『松原湖記念』〜それは体験したものだけが感じる、ある独特の響きをもっている。それは夏合宿の体力トレーニングという名目のもとに行われる、上級生による単なる低級好奇心の充足手段であり、かつ博打性も兼ね備えた「イジメ」にほかならないのであった。
また、その後に行われる罰ゲームにおいても、その知的レベルの低俗さは筆舌につくしがたいものであり、それは「モモ」「飛脚」などの語るもおぞましい「芸」をフィリーズにもたらしたのであった。
| 回 | 優勝 | 騎手 | 準優勝 | 騎手 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | カキムサシ | 江夏俊太郎 | ヤクザタイカン | 前田裕司 |
| 2 | ゴロニャングンタイ | 秋庭良崇 | ゴクドーボーイ | 岡田憲彦 |
| 3 | ジャンキョーヤクザ | 秋庭良崇 | アゴヌケスズメ |
「麻雀」、このゲームは実に数多くの学生の単位取得をはばんできた。
たまに出席しようと思った授業には、必ずといってよいほど教室前に笑顔のの3人組がいたものであった。
また、「かまわん、かまわん」「行こか〜」「勝ち逃げはゆるしまへんで」の数々の罵声が、学生を教授の待つ教室から引き離していくのであった。
| 回 | 開催日 | 優勝者 | 場所 | 参加人数 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 昭和53年12月7日 | 「雀王」木下隆之 | 日吉「ジャンナック」 | 14名 |
| 2 | 昭和54年8月1日 | 「雀神」岩田一男 | 日吉「ラスベガス」 | 16名 |
| 3 | 昭和55年2月8日 | 「雀帝」飯田総一郎 | 日吉「ラスベガス」 | 12名 |
| 4 | 昭和55年8月30日 | 「雀鬼」古田英之 | 日吉「一八」 | 9名 |
| 5 | 昭和55年12月20日 | 「雀聖」長谷川達 | 日吉「黄雅」 | 12名 |
| 6 | 昭和56年2月5日 | 「雀狂」岡田憲彦 | 日吉「黄雅」 | 8名 |
| 7 | 昭和57年9月3日 | 「雀神」岩田一男 | ||
| 8 | 昭和58年6月11日 | 「雀鬼」古田英之 | 日吉「ER3」 |
| 某月某日、フィリーズ部員のY君は渋谷の某劇場へ行った。しかし、彼はうかつにもそこで舞台を枕に寝てしまった。彼は、踊りこさんに起こされ、しかも「可愛い」とまで言われ、場内は笑いの渦と化した。そして、彼はその後、何やら奇妙な物体を握らされ何か変なことをさせられていた。帰り道に彼は鼻血を出して倒れた。 |
| 某月某日、渋谷北海において。優勝祝賀会である。この日はOBのTさんも来ている。場が盛り上がったころ、隣からアコーディオンカーテンを破って、一人の青年が乱入して来た。聞くとH大学のハンググライダーのクラブだという。H大学という言葉が出た途端にフィリーズから歓声が上がる。Fコールである。続いてY子コール。その時、H大学側の一人がすっくと立ち上がる。「そのY子ってK.Y子じゃない?」青ざめるF氏。まったく世間は広いようで狭いものだ。 |
| 合宿の夜、1年制の部屋はざわついていた。そこへ「うるさい」と言いに来たA氏は、F君とH君のふとんに引きずり込まれ、襲われたのでした A氏「アア〜、そこダメ〜!、イヤ〜!」 |
「大黒様」〜この題名はある世代の人間にとっては非常に懐かしい響きを持つ。
忘れもしない昭和55年11月某日、箱根湯本の温泉旅館「喜仙荘」にて、この歌は初めてフィリーズにて披露された。
歌ったのは、当時のK大学経済学部T教授(統計学)ゼミ員のK.N氏とY.S氏であった。
この歌のフィリーズに与える影響は少なくなく、以降、物好きな部員達によって歌い継がれる名曲といわれている。