もくじ

涙の流し方

 袋工場の事務をしている母の横で、今日学校であった事をいろいろ話しかけているうちに、気持ちがたかぶって来て、涙があふれてきて泣いてしまったことがあった。 そんな時の母の対応は、はじめは少し驚いたようでいても、すぐに笑みを浮かべて、うんうんと頷きながら事務を続けている。その時、

 ----Kちゃんの泣き方は、いつもふしぎだねー。小さい時から。

 急に変なことを言いはじめる母に、それまでの悲しみへの集中感がとぎれて何のことだか聞いてみると、母の観察によれば、私は幼い時から泣く時は立ったままで、溢れる涙を拭きもせずに手もあてがわずに前方を見て、わーっと泣くらしい。
 はじめてそんな事を言われたので、その時はすでに少し大きくなっていた私は改めて自分を振り返ってみた。確かに誰かがタオルを取りに行って渡してくれるまで、平気で涙を流し続けていたなーと思い出した。
 そして母にも聞き返したら、
 ----おかあさんは、Kのようにはもう思い切って泣けないよ。うらやましいように思うよ。

 その頃の母は工場の経営でいつも忙しく飛び回っていて、溌溂としていたように思っていたから、おおよそ涙には縁遠いようだったし、確かに本格的に泣いているのをその後、目撃した覚えもない。 その時の母の言葉のニュアンスとしては、もう大きく心を揺さぶられる事がなくなったというより、自分は鈍感になってしまったと言いたいようだった。

 でも私の古ーい記憶のなかには、母の嗚咽する姿が焼き付いているのだ。

 母は、押し入れを開けて、そこに入れてある布団の山に顔を突っ込むようにして泣いていた。正座したままで。その理由はよくは覚えていないが、たぶん父との諍いの後の場面だろう。私はと言うといつもその後ろで棒立ちのまま、そこらに満ちている不幸の空気に怯えながら、大きな声で泣いていた。何度かそんな場面があったのだと思う。今でも良く覚えているから。

 母はまだ若かった。時々和服を着て夕飯の準備をしていたりすると、華やいだ雰囲気があたりを明るくして、今日はどうしたのかと母の顔を覗きながらも、うれしかったのを覚えている。

 ある日小学校から帰ると、母と父と父の会社の社長の奥さんがいた。三人ともほとんど話をしないでただ向き合っている。 その中でただ母だけがうつむいて泣いている、押し殺すような泣き方で。 ことの重大さとか深刻さは、こんな昼間っからそれぞれの仕事を放りっぱなしで揃っていることから分かる。
 しかし私も大事な用件があるのだ、と言わんばかりに母に問いかけた。

 ----ねー。今日ともだちを家に泊めていい?みんなと約束したとよ。ね〜。

  母は暗く少し下を向いたまま、今日はダメだよと言っていた。静かだった。

 暗い時代を通り抜けたようにその後はずーっと見なくなった母の涙だけれど、母は私の涙の流し方がうらやましいと言うのだ。 どんなに苦しかったのだろうか。涙が涸れるほどの経験というのは。

 でも母は笑う。豪快に笑う。笑い方だけは、母と似ているらしくて、みんなにその笑い声の大きなことで驚かれることがある。

 笑うのも、泣くのも、もっと自由にやってほしかった。