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女の系譜 |
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| 祖母のこと
母の両親は、母の祖父が開拓した土地と家を継承するために、祖父の采配で結ばれたらしい。古い写真を見ると、築山がある庭園を背景に皆が揃って写っている様子は繁栄の物語りを偲ばせていた。小さな子を膝に乗せて写っている彼女の母親は、写真の人々の中でも飛び抜けて目立っていた。目鼻立ちがすっきり通っていて美しい人だったらしいが、母の思い出話しからは厳しくて冷たい人としてしか語られなかった。 立て膝をついてアイロンをかけていると、静かに後ろから近づいて来て、パシッと膝を叩かれたそうだ。私は、そんなことをされたことは一度もないから、母と祖母ふたりのタイプが違い過ぎていて驚いたものだ。まだ一十才ほどの年齢で、二度目の父親の仕事先の韓国にある学校の寄宿舎に入ることになった彼女は、最初だけホームシックになりはしたが、すぐに母親から離れて暮らす喜びと解放感が優ったと言っていた。自分の母親のことを嫌いだったと、躊躇なく話していた。そんな彼女を見ていると、何でも話せる親しい母娘の関係を持てる私は幸せだとも思ったものだ。 私が一十才くらいの頃、彼女は自分の年齢を気にし出した。彼女の母親が脳いっ血で倒れて死んだ年齢に近づいていたらしかった。 曾祖母のこと 母の母親が亡くなる以前に、父親の方もすでに亡くなっていた。そして、その弟がすぐに再婚の相手として選ばれた。昔は家の存続の為によく行われたやり方だったらしいが、すべてを采配した彼女の祖父の権威について想像したりする。家族のすべての人々が従っている人とは、どのような人であったのか、、、。 その権威ある祖父の妻、つまり彼女のお祖母さんのこともよく聞かせてくれた。 ----もう少し生きとってくれれば戦争は終わり、その後きっととても長生き出来たと思うとよ、と淋しくその話しは結ばれていた。 ******* 私の母は、その最期を病院のベッドで、きっかり六十才で終えた。ある意味では充分生きたし、漠然とした運命への恐怖というものは克服していたはずの女だった。もちろん私は最後まで母が大好きだった。病室へ付き添いに出かける私に父が、 人の為に死ぬ人と、自分の為に死ぬ人がいる。女たちの苦しみは、自分の子どもと他人に囲まれた生活の中で自分を捨てなければならない時、最高潮に達する。自分自身を既に充分に殺して来た彼女が、この期に及んで、どうして果物ナイフなどで自殺なんかしようか。それでもあの時彼女を目の前にして、ほんとうのことを何も言ってあげれなくて、勇気も愛も乏しかった私を お母さん、どうか許してください。 |