その夢とは、走ろうとしても足が地に着かない、
走ろうとして脚を動かせば動かすほど、体が地面から浮き上がってしまう。
走るのをやめて、スタートからもう一度やりなおそうと、何度も挑戦するがいつも同じ事のくりかえしに終わる。
焦れば焦るほどだめで、結局できない自分の腑甲斐なさに苦しむ、そういう夢のことだ。
長いことその夢に悩まされていたが、日常的に運動することで知らないうちにそれから解放されていた。
もしかしたら夢が先ではなく、挫折感の方があって、そこからそういう夢が出て来ているのかも知れない。
だとすれば、運動とは関係なく、心理的方面で何らかの形でその挫折感を克服したことになる。
どっちなのか分からない。
TVでスポーツ番組を見るのも好きだ。
微妙なタイミングで成功したり、失敗したり。動き自体のメカニズムだけでなく
周囲の状況、状況にとりまかれた運動選手の心理など、おもしろい要素はたくさんある。
選手の身体の動きを見た後、記憶を頼りに、今見た人の動きの形とその動きが生れた心理のメカニズムを
頭で反芻したり推理したりして、楽しむことも多い。
ぼくは泳ぎが得意ではない(カナヅチ)ので、水泳選手の動きを見ていると羨ましくて、嫉妬を感じることもある。
彼らの、身体全体で感じる水の触感というものは、どんなだろうかと想像したりもする。
よく見た夢のもうひとつに、自分が泳いでいる夢というのがある。こっちの方は走る夢とは反対で、
たいてい上手く泳いでいる。それも自由自在に、水の中だけではなく、空気中を。
ある時には部屋の中を泳ぎ回り、天井付近にまで浮き上がっていることができる。
時には外に出て、電信柱や、木の上、高い建物を見下ろすぐらい高い所まで泳ぎ出すこともあった。
しかもそれらは全て水の中のできごとなのに、まったく息苦しくない。空中浮遊みたいだが
自分にとってはあくまで水中遊泳の感覚だ。
「ああ何だ。こんなに泳ぐのは簡単だったのか」と、いつも夢の中で納得する。
呼吸ができないことと目を開いていられないことが主に水の中でのぼくの大問題なのだが、
その両方が完全に解決されているのだから嬉しい。
この夢の中の空中(水中)遊泳の感覚は確実に身体に残っているように思う。