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お風呂 |
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家には、ずーっと風呂がなかった。言わば社宅のような形で住んでいた製材所の二階は、何度もリフォームは繰り返されたけど、最後までお風呂だけはなかったのだ。銭湯に行くか、住み込みの青年達の住んでいる社長の家に貰い湯かのどちらかだった。銭湯のことを「風呂屋」と呼び、社長の住む家は木工所だったから「職場」と呼んでいた。ある時期は職場のお風呂ばかりだったかと思うと、風呂屋が続いたりして、何の根拠でそのスケジュールが決められていたのかは分からなかった。 ----おーい K チャッポンに行くぞ〜! という父の声が聞こえると、何をしていてもすぐ出かけなければならない。 お風呂までの道々で、父は時々童謡を歌って聞かせてくれたりしていた。でも、ゆかたか和服の父の下駄の音に付き従って行くのは、あまり愉快な道程ではなかった。何が嫌いだったのかははっきりしなかったが、お風呂自体も嫌いだった。 「職場」の時には、風呂待ちをしなければならない。社長婦人のじょうずな采配に任せて、テレビを見たり、談話をしたりしながら、次々と皆が風呂を済ませて行く。 「風呂屋」の時は、行けばすぐに入れる。近所のおじさんたちと挨拶を交わしながら入る大きな風呂は、いつも熱くて「しっかり肩まで入って、百まで数えろ!」と言われるのは、好きではなかった。 幼い頃に、母とお風呂に入ったという記憶はないのだ。きっと時々は、母も風呂に行っただろうから、そんな時にはいっしょに入ったかしら? 小学三年と四年の担任をしてくれた女教師のN先生にはずいぶん可愛がられて、放課後ひとり居残って、教室のことをいろいろ手伝ったりしていた。母と話すように N先生にはなんでも話した。おもしろがって聞いてくれるのだ。そんな会話の中で、 小学校での生活が活気だって来て、いろんな友だちと互いの家を行き来するようになった頃、誰かの発案で風呂屋に行こうということになった。各々石鹸とかタオルを持って風呂屋の前に集まった。みんな当然のごとく女湯ののれんに向かうのだが、私はこの時初めて女湯に入った。中は女の人ばかりだった。不思議だった。風呂の配置とか水道の位置が、すべて男湯と対照する位置に付いていた。男湯にあったのに、女湯にはない小さ目の湯舟のことなどが、少し心に引っかかった。 袋工場のすぐ隣の家で豚を飼っていた。いつも残飯のくさい臭いと共にブーブーという鳴き声が聞こえていた。子豚が生まれた時見せてもらったこともある。ピンクの丸裸の子豚は可愛かったが、触る気にはなれなかった。やがて豚も飼わなくなってその場所が風呂場になった。そこへ貰い湯に母と出かけるようになった。その家の人がみんな入り終わった頃を見計らって行くので、夜も遅めの時間になった。 ある冬の夜、何かをしていた私はぐずぐずしていて、待ちかねた母は先にお風呂に出かけてしまっていた。今からでは遅くなると思い私は近道をとった。うちから見えるその家は、直線にルートをとって行くには木材の丸太の山の間を縫って歩く。風呂の明かりが見える辺りまで来てゾッとして立ちすくんだ。誰かが丸太に腰掛けている。黒いシルエットだけしか分からない。その黒い影が静かに立ち上がった。 ----なんで来なかったの? と帰って来た母に言われて、黒い影のことを話した。 やがて台所が近代化されて行くにつれて、ガス瞬間湯沸かし器なるものが登場。 その新しい家が建った頃には下宿住まいだった私は、ちょうど大学が休みで家に帰っていた時、引越しを手伝った。うれしそうだった母は、毎日のお風呂が楽しみだったのだろうか?ある日の電話で、
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