|
||
|
愛の問答 |
||
|
私の方から今日の配達は何処かとたずねることもあったが、遠くへの配達がある時は母の方から声がかかった。片道二時間以上になると一人より二人。小さな子どもでも話し相手になるし、今思えば母子の大事なコミュニケーションの機会だったようだ。 トラックの座席のシートはクッションが硬くてパンと張っていて、子どもの身体は道の凸凹がある度に車の天井にぶつかるかと思う程跳ねた。シートベルトをつける習慣もない時代だ。その頃は国道の鋪装もいい加減というか、その程度でも充分やっていける車の数と流通だったのだろう。 トラックが走り出してしばらく、良い気分になって来て思いつくまま話していると、突然母の手と腕が伸びて来た。はっと思った瞬間、身体が前に投げ出された。あやうくフロントガラスに頭をぶっつけそうになった。文句を言いながらシートに座り直す私に、 以前路上の犬の死骸を避けずにそのままトラックを走らせた母に、猛烈に抗議した覚えがある。ちょうどその上を走り去る時、助手席で両足を上げ、両目を手で被った。動揺した気持ちをそのまま母にぶつけて、その後も気持ちが落ち着くまでにはずいぶん時間がかかった。たぶんその後気分直しにアイスクリームかなんかを買うために、ドライブインに寄ったに違いない。 トラックの窓を開け放して、ソフトクリームの形をした決してソフトではないラクトアイスを助手席で嘗めながら、運転している母との会話を続けている。そんな場面が幾度となく繰り返されて、身体だけは大きくなっていった。 シートから床に充分足が届くようになった頃、その年頃並みの恋に悩んでいた私は、それとなく話題を恋愛論に持って行った。 -----もしも、という話だけどー。ある人を好きになって、けっこう付き合ってしまったとしたら〜、、、でもーなんか、ほんとうに好きかどうか解らないとき、ずーっとつづくのかねー? というような、説明にも質問にもならないことを言ったと思う。 つまり、、、母の言葉の中に答えをさがしていく。母は続けて結論のように、 会社の経営に乗り出してからは、パンタロンスーツとショートカットのへヤースタイルでいつも動き回っていた母は、デパートでの買い物中、男と間違えられてたばこの火を貸してくれと呼び止められる人だった。会社の従業員である女の人たちの家庭問題をしたり、夫婦の悩みを相談されたりもしていた。そんな時母はやっぱりトラックの中でのように答えていたのだろうか? それにしてもあの時の母の横顔。もしかしたらあれは自分の状況や愛の形も言い表わしていたのではないか? 母自身の愛は? 自分の愛の自由は犠牲にされたのではなかったか? という疑問が私のなかには残っている。 あの時とまったく同じ言葉を最期にふたたび母に言われた。トラックの運転席と助手席ではなく、病院のベッドとその横の椅子という位置で。母はやっぱり私の方ではなく前方を、つまり天井を見つめたまま。 トラックでの場面から13年が経っていた。
|