−勝手に対談−
ミルとnanaoの『変奏曲』狂想曲(その5)

ミル
だけど、エドナンって、かわいいよね。体調がよくないウォルフが心配で、演奏中にうわの空、っていうんだもの(『皇帝円舞曲』の中のひとコマ)。もちろん、相手が死と隣り合わせなのだから自然な感情ではあるんでしょうけれど。ウォルフだったら、どうだったろうな、と考えたら、少しちがう行動に出たような気がして。相手の体を気遣いながら演奏するなんてことはしないよね、彼は。それならむしろ、あっさりと演奏中止にしただろうなぁ。アンコールだったし。

nanao
うん。すごく冷静にプロとして、「その演奏が観客に聴かせるに値するか」を考えたと思いますね。
けれどそれは、ウォルフがエドナンに対して冷たいっていうことじゃないのよ? たぶんウォルフにとってエドナンの音楽とエドナンの人間性は少し離れた存在になっていたのじゃないかなぁと私は想像しているんです。
というのも、ウォルフにとってエドナンは、ホントにボブに紹介されて、異様に積極的に推薦されて、目を向けてみたら、あらすごくヨカッタ〜! っていう存在だったろうなぁと思うんですね。
あくまでウォルフが惚れたのはエドナンの音楽であった。けれど親しく接してみたら、エドナンはすごく素晴らしい人だった。自分も癒され、また、生きたいという執念(?)をも持てた。
ウォルフにとってはすごく幸運なことだったのではないかと。そしてウォルフ自身も、エドナンとの出会いを非常に「幸運な」出会いだと思っていたのではないかと思っています。
考えてみればウォルフだってすごく若いんですよね。若さゆえの人恋しさ、寂しさはすごく強かったでしょう。ましてや自分の寿命はあとわずかですしね。これは想像を絶する寂しさだと思うのよね。

ミル
うん、そうでしょうね。文字どおり、想像することは難しいけれどね。

nanao
音楽に関しては、ウォルフはプロとしての意識が働いてしまうのでしょうから、プロとしてともかくエドナンの音を大絶賛している。そしてウォルフ個人の感情として、エドナンと知り合えたことをすごく嬉しく幸運に思って、無二の親友だと感じている。だが、それらは密接でいて、ウォルフのなかでは、微妙に離れた二つの事柄だったのではないかと思うんです。
ただ、たとえエドナンがすごくいい人間だったとしても、やっぱりエドナンにあの才能がなかったら、彼らは対等な立場には立てなかったとは思う。ミルさんが以前に言っていたように、ウォルフは幼い頃から「帝王」として生きてきているのだから、帝王に対等に向き合えるだけのキラリと光る何かがないと、やっぱりウォルフも相手を視野に入れることはできなかったのだろうと思いますね。尊大なヤツだな…ウォルフって(笑)
ところで質問ですが、私はミルさんと話をしていて、ますますウォルフって「帝王」だったんだなぁ〜、尊大なヤツだったんだよ、こいつは! という思いを深めてますけど、そういうのミルさんは最初から見抜いてました?

ミル
「帝王」と聞くと、なんか、カラヤンを連想しちゃいません? それだと、むしろ、エドナンにこそ似つかわしいかもね。だから「帝王」という言い方は、誤解を生むかもしれません。むしろ、神、と言う方が、ニュアンスとしては近いものがあるかなぁ。別に、宗教上の神、ではないよ(^^;)

nanao
うんうん。「帝王」といやぁ根っからのショウマン、カラヤンが頭に浮かぶわね。あのイメージはウォルフとは遠い。

ミル
ウォルフ見てるとね、「プロ」という言葉さえそぐわない気がするのよ。うーむ、わたしの中で、ウォルフって、かなり神格化された存在みたい。
たとえば、「感情を理性で制する」ってnanaoさんおっしゃったでしょ、そして、わたしも、そうだなぁ、って思いました。だけど、彼ウォルフは、決して理性の人ではない。と、思いません? 彼にとって、音楽こそ至上のもの、音楽のためなら、自分のことも含め、すべてが二の次となる。
理性でコントロールするのも、ひとえに、音楽のため、それが必要だから、という気がするんです。自分の音楽を限りなく完璧に近づけるためにね。この「完璧」というのも、人間の領域を超えた所にありそうなレベルの。だから、達成することは不可能かもしれない。それでも、可能な限り完璧に向かって全身全霊を注ぐ。そんな感じかなぁ。これ、nanaoさんも同じ意見なんじゃないですか?

nanao
まったくその通りですね。「感情を理性で制する」っていうのと「〜巻き込む」っていうのは、たしか『変奏曲』のイメージアルバムのなかに挿入されていたボブのセリフなんですよ。ボブが二人を評してこう言うの。そのセリフをちょっと借りただけなんですね。
で、ウォルフは理性の人かといえば私も違うと思います。
人間としてはね、ウォルフはかなり情熱的でワンマンな男だよね(笑) 人当たりがいいからよくわからないだけで(笑) 人間がそうなんだから、音楽だってそうでしょう。だいたいワンマンでない人間が、あの体力で指揮なんかやりたがるか?…とも思う。
ただ、彼の場合本当に演奏会も少なかったようですし、一曲一曲をそれこそできる限り完璧に仕上げて聴衆の前に提示したい、という気持ちがあったのでしょうから、情熱にまかせて演奏して、ノッたりノらなかったりしてる場合じゃない。となると、理性でコントロールせざるを得なくなる、ということがあったでしょうね。まったくミルさんの意見に同感です。

ミル
情熱的でワンマン! ここだけ読んだ人は、よもや我らが愛するウォルフを称した言葉とは、想像だにすまいなぁ、あ、は、は(^^;)
もっとも、この「ワンマン」だとて、俗っぽい意味でのそれとはちょっと違いますよね。「どうだ、すごいだろう、誰も俺の真似などできないのさ。俺の指図に従って素直にやれば、完璧なのさ!」てなところは、微塵もないものね。その才能すら、天から与えられたものとして、当然の如く自分のその音楽性を認め絶対の自信をもちながらも、それを自分の偉大さだと思うようなことはまずなかったですものね。ほんもの、ですなぁ、これぁ。そうそう、わたしが「帝王だ」と言ったのはねぇ……

nanao
うんうん。

ミル
孤独、ということを言いたかったからでもあるんです。頂点を極める人は、絶対的に孤独、ですよね。と言ったところで、わたしにわかるものじゃないから想像の域は出ないんだけどね。
すべてを引き受ける、すべての反動を我が身ひとつで贖う覚悟のもと指令塔になる。それも、確固たる意志で、というより、大方の場合宿命としか言えないような状況によって。そういう人間を、わたしは「帝王」と呼んだりするもので、つい、ウォルフにも使った、んでしょうかねぇ。
もっとも、ウォルフの場合、ひじょうに自然体ですから、ちょっとずれるかなぁ。自分で言っておいて、何とも無責任な言い方ですがね(^^;)すまんです。

nanao
いや、ずれないと思いますよ。私がウォルフってますます「帝王」だ〜! と思ったのはですね。もう小さい頃からプロとして、スターとして、普通の子供とは違う存在として、衆人の注目の的として日々期待されて生きているとね、「僕はそのへんの普通の子供ではないのだ」(または「普通の子供であってはいけないのだ」)という自覚と誇りがウォルフに出てくるんじゃないかと思ったんですよ。それはもう、そんなこと感じた時点から、ウォルフはそのへんの子供たちとは違うステージに立っているということですよね。だから彼は孤独なのでしょうね。
そしてまた、12歳で心臓に障害があることがわかって、寿命を取るか音楽を取るかという選択を迫られたときに、ウォルフは音楽を取りましたよね。おじいさまの反対を押し切って、その他のものも全部捨てて。あれは自分の生き方を自分で引き受けたという意味だと思うんですね。だって「死んでもいいから音楽やらせろ」って言ってるんだから。あの年齢ですごいでかいもの引き受けてるよね。
この二つを考えるとやっぱりウォルフって「帝王」だよなぁと思いますね。たぶん、ミルさんの言っていることと同じだと思います。

ミル
同じです(^^;)もっとも、ウォルフが、ふつうの子供の生態を知っていたかどうかは疑問。なんたって、ピガールのおねえさん見て「知り合いなの?」と真顔でのたまふ方ですからね。
ふつうの子供の生活なんて、ウォルフにとっては、絵本の中の世界みたいに、リアリティなかったかもしれませんよね。ふつうの子供とつきあうこともなかったろうし、それを見る機会も時間もなかったろうし。
それでね、当の音楽ですが、天才たるウォルフの音楽は、どんな音楽レベルの人をも魅了したと思うんですよ。本物の天才の手になるものは、理解するとかしないとか、そんなことを超えて、あらゆる層の人々の心をとらえるはずだ、というのがわたしの持論なんですがね。音楽を知らずとも、これはもう理屈抜き、そう信じてるわけです(^^;)
ただ、ねぇ、あらゆる人の心をとらえること、すなわち、その感覚を共有し合えること、とは、残念ながら、思わないんです。共有し合うためには、やはり、どうしても、双方同レベルでなくてはならない。となると、ウォルフは、自分の寿命もさることながら、音楽的な場所でも、孤独を感じていたような気がするのですよ。そして、ほとんど期待してなかったろうと。ところが、そんなウォルフの目の前に、まるで魔法のようにふいにそんな相手が現れた! それが、エドナンだった。
これは、ウォルフにしてみれば、奇跡とも見えたのではないでしょうか? エドナンは、たしかに、ウォルフひとすじ、追いかけて追いかけて、でしたけれど、ウォルフこそ、エドナンの存在に、言葉では言い尽くせないほど感謝したのではないでしょうかねぇ。

nanao
音楽的にも孤独かぁ。そうですね。
う〜んとね、音楽的なレヴェルでウォルフと対等に立てる人間というのは、私はもっと他にもいたんじゃないかと思ってるんですよ。音楽って、ただ一つの真理に向かってみんなが努力しているような感じのものじゃなくって、いろんな方向の音楽があって、それぞれにより高いレヴェルに向かってみんなが努力してるようなものだと思うんですね。
だから演奏ということだけに限れば、ウォルフと対等とまではいかなくても、共に演奏の醍醐味を味わえる相手というのはあったと思うんですよ。ただ、ウォルフにとってはそれは、単なる演奏の上での喜びに過ぎなかった、という感じだったんじゃないかしら。
しかもウォルフは、他人と生きる喜びを分かち合うというような欲求を小さい頃から捨て去って生きてきていましたよね。彼はエドナンと出会うまでは、おそらく「自分は自分にできる限りの最上の音楽を『人々に提示して』人生を終えるんだ」それが自分の使命だ、と思っていたんじゃないかしら。つまり音楽の提供者だった。だから余計に、他人と音楽を介して演奏以外での喜びを共有し合おうなんて考えてもみなかった。 けれどエドナンに出会ってからは、演奏の面でも対等に渡り合えるし、人間同士としても共に歩くことができるようになった。そうしてみたら、演奏を通じて人間と触れ合うということが、いかに素晴らしいことであるかがはじめてわかった。演奏だけを誰かと楽しむのではなく、演奏によって、誰かと生きている時間を共有し合うことができるのだということをはじめて知った。それはただの「演奏」よりはるかに素晴らしい時間だった、という感じだったのではないかと思うんです。
それでミルさんの言うように、ウォルフはエドナンの存在にものすごく感謝していたと、私も思いますね。

ミル
うん、それはわたしも思いますよ。
それに音楽にいろんな方向性があろうことも想像できますし、そこに優劣や順位がつけられるものかどうか、という根本的な問題があろうこともわかります。
ただ、少なくともウォルフが伝説の人、という前提であったならば、爪の先から髪の毛一本に至るまで、完全に自分の音楽を共有できる相手、というのは、なかったのではないでしょうか、エドナンに出逢うまでは。
もちろん、指揮者ですから、引き出し融合し織り上げる、という作業で満足のゆく仕事はできたでしょう。けれど、エドナンが現れるまで、ウォルフは本物の至福は感じていなかったのではないか、というのが、わたしの見方なんですよ。

nanao
ふむふむ……

ミル
さらに勝手な思い入れで言えば、わたしのみるウォルフは、人間としてエドナンと人生を分かち合いたい、と望みはしたけれど、結局それを果たせずに死んだ、と思ってるんです。
わずかに、エドナンに振り回される形で触れ合ってますけれど、束の間のできごと、夢、のようなものですよね、あれは。さわりの部分でしかないでしょう? ふつうの人のふつうの生活は、ウォルフにとっては、夢幻のようなもの。夢にあこがれはしても、すぐに目覚めが来て、あれは夢、と言い聞かせるだけのこと。 一方のエドナンの方はと言えば、何とかこちら側の「生」の世界へとウォルフを無理矢理にも引っ張り込もうと躍起になる。じだばた、なわけですよ。でも、所詮住む世界がちがう(おおお、なんかどっかで耳にした言葉……はは、そうか、そうか、別室での「風木」のところで頻繁に出てきた言葉だったな……(^^;)
住む世界がちがう、という言い方はちょっと変ですが、エドナンはカッと燃え上がる炎のような人、一方のウォルフは体温がないような感触の人、そういう意味では、世界がちがってる。ただ、音楽を通してのみ交歓できる、そんな二人だったような気がしてなりません。

nanao
ウォルフは体温がないような感触の人〜〜〜〜〜(悶絶)
ふはははははははは。笑う場面じゃないのにご、ごめんさない〜(涙)
頭から触覚出してるゾンビみたいのが頭に浮かんじゃってー(ひー)

ミル
ゾ、ゾ、ゾ、ゾ、ゾンビ〜〜〜〜(悶絶 パート2)

nanao
すいません。すいません。すいません(汗)真面目に取り組みます(謝)
今ね、「ウォルフが伝説の人、という前提であったならば」というミルさんのコメントを読んで、自分でも驚いてるところなんですよ。なぜなら私、どうやら、あまりウォルフを伝説の人扱いにしていないようなんですよ! 自分でも気づかなかったんですけど!
ミルさんのいう「伝説の人」ってモーツァルトやブラームスのレヴェルですね!? そういう至上の存在を言っていらっしゃいますね!? あああ〜〜〜ステキ〜〜〜そんな偉大なウォルフちゃん(←そしていきなりちゃんづけかい!)
ああ、そんな偉大な音楽家であったなら、きっと絶対、その辺の演奏者相手では満足できないはずです! 指揮者としてのウォルフだって、きっと絶対、「ザコしかいねぇんなら、いっそ束にしちまえば、少しはオレのやりたい演奏を実現できるかも」って思ってやってたかもしれないです! すいません。つねに暴言になります、私(^^;)
そんな孤高の音楽家ウォルフにとって、同レヴェルの天才・エドアルドの出現は、本当に生まれてはじめて共に音楽やれる人間がいたことを実感できる機会になったでしょう! 素晴らしい出会いだ〜〜(悶絶 パート3)
……ぜえぜえ……で、でもね、私、きっとウォルフをそこまでの天才と考えていないんですね。……と、いうか、きっと考えたくないんです!(爆笑)
きっと、私、ウォルフがそこまで、凡人である私などから離れた存在になってしまうことが寂しいんだわ〜(泣) たぶん私、たとえは適切じゃないけれど、カラヤンとかバーンスタインとか、そのレヴェルでウォルフを捉えているんだと思います。確かに音楽史に名は残す巨匠だけど、同時代に同レヴェルの音楽家は他にもいた。エドナンもその一人だった…という存在で……いてほしいのねぇ(TT)

これはもう、惚れた者の弱みとしかいいようがないです。だから音楽的にウォルフとエドナンの相性が合っていたんだろう、なんてことを私は言ってるわけでしょう。

ミル
「おぬし、何としてでもウォルフを手元に引き寄せたいのだな」と、チャチャ入れよかな、なんて思ったんだけど。うーん、実は、それ、とっても重要なポイントなんだよねぇ、わたしにも。だからこそ「〜という前提であったならば」という仮定にしたようなわけで。

nanao
ん?

ミル
実は、ウォルフをそういう天才に仕立て上げないとわたしの中で『変奏曲』そのものが成立しなくなってしまうんですよ。ウォルフというひとりの音楽家のエピソードというなら、あまりにも人間的に抜け落ちている部分が多すぎるし。
nanaoさんとは逆で、わたしは、あえてウォルフをそういう大天才として捉えたい! と願ったのだと思うの。本当は、ウォルフの音楽活動たってほんの少ししか見えてないし、ピアノ弾く姿や指揮する姿は見たけれど、肝心かなめの作曲ということになると、影が薄いのよね。
たしかに「この曲はエドナンのヴァイオリンでなくては」とウォルフが頑なに主張したのは、ウォルフの手になる協奏曲だったから、作曲も手がけそれが素晴らしい作品であったらしい、というくらいはわかるのだけれど。それだけでは、いくら何でも伝説の人にはなり得ない。彼の出生から死に至るまでの壮絶な経緯とその類稀な音楽性の開花は、すでに十分にすごいのだろうけれど、それだけだと、少し困る(^^;)
ひょっとしたら、凡百のウォルフ贔屓の中には、彼の音楽そのものよりも彼のおいたちや周辺事情の中に天才性を錯覚した人たちもいたかもしれない(もちろん、彼の病のことは最後まで伏せられてましたけれどね)。さらに言うと、その経緯ゆえに、少し時代がくだれば、ウォルフの音楽性を否定する輩が出てくるかもしれない。リヒターの音楽は確かに優れていたが、彼からその短い人生の悲劇性を取り払ってなお、我々は彼を天才、巨匠と称したであろうか?! なんて修辞でまぜっかえす似非評論家が出てこないとは言えないですよね。

nanao
あははははあ。ありうる〜。ありえますよね。ディヌ・リパッティとか、グレン・グールドとかも死後にそんなこと言われてますよね。特にリパッティはウォルフのように病弱なピアニストでやはり若くして亡くなっちゃったんですよね。それでウォルフに重ねて彼の演奏を聴いている人もファンにはいるようです。私はあんまりクラシックに詳しくはないんですが、この二人については「早世したという悲劇性があったから彼は名を残せたんじゃないか?」って書かれている批評をどこかで読んだことがありましたよ。そういう批判はいつの時代でもでてくるんですよねえ。

ミル
あれ、そうなんですか。恥ずかしながら、リパッティという方のことは全然存じ上げない(汗)。グールドのゴールドベルクはどうもわたしの好みとは言い難いなぁ、という印象しか持ってなかったし……オォッ(())。
あ、でも、やっぱり、そういう批評が出てますか。なるほどねぇ。あり得ますよねぇ。そうか、そうか。

nanao
演奏家じゃなくっても、ジェームス・ディーンだっていわれてましたものねえ。作品を理解するために、作家の生い立ちや生活背景を考慮に入れるっていうのはいい方法だと思いますけれど、生い立ちや生活背景からスタートして作品を解釈するっていうのは、なんとなく本末転倒であるような気もしますけれどもねぇ。まぁ、ありえますよね、そういう批評は……。

ミル
そうですねぇ、なるほど。
しかし!
わたしは、それでは困る! のです(ドン!!!)

nanao
ま!(背筋が伸びた!) ミルさんたら机を叩いて!

ミル
凡人、俗人、の卑俗な思惑などものともしない聖域に、ウォルフをたたずませたい。誰が何を言おうと、時代がどんなに変わろうと、超然とそびえたつ存在としてウォルフを置いておきたい。
ひょっとしたら、ウォルフたちのすぐ後の時代(つまりわたしたちの時代ですよ)には、一度否定されるかもしれない。しかし、「時」という非情のろ過を経たうえで、改めて燦然と輝く、燦然というより、むしろ聖なる光として、かな、とにかくそういう音楽として蘇らせたい! との無謀なことを望んでおるわけですよ(それでこそ、アレンの壮絶な闘いの意味もあろうというもの。わたしの中では、アレンは拒絶も否定も最初にする後継者となりそうな反面、同時に、ヴォルフガング・リヒターの音楽の天才性を最初に消化し認知する次代の音楽家ともなりそうな気がするの)。

nanao
おおお! なるほどねぇ。素敵ですよ〜ミルさんの天才ウォルフ。そういうウォルフってなんてかっこいいんでしょう〜(うっとりうっとり)
そこまでの才能があったら、ウォルフもエドナンもまさに正真正銘、悲劇の皇子たちですよね。片や死にゆく皇子、片や半身をもがれて生き続ける苦悩の皇子。う〜ん、いい!!

ミル
うん!うん!うん!…トトト、また、外れそうになったゾヨ。コホン。
で、そのためにこそボブやエドナンが不可欠なんですナ。

nanao
ふむ? そのためにボブやエドナンの存在が?

ミル
ウォルフの音楽を愛する人は数知れずいようとも、それプラス、本当の高みを共に知った音楽家としてエドナンが、鋭敏に研ぎ澄まされた特殊な嗅覚によってその異能を感知した音楽評論家としてボブが、どうしても必要なんです。

nanao
なるほどね。たまたまそこに、ウォルフの音楽に引きつけられるようにして人々が集まったのではなくて、ウォルフもエドナンもボブも彼らが出会うためにはどうしても欠かせない役割をもった三人だったというわけですね? これまた説得力ありますな。

ミル
つまり、これは、もはや竹宮・増山作品としての『変奏曲』と言うよりは、わたしの『変奏曲』となっておるわけですよ。タイトルからして「変奏曲」なんだから、主題はあっても、それなりに変幻自在でよろしいのではありませんか?(^^;) nanaoさんのウォルフもいれば、ミルさんのウォルフもいてよろし、と。

nanao
もっちろん! そしてたくさんの『変奏曲』愛読者の中にも、その一人ひとりに違うウォルフやエドナンがあるのでしょう。もっと優等生で、はかなげな性格のウォルフを想い描いている人もいるかもしれない(さらにうっとり)
みんながどんなウォルフやエドナンを心に描いているのかを聞いてみたいなぁと思います。
私はね、どんな性格のウォルフやエドナンやボブやアネットであっても、それが竹宮&増山さんの『変奏曲』から発しているなら、それらはどれもウォルフの一面であり、エドナンの一面であり、ボブの一面であるような気がしてしまいますね。自分の抱いている印象と違うイメージを聞かされると、「恋する彼氏の知られざる一面」を知った気がして、なんだかウキウキしますねえ(笑)
……ということで、ウォルフとエドナンの天才度には、私とミルさんの間には、決定的に認識の違いがあったということが発覚して面白かったです(笑)が、「(ウォルフが)人間としてエドナンと人生を分かち合いたい、と望みはしたけれど、結局それを果たせずに死んだ」という点については、おそらく同じステージで話ができるのじゃないかな?
そして、そうね。ウォルフはやはり死んでいってしまう人。エドナンがどうあがいたってウォルフの寿命は延びないし、死期が間近いということをわかっている人間のどうしようもない寂しさは、いくらエドナンが親しく接してくれたって埋められるものじゃない。むしろ親しくなればなるほど、寂しさは募っていくものかもしれませんね。

ミル
ああ、親しくなればなるほど、募る寂しさ、って、言えてるねぇ。埋められるような寂しさではないだろうねぇ、たしかに。
今、ちょっと思ったのですが、ウォルフ超人説を唱えるわたしの立場からすると、ウォルフとジルベールとが、位置的には同じになってしまうよね。ウォルフとジルとでは、てんでチガウし、ましてや、エドナンとセルジュとではお話にもならないけど、ポジション的には、似たようなところにあるなぁ。ふむふむ、これは面白いや(^^;)。あとでゆっくり考えてみよっと。それからいけば、前にちょこっとだけ俎上に載せたボブとオーギュの比較なんかも、まんざらお門違い、でもないことになるしね。もっとも、エドナンとセルジュが面と向かっても、かみ合わんことこの上なしだろうなぁ。アハハ

nanao
あはははははは! かみ合わないだろうねええ!!!!(笑)
セルジュがさ、ジルをオーギュから奪いたくて、でも自分の中にある倫理観の呵責から苦しんでいるときに、エドナンがそれを見て「お前なーにぐだくだ言ってんだよ。好きならさっさと抱きしめちゃえばいいだろ?」なんてさらっといいそうだよね。「お前が好きなのは「男」じゃなくて、ジルだろ? 早くしないとぼくがもらってっちゃうよ?」なーんてね(笑)そっぽ向きながらあっさり言いそう。
あ、いかんいかん。話題がズレてゆく〜。これらの話題についての詳細は、「『変奏曲』狂想曲(その3)」のページからリンクしてる「別室 脇道放談『勝手に放談』」を読んでね>皆さん

ミル
閑話休題
最初の話題、ウォルフとエドナンの関係に戻ります(^^;)

nanao
閑話休題
はい(笑)戻りましょうか。

ミル
ウォルフがエドナンに感謝したことのひとつは、もちろん、遠巻きに崇め奉ることなく真っ向からぶつかってきてくれたこと、つまり、人間として付き合ってくれたこと、だとは思ってるんですよ、わたしも。それに、気がかりなアネットを引き受けてくれそうだ、ということも。
でも、何と言っても、音楽! 音楽の悦びを分かち合う相手、胸が痛くなるほど好きか? と問いかける相手、自分には許されない「これから先」の音楽の道を進んでいってくれる相手、これを得たこと。これに尽きるのではないか、というのが基本的なわたしの考えです。

nanao
それは同感! 自分の生が残り少ないということを知っているからこそ、これからも音楽の道を歩いていってくれるか? と、病室で真っ先に問いかけているのでしょう。
エドナンが、スペインの内乱にゲリラとして関与していたとき(銃で撃たれたあとね)、スペインに帰っていこうとするエドナンをウォルフは「止めたい」けれど、止めませんよね。あれは、ボブに忠告されたからでもあるけれど、やはり、「まだ、今のエドナンには『胸が痛くなるほど好きか?』とは問いかけられない」という気持ちがあったのでしょうね。そこまで真剣に音楽だけに取り組む気持ちが、まだ、エドナンにはないだろうと、ウォルフは感じ取ったのでしょう。

ミル
それだけに、戻ってきてくれた時の感激はひととおりではなかったでしょうね。ああいう人だから、狂喜乱舞って態度には出ませんけれどね。
あきらめに慣れているから、後先考えずがむしゃらに追いかけるなんてことはしないお人ですが、だからと言って「欲しい!」という気持ちが薄いわけじゃない。戻ってきたからにゃ、もう、絶対、決して、何がなんでも放さへんでぇぇぇ!!! という気持ちに近いものはあったであろう、と推察できますね。

nanao
うううう(号泣)あきらめに慣れているなんて…後先考えずにがむしゃらに追いかけはしなけど欲しい気持ちが薄いわけじゃないなんて………(TT)
そんな切々としたコメント吐いておいて、次にくる言葉が「何がなんでも放さへんでぇぇ!!!」ですかい!(爆笑)
けどね、ホントにそう思いますよね。ウォルフはエドナンが戻ってきてくれたのを知ったとき、ものすっっごく嬉しかったと思いますね。けれど、エドナンはすぐにはウォルフにうち解けなかったでしょう? がんがん実力を発揮し始めてきたにもかかわらず、まだウォルフをライバル視していた。一方ではボブとはどんどん親しくなっていて、もうウォルフの目の前の、すぐ手の届くところにいるのに届かない。ウォルフの死期は明日にも訪れるかもしれない……。これって、ウォルフとしてはかなりきつかったのではないかしら。私、『変奏曲 外伝』(『VARIATION』)を読むたびに思うんです。

ミル
お、『外伝』話ですね。よしよし、聞きましょう。

nanao
ウォルフはボブに「演奏のあと寂しくなる」って言いますね(TT)この気持ちは痛いほどよくわかる。真剣に練習してる間は忘れていることができる「死」の存在が、一つ作品を仕上げてホッと一息つくたびにスッと蘇ってくる。気がつくと音もなく横に「死」が立っている。何やったって、どんなにあがいたって「死」からは逃れられないことに気づく。これは寂しいなんて言葉じゃ表せないような強烈な孤絶感だと思いますね。で、その気持ちをウォルフは『外伝』で、ボブに伝えてる。
そういう気持ちを伝えられるほど、ボブだって十分にウォルフの近くにいて彼を理解していた人だったはずなんですけれども、ウォルフにとってボブって、やっぱりエドナンのような存在には決してなれなかったんでしょう? この理由って何なのでしょうね?

ミル
えーっと、nanaoさんがおっしゃるのは、つまり、こういうことなのでしょうか。ウォルフにとって、ボブこそは唯一、自分の中の弱さをさらけだして良しと思える相手であり、また、良き理解者でもある。それほど近しい間柄であるにもかかわらず、エドナンと同じような存在、欲しい! 欲しい! 欲しい! という相手でも、また、至福を共有できる存在でもないらしい。それは、どうして? ということかな?
もし、そういう意味の問いだとしたら、ですが。
ごく単純に言うと、それは、ボブが演奏家ではなかったから、ではないですか? あくまでも評論家、ですからね。それに、年の差もあり。とか言ったら、怒る?(^^;)
どれほど深く味わうことができても、理解できても、共鳴することがあっても、ボブは、やはり、鑑賞者、でしょ? 作り手と鑑賞者とでは、どうしても共有し得ない部分があるのではないでしょうか?
ボブがエドナンを導いたことは事実だけれど、ちょうどヴァージンロードを花嫁の手を引いていく父親と同じで、扉の前までは連れだってゆけてもそこから先は踏み込めない。そこから先は、エドナンとウォルフの世界になるでしょうから。

nanao
ボブが「ヴァージンロードを花嫁の手を引いていく父親」〜〜(笑)

ミル
想像してみたぁ? イラストに描けるかや? 美術館にて待つ ピリオド
で、と。(^^;)
エドナンとボブの場合は、音楽を離れても、以前話したとおり、ガニュメデス関係が入り込む余地を残してるけど、ボブとウォルフは、「外伝」でのうたかたの触れ合いこそあれ、親愛の情、という所からの飛翔はなかったと思うんですよ。敬愛と慈愛と親愛のこもった。ボブにしてみれば、ウォルフは王であり、自分はどうひっくり返っても良き理解者という立場から離れることのできない存在だと認めてしまっているところがあるみたいだし。(まあ、しかし、誘惑の衝動にかられなかったか、と問えば、そんなことはない、と答えるでしょうね、あの御仁は。でも、まあ、総体的に言えば、やはり、)大王側近の哲学者先生みたいな感じだったのでは?
そこが大きなちがいではないか、とわたしは思いますが、いかがでしょう。

nanao
そうですねえ。作り手と鑑賞者の壁が二人の間にはあったということなのでしょうか。私がボブとウォルフの関係を持ちだした理由っていうのは、『外伝』のなかでウォルフちゃんがね(あ、いきなり「ちゃん」づけに…)、誰かに寂しさを紛らわしてほしいと感じたとき求めた相手がボブだったじゃないですか。あの時点でエドナンはまだウォルフとはうち解けていなかったようなんですけれど、もしもエドナンと知り合っていたら、ウォルフはその寂しさをいったい誰にぶつけただろうか、と考えていたんですね。
まぁ、エドナンと知り合っていたら、そもそも寂しくはなかっただろうとは思いますけれど(笑)
でも、仮にウォルフがエドナンと知り合ったあとでも、「一人で死んでいくのって寂しいね」みたいなことを思ったことがあったとして(TT)そのときウォルフはやっぱりエドナンにはこういう感情は見せにくいような気がしたんですね。やはりボブに見せるような気がして。じゃ、ボブというのはウォルフにとって何なんだろう…? と思ったのです。ミルさんはどう思いますか?

ミル
エドナンでは、役不足です。キッパリ!(^^; 殴るなよ! エドナン!)
誰がいても、あの時、ウォルフの寂しさはあったと思います。その寂しさ、というのは、もちろんウォルフの「死」と向き合う瞬間であったかもしれませんが、むしろ、事が成就した時に陥る一種の虚無感だったのではないでしょうか。
そんな虚無から救い出すのに、エドナンではあまりにも子供すぎる。せいぜいウォルフをピガールに引っ張っていくくらいが関の山でしょう。それも、悪くはないですけれどね(^^;)まあ、やはり、そんな時は、大人の、自分をよく知る相手に、身をゆだねたい、というのが、ふつうかなぁ、と。
別に、一緒に寝なくてもいいけど(^^;)、まるごと相手に身をゆだねたい時ってのは、あるでしょ。そんな時は、やはり大人でなくては、ね。大人といっても、この場合、アダムスさんではいけないのですね。敬意と共に、どこかワルの部分を持つ相手でないと、ね。気を使わなくてもいい相手でなくては、ね。
ですから、ウォルフのあの時の選択は、ひじょうによろし。大正解!

nanao
すげえ大胆なこと言うなぁ、ミルさん(笑)今日から夜道に気を付けてね。エドナンファンに刺されるかもしれないっすよ(笑)
が、……私もそう思う……(すまん! エドナンファン! 刺すなよ!)
ともかく、あのエドナンの愛情の深さがね、原因かもしれないとも思いますね。なんか一言でも「寂しい」なんてエドナンに言ったら、エドナン泣いちゃいそうでねぇ(;;)
もうちょっと客観的に自分を見てくれる相手じゃないと、愚痴なんかこぼせなかったのかもしれませんねぇ>ウォルフ。そういう意味では、アダムスさんじゃ絶対だめですね。彼はウォルフにとっては「親」ですから。

ミル
でも、最後に名前を呼ぶのは、「アダムス」さんなのよね。このあたり、わたし、胸キュンなんだよなぁ。アダムスさんやローラには、惹かれるものがあるわたし。
それは、ちょっとおいておきますね、今は。で…ボブとウォルフに戻しますよ。
ウォルフが隙を見せた相手は、他の誰でもない、ボブでした。ただ、いかなボブといえど、ウォルフをまるごと引き受ける、というところまでは無理だったような気がするのですよ。癒すこと、それだけがボブにできたすべてだったろうと。そして、それでウォルフは満足だったと思いますねぇ。
ウォルフにとって、ボブは、最高の理解者だった。わたしは、そう思う。

nanao
うんうん(;;)ボブはウォルフの理解者だったのだわね(;;)
ウォルフを同じ目線からまるごと引き受けて揺さぶりかけることはできなくても、そのとき癒すことはできた。理解していたから。そしてそれでウォルフは満足だった(TT)ああだめだ〜泣きっぱなしだわ、ワタシ(TT)

★勝手に対談(その6)

★勝手に対談(その1)(その2)(その3)(その4)

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