泣く女

1993年

W 50×H 127×D 33cm

大理石

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 女たちは、集まってはよく互いのことを話している。だいたい、女はおしゃべり大好き人間が多いのだ。
自分の悩みや苦しみも、聞いてもらえる相手がいれば、どれほど紛れるだろう。
私は、仕事がらか、高校も大学も男が多かったせいか、オンナ友だちというものが、ほとんどいない。
ずーっと以前、ある知り合いの彫刻家に言われたことがある。
「Kさんは、女のともだちって、いないでしょう。」突然で、「うーーーん」と唸ってしまった。
聞いてる人が男だったから、何を見て、そんなこと言うんだろう?と、その時は思った。自分でも意識したことがなかったから。それで特に困ったこともないし、、、。求めてもいなかった。 しかし、私のなかには、特別な印象を残した女たちがいるのだ。その人たちには、心の奥深いところまで、垣間見せてもらった。その女たちは、別に有名でもなんでもなくて、すぐ近くにいた生活者だった。
彫刻に彫った彼女も、そんな中のひとりだ。なんでも話せる気さくな彼女は、絵にも彫刻にも興味を持っていて、私たちの仕事も、いつも熱心に見てくれた。
もうそんなに若くはない女たちには、比較的自由な時間がある。だから、こんな山のなかに引越してからも、ときどきおもしろい話しを運んで来てくれた。 その日は、しばらくぶりの訪問で、やや仕事の疲れが見えた彼女だったが、話し始めると夜中になっても終わらない勢いで近況報告が続いた。「?」っと思った瞬間、しぼるように流れて来る涙。
ああー、それまでの話しの意味はこのことかと、それまで隠されていた彼女のほんとうの姿を見るようだった。 このごろ、あの時の、いやそれに限らず、女たちの涙の意味を考える。
確かに、ひとりひとりの物語りは違うのだが、涙が流れてくるのを見せられる度に、『試練と争闘』に立ち会っていると感じていた。落胆、悲哀、絶望。
彼女たちは、普通の人以上に人を想う(愛する、愛したい!)という気持ちの強い性質を持っていた。だからこそ、あの時、回りの無理解に傷付いて、躓いて倒れてしまったのだ。 そして、女たちは迷っていた。今の生活を捨てるか?それとも拾いなおすか?と。
だから、試練だけではなく、争闘(戦い)が、心の中で激しく始まるのだ。
判断停止の痙攣状態!その姿は痛ましい。いつか抜けだせるように、希望の方に、光りの方にと願って見守ることしか出来なかった。10年もの月日の後、おだやかな再会を果たした。風が伝えて来るたよりだけれど、確かに生きているということだった。                              
2001.3.3.記