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誰かが自分のことを想っていてくれると感じている時、人は生き生きと活動できる。反対に、誰も自分のことなんかに関心を持っていないと思う時、脱力感と無力感に襲われる。
母が亡くなる直前のあの日、T叔父さんに言われたっけ。
----もうこれからは、Kちゃんが何をしても、ほんとうに喜んでくれる人はいなくなるんだよ。
確実に姉の死を予感したうえでのこの言葉を、叔父は自分自身に対しても言っていたようだった。愛してくれる人がいなくなるということは、励ましてくれる人、見つめてくれる人を失くすということだと。
病院の外に出ると、天空には満月にあと一、二日という少し歪んだ月がかかっていた。空を見上げた途端、ぐっとお腹が変になって、予定が狂った生理が始まった。
----女と月か、とその時考えたのを覚えている。
----人が亡くなる時間は、決まって潮の満ち干が極まった時だ。とT叔父が奇妙なことを言っていたのも思い出した。
盛大に行われた葬儀は、男と女が完全に別れて座るようになっていた。これがいちばん辛かった。まん中の通路を隔てて向かい合う親族の男達の集団に、私の夫は嵌め込まれていた。グレーに黒の腕章を付けただけの略式の姿で。そこには、夫婦という単位はなかった。私もまた、ひとりで女達の黒に沈んでいた。どこにも支えがないので、今倒れたらそのまま壊れてしまいそうな孤独な感じがした。決して泣くまいとも思っていた。
弔辞を読む人がふたり続いた。はじめは袋工場の従業員の女の人。これには泣かずにいられた。次に出て来た初老の紳士。どこか見覚えがあると思ったら、近所にある取引先の会社の社長だった。、、、小学生の頃の夏休み、毎朝この人の家の前の町内会のラジオ体操に、遅れそうになるから走って行ったっけ、、。
この社長さんが、和紙に墨で書いたものを拡げた。いくつもの短歌だった。
「、、、見上げる空に 十四の月」という言葉が詠み上げられた時、こらえていたものが流れ出した。誰かと共に悼むということができなくて閉じていた心に流れ込むのは、歌の中の言葉だった。
「・・・・乙女のごとき薄化粧」また涙が溢れた。それは、私が母の顔にひいた紅であり、白粉だった。
父や兄には決していい感じを与えなかったこの社長の弔辞だが、ほとんど居場所のない他所者のような私の心にはよく響いた。
後で夫にそのことを話すと、
----あの短歌にはマイッタよ、と言う。彼もまた同じものをそこに見ていたのだ。
母は、ここで行われているすべてをきっと見ているだろうと、空中を見回すのだが、何も見えなくて、そこに見えるのは知らないような人ばかりだった。いつの間にか、この土地から私はこんなにも遠く離れてしまっていたのだ。
あれから十八年、解らなかったことが少しづつ見えて来て、自由に行動できるようになった。いつも夫とふたりでいればなんとかなった。
ほんとうに喜んでくれる人がすぐそばにいる。そして今私もまた人のことを喜べる人になることで、もう一度母に出会い直している。
人から愛されることよりも、人を愛することができれば私もまた母になれる。
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