白い人 その2

「セカンドコンタクト」

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 その頃ぼくは、双眼鏡を胸にぶら下げてあちこちと歩き回ってばかりいた 。以前からよく家の周辺を散策してはいたが、それまでは必ず手にスケッチブックを持っていた。
 それはスケッチをする為ではない。こんな田舎では平日の昼日なかから外をぶらついていると、概して悪い評判がたってしまう。スケッチブックは、自分が画家であることの証しのつもりだった。絵描きなら外をぶらぶら歩くのも、絵のモチーフを求めての必要な行動というわけだから。

 しかしそんな謂わば大事な通行手形、身分証明書を、バードウォッチングを始めてからは持つことをしなくなった。なんのことはない、新しい実質的なアイテムである双眼鏡を使うのに邪魔になったからだ。
 ただ、双眼鏡では何の身分証明になるというのだろう。鳥を見るためには時に姿を隠すようにして双眼鏡を構えなければならない時だってある。例えば草むらの陰にうづくまっているようなところを見られたら、むしろいかがわしい目的を想像されないとも限らない。
 その辺はまさに背に腹は変えられぬということだろうか。何故なら野鳥を双眼鏡で見ると、これがツボにはまってしまったのだ。レンズでズームアップされた野鳥たちの仕種や姿は、野性への限りない憧憬を掻き立てた。

 趣味は人の生活習慣を変えるものだ。朝に弱く、いったん眠りに入ってしまうといくらでも眠ってもいられる面倒くさがり屋の性格が一変した。明け方だろうと、どんなに寒かろうと、珍しいさえずりが聞こえたその瞬間に眠りから目覚めるのだ。そしてそのさえずりの主の姿をひと目見ようと暖かい布団から飛び出す。しかも心は騒ぎながら、鳥を驚かしては元も子もないので窓にはそっと近づく、という配慮は忘れない。こんな風になったのには自分でも呆れる。

 まだ寒い夜があっても、昼間には暖かい風を感じるようになると、木々の新芽から伸び出した柔らかい若葉が淡い緑の霞みを山々にかけ出す。
 木の葉で視界が遮られることが少ないので、バードウォッチングにも今は格好の季節でもある。相変わらずその日もぼくは制作もせずに、まだ陽も高い時刻に家の近くの「ポイント」にいた。
 そこはひと山全体が神社の敷地になっている。数千本のもみじが植えられ、紅葉の時期には、たくさんの参拝者やハイカーやカメラマンの集まるスポットにもなったりする観光地でもあった。しかしこんな時期にはほとんど人のいない場所だ。それを幸いに、ぼくは勝手に自己の鳥見の「縄張り」にしていた。

 その時、神殿へと続く長い石段の途中にある広場の一角にしゃがみ込んで、一瞬前その声を聞いたばかりの鶯の姿を双眼鏡で捉えようと、前方のもみじの植え込みをぼくは凝視していた。
 鶯という鳥は非常に用心深くてめったに明るい所へ出てこないので、双眼鏡で見るのはバードウォッチングビギナーにとっては結構難かしいのだ。鳥がちょっとでも動けばすぐに発見できるようにこっちは全然動かないでじっと眼に注意を集中する。

 するとその時眼の端で何かを見た。
 白い人間のようなものが少し離れた右側の竹林の中を移動している、斜面を降って行く。瞬間ぼくは気が着いた。そこは人がすんなりと降っていけるような斜面ではないのだ。対岸の斜面は竹が疎らに生えているがかなりの急勾配のはずだった。
 思わず鶯のことも忘れてそのものが行った方向へ、谷が見渡せる崖際に走り寄っていた。下を見る。しかし何も発見できなかった。疎らに生えている竹、その根元に伐られて転がっている竹、笹やぶ、堰堤、、、。それらの中に動くものの姿はなかった。
 全身が白ずくめだった。いつかの夜に見たあれと良く似て、しかもずいぶん大きな体格をしていた、、、そんなことを急に思い出していた。
 しばらく忘れていたはずのあの夜の体験が、一挙によみがえって来た。
 そして「また見た」という思いで胸が熱くなった。今度のは昼間、こんなにぽかぽかとした穏やかな昼下がりに、、、そして光線はこんなにも明るいではないか。

 いったい何なんだ? これが「霊」というやつか?そんなものは本当にあるんだろうか? あの夜は相当神秘的だった、、、それに比べると昼間の境内のこののんびりした感じ、、、でも神社なんだからこの場所こそ心霊現象が起きるのにふさわしいとも言える?、、。
 しかもああいう風に出るのか、、、いや足があったぞ、、、いやそりゃ足があることもあるかも知れない、、、それに夜見るものとは限らないか、、、もしかしたら一方が幽霊でもうひとつが霊とか、、、そんなものどこが違うんだ? いやいやこんなのは両方ともただの錯覚に過ぎないんだ。
 それとも脳の病気?一時的な、、、一時的さもちろん。つまりは幻影や夢ってことになるのか、、。