ケーナという犬
1994年
W65×H95×D35cm 大理石 

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 7年前の夏は、まだ身体が回復していなかったので、健康のためにアトリエまで、毎日歩いて通っていた。
ある日、その道すがら、一匹の犬に出会った。あとちょっとでアトリエという所だったので、
 「おいで。ついてきたらなにかあげるよ。」と声をかけた。
用心深く数メートル離れてついてくる犬は、ひどく痩せていた。着くとすぐに弁当のおかずを少しやった。  次の日も、また次の日もその犬は、アトリエで私の来るのを待っていた。毎日少しの食べ物を当てにして。 3日目にとうとう彼、いや彼女は、「この人の家にいこう!」と決意したらしく、帰ろうとする私の後を、どんどん駅までついてくる。隠れてホームにいた私を見つけると、プラットホームに上がる場所を探して、線路の砂利の上をめぐりはじめた。上から見下ろしている私は、いつ電車が来るか、気が気でない。しかたがないから、家にTEL.して車で迎えにきてもらった。犬を飼う気はなかったので、車に乗せてアトリエまで引っ返して、
 「ここにいなさい。」とか言って、逃げるように車を走らせた。
ところが、すごい勢いで走って追いかけてくる犬が、リアウィンドウの外に見える。
 「もっとスピードあげて!」という私に、しばらくは従ってハンドルをにぎっていた夫は、とうとう
 「君は、あの犬を2度も捨てるのか。」すぐには、意味が分らなかった。「1度目は、もとの飼い主。2度目は君から絶望を受けるわけだ。」
もう少しで、R299に出る所で車は止まった。犬の姿は、しばらくして現れた。
 それ以来、ウチの犬になったけど、すでにお腹に子犬がいて、どんどんふくらんでいった。
9月の末に私達の見ている前で4匹の子犬を生んだ。かわいいけど、もらう人がいなっかったらどうしようと不安がる私に、夫は
 「殺すわけにはいかないでしょう。」というから、大騒ぎの毎日になった。
庭の花壇は子犬たちに踏み荒らされ、今や彼らの昼寝の場所と、化した。 その騒ぎは、近所の人の目にどう映っていたのか、付き合いのなかったおとなりのおじいさんが、餌にといって肉を持って来てくれるようになった。 それでもそのうち1匹、2匹と貰われていった。
1匹目は、通勤に家の前を通るひと。夫が親犬の散歩中、そのひとが犬を見て、
 「その犬、お乳が大きいですね。子犬がいるんですか?」
すると、暫くして4匹の中でも、一番活発なオス犬をもらっていってくれた。(残念ながら、この犬は、現在行方不明。)
最初の人の紹介で、2匹目は、遠くから仕事に来ていた大工のおじいちゃんに。
 「ウチは百姓だから、食い物には、全く不自由させないから。」と言って、目の前でトラックに乗せ、連れていった。その犬は、母親似の、中でも一番賢い子犬だった。この頃にはもう、少し情が移り始めていて、別れが悲しい気がした。しかし、まだ2匹残っている。そっちの方が心配だった。 毎朝通勤通学の人が、家の前を通るので、家の門に墨でおおきく「子犬あげます」と書いた紙をかかげた。やがて効果あり。2匹残ったうちの、オスの方がもらわれていった。甘えん坊の単純な性格。体つきが母犬そっくり。元気元気とのこと。 最後の1匹は、家のすぐ横を通る電車から見ていたらしい、仕事の帰りの青年が、途中下車して貰ってくれた。その子犬、名は「サチ(幸)」とつけられて、家族に可愛がられている様子。いまでも、その青年のお母さんから、お手紙をいただく。

 大騒動の果ては、当初の心配とは裏腹に、子犬がいなくなった後も、犬が欲しいという人が現れる程だった。 さて、犬の名をケーナとつけたのは、その頃、アンデスの笛Quenaに夢中だったからだ。ところで、私達は知らなかったが、ケーナは、この辺りを長い間、放浪していたらしい。飼うようになってから、犬を連れていると、あっちこっちで声をかけられる。
 「その犬、飼ったのー!?前からこの近所をうろついてたのよ。」
 「私も餌を上げた事がある。」
 あげくの果ては、
 「もう、捨てないでね。」?????裏山によくケーナと登る。どこへ行くにも、今はいつも一緒だ。
2001.1/13記