|
||
|
ゴーストライター |
||
|
わたしが小さい頃、おそらく小学一年か二年の頃のこと。 絵の宿題があっていよいよ明日は提出日という夜、追い込まれた状況のなかでまだ何を描くか決めかねていた時、母の助言もあって象を描くことにした。 ふつうに描いたのではつまらないし芸がないということで、グレーの折り紙を小さくちぎって貼るという手の込んだことを始めた。夜の開け放した縁側で川から渡ってくる風も気持ちが良いし、ラジオの野球のナイターかなんかが聞こえていたような雰囲気のなかで、少しづつ貼って行った。 でもしばらくすると、象の形になかなかならないし、眠くなってくるし、疲れても来た。横の畳みには布団も敷かれだした。糊でべとべとになった手では、貼付けようとした紙が画用紙の方に行ってくれない。そのうち台所の片付けを終えた母がやって来て手伝ってくれた。でも終わらない。とうとうわたしはしくしく泣き出してしまった。 ****************** 学校で選挙という行事があって、いろんないきさつで立候補することが度々あると、立会演説の文面を考えるのがまた母の仕事だった。これは母もおもしろかったようで、乗って来ると演説の練習までして二人で盛り上がってもいた。----ひと呼吸置いて、みんなを見渡してから話しはじめるように! とか声の調子や間合いまで、ほんとにこまかく教えてくれた。 学校で実際にみんなの前でやってみると、自分では緊張でふるえていても、他の人には堂々と見えていたらしかった。票も伸びた。 ****************** あまり本を読まないわたしにとって、読書感想文というのがいちばん困った。ふだんの蓄積がないから、本を探すところから始めなければならない。そしてそれを読んでやっと作文を書き始められる。なんとめんどうで時間のかかることか! またもやぐずぐずと決めかねて悩んでいると、母がその頃買い揃えてあったいわゆる日本文学全集とかいうものの中から、川端康成を引っぱり出してきた。----これは短いから、急いで読みなさい、と言われて見たのは「伊豆の踊子」だった。 読みながら読書感想も同時に書いていくという、奇妙なやり方でしばらく書いてはみたものの、やたら引用ばかりで内容がないのはあたりまえだ。とうてい出来そうもない。時間もない。 あきらめて母に小説の内容の解説を聞きに行く。そしてなんとか原稿用紙一枚を超えるくらいまでは字を埋めたところで、母に見せた。 「まあ、これでいいよ。あとで書いとくから」と言われて、その頃はすっかりいいコンビになっていた(と、一方的に思っていた)わたしは、安心して寝た。 翌朝母に6時頃に起こされた。 「Kちゃ〜ん はよ起きんねー。セイショせんとー!」そうだ、伊豆の踊子だ。 大人の書く文字は少しくずしてあって子どもには読めないものだが、母の書く文字にはけっこう慣れていた。川端康成の文はピンと来なかったが、母が書いた伊豆の踊子はよく解った。感動した。でも----中学生の子どもがここまで書けるだろうか? などと自分でも変な、ねじれた事を考えていた。 学校に提出した後しばらくして国語の先生に呼ばれた。校内の代表には最終的には選ばれなかったが、とても感動したので先生自身がもらいたいということだった。 最後のところを少し覚えている。----彼が探す眼の先には、ただ朝靄のなかに、杉の密林と伊豆の山々が続いているだけだった、、、というような。 母はなにを言いたかったのだろう。わたしの作文を使って、、。 ********************** ゴーストライターとしての母の仕事は、中学校の卒業式の送辞の作文にも発揮された。いつものようにわたしの書いた文を元に書き換えて行くやり方だったが、できてみるとすっかり斬新なものに生まれ変わっていて、オリジナル文の影は全くなかった。 わたしは当日、読み方だけは母との永年の練習で培ったやり方どおりに、ゆっくりとシュクシュクと、誰が書いたのか、誰でも書けるような文章を読み続けた。 でもあたりからは、感じ入った生徒や親たちのしんみりとした雰囲気やすすり泣く声も聞こえた。 後で母は、 高校は家を離れて下宿して暮らしたから、もうゴーストライターはわたしにはいなくなった。
|