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高校生くらいになると、同じような夢を頻繁に見るようになった。
正確にはいつ見始めたのかぼく自身にも定かではないが、妙な現実感があってほんとうに夢なのかどうもあやふやになってしまうのだ。それも常に意識されるので落ち着かなかった。
それだけ強い現実感があるかと言うと、そういうわけでもない。少しおかしな具合だった。
「そうであれば良いのに」というようなよくある現実との関係ではなく、むしろ「そうであるはずなのに」とか、「そうでなければ良いのに」というような具合に、夢の方がある意味現実よりリアルとでも言ったら良いだろうか。
ドアを開けて部屋に入って来た
すでに横にうつ伏せになって
躰は浮き上がっている。
宙に浮いて部屋に入って来たのだ
(いやそうではない水の中なのだここは)
ぜんぜん息は苦しくない/自由に呼吸ができる
(それにこの水はまったく透明だ)
何の抵抗も感じない
目の高さぐらいを水平に移動し
次第に高度を上げ天井近くまで浮き上がる
両腕をクロールのように動かすと
前に進み机の上空を越えて窓の方へ向かった
窓を開ける
(外も水の中らしい)
真っ暗で夜なのか明かりもない
そのまま外に泳ぎ出る
電信柱が鈍く光ってそこに立っていたので
その周りを回ってみたゆっくりと
それからちょっと柱を腕で押して
反対方向へ躰を投げ出すと
スローモーションのようにそっちに向かうが
躰は何もまわりに感じない
(周囲は水にちがいない)
さらに高度を上げてみる
電線を避けながらもっと上に
街を見下ろすような高みに上って行けた
遠くを見ると低い山が見えた
(この水はなんて透明なんだ)
その向こうにもっと高い山があるようだ
暗くて良くは分らない
(そっちの方へ行ってみよう)
やがてたくさんの木が見えて
山の上方を泳いでいるのが分る
木と木の間を/山と谷の間を/泳ぎめぐる
雲のすぐ傍まで上がった
(ここまでも水は満ちているのか)
雲の天井に背中を擦りつけて遊んだ
もう一度降下して自分の家に戻ろうとする
しかしうまく行かない
少し困るが/それほどの困難ではないだろう
(これだけ泳げたのだから)
案の定すぐに降下開始/家は目の前だ
この夢と細部では若干違いはあるものの、ほとんど同じ内容の夢を何度か見た。泳げないぼくは「泳ぎ」がコンプレックスになっていたので、それがこの夢の動因の一つになっているのだろうことは、容易に想像ができる。これを性的な何らかの衝動に基づくもの、または暗喩と分析したりもできるのだろうか。
もう一つ、この夢を見るようになった前後から、耳から顎へかけての顔の前の部分に水の表面のような感覚、ちょうど顔を下にして、水面に顔を半ば漬けている時のような(さわさわと何かが触っているような)感覚を実際に感じることが多くなっていた。それは懐かしい感覚でもあった。
『小学五年の夏にはよく海へ行きました。
水泳パンツをズボンの下にはき、友だちの杉元もとかず君と二人で自転車で海まで一時間くらい。わんのなかにある海水浴場に着きます。
ぬいだズボンとシャツを自転車の荷台にゴムヒモでゆわえた袋に入れ、海水パンツだけになって海に入ります。水中メガネをつけ、泳ぐのではなくもぐって遊ぶのです。あさい所ばかりです、僕らはあまり泳げないですから。
水のなかからキラキラ光る水面を見上げたり、海中をずっと向こうまで見て、そこに友だちのもぐっている姿を見つけたりするのが、僕らにとっては深い所でなくてもただおもしろかったのです。小さな魚が目の前を通ったりすると、むちゅうになってまた息つぎしては何度でももぐりました。
海の底のこまかい砂がフワッとうかび上がったそのなかに、色のきれいな形のおもしろい石を見つけると、小さなそれをひろってはおたがいに見せあったりしました。そのなかにすてきな石があると、またさがそうと思うのですが、なかなか同じようなものは見つかりません。
いくつも石をひろってしまうと手で持ちきれないので、海水パンツに入れたのです。水中ではふ力もはたらくし、だれも見ていないので平気だったのですが、水から上がった時にパンツのまんなかが下へ大きくたれてすごくはずかしかったので、せっかく何時間もかけてひろった石なのに、また水に入って海水パンツの中から全部水中にすてなければなりませんでした。あの時は、海の中でうんこをしているようで情けなかったです。
帰りは水から上がったままの海水パンツとランニングを着て、いつもズボンは袋に入れたままで自転車に乗って帰ります。
一日じゅう遊ぶと、帰る時には顔の横に波のさわさわした感じが残っていたりします。杉元君も
「なんか耳のそばがぽしゃぽしゃするねえ」と言っていました。
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