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白い人 その9「月蝕」
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 不思議だと思った。偶然だとしてもやっぱり不思議だ。

 彼が描いた人物画のなかの人の額のところに亀裂が入ったと思ったら、それから暫くしてそこが剥落してしまった。わたしのアトリエにかけてあったその絵は、誕生日プレゼントに彼が描いてくれたものだった。

 「まあこれは、技法的にはあまり優等生とは言えないような絵具の使い方をしているからなあ、、亀裂や剥落がおきても不思議じゃないけれどね、、」と曖昧なことを彼は言う。
 「でも問題はこの場所よ」人さし指で、絵具が剥げ落ちて下地の色がくっきり見える、その箇所をわたしが指し示し、
 「これ、右の額でしょう。ということはわたしの左側の神経痛なのよ」わたしにそう強調されると、それを否定することができない。わたしをモデルにして描かれた正面を向いた人物の、右の額にある一センチ四方くらいの剥落を見ていた。
 「だからね、わたしの脳の『欠損』と、この剥げ落ちがぴったり一致しているのよ」ともう一度念を押す。まだそう言われても、この偶然の一致をどう解釈していいのか彼は戸惑っていた。

 右脳は神経束を通して左半身をコントロールしているというではないか。当然左側の座骨神経にも指令を発しているはずだ。

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 四年前の七夕の日の午後、突然激しい左脚の痛みの発作に襲われた。朝少し身体が重だるかったので昼まで寝ていた。起きようとしたがそのまま立てなくなってしまった。座骨神経痛を以前から持病として持ってはいたのだが、それまで経験したことのない激しい痛みだった。しかも長く続く。恐ろしかった。

 身体を移動することも容易でなく、トイレに行くにも這って行かねばならない。よじ上るように便器にやっと座るがそのまま座っている数分間の苦しいこと。横になっても痛い。だから眠ることも容易でなく身体が休まらない。一方治療は効果的に働かず、特に初期の頃は少しも直る気配がないように見えて絶望的に感じた。

 ある日可愛がっていた飼猫が、寝ているわたしを(跨ぐのではなく)踏んで通って行ったことがある。猫にとっては、倒れていて自分の世話もしてくれない者など、何の意味もない存在だったのだろう。

 結局時間が救いになった。発作から一月ほど経つと、寝ているだけなら痛みを感じないで済むようにはなった。
 そこで自分で移動ができるようにと、上半身が乗せられるくらいの大きさの厚ベニヤにキャスターを取り付けて、彼が大きなスケートボードのようなものを作ってくれた。わたしはその上に腹ばいになって、廊下や畳を手で漕ぎながら、彼が絵を描いている一番奥の洋間まで行くことができるようになったのだ。

 夏の涼しい沢風が家のすぐ前の谷を滑り降り、開け放した縁側から入って来る。ランニングに半ズボンという格好で寝ているわたしの身体の上を、なでるように渡っていく。そんなある日の午後のことだ。
 病気で行けないので、彼一人に任せている絵の指導塾で、子どもたちの見本に使う紙粘土の魚を、胸にまくらをあてがって何とか肩だけを起こして作っていた。庭で洗濯物を干しながら、彼はその独り言を聞いていた。
 「たのしいなあ、ただウロコを一つ一つくっつけているだけなのに。ああ、何かを作るのってほんとうにおもしろい」手のなかで思い通りの形が容易にできていくのが、とても楽しく愉快だったのだ。わたしは、いつの間にか自然に祈っていた。

ああ わたしはこうやって
ものを作ることが好きだ
神様どうかもう一度
わたしを立たせてください わたしは
こういうことができるだけで充分です
もう他に何にもいりません
ああどうかもう一度
神様お願いします

 数日後、しばらく前から考えていた計画を、彼が塾の仕事に出かけて家にいない時を狙って実行に移した。このままでは立つことができなくなってしまうのでは、という不安にむしろ背中を押してもらうようにしてだった。
 もう横になっていれば脚の刺すような痛みも感じないだむようになっていたが、いざ立ち上がって上半身を起こすようにすると、徐々に痛みが起こって来てやがて立っていられなくなる。「足湯」といって、熱めの湯をいれた盥のなかに足をくるぶしまで入れているとそれでも少し我慢ができ、身体を起こしている時間を引き延ばせるのだ。そこで足湯をしながら、じょじょに高まって来るその痛みに耐えようと思ったのだ。

 横になったままステレオのアンプの前に盥を置き、そのなかに湯を注ぎ入れる。そして次にそのなかに両足を入れ、壁に片手をつけて身体を支え立ち上がった。もう片方の手でオーディオのスイッチを入れる。音楽なら何でも良い。痛みから必ず出るはずの悲鳴をかき消そうと思った。FMにチューニングすると、フロアーの両方の隅に置いてある、中古で買ったむかし流行ったタイプの重い大きなスピーカーから、女性歌手のよく響く鍛えられた歌声が流れて来た。一方思った通り左脚の先からは、徐々に刺し貫かれるような痛みが上がって来る。
 「いまだ!」ボリュームをいっぱいに上げた。そしていっしょに大きな声で合わせた。
 「ゆうやああけこやけえのおあかとおんんぼおおおお、、、」歌うと言うより、それはもはや叫びだった。闘いの叫び、雄叫びだ。聞えて来る音楽は、この「冒険」への声援だった。次は武田の子守唄、、、
 「おどまかんじんかああああんじんあんひとたああああちゃよおかあしいいいいいー、、、」十分、二十分、じりじりと引き延ばしてとうとう三十分が過ぎた時には痛みから来るわたしの涙は喜びの涙と混じり合っていたのだった。

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 「そんな無理なことをして逆に良くなるものも悪くなったりしないかあ?」
 帰宅した彼は少し心配にもなったようだ。しかし、
 「それが偶然日本のよく知っている曲で良かったねえ、いま流行りの曲や外国語の曲だったらいっしょに歌えなかっただろうから」と、むしろそんな風にいつもの諧謔好みが起こって来るほど、彼もまた嬉しかったということだろう。

そう、見たいものを見に自分の足で行くことができる
好きなところに好きな人と出かけて行くことができる
また好きな彫刻ができる
好きな形を自分勝手に好きに作ることができる
そうだ、自分は自分の周囲にとって必要不可欠な絶対的存在ではない、ただ私は自分のやりたいことがあったし、それをやれさえすれば他の何もいらないと思い、願った、そして願い通りに今再び立ち上がらさせてもらったのだ、だからそれをやろう、そしてその他のことを思い煩う必要はない、私は自由なのだから