もくじ

母の

   

 母の指はふつうの人の倍くらいの太さがあった。そのことに私が気が付いたのはわたしが四才か五才になった頃で、彼女が自分の人さし指を芋虫のようにくねらせて楽しませてくれた時だ。そのやり方はシンプルで、芋虫役の指の先を、もう一方の手の親指と人さし指でつかんで、くねらせるだけなのだが、ぷっくら太くてまーるい指は生き物のように動いた。あんまりユーモラスな形と動きなので、度々リクエストしては、けらけらと笑った。指の持ち主も一緒に笑っていた。

 ある時、たまたま東京から帰省していた母の弟たちが、母の指の芋虫を喜んでいる私を見て、----そうそう。ねえちゃんの指はほんとに太いからねー、となつかしそうに覗き込む。四人の弟を持つ母は、ずーっと芋虫の演技をやって弟たちをあやして来たらしい。弟たちには早く死んでしまった母親代わりでもあった。

 縫い針を持つ太い指がボタンを縫い付けている。傍で見ている私の眼の前を、縫い針がスーッと行き過ぎる。ちょっと恐い気がして少し後ろにすざる。ふた針目が、またスーッと、前よりかなり顔に接近して過ぎる。あれ?これはわざとやってるんだ。と小さい頭がやっと気が付いて抗議するが、けらけら笑いながら喜んでいる母。

 私が小学校に上がる頃、母は近所のとても小さな袋工場の保証人になった。ちょっとした借用書に印を押しただけの。それがたいへんな借金が回ってくるはめになった。そうなった時、借金をすべて背負い込んだまま母はその工場の社長になった。印を押させた無責任な元経営者のAおばさんは、社員になった。

 かつて保証人の母のもとへ、Aさんは毎日夕方になるとやって来て、会計報告をしていた。母も七輪の前で夕飯のしたくをしながら聞いていた。しかしそのAさんの使い込みが他の従業員から告げられた時、いよいよ自分で経営に乗り出すことにしたらしい。勿論Aさんは、借金棒引きのまま出て行ってもらったそうだ、後で私が大きくなってから聞かされた話だが。

 車の免許とか、簿記とか、機械の操作や修理など全て一度に覚えて、一度にやっていた。たくさんの借金からはじめた工場経営は、私が中学生になる頃には少しづつ大きくなっていて、三十人くらいの女たちが働く職場になっていた。

 そんな頃の母の指は、印刷機のインクや製品の袋にかける防水用のワックスで、色や臭いが染み付いていた。

 母から怒られたという記憶がない。どんなことがあっても感情的になることがなくて、いつも落ち着いて見えた。しかし弟たち、つまり私のおじたちの話によると、

 「ねえちゃんは終戦の日、台所で包丁をだまって黙々と何本も研いでいた。あの時は、恐かったなー」

 後で本人から聞いた所では、いざとなれば弟たちを刺し、自分も死ぬ覚悟だったという。母は馬山の郵便局長だった父親や弟と共に、韓国で終戦を迎えたのだ。街中から「マンセー!マンセー!(万歳!万歳!)」の声が聞こえていたそうだ。襲撃された日本人の家や店の話が届く中、好意を寄せてくれていた韓国人の手引きで、安全な所に逃げて、引き上げ船に乗ったという。

 その時の母の手には、数冊の本と衣服の入ったふろしき包みだけがあった。

 その本のことは良く覚えている。本棚にいくつか黄ばんだ本があって、小さい私でも「ゾラとセザンヌ」というのは読めたから。 母は絵が好きだった。太い指でキャンバスに筆を走らせたりしたこともあったのだ。

 たくさんのことをした指。母の指の思い出。