| 2004年 8月31日(火) | 感謝 |
| ここのところ、気温が下がってきて、昼間でも16度です。太陽は秋の空のように眩しいのですが、半地下の家にいると寒くて、膝掛けが手放せません。 そんな中で、今日は、1:1聖書勉強をすることが出来ました。こうして、御言葉を伝える御業を、たとえ仮住まいの地であっても許して下さる神様に感謝です。聖書勉強をすることによって恵まれるのは、牧者でもあるからです。教えるために、ますます深く学ぶようになります。違う方に話す時に、ますます深くなります。こうして再開できたこと、感謝します。 |
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| 2004年 8月30日(月) | お知らせ |
| ココログにGrace馨子の徒然紀行を新設しました。ドイツ旅行記をどういう形で出そうかと試行錯誤していたのですが、やはりブログの形で出すことにしました。ドイツ旅行記を中心に、私が「旅」と認定した行動の記録をぼちぼちと上げて行きたいと思っていますので、長い目でみてやってください。更新は趣旨柄、そんなに頻繁ではないと思いますが、更新したら、本サイトのトップページと更新記録ページで順次告知して参ります。 8月14日の記事に「英国イエス之御霊教会」の看板の写真を掲げました。私の記憶違いで、(Spirit of Jesus Church in UK)と括弧書きも付けてありました。やはり、人間覚え違えということは起こりますから、記録をとっておくことは大事です。 #ノートを破らせたりしないでね > イエス之御霊教会さん! Grace馨子の徒然紀行に「家から教会まで」という記事をアップしました。我が家からHTBまでの道を写真つきでブログに書いたものです。よろしかったら、ご覧下さい。 |
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| 2004年 8月29日(日) | 今日の礼拝 |
| 今日は前夜寝るのが遅かったので、朝の礼拝のどれにも出られませんでした。そこで結局、HTBの午後7時の礼拝に出ました。しかし、正直言って、賛美の間に疲れてしまい、腰を下ろしたら眠くなって、お説教はかなり聞き逃してしまいました。 先週は論文書きで殆どおこもりしていましたから、1:1聖書勉強も、する方も学ぶ方も両方とも全てお休みさせて頂いてしまいました。やはりそれは私の霊的状態にも見事に響いたようです。やって出来ないことはなかったはずなのに、そうしなかったことを、振り返ってみて残念に思っています。 何か、今日礼拝に来ても満たされなかったのは、先週私の霊が眠っていたからに他なりません。 そのことをここに正直に告白すると共に、今週は霊的エクササイズをさぼらないようにしたいと思います。どうかこの決断が実現するように、神様、あなたが助けて下さい。 |
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| 2004年 8月28日(土) | ロンドンミニ散歩 |
| お蔭様で今日、学会発表の草稿の初稿が上がりました。しかし、これからネイティブチェックをかけたり手直しをしたりして、早急に送らねばならないので、気は抜けません。でも、皆様のお祈りに支えられて、何とか形までは出来たこと、感謝いたします。内容はともかく、形になったということ自体、現状では主の助けがあったからだとしか、考えられません。 そこで、夕方一週間ぶりに地下鉄に乗って町に出ました。何のためにという目的なしに、ふらりと地下鉄のホームに降りて、来た電車に乗ったら、Tower Hill 止まりの District line でした。そこで終点で降りて、ロンドン塔の周りとテムズ川付近を散歩しました。ふらふら歩いていたら、船のドックに迷い込んで、そこにある観光客向けの田舎屋風パブを眺めたりして、気ままに歩みながら、徐々に北に向かいました。 自分では Liverpool street に向かうつもりでしたが、気づいたら Aldgate East の駅前に出ていました。だからそこで地下鉄に乗りました。途中で駅の写真を撮るために下車したりしながら、Hammersmith line の Paddington に行きました。この線の駅は他の地下鉄の Paddington 駅とちょっと離れており、国鉄の大ターミナルと平行しているのです。そこで、Paddington 駅構内を歩いて、停車場旅情をしばし味わいました。 それから、また Circle line に乗って、Sloane Square の我が家へと戻った次第です。ほぼ、Circle line 沿いに東回りで一周した旅になりました。Tower Hill 付近はよく通っていたのですが、ちょっと一歩違う通りに入り込んで、カメラを手に歩いていると、自分が観光客になった気分がします。東京で、自分がもしカメラを手にして知らない通りを歩いていたら、旅情を感じるだろうか、と考えたら、そう感じるかどうかわからなくて、気になりました。こんなに住み慣れていても、やはりまだロンドンは私にとって、異国なのかもしれません。何れこのショートトリップについては、別のところで書ければと思っています。 |
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| 2004年 8月26日(木) | コメントスパム再来襲 |
| この数日、学会発表のレジュメに取り組んでいますが、思うように進みません。書かなければならないのは二十数分の発表原稿ですから、実際には何てことない字数なのです。勢いづいている時なら数時間で書き飛ばせるような字数なのに、うまく行かない。一段落書いては半日休み、また一段落書いては一日が終わり、という状況です。そんな時に限って、ネット上で書きたい話題が飛び込んでくるので昨日はその話題に時間を使ってしまいました。 (拙稿「個人名スパムメールに抗する一手段」及び「同(補遺)」参照) こういう話題について書くなら胃も痛まないのですから、困ったものです。 そして、今日こそは取り掛かろうと思ったら、午後にまた、コメントスパムの再々来襲にあってしまいました。さすがに、ここに記すだけでは気がおさまらず、読み手の多いココログの方で、曝しの記事にしてしまいました。(英国徒然雑記の拙稿「コメントスパム再来襲」を参照。)今、ネット社会でコメントスパムは最近の大きな社会問題になっており、徒然日記のような私的な場で記すだけにはしておけなかったからです。 言ってみれば、コメントもトラックバックも受け付けておらず、公共ウェブ空間といえども読者層が限られている、このように私的な場で、何を遠吠えしていても始まらないのです。それは、自分が被害を被らない安全地帯で叫んでいるだけで、卑怯というものではないかと思うのです。そういう訳で、一連の流れが、場を変えてどのような形で提示されたか、ご興味のある方は、上記のリンクをクリックしてご覧になってみてください。 |
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| 2004年 8月24日(火) | コメントスパム |
| ここのところ、晴れ間と夕立が一時間毎にやってくるような天気が続いています。そんな天気に加えて、現在は学会発表のレジュメと格闘中であり、余り外に出ることもなく、知り合いとの交流もなかったので、暫く書くべきことが出るまで拙日記はお休みしようと思っていました。しかし、16日の日記で書いたことが、自分だけの出来事ではないことを知り、ちょっと書きたくなったので、のこのこ出て参りました。 過日の出来事は実は、19日の木曜日にも再度あったのですが、自分は自動生成プログラムでも使っているのだろうと思って、再度穏やかで間接的なメアド曝しの刑に処しただけでした。しかし、8月20日にはニフティから、お知らせが出るほどの被害を出していたようです。 Niftyが出したコメントスパム対策についてのお知らせ しかし取ったとされる対策の効果もなかったそうです。更なる被害を受けた方のブログを発見しました。この方、でじたる78氏はしっかりIPアドレスと名前とメールアドレスとをココログで列挙して曝していらっしゃいますが、私にはそこまでの根性はありません。でも、このデータを見る限り、私が被害を受けたものと同じです。(興味のある方はGrace馨子の英国徒然雑記の幾つかの記事をご覧になってみてください。私によって間接的メアド曝しをされた英文コメントが二十数点見つかるはずです。) でじたる78氏の8月25日の記事 でじたる78氏の被害状況から判断なさっている結論は、自動生成プログラムではなく、人間が書き込んでいるということです。しかも、私の場合は英語のサイト名と英語のコメントだったのですが、時には日本語として意味をなしているカタカナ(「オンラインカジノ」)も使われているので、日本語環境にあるOSを使える人、場合によったら日本人であろうとのこと。 でじたる78氏の8月18日の記事 免疫ではありませんが、一部を保存しておけば、もう来ないのか、それとも人間がやっているのだったら、今週末にでも再度来襲するのかわかりませんが、引き続き様子を見たいと思います。 |
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| 2004年 8月22日(日) | HTBの主日礼拝にて |
| 今朝はHTBで午前8時の主日礼拝を守ることができました。誕生日に聖餐式を受けることが出来るなんて、生まれて初めてで、とても嬉しいです。 今日のお説教は若い方がなさっていて、まだちょっと固いところは見られたものの、とても今の私に相応しいお説教でした。今朝の箇所は、ルカ18章9-14節の「ファリサイ派の人と徴税人のたとえ」でした。そこで神様から受けた二つのポイントは、
でした。当たり前のことと言えば当たり前なのですが、この当たり前がいかに難しいか、ということなのです。私たちは時に事態が何であるか「判断」しなければなりません。しかし、その「判断」が「呟き」や「裁き」になってしまうことは、容易に起こるのです。昨日自分の足りなさを体験したばかりでしたので、本当にこれは神様に諭された気がしています。 しかし、それと同時に主は憐れみ深い方である、ということもその通りだと思いました。昨日ある方のために祈り続けたとき、神様は突然にその方の内面を示して下さり、私がいかにその方を誤解し、人間の視点から裁いていたか、悟らせてくださいました。そして、その悔い改めの心情と共にメールを書いたとき、神様は事態の悪化を止めてくださいました。 しかも、今日、私が牧者として、羊のケアをするに如何に足りない人間であるか、ということに打ちひしがれながら、全然別の目的で教会の売店に入ったとき、ある本を私の目に入れてくださいました。「What could I say?」というタイトルの本で、様々な問題に巻き込まれている人に直面したとき、私たちに出来ることは何か? ということを、聖書的観点から書いている本のようです。どうか私がそれを通して学ぶことができるように力を与えてください。私が自分の仕事を疎かにせず、かつそれを学ぶことが出来るようにタイムマネジメントする知恵を与えてください。 午後友人たちがイタリア料理屋で誕生日の宴をはってくださいました。実は今日は、ロンドンで母教会の名誉牧師になっておられる大宮先生が説教なさると昨晩遅くに副牧師先生から連絡があって、まさに時間帯が重なってしまい、どうしようかと思っていたのですが、レストランの場所が偶然教会から徒歩二分であったこともあって、宴の後でお会いすることが出来ました。 これも嬉しい誕生日プレゼントの一つでした。その他にも友人たちから心のこもった誕生日プレゼントを頂き、感謝でした。その後、宴に出て下さった友人たちとHTBの夕拝に出ました。お腹が一杯だったのと、朝早く起きて睡眠不足だったのと、暑かったのとで、今回はちょっと眠ってしまいましたが。 思いがけずよい誕生日を迎えることが出来たことを感謝します。 |
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| 2004年 8月21日(土) | 執成しの祈りの難しさと大切さ |
| 今日はあることを通して、祈りの大切さを学びました。詳しくは書くことが出来ませんが、諸々の膠着事態が進展したわけではありません。しかし、他者を深く理解して、本当にその他者の立場に立って執成しの祈りを捧げることが何と難しいか、ということを学びました。つまり、どうしても人間は、その人が発した言葉や態度といった人の表面を見がちで、その人の本当の内面の思いや霊的状態にまでは考えが及びません。ただ、自分が見たものを自分の過去の体験から推測して事態を勝手に判断してしまうのです。その時に神様の視点まで深く黙想して考えることがなかなか出来ません。そういう点で、私は何と欠陥だらけの執成し手であることでしょう。自分はもっともっと、執成しの祈りについて深く学び直す必要があると感じさせられました。 |
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| 2004年 8月19日(木) | 三つの気づき |
| 昼間に国際電話で友人と久しぶりに話しました。その中で、現在の私にとって重要なポイントと気づかされたことがあります。それは、私は東大西洋史で受けたものを忘れて赦さねばならない、ということです。 博士論文に関して内面の囁きが言ってくることは、「お前の論文にはオリジナリティがあるのか」、「学問としてそれは論証になっているのか、ただの叙述ではないのか」、「英国の博士論文は日本の修士論文レベルだ」などです。(最後のものは、ある人物の言葉であって、「英国の一部の大学の博士論文は日本の東大の修士論文のレベルしかない」という意味らしいのですが、そしてそれに賛意を示す人は私の周りでは多いので、その人物の特異な見解というわけではないらしいのですが、それでも、あるいは、だからこそ、その英国の博士論文すら書けないでいる私にとっては、自分を苛む嘲りの言葉として自分に突き刺さってくるのです。) これは私が東大西洋史で受けた学問的なトラウマです。西洋史の中で、一人の人間として恨みを抱いている、あるいは赦せない人は今は一人もいません。だから、赦しの問題は個々の人間レベルでは解決されていると思っていました。しかし、誰がものしたのでもないが、蔓延している「言説」に関して、私は未だに忘れられず、亡霊に苦しめられているのです。それは私が「言説」を「赦して」いないことに他なりません。 うーん、でも困った。人間を赦すことについては学んできたし、集団と化した人間たちに対しても、赦すことは学んできたと思います。しかし、個々人から離れて浮遊している言説に対しては、どうやって赦したらよいのでしょう。言説は言葉であって、霊の領域に近いだけに、どうやって処理したらいいのか、わかりません。悪霊として処理すべきなのか、赦す対象なのか・・・。 ・・・と、考察していたら、個々の人間から離れて浮遊している言説に関しては、「悪霊処理」と同様にして処理した方がよいような気がしてきました。素人なので確信はないのですが、この方面の専門家の方がいらしたら、これでよいのか教えて頂けると嬉しいです。 午後、宣教師と1:1聖書勉強をしました。その交わりの中で、私の傷について気づいたことがあります。私は自分に近い人の dominant な言葉に過剰反応するのです。 友人や兄弟姉妹であると自分が認識している人から、命令的な言葉を受けても、その人を信頼している限り、愛の言葉として受け取ることができます。(時には難しいこともありますが、でもそう受け取ろうと努めます。) 上司や先輩など役割が決まっていて、その人の人格とは切り離された役割を演じているケースも、今相手がこの役柄を演じているからこそ、このような言葉を発するのだと考えて受容できるのです。 しかし、もっと近い家族から命令的な言葉を言われると、パニック反応を示し、過度な反発をしてしまうのです。あるいは、尊敬している師匠からの提言は、それが提案程度であるにも関わらず、重大な命令と受け取って、自分に無理をしてもとことんまで従おうとしてしまい、その結果、パニックを起こしてしまうのです。 これが私の生活を難しくさせている原因だったのかもしれません。家族であるからこそ、気を遣わずに相手にお願い口調などせず命令口調になるのに、それに対して過敏反応し、過剰に反発するから、家族生活がうまくゆかなくなる。師匠であるからこそ、苦言を呈しかつ良案を提示して下さるのに、それに対して過度に盲従しようとするから、学究生活がうまくゆかなくなる。要するに相手が私にとるように期待している距離よりも、ずっと近い距離を自分がとってしまい、その結果、反発か盲従か、といった表裏一体の態度に出てしまうのです。きっとこの部分が解決されれば、家族や学問と適切な距離が取れるようになるでしょう。 それに、家族や師匠との精神的距離が適切でなく近すぎる、というのは、もしかしたら、神様との距離よりも、彼らとの距離が近い、つまり、神様よりも前に彼らをおいている可能性があります。そうだとしたら、それは不信仰です。アブラハムが、神から賜った愛しい独り子イサクを捧げるように要求されたのと同じように、家族や学問の師匠も主に捧げる必要があるのかもしれません。そんなことに今日は思い至りました。 夜、久しぶりに友人と会って、大英博物館近くのギリシャ料理店でご飯を一緒に食べました。その時に対話の中で気づかされたのは、私が副指導教官との間に問題を抱えているのではないか、ということでした。私の研究を理解しない副指導教官であっても、正指導教官との関係性がしっかりしていれば問題はない、と私は思っていました。しかし、正指導教官でも指導しきれないところがある時に、サポートに入るのが副指導教官、という状況が理想です。そういう点から見れば、私は副指導教官からサポートを全く受けられない、理想とは遠い状態にあるわけです。 そして、自分自身が今一番書きたいと思いながら、踏み込めずに右往左往して時間ばかり食っている分野は、正指導教官の守備範囲ではない「古代思想史」の分野なのです。尤も「思想史」と言っても、偉大な思想家たち個人の思想に興味があるわけではなく、当代の思想全体を形作っていったその様相に興味があるのであって、個々人に対しての関心は二の次である点で、典型的な思想史研究ともずれてくるのですが。そういう意味では、人間個々人ではなく事象を対象とする歴史学の中で出来ない研究ではない。ただ、その分野を適切に指導して下さる方に会っていないのかもしれない。 どうか、古代思想史の方面から、よい副指導教官が得られますように、また公的な副指導教官でなくても、その辺を指導して下さる方が、与えられますように。 |
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| 2004年 8月18日(水) | 目的としての知とは |
| 学会発表の準備のプランが少し具体化してきました。そこで英文レジュメに今日こそは書き起こそう、と思いつつコンピューターの前に座ったのですが、今日もまた、色々な雑事や書類処理・電話連絡に追われて、果たせませんでした。 ただ、今日いくつか読んだ読み物の中で、本題とは関係ないものの、今の私の心境に重なるものがあったので、引用してみます。 江島健太郎
「コンピュータ・サイエンス興亡の雅致」 入学のための勉強、卒業のための進級、就職のための卒業と「手段−目的」の連鎖を追い掛けていっても目的は無限に後退し、なんとなく華やかな生活だとか、なんとなく安定な人生だとか、そのあたりでぼんやりと思考停止する。こういうエネルギーレベルの低い状態が、一番やっかいだ。 私自身が抱いている人生の最優先の目的は「主の栄光をあらわす」ことであって、「何となく安定な人生レベル」ではないので、江島氏が描き出す状況と同じ状態にあるというわけではありません。しかし、私の人生の二番目の目的すらも学問であるかどうかわからなくなっている、あるいは学問ではなくなっている、という現状、つまり、学問に対して「エネルギーレベルの低い状態にある」という事態にはかわりがありません。 「では、どういう状態を理想とするか」と著者は問いかけます。 敢えて独断と偏見をものすならば、何かを心の底から面白いと感じ、ノリと熱中が持続しているときのモードがイチバンだ。自分の限界を超えたと感じる神がかりな瞬間は、いつも何かに夢中になっているハイなときにやってくる。人はこういう瞬間を求め、ときには新興宗教にさえ耽溺する。信じるものがあるから、批判にはめっぽう強く戦いを恐れず、しかし一方でものすごい勢いで間違った山に登ることもある。このようなリスクを承知の上で、やはりコンピュータ・サイエンスはそれ自体を目的として信じるに値する、面白いものだと言いたい。 著者は、コンピューター科学が、それ自体を目的とするに足るほど面白いものであるということを主張したいわけです。そして、その結論に対しては、コンピューター科学に関して素人の私は、その分野に敬意と興味とを抱いている一部外者として、素直に彼の結論に賛同します。 ただ、私自身の学問分野に関しては、(人生の究極の目的は神様の栄光を表すことであるという大前提は当然のこととしておいておき)、二番目の「目的として信じるに値する」とどうしたら言えるだろうか、というのが悩みなのです。 もしきみがオペレーティングシステムやプログラミング言語やデータベース・システムをゼロから作れるスーパープログラマーだとしても、今という時代ならぼくは10年前ほど驚かない。これらにはすでにたくさんの前例があり、霊感がなくとも技術と根気さえあれば登れる山だからだ。その技術(スキル)を持ってはいるけれどもその意志(ウィル)を持っていないという人を、ぼくは相当数、知っている。この場合、この登山がいかに苦しいものであるかを知ってしまっていることが、つまり豊富な知識と経験こそがかえって登山の邪魔をしている。この気が遠くなりそうなはずの登山をいかにも簡単だと勘違いし、遂げてやろうという狂った動機があるかないかは、技術力の有無を超越したところの決定要素だ。「無知は一種の才能だ」とか「若いときにしかできない仕事がある」とかいうとき、だいたいこのようなことを意味している。 この「豊富な知識と経験こそがかえって登山の邪魔をしている」という部分が私の心を捉えました。江島氏自身も「この年寄りスランプ」に直面していると、続く文章の中で告白しておられます。私にとっても、これが、今の私の学問に対する態度の中で大きな障害になっている気がするのです。 どの山に登るべしと見極めて、山頂を目指して登ってきた。しかし、山頂は時折見えることもあるが、大概は雲に隠れて見えない、そのうちに、たとえ山頂が見えなくとも、山頂を目指して登り続けたいという熱い思いが失われてくる。ではさっさと下山して、登るべき別の山を見つけられるか、というとそうでもない。別の登りたい山はないわけではないのだが、この登山で蓄えた経験と知識とが、新しい一からの登山が容易でないことを教えてくるので、踏み出す勇気がもてない。ここで悪天候でも襲ってくればとにかく動かざるを得なくなるのだが、そういうこともないために、足を動かすこともできない、現在の自分は譬えてみればそんな状態と言えるかもしれません。 「目的としての知」を希求する欲望とは、自らのパラダイムさえ破壊し続けなければならないという、小っ恥ずかしい言い方をすれば本能的な使命感を伴うものなのだ。 という結論に江島氏は達しておられます。 今、私の中で、今までの学問と知性のあり方への懐疑が膨らんでおり、それゆえに、足が進まなくなっている、ということは、自分の中で既存のパラダイムを破壊する時期にきているのかもしれません。 しかし、それなのに現実世界では、その過去のパラダイムに沿った博士論文を産出することが求められている。かと言って、かつて西洋史学科で西洋史学受けする卒論を確信犯で書いて出し捨てて、宗教学科に移っていったような、大胆な思い切りのよさも、もう今は持てない。というのは、博士論文を一旦提出した場合には、学部生の卒論と違って、それにかなり縛られる、ということを体験的に悟っているからです。 勿論縛られないで、新たなパラダイムの著作を立て続けに発表し、旧パラダイムの下で書いた博士論文がその人にあったことなど忘れさせてしまうような知の巨人もいます。しかし、そのような巨人はごく稀な存在であるのも、これまた体験知として知ってしまっている以上、自分がそうなってやろうなんて無謀な夢も、今の私には抱くことすらできません。 ただ、とにかく今日一つ得たのは、自分がよって立っている学問のパラダイムは、自分が齟齬を感じている以上、自分にとって「(新たなものを)建て、植える」ために「抜き、壊し、滅ぼし、破壊される」べきものであるかもしれない(エレミヤ記1章10節後半参照)、と思い至ることができたことです。これが、出発地点になってくれるのかもしれません。 追記: 江島氏の議論の中には、「知る人ぞ知る」というこだわりに対する議論がものされています。西洋古代史のように、下手するとマニアの優越感に陥りかねない分野に足を突っ込んでいる私にとっては、非常に興味深いものがありましたが、今日ここで論じる余裕がありませんでした。そちらの方に興味がある方は、是非、江島氏の文章を読んでみてください。 | |
| 2004年 8月17日(火) | 久しぶりの図書館 |
| 今日は久しぶりで図書館に行きました。秋の学会発表の準備のために、いよいよどうしても借りなければならない本が出てきたので、都心に出たついでに行ったのです。目的はすぐに達することが出来ました。 しかし、体調の方は相変わらずです。学会発表の準備のために読まねばならない文献を読もうとすると、胃痛を起こしてしまうのです。恐らく、内容を理解しようとしながら読むからだと思われます。だから、どこに何が出ているかだけ確かめて、内容自体を読んで考えないような読み方をすると、何とかなります。 でも、それって読書ではないではないか、と個人的には思うのですが。コンピューターのスキャン作業と変わりがないと。 今までは、私は正面から直球ど真ん中で勝負するのが好きでした。壁にぶつかっても、力で壁をぶち壊して進んできたような気がします。しかし、今、こうして弱くなりました。私はここで、人間の力で出来ない部分を神様の力によって乗り越えることを学ばされているのかもしれません。また、人間の力で壁をぶち壊さずに、神様の知恵で壁を迂回し、あるいは乗り越えることを学ぶ必要があるのかもしれません。 今のようにまともに読書できない状態で、まともな英文発表レジュメが書けるなんて、私の学者としての常識感覚から考えれば、奇蹟に近いとしか言いようがありません。レジュメの締め切りは8月末日ですが、英文の直しの期間が必要なので、今週一杯が勝負です。どうか御心なら、読書なしのスキャン作業だけで、よい英文レジュメが書けますように。もしもそれが成るなら、それは私のしたことではないと、現時点で断言できますもの。 |
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| 2004年 8月16日(月) | ブログでのハプニング |
| 土曜日に、昨年8月の拙日記で予想していたようなことが起こりました。エロサイトではありませんでしたが、オンラインカジノのサイトの運営者と思しき人物から大量のコメントをココログのGrace馨子の英国徒然雑記に受けたのです。そして、十個のコメント全てにHTMLタグでそのサイトへのリンクが埋め込まれていたのです。 ココログでは、HTMLタグを表示しないように設定していたので、画面への掲載は免れましたが、検索ロボットは引っかかってしまいます。そこで、急遽リンクを全て手作業で外しました。コメント全てを削除してもよかったのですが、消したくなくなるような英文ヨイショだったので、リンクは削ってしまい、悪くない部分だけ残したのです。あと、ついでに名前の方のURLも削ってメアド曝しをしてしまいましたが。 しかし、よく読まれている記事を狙ってつけてくるとは、日本語が読めない相手であるにせよ、よくやっていると思いました。彼らが接続してきたIPアドレスも、アメリカ、フィンランド、タイ、ブラジル、チェコ、と国際色豊かでした。コメントをつけたアドレスは三種類あり、それで接続の度ごとにIPアドレスが違っているのですから、フェイクIPには違いないのですが、かなりの国際色の豊かさを、十分に楽しませて頂きました。 |
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| 2004年 8月15日(日) | HTBの主日礼拝にて |
| 一昨昨日の問題に関しては、神様が家族の心を変えてくださり、近日中でなく、学会準備が終わった九月初頭でよいことになりました。感謝します。それまでに問題が解決されますように。 今日もHTBで午後7時の主日礼拝を守りました。今日は月一度の夕礼拝で聖餐式がある日でした。当初は朝の礼拝に出て、夜に別の約束にゆく予定だったのですが、昨日、フル稼働したせいか疲れてしまい、恥ずかしいことに正午まで眠ってしまったのです。だから夜の約束をキャンセルしました。 今日はルツ記第1章でした。ルツは夫が死んだ後も姑に仕えて、彼女の故郷であるモアブの地を去ろうとする姑と行動を共にし、自分にとっては外国であるイスラエルに来てまで仕えて、最後はダビデの曾祖母、即ちイエス様の祖先になった女性です。 今日のポイントは三点ありました。ルツの謙遜、自己中心の正反対の態度、愛です。ルツは信仰があったので、夫もなく、姑に従えば自分の住み慣れた環境から引き離される、という逆境にもゆらぎませんでした。 「出てゆくときには満たされていた私を主はうつろにして帰らせたのです。・・・全能者が私を不幸に落とされたのに」(1章21節)という姑ナオミの言葉は、このような環境におかれたなら、誰でもが発してしまうような普通の言葉です。 勿論また姑も普通の心ある人ですから、二人の嫁たちに親族のところへ帰ることを勧め、実際ルツの相嫁は姑の言葉に従っています。しかし、ルツは姑の言葉には抵抗しました。それは、彼女が本当に仕える気持ちをもっており、姑の言葉が嫁たちを思いやるものであっても、本当に姑自身を幸せにする言葉ではない、とわかっていたからです。このように相手の心の底の思いまで見つめて、どんな逆境の時も仕えとおすルツの愛はイエス様の愛です。これこそが、どんな時にも共に歩いてくださる方、イエス様の愛です。 今まで私はルツの謙遜と自己犠牲については読むたびに思い至っていました。しかし、ルツを通して、共に歩んで私たちに仕えてくださるイエス様の愛にまでは、気づきませんでした。 今日のお説教は本当に愛にあふれ、涙と感動で心打ち震える思いがしました。相変わらず、ジョークの部分になると聞き取り損なうのですが、骨子の部分は神様の愛にあふれており、心を打ちました。比較してはいけませんが、昨日の説教とは大違いです。 しかしそれにも関わらず、昨日私が神様から頂いたメッセージと今日のメッセージは矛盾していません。これは奇蹟です。それはあなたの心の問題でしょう、と神様を知らない方は言うでしょう。それは仕方がありません。神様を知らない方に、神様がなさることをどんなに説明しても、言葉でわからせることは出来ませんから。 昨日はマタイの御言葉を通して、今日はルツの貴い自己犠牲と信仰の決断を通して、私自身がいかに自己中心であったか、小事に不忠実であったか悟らされました。今、目の前にも逆境とは言えないほどですが、本人にとっては少々大きな山があります。しかし私が目の前の目に見えるはかないものに囚われず、神様のご計画と愛とを信じて、目の前にあるものを捨てて姑に仕えたルツのような信仰を与えてくださるように祈ります。 先週は三週間ぶりの礼拝復帰で自信がなかったので、Prayer Ministry Team の人が足りないからもっと出てきてください、という呼びかけが三回あったら出てゆこうと思っていました。そうしたら、呼びかけは二回でした。今日は、神様、こんな足りない私でも用いてくださるなら、最初から出てゆくのは気が引けるのですが、一回「足りないから出てきてください」と呼びかけられたら行きます、と礼拝終了間近になって神様に祈っていました。 そうしたら、果たして一度目の呼びかけがあったのです。そしてこの呼びかけは、先週は二回あったのに、今週は一回で終わってしまいました。だから、これを逃したら、今週も臆病な私にはチャンスがなかったわけです。 しかも私が祈らせて頂いた方は、来年一月からミッショナリーの活動でモンゴルに行く話が出ているのだが、恐れがあって確信がもてないので、神様から確信するしるしが頂けるように祈ってほしい、とおっしゃるうら若い女性でした。有難く貴い志に私の方が、恵みを受け、内心で頭を低くしながら、でもこうして祈りで仕えることを許してくださり、私の心をも引き上げて前向きにして下さった神様に、大いに感謝しました。この方に引き合わされるようなタイミングで呼び出してくださった神様のお計らいに感謝します。 |
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| 2004年 8月14日(土) | イエス之御霊教会参与観察報告記 |
| 今日はSOASで日本のキリスト教の研究をしている友人とともにロンドンの北部にある「英国イエス之御霊教会」というところにゆきました。イエス之御霊教会は特殊な教義で知られ、統一教会・モルモン教・エホバの証人といった「異端御三家」ほどではないものの、かなりボーダーラインに近い、キリスト教の一派です。(一応、日本キリスト教連合会には属していますから、キリスト教の一派とは公にも考えられています。) なぜボーダーラインかというと、「父と子と聖霊の御名による洗礼」は認めず、「イエスの御名による洗礼」だけを本物の洗礼と認めるのです。滴礼(水をちょっと頭上に垂らす方法)は駄目で、全浸礼(全身を水槽の中に沈める方法:バプテスト教会などこの方針を推進する教派も多い)でなければならないとも主張します。要するに彼らは使徒の時代の教会に立ち返っていることを標榜しているのです。そのため、安息日礼拝として、土曜日に礼拝を守ります。流れとしては、ペンテコステの一派であり、ペンテコステ派に対しては、親和性を強調していました。 勿論、私はこの教会に一信徒としていったのではなく、一宗教学者として行ったのです。(自分がクリスチャンであること、しかも異言で祈れることから聖霊のバプテスマも受けていると言える事実をも、隠さないことによって利用してしまったのは確かですが(苦笑)。)
教会は Jubilee Line の Zone4 にあり、閑静な住宅街のセミデタッチトハウス(一軒の家だが線対称に二分されていて二世帯が住む)を一軒所有しており、片側が牧師私邸、片側が礼拝堂になっています。「EIKOKU IESU NO MITAMA KYOKAI」と英語ではなくローマ字で書くことによって、一般の英国人には何の団体であるかわからないようにし、しかし漢字で書かないことによって東アジア系であるとも見破られないようにして、日本人にしかわからないようにしてあるのも、巧みです。 礼拝は、午前10時から始まって、午後12時50分まで、三時間も続きました。その間、最初に異言の祈りで祈り、賛美歌(独自の賛美歌)を三曲歌います。それからいきなり牧師先生の説教が始まります。聖書朗読がないなんて、と思っていたら、説教の合間に時々聖書朗読が入ります。それも文語訳を用いています。参加者が日本人の他に韓国人・イギリス人がいたので、一節ずつ順番に各国語で、つまり第1節は日本語で、第2節は韓国語で、第3節は英語で、という風に読んでゆくのです。 文語訳を用いているので、普通の信徒には一発で意味をわかるのは難しいだろうなあ、と思いました。そうして、信者自身による聖書解釈の力を弱体化して、聖書解釈議論を起こすのを避け、牧師の解釈に依存させるのが狙いかもしれません。私自身だって、新共同訳と同時に開くようにしていたからよかったものの、文語訳だけでは何を言っているのか一読しただけではわかりかねる部分がありましたもの。 選ばれた聖書箇所は6−7箇所でした。旧約聖書から4−5箇所、新約聖書から2箇所、とバランスはひどく悪くはありません。しかし、このように余りに沢山の聖書箇所を用いるということは、結局自分の言いたいことを言うために、聖書の適切な箇所を借用しているだけではないか、という印象は否めません。選ばれた箇所に関しては、「伝道せねば・・・」という気持ちを煽り立てるような箇所もありました。あるいは、内容がそうでなくてもそのような文脈で使われて、そう解釈できるような内容に思えてくるものもありました。 こうして説教の間に、四人ばかりの信者が立って、(もっとも二人は夫妻で一組でしたが)証しをするのです。つまり、説教・聖書朗読・証しというパターンが延々二時間以上続くのです。 祈りに関しては、韓国のハレルヤ祈祷院や純福音教会系の教会で体験したようなものと同じ感じでした。要するにペンテコステ系特有の祈り方です。「ハレルヤ、ハレルヤ」と何回も繰り返す内に、舌がもつれて自動的に舌が動くようになるから、と言われます。異言を知っている者にとっては、ちょっとイージーな導き方じゃないの? と思う程度で済みますが、これを知らない人が教えられたら、まともな人であれば異様に思うだろうなあ、と思いました。 (まともなペンテコステ系の教会では、異言を導くにしても、十分に聖書的根拠を学んで、本人が異言で祈ってみたいという希望があることを確かめてからでないと導きませんし、異言で祈れないのは本物のクリスチャンではない、なんてことは言いません。異言で祈れないと二流クリスチャン扱いするところは、正直言ってないわけではない、と言わざるを得ないのは残念ですが。) 最後にまた歌を歌って、祈りがあって、頌栄(これは日本人プロテスタント教会ではどこでもあるものですが、でも内容は独自の讃美歌集からとられています)の後、代表祈祷で終わりです。 実際に参与観察してみて、半ば予想通りでした。というのは、私はこの教会の被害にあって、福音に心を開きかけていたのに教会アレルギーを起こすようになってしまった友人がおり、またこの教会の信者と接触した別の友人もいて、予めかなり悪い情報を得ていたからです。 彼女は、土曜日の午後に Piccadilly Circus のフォートナムメーソンの裏手にあるギャラリーの一つで、そこがイエス之御霊教会の信者の根拠地であると知らずに、ただ絵を鑑賞していて、店員(もちろん信者)に話しかけられ、言葉巧みに、ロンドン北部の教会までつれて行かれて、すぐに洗礼を受けるように迫られたのです。 勿論彼女は何とか頑強に拒否することによって逃れ、彼らもそれ以上は追及してこなかったのですが、彼女の受けた心の傷は大きかったのです。 イエス之御霊教会に関して、予想通りだったのは、かなり閉鎖的で外部に対する敵意が激しいことです。ペンテコステ派はまだしも、自分たち以外のキリスト教はみな正統ではなく間違っていると、説教の中で堂々と牧師先生が語ります。そして、自分たちは英国政府から公認の許可を得ており、そうして教会と牧師館とをちゃんと所有している日本人教会は自分たちイエス之御霊教会だけだ、と誇るのです。(それはその通りです。ロンドンの日本語教会JCFは、牧師館は所有していますが、礼拝場所の教会は Bloomsbury Baptist Church を昼間の四時間だけ間借りしているわけですから。) その他にも、そのギャラリーに画を出している信者の画家が、今月9日にニューヨークの日本の総領事館に画を納めてきた、という話をとくとくと語るのです。(証しをした夫妻はこの81歳の画家夫妻でした。) ようするに、世俗での成功がイエス様の栄光を表すことになる、という論理なのです。これは、程度の差こそあれ、プロテスタントでは共通して流れている論理です。特にカリスマ派系のキリスト教では顕著な流れです。私もこの論理は、それを強調しすぎなければ正しいと思っています。だから、その論理自体は間違いではないのですが、イエス之御霊教会においては、その強調の度合いが激しいのです。 しかもノートをとったら、礼拝後に別室に呼ばれ、そのノートを破らされました。私は普段の礼拝でも心に響いた時にはノートをとることが時々ありますが、ノートをとって怒られた教会など一度も経験がありません。(茶道の稽古の時には、お稽古場ではノートをとってはならず、帰ってからノートを作るのは自由、ということがあり、記憶力の頂点を過ぎていた大学生時代の私にとってよい訓練だった、ということはありましたが。) 普通の教会ではこういうことはない、と主張したのですが、相手は一つの目的に凝り固まっている信者ですから、話が通じません。(勿論、相手に話が通じないことはこちらも計算済みの上で粘ったのですが。)彼らはとにかく、ノートを手にするまでは、人を傷つけるような内容のことを平気で言うわ、こちらが質問することには絶対に答えないわ、となかなか老獪でした。しかも、一信者が感じてやっていることだとして、牧師に問題をもってゆかず、牧師を呼べというと、今祈り会で来られない、というのです。一緒にいった友人が、本当の調査者であるゆえ、彼女が今後しにくくなる程度にまでことを荒立てるわけにも行かず、また彼女も宗教調査はしなれていない人ゆえ、余り驚かせてショックを与えてしまっても申し訳ないと思い、私も適当なところで妥協しました。(もし彼女と調査者の正副の立場が反対であれば、責任者を呼べ、来るまで動かないと言って粘ってもよかったのですが。) 勿論、破らされることがありうることはこの教団だったらありだろう、ということは先刻承知の上で、ノートを取りながら、内容を一生懸命記憶しようとしてはいたのですが、やはり、残念ながら年のせいか記憶力が衰えており、あとで再現しようとしたら、万全とは言えない再現だったのが残念でした。もっとも私が彼らに「記憶にあるものは再現するがよいか」と言った所、それはご自由にと言われましたから、こうして記憶を再現することは問題ないわけですし、この日記にまで文句を言ってきたら、取り合いませんが。 私の友人が本当に調査したかった関心事は「死者のためのバプテスマ」と「教会墓地があるかどうか」という点であり、イエス之御霊教会が死をどのように信者に説いているかが調査の主眼だったのですが、残念ながら礼拝だけではわかりませんでした。 ただ、かなり閉鎖的な集団であり、他派への敵愾心が旺盛で、上記の異端御三家に加えて危険視する教会があるのも無理はないという感じでした。 構成員の顔を見ても、一様に張り詰めた緊張感のある顔をしているのです。牧師先生も一点を見つめて話します。(もっともこういうタイプの牧師は日本人には残念ながら多いので、それだけでどうとは判断できませんが(笑)。)まだ信仰に入って日が浅そうな女の子だけが、離れている両親も信仰に入った、という証しをするときに時々笑顔を見せていましたが、心から喜んでいるようには見えない、口元だけが笑っている寂しそうな笑顔だったのが印象的でした。他の三人は、証しをするときに、にこりともせず、お葬式の最後の参会者御礼でも述べているのかと思うような、粛々とした表情でした。 たった二十数名の出席者の中で、四人もの信者に一回の礼拝でこのように証しをさせる、というのは、参加者各人の競争意識を煽る戦略であるように思えます。(HTBでも、二月に一度くらい、数人の信者を登壇させて証しさせることがありますが、一つの礼拝で二・三百名以上の出席者があって、それが一日四回あるような場での数名と、二十数名の中の四名では、比重が全然違います。) JCFやHTBのような教会で、信仰にあって愛と笑いと喜びとにあふれている人ばかりを見ているせいかもしれませんが、緊張感に満ちた礼拝の有様は、ちょっと教会らしくありませんでした。(友人の感じたところでは、企業の研修ミーティングのような緊迫感だそうです。) 予想通りでなかったのは、聖書解釈が思ったほど逸脱していなかったことです。ここで論じられている論理は、ペンテコステ派の教会でよく聞く論理でした。私が今まで聞いたり読んだりしたものと照らし合わせてみても、「父と子と聖霊の名による洗礼」の否定以外、ペンテコステ派のものからの距離は全く遠くなく、逆に目新しいものがない、と言ってよいくらいでした。だから、聖書解釈に関しては、許容範囲内に収まっていると言ってよいでしょう。 結論としては、イエス之御霊教会は、十字架の縦棒である神様との関係、つまり信仰の言語においては正しいかもしれないが、横棒である隣人との関係、つまり信仰の実践の方法においては、愛の実践とは程遠いのではないか、というのが私の結論です。 それにつけても、先の友人のことが無念でなりません。アルファコースに参加するくらいにまで、福音に心を開いていらしたのですから。成長を楽しみにしていた牡丹の花の蕾が一夜にして夜盗虫にやられた時の心境です。加害者を実際に目の当たりにしてみても、失われたものは現時点では帰ってこず、残念無念という思いは変わりません。もっとも彼女がこの世に生きて今暮らしていらっしゃるという事実は、まだ向きを変えられるチャンスが残されているということですから、考えてみれば、希望は大いに残っているのですが。 今日現在の個人的な思いとしては、神様がこのイエス之御霊教会をどのように処遇されるのかを見届けたいこと、また私の友人が、これで救いから漏れてしまうことなく、後日でよいから、彼女が生きている間に回復されるようにという心です。今私に出来ることは、友として彼女と交わりながら、彼女の霊の救いを祈るばかりです。 ただ一つだけ付け加えておきたいことは、神様はこのような礼拝の中でも、個人に対して働きかけるということがお出来になることです。私は、昨日からずっと、私たちがこの教会に行っても守られますように、と祈っていました。それと同時に、これも主を礼拝する礼拝でありますから、どうかあなたの御言葉とわかるものを私に与えてください、と祈っていました。そうしたら、神様は私にこんな礼拝の中にあっても、御言葉を与えてくださいました。 それは「小事に忠実な者は大事を任される」(マタイ25章23節)ということです。この牧師先生を通して神様が私に語られたのは、私が現世の仕事に関して、難しい、つまらない、自分には出来ない、と文句を言っているのではないか、ということでした。そのような現在任されている仕事一つを片付けられないような人間には、福音伝播の御業のような大事を任せることができるだろうか、と。 これは、今の私に対する神様の扉のノックだと感じます。今、博士論文を書くことに博士号取得以上の意義が見出せません。9月の学会発表に関しても就職のチャンスになるからやった方がよいのはわかっているが、現実に愛の実践として優先事項が高いと自分が判断することが起こると、そちらを優先してしまいます。(その自分の判断が正しいかどうかは、必ずしも保証の限りではないのですが。) しかし、私の振る舞いは小事を疎かにしていることになるかもしれないと感じます。小事だからこそ忠実にしなければならないのです。学会発表と博士論文、どうか私にとっては荷が重く感じるが、実際には小事であるこれらのことを、私が忠実に果たすことが出来るように、祈り求めます。 どのような場でも、祈りに答えて御言葉を下さる神様に感謝します。 夜には、友人の誕生日祝いで、友人宅を訪問し、共に誕生日を祝いました。昨年、来英していたもう一人の友人と共にお祝いしてから早くも一年が経ったことを感じます(2003年8月14日の日記参照)。どうか彼女の上に神様の祝福が豊かにありますように。 |
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| 2004年 8月12日(木) | 誘惑かテストか |
| 昨夜から経済問題が持ち上がり、また胃痛をぶり返してしまいました。サポートしてくれている家族から、この半年以上の会計明細を一週間以内に出すように言われたのです。詳しくは書けませんが、今、経済にちょっと難しい問題があって、今すぐ明細を出すのが難しいのです。主の助けを祈るのみです。 夜に久しぶりに日本の友人から電話がありました。しかし、これは私の今後の一生の方向にも関わるような重大な話でした。詳しく書くことはできませんが、一言で言えば、サタンの誘惑か、サタンの誘惑を通した神様のテストか、ということです。出すべき答えは一つです。神様、どうか私に御心どおりに歩む力を与えてください。 |
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| 2004年 8月11日(水) | 無題 |
| やっと秋の学会発表に向かって少しだけ着手することができました。また、KCLに一年間秋から留学する後輩と会って、中華街でご飯を食べてお茶しました。 しかし、昔とった杵柄の部分はまだ頭が動くものの、全体としては学問のことには興味が余り湧きません。私の知識を用いて頂いて、アドバイスを求めている隣人にお仕えすることが出来た、ということ自体は喜びなのですが。でも、神様の話を出来なかったのが残念でしたが、今日はそのようには導かれていなかった気がします。サマリア人が道端に倒れている人に対してしたのは介抱という形で「愛を実行した」のであって、説教ではなかったのですから。 私のことを祈って下さっている方から、私のヨーロッパの邦人伝道への思いについて、メールを頂きました。そのメールを通して、本当にそれが自己中心でない思いかどうか吟味する機会が与えられました。思いが与えられながらもどうしようと逡巡していた私に、ショック療法で、もっとそれに関して深く祈るように導いて下さった主に感謝します。 勿論、過日感じたHTBの側に留まりたい、という思い(8月8日日記参照)は自己中心の幼児のような信仰です。これは我ながら自己中心だなあ、とはその時から思っていました。 しかし、今回のヨーロッパ修養会に出て初めて実感をもって認識したのですが、ヨーロッパには数多くの無牧の群れがあります。また、牧師先生がいらしても短期間の契約であって、牧師先生の契約期間が終わると、また無牧の群れに戻ってしまうケースもあります。だから今年そこにその先生がいらっしゃるからといって、来年もそのままであり、あるいは引継ぎが無事になされる、という保証が全くないのです。そこで折角集まった群れが散ってしまうこともある、また御言葉を聞くチャンスがないままにその都市滞在を終えてしまう人々の数が増える。何と残念なことでしょう。 勿論、日本でだって諸事情で今まであった教会の灯が消えることはあります。しかし、その条件の不安定さの度合いは、外地の方がずっと大きいのです。 これも主の道だと思います。ただ、本当にそれが「私」に対する主の使命であるのかは、これから心を空っぽにして、祈ってゆかなければ現時点ではわかりません。どうか私が、自己中心の思い・親や指導教官の思惑への恐れ・自分は体力がもうなくなったと勝手に思い込んで抱いている肉体の弱さへの恐れを捨てて、神様の御心を見分け、よく従ってゆくことができるように、導いてください。 | |
| 2004年 8月10日(火) | 久しぶりのホームグループ |
| 今日は久しぶりで近所の家で姉妹のホームグループがありました。拙宅での1:1聖書勉強の後、それに出席しました。来る9月に "Soul surviver in the City" という催しがあります。都市で大きな聖会を開催して、色々な方を集めてキリストに招く働きですが、これをやっている期間だけ、その都市ではちょっと犯罪率が下がるそうです。それがロンドン南部の Clapham Common で9月10日から二週間催されるので、そのために祈ってください、とのことで、皆で心を合わせて祈りました。また、勿論、姉妹方の祈り課題もあわせて分かち合い、祈りました。 |
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| 2004年 8月8日(日) | 久しぶりのHTBでの主日礼拝 |
| 今日はHTBで午後7時の主日礼拝を守りました。朝の聖餐式に行きたかったのですが、PCのモデムの不調に関係した不具合がまた生じ、ファックスをコンピューターから送ることが出来なくなってしまいました。そこで、起床してからずっとコンピューターと格闘していたら、すっかり時間がなくなってしまったのです。 午後、友人からもらったHTBの教会ニュースを読んでいたら、Sandy Millar師が来年の七月に退任し、Nicky Gumbel師が次期主任牧師(Vicar)になることが大きく取り上げられていました。
実はこの二ヶ月くらい、Sandyさんの退任は近い将来起こるだろうが、そうしたら将来私が時々またイギリスに来た時に、HTBは今のような教会であるかしら、と時々寂しく思ったことがあったのです。しかし逆に今、Sandy師の退任の時期が確実に決まり、かつ後継者が Nicky Gumbel師であることが判明してかえって、ほっとし安心しました。まだ65歳とお若いし、十分パワフルで、老人とは思えない状態にいらっしゃるのに、頂点にあるうちに主任牧師引退を決められた潔さに頭が下がる思いです。 そして、ますます、ロンドンに留まって、この地で邦人伝道に携わりながら、HTBとも繋がっていたい、という思いで心が一杯になり、その気持ちをどうしようもなくて、祈りながら眠ってしまいました。 今の自分が何か間違っている方向に行っているのは感じます。確かに博士論文を書くことに関しては、もう「博士号を取得する」以外の意味づけを感じられません。「博士号を取得する」のは「日本の大学教員のポストを得る」ため、「日本の大学教員のポストを得る」のは「日本の大学で、大学教師の立場から日本人の学生に伝道してゆくため」でしかありません。 その一方でこうしてロンドンにいながら邦人伝道への思いがある。しかし、今、自分がロンドンにいられるのは、「博士論文を執筆する」という大義名分があると考えられているからこそ、親も指導教官も含めた周りから許されているのです。これは全くのジレンマです。 どうしたらよかわからないうちに眠りに落ち、ふと目覚めたら午後六時でした。何とまあ、慌ててシャワーを浴びて丁度礼拝に間に合う時間に起こされたわけです。これも神様が起こして下さったに違いありません。 というわけで、今日の最後の礼拝に参加しました。 今日の説教は、ヨナ書1章でした。今日、初めて私が学んだのは以下のことでした。 ヨナの話は物語とも言いたいような話ですが、ヨナ自身は列王記下14章25節にも記述が出てくる実在の預言者です。ヨナの物語は、旧約聖書の時代から神様が異邦人の救いを心に深く留めていらしたこと、ヨナはイエス様が墓に三日間留まることがありうること(イエス様自身が「ヨナのしるし」に言及されています(マタイ12章38-41節))の象徴であること、を私たちに学ばせてくれます。また、ヨナのように、神様の命令に背いて逃げ出しても、神様は何らかの形で先回りして元の方向に向きを変えるように、そして忍耐強く言葉をかけてくださいます。 ヨナは嵐の中でもぐっすり眠っていた(1章5節)とあります。私はそれを今まで嵐の湖上でのイエス様の眠りと重ね合わせて、どうも納得がゆきませんでした。しかし、彼が嵐の中にいるにもかかわらずぐっすり寝込んでいたのは、彼が神様から逃げることに疲れ切っていたからだ、(つまり嵐や風の主人であるイエス様の安泰な眠りとは全く違う)という説明を聞いてやっと納得が行きました。 ここで、改めて私は神様から、今、自分がヨナように、ニネベに行けという神様に背を向けて、タルシシュに向かっているような気がしました。そういう立場にいるということはわかったのですが、現実に当てはめて、私の何がタルシシュで、私の何がニネベであるか、と問われると、その解き明かしがわかりません。答えは二種類ある気がして、そのどちらであるかがわからないのです。 でも、とにかく今答えをすぐに出す必要はないので、目の前にあることを一つ一つ片付けてゆく間に、神様が答えを教えて下さるだろう、と、色々と思いを巡らしても最終的には神様に委ねています。 |
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| 2004年 8月7日(土) | モデム騒動顛末記 |
| 今日は決断がついて、Tottenham Court Road (最寄り駅は Warren St.駅)の PC World に外付けモデムを買いに行きました。
このモデムで試したら、やっと自分のコンピューターから通信が出来るようになりました。つまり結果として、内蔵モデムは使い物にならなくなったということです。今まで内蔵モデムのコンピューターしか使ってこなかったので余り意識しませんでしたが、外付けモデムで改めて眺めてみると、こんなに掌に乗るような小さくて軽い箱を通しただけで、世界と繋がることが可能になるということは不思議に思えます。 人類は、滑車やてこの原理を応用して、少ない力を加えて大きな力に変換する術を発展させ続けてきたわけですが、しかし前世紀に発明された、マイクロチップで物事を処理する、という技術は人類史上革命的だったと思います。目に見えない、あるいは目で辿れない回路で物事が処理される、というのは、私のように理系の才能のない人間にとっては、本当に不思議です。このモデムのように。 でもとにかく、問題がこのように早く解決されたことを感謝します。今日で休暇気分は終えて、明後日からは通常モードに復帰したいと望んでいます。 |
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| 2004年 8月6日(金) | モデム騒動(続) |
| 今朝起きて少しPCをいじった後、意を決してCドライブのシステムの再インストールに取り掛かりました。案の定、例によって二三、大事な情報をバックアップし忘れていたことに、再構築の段階になって気づきましたが、でも、全体としてはつつがなく再インストールは出来ました。しかし、肝心のモデムはうんともすんとも反応してくれないのです。 これは駄目だと思い、昨日先生から貸していただいた古いラップトップPCを使ってネットに接続しました。古い方にはUSB接続がなくシリアル接続の外付けFDドライバーだけしかついていないので、結局はFDでデータをやり取りする羽目になりました。だから、そのためのメールデータ整理が大変でした。1.44MBというFDの容量内に一つのデータボックスファイルを納めなければならないから厄介なのです。 しかし、これも不要のものを捨てるよい機会だと思い、ちょっとだけですがメールデータ整理もしました。私信やメルマガは捨てませんが、ニュースメールなどで面白いから読み返そうと思ってマークをつけて取っておいたものも一部は捨てました。戦中世代の親に育てられた私は、捨てることが大変苦手です。しかし「物を大切にする」と「物に執着する」の境界線を間違えないようにしないと、それこそ偶像礼拝になってしまいかねません。 こうして、旅行中もネット漬けだった私が、時刻表を調べたりホテルを予約したりする実際的必要がなくなった途端に、ネット休暇を取るように仕向けられたことも不思議です。 クリックしてポイントを溜めるプログラムも幾つか入っているのですが、本当に実利に結びつくもの以外、退会しようという決断も出来ました。そういう決断が出来たことはよかったのです。 でも、正直なところは、もう一刻も早くネット環境が整えられて、旅行の間に溜まった書類整理を済ませ、秋の学会発表の原稿作りに専念したいという思いです。 |
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| 2004年 8月5日(木) | モデム騒動 |
| 昨夜遅くに大家さんの奥様と連絡が取れて、私が古い方のスペアキーを掴んでしまったことが判明しました。いくら開けてよいと言われていた引き出しだといっても、底の底まで引っ掻き回すのは人情として嫌だったので、引き出しの奥までとことん探さなかったのがいけなかったのです。でもともかく、先生方のアドバイスに従って、すぐに錠前屋を呼んだりしないでよかったと思いました。 そうして家に戻り、夕方にはその先生がまたPCを見て下さるというので、再び Wimbledon に行きました。そこでも埒があかず、先生のお宅でブロードバンドに試しに繋ぐなどしてみましたが、はかばかしくありませんでした。結論としては、ウイルスなどに影響されているかもしれないから、PCのシステムを再インストールしてみて、それでも駄目なら、外付けモデムで対応するしかない、というところになっています。 そういうわけで、一週間分のメールを今日初めて読むことが出来ました。お返事が滞ってしまった方々、また、お返事がずっと出来ていなかった方々にこの場を借りてお詫び申し上げます。以前のように、こまめにネットに関われなくなるかもしれませんが、この日記だけは折をみて更新したいと思っておりますので、時折お気の向いたときにお遊びにいらしてください。 |
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| 2004年 8月4日(水) | また締め出しを食らう |
| 29日以降、PCをネットに繋ぐことが出来なくなりました。ドイツとイギリスとの間の回線の周波数が違うので、ネットが繋げると謳っていない修養会の宿泊先のホテルでダイヤル回線に繋いでしまったのがまずかったのかもしれません。しかし去年も同じことをしたのですが、Win98のPCの時はただ繋ぐことができなかっただけでした。 しかし今日、イギリスの我が家の元の環境で繋いで見たところ、何とこのWinXPのマシンはネットに繋げなくなってしまっていたのです。私の環境で考え付く限りのことは試してみましたが、ダイヤルトーンが検知されず、オンラインにならないのです。そこで心を乱されながらも、何とか気分を変えて、大家さんに頼まれていた郵便物の取り込みをするために階上へあがって行こうとしました。(大家さん一家も、現在休暇中で不在なのです。) 部屋を出た途端に、大家さんの家の鍵は持ったが自分の鍵を持つのを忘れたことに気づきました。でも、大家さんの家に行けばスペアキーがあるからそれで開ければよいと思い、頼まれたことを済ませました。それからおもむろにスペアキーを持って家に戻ったら、何と鍵が一つ違っていて、一番重要な部屋への入り口の扉が開かないのです。ちょっと上に行くだけのつもりでしたから、トレーナーにトレパンに突っかけサンダルという格好で、財布も時計も携帯電話もなし、所持品は手の中にあるたった二つの鍵束だけ、という有様で私はまた締め出されてしまったのでした。 途方に暮れましたが、幸いKDDIを使ったフリーダイヤルの国際通話の番号を覚えており、また大家さんや二・三人の友人の電話番号も暗記していたので、お金がなくても公衆電話から日本経由でイギリスの方々に電話をかけ、そこから芋蔓式に必要な方の電話番号を聞きだすことができました。(ウィーンにいる大家さんにはあいにく繋がらなかったのですが。)また、紙もペンも持っていなかったのに、偶然入った公衆電話の中に安ボールペンが落ちていたので、それを拾って使うことができました。このペンは、おっちょこちょいな私を憐れんだ神様が備えてくださったに違いないとしか思えませんでした。 警察に行って、二時間以上待たされた挙句、やっと錠前屋の電話番号を教えてもらいました。でも、知り合いの先生に電話したところ、やはり大家の立場からは錠前屋を呼んでほしくないだろう、ということでしたので、その先生がご親切にもご自分の持っていらっしゃる Wimbledon のフラットに一晩避難させて下さいました。 昨日一晩我が家に泊まっただけだったので、こうして枕が変わっても、まだ旅の続きのような気がしてそんなに苦痛ではありませんでした。しかし、文明の利器を一切失って、時間を知ることすらも他人に頼る生活というのをたった一晩でも味わったことはよい経験になりました。こうして無力な私を助けてくださる方を遣わしてくださったのも、神様に他なりません。 旅先からでもネットでホテルを予約するなど、文明の利器を駆使しまくっていた私でしたが、それも全て与えられることを神様が許して下さっていたからこそ使うことが出来たのであって、物事はみな、神様の思し召しの下にあるのだと、つくづく痛感し、謙遜にさせられた次第です。 |
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| 2004年 8月3日(火) | 博物館 ・ 帰英 |
| 今日は最後の日なので、市内の博物館を回ろうと計画していました。しかし心が落ち着かず、昨日と同様にゆっくり家で休んで、それから荷物整理をして、家を出たのは三時過ぎでした。そしてフランクフルトのユダヤ人街記念館とユダヤ博物館を見学しました。後者は閉館20分前に飛び込んだので時間切れでしたが、前者はゆっくり見ることが出来ました。なぜ、ユダヤ人なのか自分でもわからなかったのですが、いくつもある美術館や博物館の中で一つか二つだけ見ようと思った時に心に浮かんだのが、この博物館だったのです。
知的には得るところがあって面白かったのですが、思うところは色々とありました。ユダヤ人問題とは、今も昔も、単純に白黒で割り切れない問題といえます。でもなお、自分がなぜこの時に、一つ見るならそれを見たいと思ったのか、今になってもまだわかりません。 家に帰ってからしばし歓談した後、友人のご主人様が空港まで送ってくださいました。ところが、そこでも、不幸というか幸いというか、という事態が待っていたのです。 夜9時半のロンドン行きに乗る予定だったのですが、7時過ぎには空港に到着し、さっさとチェックインしてから買い物をしました。そうしたら、前のロンドン行きが、ブリティッシュエアウェイズの便もルフトハンザの便も遅れているのに気づいたのです。これはヒースロー空港で何かあったのかな、と直感しました。
しかし、私の乗るべき便は、多少の遅れがあったものの、ほぼ通常どおりにアナウンスがあったので、テロではなさそうだと感じました。お客は無事に搭乗を済ませ、機体も搭乗口も離れました。しかし、滑走路の手前に着いた時、ヒースロー空港が悪天候だから50分フランクフルトで待機するというアナウンスがあったのです。CAの話によれば、雷雨で離着陸が出来ないとのことでした。 予告通り、50分後に飛行は開始されましたが、ロンドン上空に来たら、今度は空港が混雑していて着陸できないので、35分間上空を旋回するとのアナウンスです。窓から見ていると、もう晴れ上がった空には、東の空に上ってきた月が何回も繰り返し見え、同じように八の字を描いて旋回している数機の旅客機も見えました。ロンドンに午後10時5分着の予定が、着陸したのは午後11時頃でした。しかも着陸後に滑走路から搭乗口に向かう途中でまた30分ほど待たされ、機外に出たのは結局午後11時半過ぎでした。そんなわけで、入国審査を終えて荷物を取ったら、何と午前を回っていました。その時間では地下鉄ももう終わっているので、結局タクシーを40分待って、午前1時過ぎに帰宅しました。 でも、後から聞いたところによると、落雷による死者まで出るわ、道路は下水が溢れて洪水になるわ、当然地下鉄は止まるわ、テムズ川では魚が一万匹死ぬわで、逆にその大雷雨が去った後に着陸して、雨に一滴も遭わずに帰ることが出来たことの方が感謝でした。もう一便か二便早いのに乗っていたら、きっと旅の大荷物を抱えたまま大雷雨に巻き込まれて、右往左往して立往生していたことでしょう。タクシーで帰る羽目になったと判明した時には、何てこった、遅い便にするとは、判断を誤ったか、と思いましたが、後から考えれば、神様のご配慮により助かったとしかいいようがありません。 |
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| 2004年 8月2日(月) | ライン河下り |
| 今日はフランクフルトの友人宅で朝を迎えました。一応9時前には起床したのですが、朝食をゆっくり食べて、シャワーを浴びていたらあっという間に正午になってしまいました。それから家を出たのですが、フランクフルトの駅に着いてから、例の10ユーロの割引券を忘れたことに気づいて、家に戻ったのでますます遅くなってしまいました。 切符を全て手配したら、もう二時過ぎになっていました。それから近郊電車でマインツに迎い、そこから普通列車でビンゲンに行ってライン河下りの観光船に乗りました。この船は一日五便しかない船で、沿岸の両岸の町に寄りながら、リューデスハイムからコブレンツまで下って行くのです。
四時半に乗船し、川下りを始めました。千名くらい乗れる大きな観光船なので、ラインの急流と言っても不安感はありませんでした。しかし、ビンゲンを過ぎると、急に山が迫ってきて、ところどころ岩礁も顔を出し、ワーグナーの楽劇「ラインの黄金」でラインの水の精たちが戯れるシーンなどは、このような場所だったのだろうか、と思いをめぐらしました。今まで頭の中でだけ膨らませていたイメージが、やっと現実の風景と結びつきました。
ローレライの岩も通りました。岩自体は巨大な岩塊という感じでしたが、その箇所は川が曲がりくねっている上に、川幅も130mと狭く、さすがの高速巨大観光船もかなりスピードを落としていました。快晴の時でもこうなのですから、霧や嵐の時にこのところを通過するのは、現代の船でも怖かろう、まして昔の小さい船では怖かろう、と得心がゆきました。また勿論、辺りの風景も変化に富んで美しいので、乙女の歌声がなくても、景色に心奪われて、舵を誤ることは大いにありそうだとも思えました。
帰りはコブレンツまで行くと遅くなるので、山あいの風景が終わるBoppardという町で下船して、急行電車で帰りました。ライン河の両岸とも線路が走っているのですが、最近のICEという都市間超特急はスピードアップのために新たに作られたトンネルばかりの路線を走っています。どちらの路線も普通列車と、一日二本の特別急行電車しか走っておらず、速度を取れば眺望が得られないという事態になったのは残念だと思いました。 |
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| 2004年 8月1日(日) | 礼拝 & フランクフルト行き |
| 今日は修養会の中で主日礼拝がありました。担当は私が神様のメッセージを聞き取るのに時折困難を覚える牧師先生でした。本当に素晴らしい先生なのですが。 しかし、今日はロンドンにいる時のように、地元の教会に行くことも出来ず、かと言って、リューネブルクの聖公会の場所を調べてあったわけでもなく、とにかく他に行くべき教会がありませんでした。そこで、どうかこの礼拝を通して、たとえ聖餐式がなくとも、神様の御言葉を聞き取ることが出来るように、助けてください、と、朝から、食事中も、礼拝中もずっと祈っていました。そうしたら、今日は、牧師先生のメッセージを人間の言葉ではなく、神様の言葉として聞くことが出来たのです。本当に足りない私を助けて導いてくださった主に感謝します。 先生の担当の聖書箇所はローマの信徒への手紙12章1-20節でした。神様の恵みに触れたとき、人間は今までの罪を楽しむ方向性から、罪を憎む方向性に百八十度方向転換するようになります。そうなったとき、「全てを許された、何をしてもよいんだ」とはなりません。かえって、「赦して頂いたんだからこそ、神様の愛の呼びかけに応えて応答して生きてゆきたい」と思うようになるはずです。そこで、どのように生きるか、を悟ることが大切なのです。 ローマ書の12章から15章までは、律法的に「こうしなければならない」という掟だと思って読んでしまうと大間違いになります。これはあくまでこうして生きた方がよいという「勧め」です。私が神様に出来ることをしてゆくことができますように。また、まだ立ち止まっている方に対しても、機会が与えられれば、「勧める」ことができますように。 午後には、電車でフランクフルトに向かいました。フランクフルトで友人宅に泊めて頂き、夜は、皆でりんご酒の新酒を飲みに行き、ドイツ名物の杏茸料理を楽しみました。
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