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もともとおかしな夢を見ることが多い。というより夢はいつもおかしなものだろうか。
小学二年生の時、学校へ行く道で昨夜見た夢を思い出した。
----まちを歩いていたら、出ているかんばんが英語ばかり。なのにぜんぶ読める、まだローマ字も知らないのに、アルファベットがみんな読める。意味もわかる。オモチャや、ケーキや、デパート、レストラン、ジテンシャや、ガソリンスタンド・・・みんな英語だ。
「なーんだエイゴなんてぜんぜんむずかしくないじゃん」----
-----そうだ夢で見たあの自分の英語の能力を試してみよう、とあたりを見回してみる。
ところがどこにも英語の看板らしきものは見あたらない。これでは持てる能力を発揮しようがないと思い、なんとかアルファベットだけでも見つけてやろうとするが、それもできずにとうとう学校まで来てしまった。ほんとうは遅刻するのが怖くて辺りをゆっくり見回している時間の余裕が持てなかったのだ。始業時間に遅れると、校門の前にいるシュウバンという腕章をした上級生にクラスと氏名を告げねばならない。朝が弱かったぼくは遅刻常習犯だった。そのリストに記名されたうえ担任の先生に渡るのをいつも恐れていたのだ。
その日は時間に間に合ったかどうか今では忘れたが、果たせなかった思いで始めのうち何となく悶々とした気持ちで教室の自分の席に座っていたことを覚えている。しかし多分授業を受けたり、友だちとたわいないお喋りをしたり遊んだりしているうちに、その夢のことも昼休み前にはすっかり忘れてしまっていたのだと思うが。
さて学校が終わり、帰ろうとランドセルを背負って校門まで出て来たら、再びその夢を思い出したのだ。そこでその頃いつも帰る時には一緒で、その時も横に並んで歩いていた仲の良い同級生の友人に、ぼくはこのことを話した、ただし夢のなかのこととしてではなく現実のこととして。
「ねえすぎもとくん。エイゴよめる? ぼくよめるよ」とこれはもう自慢だった。
杉本君はそこで英語で書かれたものを捜し始めた。彼は疑っているわけではないのだった。むしろ今明かされた、自分には及びもつかない友人のその能力に、心底から驚きかつ敬服したのだ。そしてこの目の前にいる神童に、どれだけの英語力があるかを見せてもらいたいという思いを抑えることができない。信じているその人の華々しい天才的能力を、ただ拝ませてもらいたいという熱烈な信者の純粋な欲求なのだった。その日の朝学校へ来るまでの間にぼくがやったように、彼もまた看板のようなものをあちこち見ているようだった。
やがて、「あっ、あれは?」とようやく発見したこの良き友は嬉しそうに叫んだ。指差す方をぼくが見ると、大きな丸い時計を壁に取りつけてある三階建てくらいのビルがあって、その下に確かに英語らしきアルファベットの文字が、建物の壁から浮き出るように幾つか横に並んでいるのが見えた。十字路に向いた角の部分が道路の膨らみに合わせて切った格好になっている面に、一字一字貼りつけられていた。その朝、時間を気にして先を急ぐ方向とは逆向きだった為に見落としたのだろう。しかしその字の並びを見た時、瞬間不思議なことにそれが夢で見たなかの看板の一つに、確かにあったという気もして、ぼくは即座にそれを声に出して読んだ。、
「ト・キー・ヤ」
聞いた杉本君は、また改めてぼくの能力に敬服しているようだった。
実際にその建物が時計店だったのかどうか、街の様子が変わってしまった今となっては確認しようもないが、そんなことよりも子ども同士の、素直過ぎるほどの友情の健気さに(この年齢になると)感心するしかない。だから例えそこが時計店でなく、その字もそう読むのではないとしても、ぼくたちには一向に構わなかったのだろう。
ただ、その文字と同じ文字が父親の腕時計に刻印されていたことを、その時ぼんやりとでがあるが思い出していた気もする。
他にアルファベットが見つからなかったのでそれ以上の試みはなく、二人はいつものように、互いの家への分岐点まで肩を並べて仲良く帰途に着いたのだった。
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