もくじ

般若心経

 今住んでいる家は、古い木造平家で、縁側に座って中庭なんかを眺めていると、子どもの頃にタイムスリップしたみたいな気がしてくる。それほど古ぼけた非近代的住宅なのだ。でも私も夫も気に入っている。小さい部屋がいくつもあって、奥には付け足したように洋間があったりする。もう十五年も住むこの家の、いちばん小さな三畳の部屋の壁に般若心経が掛かっている。額縁に入れてある。ドアの上の高いところから見下ろす位置にある。これは母が書いたものなのだ。

 私たちがこの家を借りようとした時は、家の主は、とうに亡くなっていて空き家になっていた。おばあさんがひとりで住んでいたのだそうだ。タバコが好きな人だったらしく、居間の壁や柱はヤニで色が変わっていたくらいだった。そして、この家の人たちは韓国の血を引いている。

 もともとマンガンの鉱山だったというこのあたり、戦争中はいろんな所から労働者が流れてきて住みついたというのだ。確かにいつも散歩コースにしているすぐ前の山には、採掘後のトンネルがあって、葛のツタの向こうに暗い穴が続いていたりする。

 私の母が韓国に住んでいたちょうどその同じ頃、この山の中に俄に出来た労働者の町には、たくさんの朝鮮半島からの人々がいたのだ。この家を借りるきっかけになった、その前に住んでいた家の大家との大ゲンカも、知る人ぞ知る気の強い韓国出身の未亡人のおばあさんが、相手だった。

 何か縁があると思いつつも、戦時中の占領下の韓国に、自分の母が住んでいたなどと、とても言えなかった。母の話から感じていた韓国での日本人の誇りや優越感には、幼かった私でも、何か暗い不正の臭いを感じてもいたのだろうか?この地方に住むようになってからは、これは言ってはいけないという縛りを意識した。いたわりとか同情以上に、暗い歴史という過去が自分に降り掛かって来た時には、とても対応しきれない気がしたのだ。

母の書いた般若心経それ自体は、ふつうに書かれたきれいな書体の薄墨の書なのだが、左上の余白に「5」と筆で小さく書き込まれているのが、私にはなんとも苦しい記憶なのだ。

 老後は趣味に生きようと願っていた母は、忙しい生活の現場では、書がいちばん手っ取り早いというように、絵を描くことより字を書くことにしていたらしい。「らしい」とこれまた曖昧なのは、母の晩年にはほとんど会わなかった私なのだ。芸術の道は繁栄と栄光があればこそ人に誉められても、逆に貧困であってはうとまれる。実家を継いだ兄との、これまた大ゲンカで疎遠になったままで三年の月日の経つうちに、母は末期の肺がんで入院してしまった。

 あれは悲哀の病気なのだと、いまでは思っている。
 運命というより神の用意された必然というように、私はちょうどその頃企画された『阿蘇国際彫刻シンポジウム』の招待作家になった。二ヶ月にわたって石の彫刻を現地で彫った。おかげで病院の母を度々見舞うことが出来た。母はどんどんやつれていく顔に笑みを浮かべて喜んでいた。

 芸術のパトロン!
 今思えば、母の芸術へのあこがれと夢が、私にこの道を選ばせたし、支援と支持を与えてくれていたのだ。
 シンポジウムの最中には、新聞社の取材や、テレビクルーの実況中継など、地方の報道ではあるけれど賑やかで、華やかでもあった。だがそれゆえの批判の眼差しの肉親に囲まれて、ぎりぎりの精神状況だったのを察してか、ベッドから、
 ----なんにもしてあげれなかったねーKちゃんには、と自分の最期を知っているかのように言う母。
 父から告知しないようにという禁止の状態に置かれていたので、メッセージを送っている母に、何と応えたらいいものか?
 ----ううん、いっぱいしてもらったからー、とだけが、やっとで。

 彫刻の巨大さもあったけど、精神の緊迫から、会期半ばに夫に来てもらって制作を手伝ってもらい、彫刻は完成させた。母もシンポジウムの期間をなんとか乗り切ったので、最期の時間を母とふたりだけで過ごすことが出来た。その瞬間までも。

 しかし彼女は知っていた。夜遅くまで医学書を読んでいたというし、何枚もの残された般若心経。いちいちに、数字が書いてあるのだ。時々乱れる字、間違った字が挿入されているのもあった。
 私は「5」を選んだ。書体が穏やかで、墨色がきれいなのだ。
 おおよそ、神頼みとか、信仰とかの姿を見せたことのない人だったのに、この世の時間がもう残されていないと解った時、ひとり写経をしていたとは。

 私がその時から学びはじめたこと。命は何処から来て、何処へ行くのか? あの時、いや、もっと前にあなたが元気に働いていた頃、私はまだ何も学んでいたかった。もし少しでも知っていれば、そのことを教えてあげたかった。忙しすぎて、学び得なかったことを教えてあげられたら、あなたは悲哀の病気にならずにもすんだのではないか?

 今は窓から入る風が気持ちがいい日などには、母が病院のベッドの上で言っていたあの、
 ----ここから出たら、出られたら、こんどはKたちのところに必ず行く! という決意の表明のような言葉を思い出している。すると母は私の傍にいるのかもしれない、と思える。
 壁の般若心経を見上げながら、、、。