もくじ

宝石

 ----大切にしていたきれいな宝石を 失くしてしまったような気持ちがするよ、と母は「じいちゃん」の死の印象を語っていた。

 およそ母には宝石なんて似合わないし、興味もなさそうなものなのに、どうして「じいちゃん」が宝石なんだろう、、、とその時は思った。
 ----何をしてもらうというのではなく、ただ話しを聞いてもらっているだけだったけど、そういう相手がいなくなったというのは、淋しいねえ。
  そう言えば、病院の帰りにうちに立ち寄った祖父は、台所で母とふたりコーヒーを飲みながらよく話しをしていたっけ。

 ひどいリウマチで苦しんでいた晩年の祖父の、一日於きとか二日於きの痛み止めの注射の為の通院。母は工場がどんなに忙しくても祖父から電話があるとトラックで出かけた。社長という仕事は、常に忙しいけれども、スケジュールは自由自在ということだったかもしれない。それにしても、よく動き回っていた。

 大切な人のことを 宝石と言った母。 母の心の宝石が、いくつあったのか今となっては知る由もないが、、。

 祖父、つまり母の父は、ほんとうの父親ではなくて、母の叔父にあたる人だった。父親が早く死んでしまったから、後をそっくり継ぐことになってしまった一番末の弟だったらしい。その辺の事情は、私が小学生の頃、母から聞かされた。 子どもの頃から見ていた「じいちゃん」は、母のルーツに繋がっている臭いを持っていた。遠くの深い緑の茂る山々と盆地、、、スイカ畑、、、朝鮮、、、トラの毛皮の敷物、、、引き揚げ船、、。

 過去の記憶を共有する人がいなくなったということかもしれない。それは、母が心に抱いていた美しい風景や、家系の繁栄、そして未来という夢だった。

 その祖父の死後、母は、自分では名乗らなくなっている旧姓が呼び名の会を作った。「故郷」というルーツである土地からはすっかり断ち切られてしまった一族の、心だけでもひとつに結ぼうとした母の思いつきだったと思う。銀行に口座も作った。弟たち各々できる範囲でやっていた祖父への仕送りをこのまま続けて貯えて行こうというアイデアだった。やがて大きな資金になれば、子どもたちの奨学金に使ったり、皆で旅行をしたりしようと発案していた。
 果たして他の四人の母の弟達は、どう思っていたのだろうか?ノリのいい母に、すっかり任せていたのだろうか?
 夢のような母とその弟達の語らいの夜を今でもよく覚えている。会の口座に、ぽ〜んと最初に資金を提供したのは、いちばん下の弟だった。
 でも、しばらくして最初にこの世から去って、向こうのお父さんの所に行ってしまったのはこの末の弟だった。この人には、宝石を失くしたショックは大きかったのだろうか。四十代で都会の路上で急死したこの人のポケットには、数珠が入っていたそうだ。
 亡くなった弟を囲むささやかな兄弟だけで弔う都営の葬儀場は、こんな死に方もあるんだな〜と思わせるようなシンプルさだった。その時も母は、
 ----なんにも残さずにさっぱり死んで行ったから、悲しいというような感情が湧かないね〜、と不思議なことを言っていた。住んでいたアパートの片付けも、数時間で終わったと言うから、、。
 大切な人のことを宝石というのなら、亡くならない宝石、失うことのない宝石ならばいいのに、、、永遠の星のように。