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----「物言えば〜 唇さむし 秋の風」という気持ちになってねー、職員会議で発言するのは止めたのよ、という母の教員時代の最後の印象。
この思い出話は、彼女の結婚前のことで、これを聞かされた私はというと、まだ小学生だった。
家庭科、それも洋裁が専門の教員免許を持っていた母は、青年学校で教えていたこともあったらしいが、先生が足りないという小学校から頼まれて、数年間いろんな教科、特に図工を指導したらしい。
----子どもの絵というのは、また難しいものでねー。大人の目から見れば、良い絵だと思うのに、それが全く評価されないんだから、、、、と言ったのは、競争させながらやる気を起こさせるという、その頃からあった子どもの絵画コンクールのことらしかった。
いろいろ苦心して教えた子ども達の絵は、コンクールにいくら応募しても入選しなかったらしい。何度か挑戦しているうちに、やっと気が付いたことは、
-----じょうずに描いたんじゃーダメだって、分かったのよ。なんかコツがつかめたから、そういう風に指導したら、少しづつ当選するようになって行ったという。子どもらしく描かせる方法を研究してみた。色とか形とかも、しっかり描くより、無邪気に描くとでもいうような。子どもに絵を教えることに、おもしろいものを発見したりもして、けっこう夢中になった母。
田舎の山々に囲まれた小さな村の農道を お下げ髪に袴姿で自転車をこいで行くその頃の母は、さぞ元気で溌溂とした乙女であったろう。
それがだんだん空しい気持ちになって行ったという。いろんなアイデアが浮かぶのだが、校長も先生達も取り合ってくれないし、会議というのは、何を言っても無駄なところだったので、ここは世界が違うと思ったのだろう。母は、口を閉じてしまった。
「男の方がいい」とどこかでいつも私が思っていたのも、そんな母の苦労や失望を見たり、聞いたりして来たからかもしれない。
正面から言っても、聞いてもらえないとなると、男優位社会の女達のやり方の方が実効性がある。いつも母は、父とも誰とも、ぶつからないように、うまく話して行くのがじょうずだった。子どもの私の方が、端で見ていてイライラしてしまう。よくも、我慢できるなー、と感心することもあるけれど、誰もいなくなって、母とふたりだけになると、堰を切ったように不満を述べたものだ。
酔っぱらいの相手ほど、バカバカしいものはなくて、それでも優しく応対していた母。労働者の職場であった父の製材所の人たちとか、大工さん達が、よく家に来ては遅くまで飲んでいた。子どもなりに私も接待したつもりだが、ひどく酔っぱらうクセのある人が来ると、用心していた。
ある日、忘年会みたいな宴会が家であった。ひとりひどく酔っぱらった人がいたので、母がトラックで家に送ることになった。
父は、とうに酔っぱらっていたし、仕方がなかった。私も手伝って、助手席に乗り込んだ。窓際に座ったのだが、運転席の母と私に挟まれた形で座っていたおじさん、猥褻なことを言いながら、母の方に手を伸ばす。私は内心腹が立ちながらも、やんわりとなだめながらのドライブ。小学生の苦悩!だが、母への侮辱がたまらなかった。
なんとか、無事に送り届けての帰りの車で、猛烈に不満と怒りが爆発!そんな時の母は、
----酔っぱらいだものー気にしても仕方がないよ、というように、問題にしていない風だった。
そんな母の 諦めとも悟りとも取れるような言葉に、
「女の馬鹿はかわいいけど、男の馬鹿はどうしようもない」というのがある。
事務をしながらだったけど、何を言いたいのかなー?と思って聞いていたのだが、きっと、ほんとうは、母には頼れる男の人、つまり夫が必要だったのだろう。
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