1952年静岡県浜松市に生まれる
浜松元城小学校では校歌「まちの最中の大空に、、、」の歌詞の"最中"の意味を菓子の"モナカ"と、けっこう高学年(6年生?)まで誤解していた。ちなみにモナカはそんなに好きじゃないです。
浜松中部中学校では、剣道に夢中。朝から晩まで試合で使う剣道のワザを考えてばかりいた。そのせいもあり市内大会では個人戦2連覇(←自慢)しかし県レベルではさっぱり(←実力)剣道初段に合格。
浜松南高校に進学。市の高校ランキング上から3番目。既に受験競争から立ち後れる。「覇気がない校風」。剣道2段、居合道初段を取得。
あまりに勉強ができず明確な将来の希望もない。
子どもの頃から絵をかくのが好き、漫画家になろう!と同人誌に投稿までしていたのを思い出し、ここは一発逆転!というかそれ以外に道はないと考え、進学指導の担任に「ぼくはゲイダイに行きます!」
それまで目の前に開いてあった内申書をぱたりと教師が閉じたっけ。
美術大学を目指すことに。
東京での大学浪人。一人暮らしはほんとに楽ちん、それまでの持病の胃痛もまったく起きずで、人間好きなように生きるのが健康に一番良いのだと大発見。
その大発見あってか一年後東京芸術大学絵画科油絵専攻に合格!!これを一発逆転というんでしょうか?
市中では時の有名人。わざわざ絵を見て下さいと尋ねて来る人もある。一年前まで在籍していた高校では初の快挙ゆえにかつての教師たちの驚きも一様ではない。担任、
「どこか違うとは前から思っていたよ」
在学中は山岳部で山に登ってばかり、山行で親友を失くす。その翌年父親が死ぬ。この二つの「死」にダメージを受けたか、体調不良が続く。
こんな時の心のすきまには容易に入り込むモノがある。いつの間にか結婚する羽目に(いやもちろん今は大変幸せですよ)。
芸大出と言ったって絵描きになる将来が約束されたわけではない。今思うと、受験競争という自己のプライドとの過酷な葛藤時代を美術家志望で身をかわしただけかとも、、、。だがそんな風に人生が進んで行くというのも不思議なものだ(で良いんだろうか?)。
絵がかけなく困っていた時に、ある妙なものを見てから、絵のモチーフを変えた。現代美術にはしだいに興味を失い、仲間との交流もほとんどしなくなった。自分の興味のみに引きこもり始めると、主題がどんなに単純でも素朴でも本当に好きなことを追求するしかなくなって来る。
乗りかかった船。こいつにのっかって死ぬまでどこまでも行くつもりだ。その気にさえなれれば人生は楽しいものさ。
油絵の他に銅版画、木版画も制作