キリストの顔

1997年 34×19cm 油彩

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始めからキリストの顔を描こうとした訳ではない。

ときどき、ただ「顔」を描いてみたくなるというだけのことがあり、
それが特定の誰というのでもなく何となく描きはじめる。
描いている裡に誰かに似せてみたくなることがあって、
そうなるとその誰かのイメージを追求することになる。

この顔はキリストで良いと思っている。
だいたいキリスト(神)のお顔などというものは、
自分から描こうとして描けるものではない。
何故ならそれは謂わば「最高の顔」なんだから。
人が考えて計画して構築できるものではない。
すべて「描かせ」られる。流入、降りて来るものがなければ
到底描けるものではないから。

その意味では、これがわたしの描いたキリストのお顔です。
と言った時にその絵描きの質が露(あらわ)になってしまうと
言えないこともないので---恐い気がする。

でもどんなものでも描かれたものは、
それを描いた絵描きの人間性を表しているのだから仕方がない。
ただ古今東西今昔にわたり、同じモチーフを描き競べるようにされると、
ちょっと辛いものがあるが・・・それでキリストの顔が描けなかったのか?

ちなみにぼくの好きなキリストの顔は、
ボッシュの描いた「カナの婚礼」の中の、テーブルに座るキリスト。
小さくしか登場していないが、静かで優しいその表情は、
そばにいるだけで大きな安心感を与えてくれるに違いない。

他には、ルオーの描くキリストの顔(どれと言えるかは分からないが)。
まっすぐこちらを見ているその眼には深い慈愛がたたえられていた。

2002年6月記