観測データがいかに貴重なものであったかがわかります。 □では、公転周期の2乗が、公転半径の3乗に比例しているという、ケプラーの第3法則を確かめてみましょう。 公転周期の2乗 公転半径の3乗 その比 水星 0.0576 0.1941 3.37 金星 0.3721 1.2667 3.4 地球 1 3.3481 3.35 火星 3.5344 11.83676 3.35 木星 141.61 471.456 3.33 土星 864.36 2920.53 3.38 ケプラーが知っていたのは土星までですが… 天王星 7056 23763.7 3.37 理科年表を片手に、実際に数値を計算してみたのは初めてです。規則的なんですね。 私たちは、法則を知っていますから、ちょっとの手間で確かめることができます。しかし、どうやって、ケプラーがこの規則性に気づいたのでしょうか。私は、よく知りません。謎です。 □動いている速さも気になったので、おおよそ比べてみます 自転の速度 赤道で 約0.5km/s 宇宙ロケットの速度 約12km/s 太陽のまわりの地球の公転速度 約30km/s 銀河系の中心に対する太陽の公転速度 約250km/s 光の速さ 約30万km/s 光の速さは、すごいんですね。 横川さんのプラン(前半) □13cmの地球がプリントに描かれています。 その図の中に、世界で一番高い山と、世界でいちばん深い海を書き込むようになっています。 ここで、地球の直径を教えます。 □次に地球について…穴埋めです 地球は、表面が約20℃に保たれており、太陽系で唯一( )が液体の状態で存在が確認されている( )です。( )を持っていることも温度が一定に保たれている理由の一つです。 また、地球上には様々な( )が存在しています。今、科学者は地球以外にも( )が存在していないか様々な方法で確認しています。 【考えてみよう】 もし地球の軌道が、現在よりも内側だったり外側だったら地球はどうなっているでしょうか。 <確認> 地球より軌道が内側の惑星を( )、軌道が外側の惑星を( )といいます。 惑星はその出来かたから、2種類に分けることができます。地球や火星のように鉄を中心とした岩石でできている惑星を、地球型惑星。木星や土星のように、様々なガスが圧縮されてできている惑星を木星型惑星といいます。 □月と太陽 質問 月と太陽の大きさ(直径)は、それぞれ地球の何倍くらいだと思いますか。 予想 月…地球の大きさの( )倍 太陽…地球の大きさの( )倍 1/40 1/20 1/4 1/2 同じくらい 10倍 100倍 500倍 その他 結果 月の直径 →地球の直径の約 太陽の直径 →地球の直径の約 ちなみに、太陽は月の約何倍でしょうか? 質問 地球と月のあいだはどれくらい離れているのでしょう。間に地球を並べたら何個ぐらいはいるでしょうか。 予想 1個 3個 5個 10個 30個 50個 100個 500個 1000個 もっとたくさん 結果 地球と月との距離 →地球 分 地球と太陽との距離 です。地球何個分くらいですか。 ちなみに今回地球に大接近する火星は、地球の半分くらいの大きさで地球から 約 まで接近します。今回の大きさにすると、 m離れていることになります。 何となく宇宙の大きさが想像できますか。 □月について 月は地球のまわりを回る( )です。成分はほとんど地球と同じです。まだ地球が固まる前に、大きい隕石が衝突し飛び散った破片がもう一度集まり、月になったのではといわれています。月の表面には、隕石がぶつかってできた( )が数多く見られます。月の表面には( )や( )がなく、そのため、日の当たる部分は120℃にもなり、日の当たらない部分では−80℃ほどになります。引力は、地球の1/6程です。 【考えてみましょう】 地球と月はほぼ同じ成分で、宇宙から見ればほぼ同じ場所にあります。ではなぜ月の表面にはクレーターが存在し、地球の表面にはあまり見られないのでしょうか。 □太陽について 太陽の表面温度は( )で、内部の温度はおよそ1600万℃にもなっている( )です。地球が太陽から1日に受ける熱量は、3700億トンの石油を燃やしたときと同じ量になります。地球で1年間に使用する石油の量はおよそ30億トンです。太陽がいかに多くのエネルギーを送ってくれているかが分かります。 太陽は惑星とは違い、自ら光り輝いているので( )であることがわかります。 次の言葉について調べてみましょう 黒点 コロナ プロミネンス 自転周期 ( )の惑星を内側から挙げてみよう □方位と( )について 太陽や星座などの天体の動きを調べるために、自分のいる位置や時間について確認しておきましょう。 質問 この教室で東西南北がわかりますか。すべての方位を指で指してみましょう。また、大森十中はあなたの家からどの方位にありますか。 質問 地球上で私たちが住んでいるところからみた方位はどうなっているでしょうか。 質問 北極の真上から地球を見たとき、図中の地点から見たア・イ・ウの方位をそれぞれ答えなさい。(図が二つある。自分のいる位置が北極より下と上のもの) □地球の( )について 地球は、地軸(北極と南極を結ぶ軸)を中心に、一日に一回転しています。このことを( )と言います。そのために、太陽も星も動いて見えるのです。 □地球と太陽と時間の関係 質問 太陽から光を受けている地球を北極の真上から見ている図です。朝日・夕日は、ア、イどちらで見られるでしょう。 南北の方位をどう教えるかという問題で議論になりました 地面に沿った南北 コンパスで南北を理解している私は…、頭の中に地球があり、南へ南へと歩いていくと南極に行く。つまり、南というのは、地球の表面上での方角を意味しているのです。だから、真南といったら、水平線の方向を思います。 みなさんは、どうですか?? 横川さんの主張 「お昼頃、太陽を見て前を向いて、それが南。そして頭のてっぺんが指す向きが北。」こう教えると、星の動きや地球の動きを理解しやすいというのです。 地球の南北と宇宙の南北 横川さんが言う“北”は、どちらかというと天の北極です。地球の表面の方位を意識しつつ、宇宙の中に自分を置き、星の動きの法則性をつかませようと言うことは、きっと生徒たちにとって分かりやすいことなんだろうと思います。 それと、太陽系のミニチュアが手元にあることが大切なようです。横川さんも自作の模型を使いますし、関根さんも太陽系の模型を使うと話していました。図と言葉の説明だけではなかく、そこに、実際に小さな模型があり、それを動かしながら、考えることが大切だと思いました。 方位をどう教えるのか、どのような模型がよいのか、それらを使ってどのような順序でやればいいのか…については、充分議論出来ていません。次回以降に話せると良いなぁと思います。 ビュリダンの書いたものから… ジャン・ビュリダンという人をご存じでしょうか、14世紀に活躍したスコラ哲学者です。 「フランスのある王妃が、パリ大学の若い学生をつぎつぎと誘惑し、歓楽の限りを尽くしては、世間にそのことを知られるのを恐れて、学生をセーヌ河に投げ込み溺死させた。」という風評を聞いた、ビュリダンはそれを確かめるため、たくみに王妃に接近し、その歓心を買い、宮殿に招かれ、快楽三昧の幾夜かを王妃とすごし、セーヌ河に投げ込まれたという、逸話が語り継がれている人物です。 もう一つ、ビュリダンのロバと呼ばれる詭弁。「一頭の飢えたロバから等質等量の二つの乾草を等距離離しておくと、そのロバはどちらの乾草を先に選ぶべきかを迷い、ついには餓死するだろう」というものです。 どちらも、ビュリダンの現存する文章の中にはその記載が見つかっていないそうです。後世につくられた虚構であろうと言われているそうです。 しかし、そんな話しが残っている、ビュリダンという人が書いたものの中の天体に関係があるお話をよむと、これがなかなか面白いのです。 ちょっとご紹介したいと思います。 ただ文章は、青木さんの訳のそのままの引用ではなく、吉埜の理解で直したものです。 月に見られる斑点は月の表面の部分部分の違いなのか、月以外に原因があるのか 月は、単純物体であり、完全な球体であるはずですから、月に模様があるのはおかしい。 それに、もし模様が月についているのものだとすると、月は地球にいつも同じ側を向けていることになる。月は、周転天球の運動につれて回転することになるが、そうすると、月が遠地点にあるときと、近地点にあるときと、上下が逆さまになっているはずだ。しかしそうはならない。だから斑点は月についているのではない。 ところで、月は自分で光っているのだろうか。月が出ているときに地球上も明るくなる。もし、これが太陽の光であるとすればどのような仕組みで太陽の光が地球に届くのか。もし、月が太陽の光で輝いているのだとすれば、他の星も太陽から輝きを受けるのだろうか。そして、だとすれば月の斑点はなぜ現れるのだろうか。 月が太陽の光を受け、それを反射して、地球が明るくなるのは間違いがないだろう。月食の時には、太陽の光が月に届かず、だから地球も照らさない。それに、月が満ちたり欠けたりするとき、月はその太陽光線が達している部分でしか我々を照らさないから。 だが、月が太陽による照明以外に、何らかの輝きをもつかどうかは、わからない。 ある人は、月自体、弱いけど輝いているはずだという。その理由は、三日月の時に、太陽に照らされていない部分も、非常に弱いけれども輝いているし、月食の時も、食の部分には太陽の光は当たっていないのに、弱く輝いて見えるからだ。 だが、別な人は、太陽に照らされていない部分が輝いているかのように見えるのは、次が透明ではなく、その部分が視界を遮っているからであり、月が光っているのではないと言う。 あるいはこういう考えもある。太陽の光が直接当たっている部分は、我々を照らす。直接照らされているのではない部分にも、空気中で屈折させられたずっと弱い光が達しており、その光が我々に見えるのだ…と。月食の時も、月の食の部分は、地球のまわりに存在する発散気と蒸気によって屈曲させられた光線によって照らされている。だから、発散気と蒸気の状態によって、その食の部分は違った色に見えるのだ。 もし、月の表面が完全に滑らかだったら、月の表面は太陽の光を反射するだろう、だから輝いて見えるという説明はうなずける。しかし、鏡などの滑らかな物体は、ある向きに光を反射する。例えば真っ暗な部屋の中に鏡とろうそくがあるとしよう。もし鏡をのぞき込むと、鏡全体が明るく輝くのではなく、小さな部分にろうそくの光が見えるだけである。ローソクか鏡を動かしてみると、光っている部分が動いてしまう。これは、君の目に、輝く物体からはいる一次光線は、物体から鏡に当たる光線と、鏡に反射して目に入る光線とは、鏡の表面に対して等しい角度の部分でしか反射していないからである。もし太陽に光が月にあたり鏡のように反射して我々の目に届くのであれば、月の全表面が同じ明るさには見えず、ごくわずかな部分が明るく見えるだけであろう。 だが壁に光が当たったときは、さきの二つの直線が等角をなす部分だけではなく、すべての部分で照らされて見えるのであって、月についてもこれと同じだろう。しかし、壁はその表面が粗いから、その粗さのためあらゆる方向に送り返されるのであり、もし、壁が鏡のように完全に滑らかであれば、こうはならない。実際、静止した水面に映る太陽や星は、ごくわずかな部分だけしか、太陽や星の光を激しく反射しない。だが水を動かすと、その光は多くの部分に分散される。 ところで、我々は、月が何の粗さもない完全に滑らかなものであると仮定している。というのは、アリストテレスがすべての天体はそうだと信じていたからである。 だから、こう考えている人もいる。月は、太陽のようには輝いていないが、潜在的には輝くということに近い状態にある。色のあるものに光を当てるとその色が見えるのと同じように、太陽の光が当たることで、月は自身が輝き出すのだ…と。 アリストテレスは、一つの星について認められることは、他の星についても認められねばならないという。従って、すべての星は月と同じように太陽から光を得ており、それ自体輝いていないことになる。 だが、もし星がそれ自体輝いていないならば、ちょうど月食のように“太陽とその星の間に地球が入ると食が起こるはずである”と考える人がいるかも知れない。しかし、太陽は地球よりずっと大きく、地球の影は円錐形になる。この円錐形の影は月の天球以遠には達しない。だから、月以外の星が食を起こすことはない。 プトレマイオスは幾何学を使い、金星と水星は、月と同じように太陽より下にあることを見出した。 ということは、もしこれらの惑星がそれ自体輝きを持たないのであれば、月がやっているように、太陽に近づいたり離れたりするにつれて、満ち欠けするはずである。だが、金星は太陽に近いときでも常に丸く見える。昼の正午近く、太陽のすぐそばにある金星も丸く見える。もし、太陽だけに照らされているのであれば、上の部分(地球と反対側の)しか照らされず、だから、金星は見えないはずである。だから、ある人たちは、これを根拠に、金星は太陽よりも上にあるとしたのだ。だが、これは、天文学者が幾何学によって発見したことに反している。それに、たとえ金星が太陽より上にあるとしても、合と衝の時は我々の方を向いている半分全体が照らされているので丸く見えるにしても、中間の位置では半円に見えるはずである。しかし、実際は丸く見える。丸く見えるということは、星自体が輝いているからではないだろうか。 月の斑点は、月自体から立ち上る蒸気の影であるという考えがある。月は自分を養うために蒸気を引きつけるのだという。しかし天体は生成も消滅も変質もせず、従って養いうるものではない。 月は水と湿気に対して大きな支配力を持つので、月はその本性上蒸気を引きつけると考える人もいる。だが、蒸気であればいつも同じ格好をしているというのはおかしい。それに、常に蒸気があったとしても、月の位置が変わるのだから、視差のために同じ部分には見えないはずだ。 別な意見として、地上の物体が月に写っているというものがある。海や山を表す影あるいは像であるというのだ。実際月は鏡のように滑らかで磨き上げられており、従って鏡のように反射することができる。さらに、地上の物体を反射することが、月の本性であるとすれば、地球全体の像が写るはずである、その場合はあのような斑点ではなく、球形かそれに近いもののはずだ。 あの斑点は、月の諸部分の相違に由来すると考えるのが確からしい。斑点の見られる所は粗くあまり輝くことも太陽の光を受け止めることも出来ない。(略) (宇宙のことを知るのは、なかなか、大変だし、面白いと思いませんか??吉埜) 11月29日 月曜日 6時から9時 内容は 研究授業のプラン 横川さんか、大森さん 工作 ぶんぶんゼミ |
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2004年9月号 鈴が入った卓球ボールをご存じでしょうか。転がすときれいな音が出ます。 横川さんが持ってきてくれました。 目の見えない方が、卓球を楽しむためのボールなのです。卓球台の上を転がすのですが、両サイドは玉が落ちないようになっており、ネットはボールが通る分下をあけるそうです。また、ラッケットもラバーは張らず、ボールに当たった時に音が出るようにするそうです。 正式な名前があるのでしょうが、“ゴロ卓球”とでも言えそうです。 中学生は、このような体験をすると、障害を持った方々の立場に立って考えることができます。一緒に楽しむ場があれば、互いにわかりあうことも……。 また、横川さんは、盲人用の白い杖を買ってきていました。折り畳み式で、結構しっかりしていて、思ったよりもずっしりと重いものでした。 これも、生徒たちに体験させるそうです。 第29回参加者 横川崇さん(大森十中) 大森薫さん(大森十中) 桜田栄一さん(小学校OB) 中村和子さん(大田・入新井第4小) 榎本洋一さん(小山台) と吉埜和雄(小山台)の6名でした。 第30回は… 日時 10月25日(月) 6時から9時まで 場所 小山台高校物理室 (どなたでも気軽に参加できるサークルです) 「お話」を読んでもらう 中村さんが研究授業で、本の読み聞かせをされたその報告をお聞きしました。 研究主題は…「自分らしく表現する子をめざして」です。そして 「 低学年分科会では、ことばの力(読む・書く・話す・聞く)が基盤にあってはじめて表現が行えること。『表現する』ためには『表現したい』という意欲が大切であること。『自分らしい表現』のためには体験や経験に裏づけされた自分の中から出てきた感情、言葉が必要であることを確認してきた。感情や言葉を耕すためのさまざまな機会を作りたいと考え設定してきた。 本単元は、読み聞かせの教材である。自分らしく表現するための下地となる『言葉』を耕すことにつながると考える。 読み聞かせにおいて、子どもたちは絵本の文章を耳を通して理解し、味わっている。耳を通して絵本を楽しむ経験を積み重ねることで、読書に対する肯定的で能動的な態度を身につけ、本の世界の中から自分らしい表現をするための言葉を蓄積していくことにつなげたい。」 と書いてありました。 そうか。…なかなか苦労をしてこの文章を書いておられるなぁ……というのが、私の感想です。 「『表現する』ためには『表現したい』という意欲が大切であること。」という文章があります。これは、きっと、研究授業のおつきあいで、仕方なく入れた文章ではないでしょうか。 なぜ、おつきあいで入れた…と思うのか。 だって、「書きたい」という意欲があったって、書けないからです。 例えば、今、浪人している卒業生が、大学の推薦を受けるために提出する書類の文章を持ってきます。最初に持ってくる文は、文字は書いてあるけど、中味がない。中学生が書く自己PR文もそうですが、色々書いてあるのですが、その背後に、人の姿が見えない。その人が、読み手にたいして「何かを書いている」という感じがしない。人生の一大事ですから、書きたいという意欲はあるのです。でも、それらしい文字が並んでいるように感じてしまうのです…。 もっとも、それは「書かされている」のであって「意欲がないんだ…」といわれればその通りです。 問題は、その「意欲」は、どうしたら出るか…です。 つづく文章にその答がありました。 「体験や経験に裏づけされた自分の中から出てきた感情、言葉が必要であることを確認してきた。」 体験や経験…つまり、事実に裏づけられた、感情、言葉が必要なのです。私は、体験や経験に、事実と法則性という言葉を付け加えたいと思いますが…。 中村さんは、山田さんと、この大事なことを、いつも確認しながらやってきていたのです。さすがだなぁ!!と思います。 私は、卒業生の書いた文を見せてもらいながら、彼女が書いた文が、どのような経験に基づいているのか、一体どんなことがあったのか、何をやってきたのか、根ほり葉ほり聞きます。始めは、「エー覚えていない…」と言っていても、昔の色々な場面を思い出します。「おばあちゃんにが、散歩しながら、花の名前を教えてくれたこと」とか、友達の口からでた励ましの言葉、それで元気づいたこととか…。そういうことを思い出す。すると、その時の気持ちも思い出すのです。その時の気持ちを思い出すと、話す表情もその時のものに近くなっている時すらあります。 そして、そんな話しをしていると、中に、「それそれ!!それ書いたら」という話しが、いくつも出てきます。 そうして書き直したものは、何というか、文章を読むと、その中から、その子が飛び出だしてくるような文章に、近づいていくように思います。 「体験や事実に裏づけされた…」。これは、本当に大事なことだと思います。 「相手に伝えたい!!」と思うような、事実に子どもたちを向き合わせること、経験をさせること、それが、書く意欲を抱くためには大事なんですね。 「子どもたちは絵本の文章を耳を通して理解し、味わっている。」 「耳を通して文章を味わう」これは、耳から伝わってきた言葉が、恐怖や喜び、はらはらドキドキ、という感情にダイレクトに作用するということなのだと思います。 文字で書かれたものを読むよりも、耳から入った時の方が、この作用はずっと大きいように思います。 高校生でも、みんなで何かをする時に、ムードで物事が決まり動く場面が良くあります。このムードを生み出すのは、「ちょっとした言葉」です。ムードを作るのが文字で書かれたものであることは、本当に少ないのです。勿論、ムードは、次の瞬間、次の日になれば、変わってしまうことになるので、大事なことは、ムードで決まってしまっては困るわけです。実は、高校生ばかりではなく、私たちだって、そうです。 もう少し付け加えると、「ちょっとした言葉」に同調する、別な人の「ちょっとした言葉」があると、その場のムードが決まります。一旦ムードが決まると、その場で、そのムードを壊すには勇気がいります。 テレビの、宣伝だってそうですよね。新聞に載っている一面広告をみて「買いたい」と思うことは無くとも、街頭販売のおじさんが珍しい物を売っていて、誰かの「あれ便利よ」という声や、誰かが買っていく様子を見ると、つい心が動くコトって無いですか? 特に、年齢の小さい子にとって、耳から入る言葉の影響は、その子の心に確かな「なにか」を残すことがあるように感じます。 …だから、怖いし、大事だし、「何を読んで聞かせるか???」は、とっても大事なことなのだと思います。 どうすれば、読書に対する肯定的で能動的な態度は身につくか 中村さんは、「読む時に、感情を込めてはいけない」とおっしゃっていました(そう言われたとおっしゃっていたのかも…)。子どもたちが、感情を自由にふくらませるのに、それがじゃまになるという話しだったと思います。 「本を、読んで、子どもたちがどう思うか??」ということを、教師が誘導することがあってはいけないという話しもたしかありました。だけど、それに対しては、子どもに読み聞かせるためにふさわしい本を教師は選ぶのだから、本を選ぶ段階で子どもたちに伝えたい「何か」があるはずだ、子どもたちがどう思うかは自由であっても、教師の気持ちが出ても、それは良いことのではないか、という意見が出ていたように思います。 その話しの時には、どっちが良いのか、良く分かりませんでした。 確かに、中村さんは、淡々と読み進めましたが、それを聞いている私の中には、色々な思いが浮かびました。だから、その場のムード的には、淡々で良いのかなぁ…。という気もしたのです。 でも、です。数日後…、いや違うと思う事実とぶつかったのです。 では、ちょと、質問です。 「日本に、全盲の弁護士はいるでしょうか」 私は、つい最近までいないと思っていました。 しかし、いるのです。それも、二人も。 一人目が、竹下義樹さんというかた。その人のことについて書かれた文をたまたま読んだのです。裁判の場では、相手のウソを見抜き、それがウソであることを、事実としてあばいていくのだそうです。目の見える弁護士さんであれば、表情やおどおどする仕草からウソかどうかを見分けるそうです。例えば、本当のことを話している時は、眼球はそれほど動かないが、ウソを話している時は、伏し目がちになったり、眼球の指す方向に動きが出たり…、それを見抜く。きっと、オウム真理教の教祖などは、うそをついていても堂々としているのでしょうね。…おっと話しがそれてはいけません。 竹下さんは、どうやってそれを見抜くか。声なんです。声が違うそうです。 つまり、感情を押し殺そうとしても、出るんです。人間は。 まして、先生は、自分が読んでいて、面白かったり、ドキドキした本を選んでいるわけですから、押し殺すなんていうのは無理です。子どもたちは、先生の声から、ちゃんと聞き取っているに違いありません。 まず、本を書いた人は、伝えたいメッセージがある。それを読んで感動した教師がいる。そしてそれを読み聞かせるのですから……ね。 もう一つ想像してください。放送劇を。もし、役者さんが棒読みだったら面白くないですよね。話しが面白ければ、棒読みでも少しは面白いかもしれないけど…。役者さんという職業は、台本を読んで、その言葉をどう言えばいいか一生懸命考えて言葉を発するわけですよね、そこに、役者としての専門性がある。 そう考えたら、感情を込めて、その場の臨場感を醸し出しながら読んだ方が、いいと…そう思えるようになったのです。 つまり、「感情を出さないように」なんて気をつかわず、先生が、思ったように読むことが、一番ではないかということです。 余談ですが、竹下さんという弁護士さんは、弱い人の見方。すごい人物のようですよ。 まず、読み聞かせをして、子どもたちが「先生!!またご本読んで」と、言ってくれたら嬉しいですよね。 さらに進んで、子どもたちが、本を自分で読みたいと思うには……。何が必要なのでしょうか。 「『言葉』を耕す」良い言葉ですね。 私は授業の中で、言葉を耕そうとしているっだろうか…。と思ってみました。 まず“言葉を知る”という段階がありますよね。 新しい言葉との、出会いです。 出会いが本の中であるのは、小さい子どもにとっては、あまり良いことであるとは思えません。 「新しい言葉を“知る”」ということは、「その言葉の意味を“わかる”」ことは意味しません。なんとなく、こういうことなんだろうなぁ…、という漠然とした言葉のイメージ、つまりこれまでの経験や知識とつながる物がある場合もありますが、ほとんどない場合があります。子どもたちの場合は、ない可能性が高いでしょう。すると、もし本の中に新しい言葉がたくさんあると、お話の中身がつかめず、お話から伝わることも受け取れず、あくびが出る…、のでは…。 たとえ、絵本であったも!! 小さい頃には、言葉との出会いは、始めに書かれていたように、事実、経験とくっついていたほうが望ましい…と思います。 出会った言葉を、どう耕すのか。 そのひとつは、その言葉が使われている文章を読むと言うことなのでしょう。読み聞かせ…で、ということであれば。子どもたちは、お話を聞きながら、自分をお話の中に出てくる主人公に置き換え、絵本の作者によって作られた仮想の場面を、まるで事実であるかのようにとらえ、追体験していく。その中で、その場面を表現する、あるいは主人公の気持ちを表現する、その言葉の意味を、深めふくらませていくことでしょうか??? ところで、言葉を、借り物でない自分の言葉として使えるようになることは、具体的に何が出来るようになると言うことなのでしょうか。 理科の中の場合で考えてみると… まず、その言葉の意味を別な言葉で言い表すことが出来る。そして、その言葉を使った、具体的な文を、いくつも示せる。となるでしょうか????? 「うごいちゃだめ!!」(エリカ・シルヴァマン著) 実際に読んでもらいました。私は、この本を初めて読みました。 アヒルと、ガチョウが、“うごいた方が負け”という、競争をします。カラスやウサギにちょっかい出されても、うごきません。キツネに捕まり、ガチョウが鍋に入れられようとする時に、アヒルが止めるために動くのです。 で…、どっちがチャンピオンですか…と、子どもたちに聞くのです。 地球は動いているか 東京天文台の懸さんが、小学生が、地球が自転公転をしていることを知らないと言う調査結果を発表されましたが。 以前、小山台理科サークルでも、中学校の先生が、「今までこんなこと無かったのに、中学生が、自転や、公転を知らないのよ!!」と話しておられました。 つまり、小学校卒業時に、地球が自転していることや公転していることを知らない…、これは、普遍的に起きていることなのです。 あらためて職場の生物の先生と、小学校の教科書を眺めました。 単純に3年生から5年生までのページ数の合計を出してみると、現在のもの、370ページ、旧課程で使われていたもの、456ページでした。 天文分野を引き出してみると…現在の教科書は、 3年生(70ページ) 太陽の光と働きを調べよう (1)太陽の動きと影の動き (2)日なた・日かげと光のはたらき (1)では、太陽の動きを調べます。太陽位置と方角の関係を調べます (2)では、温度の違いを調べます。光集めと反射、虫眼鏡を使った光集め、太陽光発電、雲の影が出ています。 4年生(上下合わせて90ページ) 月や星 (1)星の明るさや色 (2)星の動き (1)
では、星座が出ていて、星の明るさや色が違うことが出ています。 (2)
では、半月の動き、満月の動き、星の動き。星座早見版の使用。資料として宇宙を調べるというのが載っています。 5年生(110ページ)、6年生(100ページ)には、天体を扱う部分は見つかりません。 現在の前の教科書は 3年生(100ページ) 日なたと日かげ 光をあててみよう 現在のものとほぼ同じですが、虫眼鏡がありません。 4年生(合わせて112ページ) 天体を扱うものはありません 5年生(合わせて122ページ) 太陽と月 昼間の月も出ています。太陽や月の形と表面の様子。ボールを使って三日月に見える理由…中心に地球は書いてありませんが。 6年生(合わせて122ページ) 星の動き (1)夏の空の星 (2)冬の空の星 (1)
では、夏の星座、星座早見版、星の動き (2)
では、冬の星座、星の並び方、南の空の星の動き、北の空の星の動き、空全体の星の動きが出ています。 小学校では、自転や、公転は、少なくとも今もその前も出ていないのです。しかし中学の先生のお話では、前指導要領の時には、みな知っていたそうです。 直接扱うようにはなってないのに、必ずやられていたのはなぜか?? 太陽の黒点や、月の表面の凹凸を扱っているので、天体を地球と同じようなの、物体として認識できる場面がある。月の満ち欠けの原因を扱っているので、教科書には出ていなくとも、太陽、地球、月の位置関係を扱う。それを、ある程度ちゃんとやろうと思えば、地球の自転と公転を扱わざるを得ない。季節ごとに、見える星座が違うことは、太陽のまわりの公転を使って説明されていた可能性がある。 全体を完全に理解するのは、なかなか難しくとも、自転公転が、見かけの動きの原因であることが知識として定着した。 さらに、その学習が、5年生、6年生であったため、中学生になっても良く覚えていた。 科教協、創立50周年記念セレモニー 11月13日 真船和夫氏の講演他 参加費 祝う会も含めて、7000円 10月25日 月曜日 6時から9時 内容は 研究授業のプラン 横川さんか、大森さん 工作 ぶんぶんゼミ
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