フランチェスカの旅

1997年
34×19cm 油彩
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 実を言えば「フランチェスカ」を最初から描こうとしたわけではない。
 ある人物像を描いているうちに、黒い服を着た人が浮かび上がってきた。
金色に輝く空、しかし地上に立ち込める空気は暗く淀んでいた。
その荒野をただ一人歩く人。手を合わせて歩くのは巡礼のような姿。
これはフランチェスカだ、と思った。
 けれども、歩いていく彼の行く手には一匹の大きな黒いヘビが、、、。

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 聖フランチェスカは13世紀のイタリアに実在したというキリスト教の僧侶。
信仰心が人並みはずれて強く、真のキリスト者として、人々の一番下に自分があらねばと
持っている全てのものを他人に分け与え、自分は無一物になろうとした。
着ている衣服さえ人にやってしまったので、弟子たちが無理に服を着せなければ
死ぬ時にすら裸だったろう、という。
 キリストを信奉するあまり、自分にキリストと同じ苦しみを与えられるように
と望んだ。ある日、アララト山で祈っていたら奇跡が起こり、彼の両手両足に
キリストが磔になった時に受けたはずの傷(聖痕)と同じものを受けた。
彼は歓喜したに違いない。

 フランチェスカはある時期大変に慕われ、「聖」と名がつくほどに信仰された。
以後彼を描いたたくさんの絵が残っている。
 私はフランドルの画家ヴァン・アイクの、
アララト山で祈るフランチェスカを描いた絵を思い出す。
その絵では、黙想する姿と聖痕を受けた後の姿とが一つの画面に並んで描かれていた。
しかもかなり再現的にリアルに描かれていたので
絵の中で二人の人物が描かれているように見えて、ずいぶん違和感を持った。
近代絵画以降の描法として、瞬間を切り取ったように絵は描くものだと
いつの間にか信じて疑わなかったからだろう。
 ヴァン・アイクの時代には、そうではなかった。
同じ人物の時間を隔てた姿が一枚の画面に共存してもおかしくなかった。
絵に対するそういう視点は、ごく普通のことだったろう。

そう言えば、今ではむしろそのような描き方は、コミックなどでは一般的だし、
表現主義以降はファインアートの分野でもそういう描き方はもちろんある。
私が無知だっただけの話だ。