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フジ山の見える湖畔でスケッチをしていたら、ランドセルを背負った黄色い帽子の学校帰りの小学生たち四、五人が近づいて来て、ぼくに絵を見せてくれと言うのだ。
「旅をしながら絵をかいているの?」なかの一人の子が言った。「おじさん絵がうまいね、おれも絵のコンクールで賞をもらったことあるんだ」
この周辺に住む田舎の子どもという印象はなく、妙に大人びたところのある子だった。表情から自分も将来は絵描きみたいな自由な暮らしをしたい、というような希望が読みとれるように思えた。
ぼくはその子に自分の過去の姿を映していた。
一人の中年の男の人に絵を見てもらった。湖のそばの、葦がたくさん生えている場所を描いたそのスケッチをその人はじっと見て、それから、 「きみは絵描きになりたいの?」と聞いた。
「絵描きになりたいならなれば良い、それはそんなに難しいことじゃない。けれどもこのおじさんには難しいのだよ」と自分のことを言っているらしい口調で言った。
自嘲ということを未だよく理解できないでいたその当時のぼくは、彼の言っている後半の部分はよく分からなかったけれども。
彼はそこで描いたというスケッチを見せてくれた。そのなかには湖の向こうに悠然と聳える富士山などは描かれていなかった。
いつもならもうとっくに北へ飛んで行ってしまっている白鳥もその時はまだ湖の中に悠然と浮かんでいたし、観光客向けにと、白鳥をイメージして、ぼくらのお父さんたちがアイデアを出して遠くの専門業者に注文した、町のみんなが自慢にする変わった形のボートもそこにはあったのに、その人のスケッチにはそんなものは全然登場していなかった。
およそここが有名な湖だというような特徴は何もなく、反対にどこにでもあるような芦原や湖周辺の低い山、水辺の細い木などが描かれていた。ぼくはそれがプロの絵描きの描く絵の特徴なのだと漠然と理解したのだったが、
----もしかしたらこの人は、と、ぼくにはその時それとは別に何か閃くものがあった。
----自分のいる場所を出たいのかも知れない、ぼくのお父さんみたいに男の人たちがみんなどこかに拘束されてまだ汗をかきながら働いているこんな時間に、遠くからわざわざ来てまで、こんな場所にスケッチブックを前にじっと座っているのからして、絵描きであるとしかぼくからすれば見えないけれど、この人はこの人で自分の今の状況にずいぶん不満を持っているのかも知れない、などと。
しかしすぐにそんな考えは打ち消された。彼のような人生の終末に辿り着くようなぼんやりした不安はぼくには縁遠いのだ。それにぼくはぼくなのだし、未だこんなに若く元気なのだから、将来はどうとでもなると思っている。今がどうでも必ずいつかは絵描きになるのだ、ぼくは。
友人からもらった一台のオートバイがきっかけで、バイク二台での野宿しながらの旅もした。寝袋と炊事用具以外にテントを持って行く。二台ともオフロードバイクということもあって、幹線道路ではなく、山のなかの未舗装の細い林道や、崩れそうな険しい峠道や、車の通らない寂しい間道ばかりを繋いで走るので非常に時間が掛かる。
峠を越えて北軽井沢に出たは良いが別荘街を見ても少しも面白くない、せっかく初めて来たのだからとギャルでいっぱいの喫茶店に二人で入ってみたが、コーヒーがやたらに高いだけだった。
何度も出かけて行くと、地図も一応の目的地も持ってはいるが、それはあるというだけで、本当の目的は、ただそんな荒れた道を遠くへ走るだけになっていった。
バイクはどこにでも停められる。それで適当に道の脇の林に入ってテントを張って寝たら、夜野ネズミがたくさん集まって来てテントをつっ突いてチューチュー騒いだり、何か大きな動物がテントの周りをぐるぐる回る息づかいが聞えたりしてまんじりともしなかったこともある。
ある峠でのテントのなかでのこと。夜が長く何もすることがないので携帯ラジオを聴いていたら、Aの小説の朗読が流れて来た。こういうのはぼくは割と好きなので何とはなしに聞いていると、もう年齢で言えば還暦をとうに過ぎているだろうか、でも今だ艶があってよく響く映画俳優のSの押し伸ばしたような低い声で語られる物語は、どうやら主人公が幻聴を聞くというところがクライマックスのようなのだ。
「おーるらいと、おーるらいと、、、彼はいつもこの声を最近聴いていた、彼が何かをしていると聴こえて来る声、おーるらいと、おーるらいと、、、」
Aが自殺をする寸前まで書いていた作品だというし、深夜のこんな暗い森のなかで一人で聴いているといかにも何か暗い影響を受けそうで恐ろしい、またこんなのを彼女が聴いたらもっと怖がるだろうから消そうと思って、ラジオに手を伸ばしながらちらっと彼女の方を窺ってみた。
すると、眠っているはずの彼女を包んでいる青い色の寝袋全体が、テントの中に吊るされた小さなロウソクのぼんやりとした明かりのなかで、細かくもわずかに震えていたのだ。むしろこちらの方にずっと恐怖を感じた。彼女にしてみれば怖くてもそれでも聞かずにはいられないという気持ちだったらしい。
ラジオの方はお盆の時期だったから「怪談もの」の企画だったのだろう。
翌日、高原を快適に走り抜けていると突然の渋滞。しかしそこはバイクの特権、車の横をどんどんすり抜けて行ったら何と大きな野外彫刻パークの前に出てしまった。
----こ、これは、前から聞いていたあの、「彫刻の墓場」ではないか !?
怖いものを見てしまった、と思った。実はぼくたちが前から絶対見たくないものの一つだったのだ。
やっぱりそれも「お盆の時期」だったからだろうか。
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