花の形、 あの“カラー”という名のゆりにも似た白い花の形が、ずーっと気になっていて、いつか彫ってみたいと思っていた。
それは、もっと若かった試練の時代の一場面に由来する。
ある有名作家から制作依頼を受けた私は、アートシーンに飛び出すチャンスか?という野心と、美しい大理石を彫るという意欲の間で、揺れ動いていた。
そんな日々のある一日、その作家と池袋のデパートの美術館に出かけた。誰の展覧会だったか覚えていない。ただ、お昼を食べるために入ったデパートの中のレストランの壁に掛けてあった写真。真っ白い“カラー”の花を 大きくアップで撮影したものだった。花弁に水滴が、大粒の涙のように引っかかっていた。誰とも分からないひとりの写真家の目を通して与えられたインスピレーションから この彫刻ははじまる。
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夫のヒロミは、夜遅くまで絵を描いて寝るから当然朝は起きるのが遅い。いつも先に寝て、先に起きることになる私が見たある朝の彼のふしぎな顔のこと。
しずかに笑っているような顔と、その口元に置かれた彼の指の配置が、なにかこの世の向こうと交信しているような やさしい気配だったのだ。
起きてきた彼に、何か夢を見ていたかとたずねたが覚えていないという。いや、きっと何か見ていたはずだし、それを聞いてみたいと思うのだが。
その後も、ふしぎにも同じ仕種の寝顔を数回見た。ちいさな赤子のようでもある仕種だが微妙に違うのは、右手の人さし指と中指が下唇のふちにだけそーっと触れているのだ。まるでそこだけ天使の指が触れているように、、、。
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ほんとうに若かった時代を過ぎて、聖書を池袋のデパートの地下にある書店で買った。亡くなってしまった大切な人の魂の行方を知りたくていろいろな本を学んでいくうちに、聖書に辿り着いた。あらゆる生命や魂に関わる本には聖書からの引用が多いのだ。
聖書の中のダニエル書にある話で、主の出現に恐れて、ものが言えなくなるダニエルのことが書かれてある。そこに人の子のようなものが現れて、彼の唇に触れるのだ。そうすると、とたんに彼の口はとけて、しゃべることができるようになり、神と語るということになっている。
彼はその時預言を与えられ、人々に告げ知らせるようにと言われるのだ。
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さまざまな迷路のような読書。本がつぎの本を呼ぶ。
聖書よりずーっと以前から読んでいたエマニエル・スエデンボルグという人の「霊界日記」。
スエデンボルグによれば、聖書を読んでいる時、自分では意識できないところでは喜びが拡がっているのだという。つまり、天界の天使たちが聖書の深い意味を理解して、喜び語り合っているというのだ。
誰のそばにもいるはずの天使たち。彼らが喜ぶという言葉を私が今読んでいるという時間は、時間を超えた世界のことだ。
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天使の他に、惡霊もそばにいるという私たち人間。いつも人間はそのどちらかに意識が引っ張られている。どっちを選ぶのも自由というわけだ。
驚いたことに、天使も惡霊も もともとは人間だったらしい。この世で死んだ後にそうなったという。 あー!私は天使の方がいい。誰だってそう思う、はずだが、、、。
天使に資格とか免許はない。
毎日の生活がその人の歴史になる。その生活のすべてが、その姿にではなく心に刻印される。その心が天使であれば天使になれる。だけど、今はいかにも妄想でいっぱいだ。自分のことを追求することが最高の目的になっていて、それが快楽でもある。
「世のため、人のために生きたい」と言ったら笑われたことがある。子どもみたいに見えたのだろう。さみしかった。その人のことが、、、。
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天界にも3段階あって、いちばん無垢なものたちの住む天界が第3の天界でいちばん高い。残念なことに、そこにはこの頃 めったに新しい人がやって来ないらしい。
この世がこんなに荒廃しているのだから、やっぱりそうか、、とも思う。
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今、少しでも天界に向かって動き出そうと語り合うふたりの姿を彫った。
そこは天界のうーんと下の方だけど、決意したふたりのところに、真理がきらめく水の流れのように降り注ぎ、愛が花の香りとなってこぼれてくる。
そう・・・ これが 『天界の夢』
2001.6.20.記