「見えない力」 ロング初挑戦
vol.4
1987年4月、彼は沖縄県宮古島の平良空港に降り立っていた。初めて訪れる沖縄はとにかく日差しが強かった。もともと陸上部で夏の暑さには強い彼も、まだ肌寒い日もある東京から、一気にハイビスカスの揺れる初夏の沖縄の太陽には少したじろいだ。だが、そうも言ってはいられない。彼がわざわざ宮古島を訪れたのは、観光などではなく「第3回全日本トライアスロン宮古島大会」に出場するためだった。
今回で3回目を迎える宮古島の大会はその美しいロケーションと、全島挙げて選手を応援し励ましてくれるアットホームな大会として、日本中のトライアスリートの憧れの大会となりつつあるレースだった。昨年ショート5レースに参加した彼は、初めてロングのレースに臨むにあたって、余り深くは考えず、日本のトライアスロンシーズンの幕開けを告げるこのビッグレースに参加していた。
今回のレースには日本のトッププロ集団「チームエトナ」の面々は諸事情で参加しておらず、1,2回大会の覇者として中山選手だけが参加していた。普通に考えれば上位を狙える絶好のチャンスだが、ロング初挑戦の彼にとっては、ショートの時のようなギラギラした順位への執着心はなく、あくまで自分の力試しのつもりで参加した大会だった。
この大会に参加する少し前、彼の生活には大きな変化があった。
しがないフリーの水泳インストラクターでは、トライアスロンをやっていくのに十分な費用の捻出が難しかった。そのため、天草のレースの後、彼は近くのスポーツクラブでトレーナーのアルバイトを始めた。しばらくアルバイトとして仕事をしていた彼だが、たまたま社員としてトレーナーをほしがっていたスポーツクラブは、彼に社員として勤務することを希望してきた。しかも、社員になるにあたり、一定額のトライアスロン参加費用の援助と勤務時間内のトレーニングを認めてくれるという条件だった。小林の「ヒーロー工房」との関係もあるため、自分はどうするべきかを小林に相談をもちかけた。数日して、ヒーロー工房のマネージャーがスポーツクラブを訪れ、支配人との話し合いが持たれて、彼はそのスポーツクラブの社員となることが決まった。どんな内容の話し合いが行われたのか彼は全く知らないが、よりトライアスロンに集中することができる環境を彼は手にして、宮古島のレースに望んでいた。
カラフルな帽子の形をした宮古空港から彼はタクシーに乗って宿泊予定の民宿を目指した。トライアスロンに出場する選手は持っている荷物を見ればすぐ判る。タクシーの運転手はとても親切で、今回が初めての宮古島だと言うことを告げるといろいろレースの話をしてくれた。ただ・・・・方言が結構入るその話は、理解度60%という感じだった。でも、その運転手の対応だけでも、この島の人達がトライアスリートを歓迎してくれているのがありありと伺えた。
空港から宿のある平良市内まで視界に広がる風景は、のどかな田舎町そのものだが、真夏を思わせる太陽の光と南の島独特の植物が、沖縄に来たんだという気持ちをかきたてた。
初めて会う人とのコミュニケーションが苦手な彼は(よくそれでトレーナーやインストラクターの仕事が勤まっているものだが・・・・)、平良市内の民宿に個室で宿を手配していた。宿に着くと、また、南の島独特の彫りの深い顔立ちに満面の笑みを浮かべながら、宿の主人が歓迎してくれた。移動時間が長く、疲れていた心がほっと和むような気がした。でも・・・・
部屋はお世辞にもいいとは言えなかった。4畳半程度の広さで壁はベニヤ板。宮古島はレース期間中、宿泊施設がキャパシティーを超えてしまい個室料金はかなり高くなっているとはいえ5泊6日で、
(JALさんこれで108000円は高いよ・・・・)という部屋だった。
だが、彼が個室に拘ったのは夜ゆっくり眠るためなので、
(一人でゆっくり寝れるのならしょうがないか。)と部屋については余り気にはしていなかった。
それよりも気になるのはレース会場となる東急リゾートホテルだった。荷物を部屋に置いて一息つくと彼は、タクシーを呼んでもらい、決戦のスタート地点。東急リゾートホテルに向かった。
平良市内を出るとタクシーはしばらく海岸線を走っていく。コバルトブルーの波打ち際がそれまで彼が見たことのない鮮やかな色合いで右てに広がっている。
(のんびり遊びでくるのもいいな〜〜)
海の色に見とれながら彼の頭の中はしばしただの観光客と化していた。
しばらく走ると、遠めに白い大きな建物が見えてきた。「東急リゾートホテル」だ。タクシーが近づいていくにつれて、それまで見てきたのどかな南の島の風景とは全く異質の建物が近づいてくる。取り付け道路に入ると両サイドには大きなやしの木があり、青空の中に真っ白で巨大なホテルが浮かんでいる。
(すげ〜〜!)
リゾートホテルなど実際に一度も見たことのない彼は、ただただその威容に見とれて驚くばかりだった。タクシーを降りてロビーに入ると、スタッフは皆アロハシャツのようなユニフォームを着用し、軽装で南のリゾートを演出している。
(相部屋でよければほぼ同じ料金でこっちに泊まれたのか・・・・・・)
自分の時間を邪魔されないための措置とはいえ、民宿を選んだことを彼は少し後悔していた。
フロントのスタッフに尋ねて、それから彼はスイム会場となるホテルの前浜に出てみた。芝生の緑が眩しい中庭を通り抜けて海に出る。防風林になっている木立の間の細い道を抜けていくと、目の前に徐々に海が広がってくる。小道を抜けるとそこは今まで自分が知っている砂浜とは全く異質の世界だった。
砕けた珊瑚でできた砂浜は、その白さでコバルトブルーの海を際立たせている。さっきタクシーで遠めに見えていた美しい景色が目の前に広がっていた。
宮古島の景色はしばしばレースでここを訪れているということを忘れさせてしまう。ただある自然が神秘的な美しさを持っている島だった。彼は無心論者だが、「見えない力」は信じている方で、場合によってはその力に畏怖の念も持っていた。宮古島の景色には、そこここに見えない神の力が宿っているような気がした。
東急リゾートを後にして宿に戻った彼は、風呂や食事を済ませると移動の疲れを取るために早々に床についた。だが、気分が高揚しているせいかなかなか寝付かれなかった。しかも、薄いベニヤの壁の向こうから、大きな鼾が聞こえてくる。
(静かに寝たいための個室だったのに、これでは・・・・・)
しばらくは鼾と格闘することになった彼だったが、しばらくするとやはり疲れもあるのか深い眠りについた。
翌日、レース2日前は、コースの下見、車検登録、カーボローディングパーティーと忙しい1日を過ごした。
コースの下見は余りの意味をなさなかったが、東平安名崎の風景は目に焼きついて離れなかった。
東平安名崎は、その名の通り宮古島東に位置し、約2km海に向かって真っ直ぐ伸びる岬になっている。岬の突端には真っ白な灯台が南の澄み切った青空の中に浮かび、海はコバルトブルーの海岸線から、深遠の濃い藍色を呈していた。
(なんて綺麗な風景だろう・・・)
そんな月並みな表現ではとても言い表せない美しさの前で、彼はしばし静かに揺れる東シナ海を見つめた。だが、この東平安名崎は風景の美しさとは裏腹にレースでは注意を要する場所だった。岬になっているため当然だが、常にかなり強い風が吹いている。バイクにとって風は大敵。特に横から突風に煽られると落車の恐れもある。
(風景に見とれるより、風に注意しないと・・・)
美しい風景を目にすることができた嬉しさはあるが、実際ここをバイクで走るとどうなるのかが少し不安だった。
レースの前日、おかずはそこそこにご飯を目いっぱいお腹に詰め込む。1週間前から、一応カーボローディングはしてきたので、最後の仕上げの食事となる。初めてのロングタイプのレースでどのくらい体力を消耗するのかは全く予想はつかなかった。今は少しで身体にエネルギーとなるグリコーゲンを溜め込んでおきたかった。
レースのスタート時間は8時。明日は5時には起きる必要がある。彼は早々に床についたが、やはりなかなか寝付かれない、そこへまた隣の部屋から大きな鼾。レースでなければお酒でも飲んですぐ寝ることができるだろうがそれもできない。
(まあ、寝れなかったらそれはその時だ。)
開きなおった彼だが、隣の鼾が落ち着くのに合わせるように静かに眠り落ちて、レース当日の朝を迎えた。
レース当日。まだ真っ暗な道をウォーミングアップも兼ねてゆったりとバイクで東急リゾートに向かう。だが、今回のレースで初めて使用するウェットスーツを含めたトランジッションバックが重く、ハンドル操作の邪魔もしているので、のんびりと走ることはできず、星明りだけを頼りに慎重なスピードで走っているというほうが適切かもしれない。彼と同じように送迎バスを使わずに自らのバイクで東急リゾートを目指す選手がちらほら見える。まだ、レースは始まったわけではないので、自分を追い越していく選手がいても穏やかにその選手の動きを観察する余裕がまだ彼にはあった。
約30分かけて東急リゾートにつくと、先日訪れた中庭では、スタート前の神聖な儀式がスタートしていた。彼も当然のように自分のゼッケンの番号の列へと並ぶ。ゼッケンをマジックで腕と大腿部に記入するための列だ。余り想像したくない事だが、海でもし何かあったときは身元をすぐに確認できるものがない。そのため、トライアスロンのレースでは、腕と大腿部に大きくその選手のゼッケンを記入するのが一般的だ。これまでのショートのレースではレース前慌しく記入を行っていたが、宮古島では、真っ暗な闇の中でわずかな光を頼りにのそ作業を行っていく。まさしくこれから始まるロングタイプのトライアスロンという試練に立ち向かう前の神聖な儀式だった。
ゼッケンの記入が終わるとトランジッションバックを預け、それからバイクを預ける。レース前の必要な準備を終えると彼は初めてあることに気がついた。
(レース開始まで後2時間はある。どこで時間をつぶそう?)
宿泊先が東急リゾートであればそんな心配などせずに部屋でゆっくりスタートを待てばいい。この時改めて
(来年は東急リゾートにしよう!)
と彼は思った。
ウォーミングアップを始めるのにもまだ時間が早すぎる。彼は悶々としながらしばらく芝生に座って儀式の列を眺めるしかなかった。
待たされる時間と言うものはとても長く感じる。この時の彼がまさにそうだった。芝生の上で入念にストレッチを行うが時計の針はなかなか進んではくれなかった。レーススタート前に待つことでこれだけのストレスを感じたのは初めてだった。
しばらくそうしているうちに、夜が白々と明けてきた。暗闇の中で行われていた神聖な儀式が、朝日の中でいつもの光景となっていく。漠然とただ遠くに感じて気持ちを苛立たせていたレースのスタートが、朝日を浴びることで身近で現実的ないつもの時間の流れに感じることができるようになった。
レーススタート1時間前、彼は少し気持ちの落ち着きを取り戻していた。
レーススタート30分前。最後の水分補給をしてウエットスーツに身を包むと、やっと入場を許された前浜に彼は向かった。ゼッケンを確認してもらい、レース会場に入る。ここからは、選手と大会関係者以外は入ることができない。いつものことだが、スイムのスタート会場に入ると急に緊張感が高まる。心拍数が上がっていくのが自分自身でもよく判る。しかし、昨年しのぎを削ったJTSの大会に比べると、参加選手がのんびり構えているように見える。ギラギラしたオーラを発している選手は完無に近かった。
(ショートとは随分雰囲気が違うな。)
宮古島に入ってから常に感じていた思いを改めてここでも痛感した。
海に入って軽くウォーミングアップをするが、水が思ったよりも冷たく感じた。
(水温を考えてもウェットスーツは正解だな。)
この大会彼ははじめてウェットスーツを着用してレースに臨んでいた。これまで遅れがちだったスイムがどうなるか?この大会のひとつの楽しみだった。
スタート10分前、流石にスタート前の緊張感が会場全体を包み始めている。その緊張を打ち払うためか?はたまたいつもの儀式なのか?
「今日のレース!頑張るぞー!」 どこかのグループが大きな声をかける。それに呼応して
「オーー!!」 大きな声があがる。
「頑張るぞー! オー」「頑張るぞー! オー」「頑張るぞー! オー」
何回も繰り返される気合入れの言葉に反応する声がどんどん大きくなる。
そういったことに参加するのが苦手な彼は、傍観者のようにその光景を見ていたが、おかげでレースに対する緊張はかなり和らいできていた。
今回のスイムはかなりいけるはずだと考えていた彼は、選手の最前列、やや外側でスタートの号砲を待った。
午前8時。「ドーン」というスタートの合図とともに花火が打ち上げられ選手が次々に、コバルトブルーの海に白い水しぶきをあげてスタートしていった。
上位進出を狙う選手達は、三角形に泳ぐコースの最初のコーナーを目指して激しいバトルを展開する。しかし、ロングタイプのレースはショートと違い本当に完走することに意義を求める選手も多い。泳力に自信のない選手は、そうしたバトルを後ろから眺めた後、ゆったりと自分のスピードでスタートしていく。バトルの中にいる彼には知る芳もないが、参加者それぞれの様々な思いがロングのレースにはあり、それはレースのスタートにも現れていた。そして、沖縄の神々は、選手一人一人に厳しい試練を与え、それをクリアーしてゴールにたどり着いた者には、分け隔てのない賞賛の笑みを送ってくれるはずだった。
スイム3km、バイク136km、ラン42.195kmの沖縄県宮古島のもっとも熱い一日がスタートした。
それまで、必死になだめてなだめて走ってきた足が登り坂に入ったとたん断末魔の悲鳴をあげて止まってしまった。足には全く力が入らない。辛うじて歩いて前進するもののその歩みは遅く、しかも一歩毎に激痛が走る。歩みを止め、屈伸を繰り返しながら思わず天を仰ぐ彼の横を、後ろに迫っていた2人の選手が無常にもパスしていった。この時点で彼は順位を11位に落とした。宮古島で表彰台に上がれるのは10位まで、得意のはずのランで彼は崖っぷちに追い込まれた。宮古島のストロングマン(宮古島ではトライアスロンのレースの完走者を尊敬と親しみをこめてストロングマンと呼ぶ)を見つめる神々は、ランパート18kmを残して絶望感に打ちひしがれる彼に、今日最大の過酷な試練を課していた。
スイムのバトルからうまく抜け出した彼は、最初のコーナーを曲がって長い直線に入ると、辺りには疎らにしか選手はなく、単独遊泳の様相を呈するレースとなった。シーズンオフに積極的にウェートトレーニングを行った上半身は一回りたくましさを増し、スイムのスピードアップに繋がっていた。
先頭争いは、海外招待選手を中山、佐藤が追うという展開になっていた。その先頭争いからはかなり遅れているものの、順位的には彼はいい位置をキープしていた。
マイペースをキープしているつもりでも、単独ではどうしてもスピードが落ちやすい。スイム残り1km辺りでちょうど彼に追いついてきた選手がいたので、そこからはペースをあげ直して、並泳を続けた。
大会3連覇を狙う中山は、約40分でスイムをフィニッシュすると相変わらずの素早いトランジッションであっという間にバイクをスタートさせ、この時点でトップに立った。その後バラバラと選手がスイムをフィニッシュし、スタートから47分が経過した頃、彼がスイムフィニッシュ地点に姿を現した。ウェットスーツを脱ぎながらトランジッションバックを受け取ると、着替えのテントの中に飛び込んだ。そこには、彼よりもやや先着していたチームターザンの桜田がいた。桜田は水泳がもともと得意な選手なので、彼にとってはここで桜田と出会うことは以外だった。
「大城戸さん。今何位くらいですかね?」
「ちょっと、判らない。」
「でも、結構いい所にいると思いますよ。」
「そうだと嬉しいね。」
それだけ、言葉を交わすと彼は着替えを済ませバイクへと走っていった。
(桜田は確かにスイムは得意だから結構いい順位なのかも知れない・・・・)
順調にスイムを終えた彼の順位はこの時点で17位。本人は知る由もないが、当初の予定とは違い、表彰台のトップ10を十分に狙える位置にいた。
(これまでの人生でこれほど辛い坂を登ったことがない。)
そう思わせるほど彼の足は疲弊していた。遠ざかっていく10位に上がった選手の背中を見つめながら、空ろな目で今度は後ろを振り返る。坂の途中からはかなり後ろまで見渡せたが、まだ次に彼の背中を脅かす選手の姿は見えてきていなかった。わずかな安堵感と絶望的な足の疲労感を抱えたまま、再び彼は目線を坂の頂上に見据えて登り始めた。わずか数百mの坂が今の彼には永遠に続くかのように感じられた。バイクで日焼けした両腕がやけにヒリヒリと痛んだ。
(もう、やめたい・・・・・)
そんな後ろ向きな気持ちもふつふつと湧き上がってきていた。
バイクは今回のレースの中で最も未知数の種目だった。レース前一度だけ150km前後のロングライドをこなしたが、千葉に向かって走ったため、アップダウンはほとんどなく、信号や交通量の影響で平均時速は25kmにも満たなかった。宮古島の136kmという距離を走ること自体に不安は余りなかったが、どれ位のタイムでいけるのかは全く予想できなかった。
(とにかく、抑え目のマイペースでいくしかないな。)
相変わらずの楽観的な考え方でバイクはスタートしていった。
バイクパートに入ってしばらく走ると、一人の選手が彼を一気に追い越して行った。バイクのスピードもだいぶ上がってきたつもりだった彼は、余りに簡単に抜かれてしまったために、ちょっとムカっとしてその選手を追いかけた。しかし、そのスピードは自分がショートのレースに参加する時のような速さなので、しばらく追走した後、その選手を追いかけるのをやめた。
(やっぱりマイペースでいこう!)
初のロングでバイクを前半から飛ばしていくのは余りに無謀だった。しかも、彼をパスしていったのは、その後ロングでは世界の舞台で活躍する宮塚選手だった。この時の彼の判断は正しかったと言える。
宮塚にパスされた後は、孤独な一人旅が続く。恩名村から東平安名崎までアップダウンが続いたが、普段のトレーニングでは滅多に使うことのないギアを駆使しながら1周目は無難にクリアーしていった。コースの下見ではその景観の美しさに目を奪われた東平安名崎も、予想通りの強い風で油断ならない場所となっていた。時々襲ってくる横から突風に注意しながら、東平安名崎を進んでいく。
東平安名崎は往復約4kmを突端で折り返すコースとなっているので、ここだけは前後にいる選手を確認することができる。トップの先導車は、すでに東平安名崎を抜けたらしく彼の目には入ってこなかった。
(トップからはかなり遅れているようだし、順位はこれではわからないな・・・)
あせりはなかったが、自分の順位を把握することができないのは少し残念だった。しかし、彼が折り返しに到着するまでにすれ違った選手は10人に満たなかった。
「結構いい所にいると思いますよ。」 桜田の言葉が彼の中で現実味を帯びてきていた。
折り返した後は後続をチェック。彼が東平安名崎を抜けるまでにすれ違った後続は10数名。やはり余り多い数ではなく、後ろから大挙して追走を受ける心配もなさそうだった。
(いい位置にいるようだから、とにかくマイペース!)
1周目で脚はまだまだ元気いっぱいだったが、無理なペースアップは考えず淡々と長丁場のバイクを消化していくことだけを考えてバイクを走らせた。
今回のレースで日本人2人目のサブスリーを目標としていたことが、今は滑稽に思えてくる。坂の上でレースを見物している神々が、
「自分の身の程を知りなさい。」
と彼に冷たい視線を浴びせているように感じた。
坂の半分くらいを登り終えて彼はまた足を止め、ストレッチを行ってその視線をから目を逸らす様な弱弱しい足取りで、再び坂を登り始めた。
前後には全く選手の影は見えず、ましてや背中を押してくれる観客やボランティアの声援もない。宮古島の灼熱の日差しを浴びながら、静寂の中での孤独な戦いが続く。彼は今まで感じたことのない不安な孤独感とも戦っていた。
(誰かこの辛さから俺を解放してくれ・・・)
そんな言葉まで頭を過ぎってしまう。でも、今は一人静寂の中を黙々と坂を登るしかなかった。
バイクはコースの下見を一応したとはいえ、1周80km近くあるコースの全長を把握することは到底できなかった。自分が今一体どこを走っているのかさえ時々分からなくなる。そんな時、コースの分岐点で進行方向を指示してくれるボランティアがとてもありがたかった。
バイクは1周目を無難に消化して2周目に入った。ペースを抑えていたとはいえ、脚には疲れが見え始めていた。
(どこまでこのペースを守れるか?)
やや不安を感じ始めながら、彼はバイクを淡々と走らせた。
2周目の恩名村。リズミカルな太鼓の応援が疲れた身体に勇気を与えてくれる。
(確かあのお年よりは、2時間以上前にここを通ったときも同じように椅子に腰掛け応援してくれていたはず・・・)
そんな宮古島の人達から、
「ワイドー、ワイドー」の応援をもらうと頑張らざるを得ない。(ワイドーは頑張れの意味)
彼は応援の列を抜けていく間、心持スピードをアップしてなんとなく照れくさいような気持ちでそこを走り抜けていった。
(こういった応援は本当に嬉しい!!)
ショートのレースではスピードと息苦しさの中で感じることのできなかった「応援してくれる人達との心のふれあい」を彼は今回のレースでは随所に感じるようになっていた。
しかし、身体の疲労は本格的に彼の身体を蝕み始めていた。東平安名崎へ向かうアップダウンではもう1周目のようなスピードが維持できず、登りがかなりきつい。普段のトレーニングでアップダウンのない所を走っているため、疲れが出てくると登り坂が思うように登れない。
(かなり脚にきてるな・・・・)
トレーニングで走るときとは違う異様な脚の重さをペダルを踏み込むごとに彼は感じるようになっていた。
(この先ペースダウンは否めない。この脚でどこまでごまかせるか・・・)
順調過ぎたレースも中盤に入ってやや不安の要素が頭をもたげてきていた。レースは相変わらず一人旅が続く、精神的にもタフなレース展開となっていた。
永遠と続くかと思われた坂も徐々に頂点に近づいてきた。しかし、気持ちはすっかり萎えてしまったままだった。
(日本人2人目のサブスリー?よくそんな大胆なことを考えていたもんだ!)
はき捨てるように自分に言葉を浴びせる。彼はすっかり自暴自棄になっていた。
坂がやっとなだらかになり、コースの見通しが利く様になってくると、彼の目にエイドステーションのテントが映った。
(とにかく、あそこまでたどりついて後のことはそれからだ。)
坂をやっと登り終えて、重い足取りでジョギングを始めるとエイドステーションを目指す。身体は全く言うことを聞いてくれないが、孤独感に苛まれていた彼にとって、エイドステーションで誰かと話ができると思うと、疲れた脚を何とか前に進めることができた。そして、やっとの思いでエイドステーションに到着すると、ボランティアが勧めてくれるままに水とスポーツドリンクをガブガブ流し込む。それから、バナナ、クッキー、オレンジなどをむしゃむしゃ食べた。
今日のレースで口にする始めての固形物だった。
「デェイブ・スコット(ハワイアイアンマンで無敵を誇った選手)はレース中に水しか補給しない。」という話を聞いたことのある彼は、ここまで水とスポーツドリンクしか補給していなかった。今日初めて食べたバナナはやクッキーは、胃での消化を待たず、あっという間に身体に吸収されていく感じだった。
ひとしきり食べ物を詰め込むとその場で屈伸を繰り返し、それから彼は日差しの照りつける真っ青な空を見上げた。その様子を補給をいろいろ世話してくれたボランティアが少し心配そうに見つめる。
「ここで、萎えた気持ちのままレースを続行するようならこの選手の今日のレースはここで終了。ゴールで我々は微笑んで彼を迎えることはないだろう。反対に気持ちを切り替えて、再度過酷なレースに挑むならその行為に賞賛と再度のチャンスを与えよう。」
宮古島の神々は厳しく、でも優しく彼のレース再開を見守ってくれていた。
バイク100km過ぎ、東平安名崎を抜ける頃には軽いギアを回すことはできても重いギアを踏み込むことがすでにできなくなっていた。当然登り坂が辛い。真っ赤に日焼けした腕は、いくら水をかけても冷却することはできず、かけた水が熱であっという間に蒸発しているのではないかと思える程熱い。思うように力の入らない脚に強烈なもどかしさを感じながら、それでも彼は軽いギアで回転を稼ぎながらスピードダウンは最小限に止め様と必死の戦いを続けていた。幸い相変わらず後続からの追撃はなかった。が、さりとてスピードの上がらない彼が、前走する選手に追いつくわけもない。バイクはひたすら消耗していく身体と孤独感との戦いとなった。しかし、彼はその戦いの中で辛うじて踏ん張り続けていた。
「自分自身の存在を誇示し続けることのできる人間には、それを公の場で表現する機会を与えよう。」
彼の孤独な戦いも宮古島神々は静かに見つめていた。
彼がやっとの思いでバイクゴールとなる平良市陸上競技場の取り付け道路に入ってくる。ここも最後は登り坂。渾身のダンシングで何とか坂を登りきると、彼は競技場横のトランジッションエリアに飛び込んでいった。
ボランティアにバイクを渡すと、手渡されたトランジッションバックを抱えて着替えのテントに入る。バイクウェアを脱ぐと、太腿と腕の真っ赤な日焼けが際立って見える。だが、今はそれを気にしている余裕はない。急いで着替えを済ませると彼は最後のフルマラソンへスタートしていった。
バイクのフィニッシュは17位。奇しくもスイムと同じ順位で彼はバイクをフィニッシュしていた。サドルに腰掛けているのがもううんざりという感じで疲れていた彼も、テントで着替えを済ませる頃には、すでに気持ちは得意のランへとリセットされていた。
(さあ、ランだ!順位は判らないが狙うは日本人2人目のサブスリー!)
ボランティアからの「ワイドー、ワイドー」の大声援を受けて、彼は勢いよくランに飛び出していった。スピードは、ずっとペース走でトレーニングを積んできた1km4分ペース。トレーニングでは20kmまでしか走ったことがないが、いつもトレーニングは余力を十分の残して終了していたので、フルマラソンもこのペースで十分いけると踏んでいつものペースでスタートしていた。もし、そのままのペースで最後まで走り切れてしまうとフルマラソンのタイムは2時間48分強になる。
(流石に最後までこのペースをキープするのは無理だろう。でもたとえペースダウンしたとしても3時間は多分切れるはずだ。)
単独でのフルマラソンさえ一度も経験のない彼が、トライアスロンのランでどんなタイムをたたき出せるかは、神のみぞ知る、という感じだが、「未経験ゆえの積極性」で「無知による無謀」に彼は挑戦を始めた。
ランは最初は下りが続く。トレーニングでバイクの後に走ったランの時とは全く違う脚の違和感が彼を襲う。中学時代からもともと下りを得意としていた彼は、最初の下りでリズムに乗っていいスピードをキープする予定でいたが、脚はまるで自分の物ではないかのような脱力感で言うことを聞いてくれなかった。本来なら地面を叩くようにして下りのピッチを刻む彼だが、着地の際に腿に力が入らずいつもの走りができない。
(あれ?・・・・・・・バイクの疲れでロングでは脚がこんなになるのか・・・)
トレーニングとは違う脚の状態に戸惑いながらも、着地で暴れる脚を何とかなだめながら、それでも彼は予定していたペースを無理やりキープして坂を下って行った。
バイクの終盤から彼はひとつ深刻な問題に直面していた。
(トイレに行きたい!!)
かなり切羽詰った生理現象と彼は戦っていた。サイクリストはレース中、小用は乗ったままするらしいがそんな経験はまだ一度もない彼には到底無理な話だった。バイクを降りたらと思っていたが、タイムロスが惜しくてトイレには行かずそのまま走り出していた。ランに入って暫くは応援の観客もいるし適当な場所もない。
(このままでは、走りにも影響が出てしまう・・・)
暫くは我慢して走っていた彼だが、バイクと違って上下動のあるランでは状況はどんどん切迫してきていた。
(どうしたものか・・・)
どこか適当な場所はないかと探しながら走っていたが、やっと応援の人の切れた先で一人の選手が道路に背を向けてたっていた。間違いなく用足しをしている。
(助かった!!)
彼もそこまで走っていくと隣に並んで用足しを始めた。ところが、我慢し過ぎていたために膀胱の括約筋がなかなか緩まず、すぐには尿が出てこない。ちょっと間をおいてから本当にチョロチョロという感じでやっと尿が出てきた。何となくホッとする瞬間。しかし、それもじきに焦りに変わる。少しづつしか出て行かないためになかなか終わってくれないのだ。
(こんなタイムロスはちょっと情けない。)
そう思っても生理現象には勝てない。何かとても長い時間をそこでロスしているような気がした。やっと小用が終わると、彼は急いで再び走り始めた。心なしか身体が軽くなったような気がした。少し休憩をしたことで暴れていた脚も何となく落ち着いてくれた。
(よし、行くぞ!!)
ランパート3km過ぎ、彼は本格的に前を行く選手を追い始めた。
先行する選手はまたにしか視界に入って来なかったが、一度視界に捉えた選手には彼はすぐに追いつくことができた。マラソン前半のランニングは、非常に快調に推移していた。ただ、不慣れな暑さにはバイクの時と違ってかなりの違和感を覚えていた。脱水症状を避けるために頻繁に水分補給はしていたが、とにかく腕の日焼けが痛い。水のスポンジで給水ポイントの度に腕は冷やすが、効果はほとんどなく、腕のヒリヒリとした感覚は段々増してきていた。だが、それも彼のランスピードに直接影響を与えるものではなく、足はテンポよく前に進めることができた。
5kmの表示ポイントを通過。彼が時計に目をやるとランをスタートしてからまだ17分強しかたっていない。
(おいおい、この距離表示はいくらなんでも違うだろう・・・)
1km4分程度のスピードで走ってきたつもりはあるが、小用のロスもあるいくら下り坂だったとはいえそんなタイムで5kmを通過できるはずはなかった。
(今後、距離表示は余り当てにできないかもしれないな!!)
宮古島のアバウトな距離表示に彼は自分のペースの把握が難しくなってしまった。でも、もともと陸上競技をやっていた彼はペース感にはかなりの自信を持っていた。
(正確には判らないが、練習で身体に染み込ませてあるペースで行くしかないな。)
そう考え、あくまで自分自身の身体と対話しながら、一定のペースを維持してランを消化していった。
10kmの掲示板を通過。ここまでで41分が経過。スピードはほぼ一定のつもりで来ているので、この5kmが23分というのは全然信じられない。
(やっぱり、距離表示は大まかな目安でしかないな!!)
まだまだ、先の長いマラソンの序盤で距離表示が狂っているからペースが判断できない云々言ってもしょうがない。彼は、焦らず自分の息遣いと地面から足に伝わってくる感覚を頼りにスピードを維持することに努めた。
この時点で彼の足はまだまだ元気そのもの、スピードも申し分なかった。しかし、そのいつものペースがやがて彼を抜き差しなせない状況に追い込みつつあることを、まだこの時は全然察知することはできなかった。
彼が身体に違和感を覚え始めたのは15kmを過ぎた辺りからだった。テンポ良く前に送り出していた足が、少しづつ前に出て行くのを嫌がり始め、同じスピードを維持するのにも必要以上に足の力を使わなくてはならなくなってきた。それでも、彼は1km4分のペースを維持することに拘り、スピードを落とそうとはしなかった。
(このスピードが最後まで持つわけはないが、とにかくいけるところまではこのスピードで行こう。)
練習でさえ20kmしか走ったことのない彼に、フルマラソンで後半どんなダメージがくるかなど予想もできなかった。疲労で後半スピードが落ちるだろうと予測はしていても、それは漠然とした自分の中での予測に過ぎず、実体験のあるものではなかった。
無謀に突き進んでくる彼に、神はロングの厳しさを教えるための試練を用意し、彼の到着を静かに待っていた。
20km手前の急な下り坂。本来は得意なはずの下り坂で、腿の押さえが効かず膝が崩れそうになる。バイク終了時の違和感とは全く違い、今度はそれを押さえ込むことは無理だった。しょうがなく彼は、ややスピードを落として、坂を慎重に下っていった。しかし、押さえの効いていない足での下り坂は、着地する毎に一歩一歩が頭に響いてくるような感じだった。
そして、坂を下り終えた彼の足は、鉛を貼り付けられたように一気に重くなり平坦路に入ってもスピードはいっこうに上がらなくなってしまった。
折り返しを間近に控えて彼の足は急に彼の意思を地面に伝えることを拒み始めた。
ここまで、彼よりも先行して彼とすれ違った選手は5人。もうじき折り返しに到着することを考えるとかなりいい順位にいることが予想できる。しかし、この時の彼は自分の今いる位置を喜ぶ余裕はなく、今まで、経験したことのない疲労感に襲われて、今後のレース展開に大きな不安を感じ始めていた。
(やっと半分だ!!)
そんな気持ちで彼は視線の先に折り返し地点を確認した。だが、今の重い足取りでは折り返し地点はなかなか彼に近づいて来てくれない。目標がはっきりすると自分の身体の動きの悪さに一層の焦燥感が募る。
そして、本当にやっとの思いで彼は折り返しの大きな標識に持たれかかる様にして踵を返した。ここまで、彼に先行して折り返しを通過した選手は8人。折り返しの時点で彼は入賞ラインの10位以内にすでに入っていた。
(9位か・・・・)
自分の順位をはっきりと確認できた時彼の心の中では複雑な思いが去来していた。ショートのレースであれば後続の選手に追いつかれる心配などなく、後はさらに順位を上げるだけで、ひたすら前に突き進めばいいはずだった。しかし、今日は全然状況が違っている。この先に残っているのは、いまだ経験したことのない未知の21kmと、すでに疲弊しきっている身体だけだった。前向きにこの後のレース戦略を考えることのできる状態では全くなかった。
(この状態で後 どこまでいけるか・・・)
彼の心の中はすでに不安ではちきれそうになっていた。そして、その気持ちに追い討ちをかけるように、一度遥か後方に追いやったはずの選手二人が、じわじわと彼の後方に迫ってきていた。
それでも、エイドステーションで手短に給水を済ませると彼は必死に足を動かして行った。いままで走ってきた約21kmを帰っていくことが、4倍にも5倍にも長く感じられる折り返し地点だった。
折り返してすぐのエイドステーションでの水分補給もそこそこに、彼は今まで戦ってきた道を戻り始めた。しかし、その姿は「矢折れ刀尽き」という様相で、消耗しきった顔には生気が窺えなかった。
(このまま、後ろの選手が追いついてこないでくれ!!)
悲壮な思いで悪あがきのように身体を何とか動かして前に進んでいく。だが、ジョギングのようなそのスピードでは、後ろの選手が彼を捉えるのは誰の目にも明らかな状況だった。
折り返してから数km、懸命な思いで逃げる彼の前に先ほどやっとの思いで下っていった坂が立ちはだかった。意を決して坂に挑んだ彼だったが、宮古島の神々が課したその試練の前に彼の足は断末魔の悲鳴をあげて歩みを止めてしまった。
坂の上のエイドステーションで補給を終えた彼は、ジョギングのようなスピードで再び走り始めた。
(なんとか、完走だけはしたい!!)
その思いが身体を突き動かしてくれていた。順位を11位に下げ入賞圏内から脱落したことで、気持ちは確かに沈んでいた。しかし、萎えた気持ちでレースを投げ出し、今できる精一杯の努力をしないということは彼にはできなかった。
(とにかく、今走れるスピード何とかいこう。)
順位は別にして彼はまだまだ前向きにレースと対峙していた。動かない足であえぐ様に一歩づつ前進していく彼を、この試練を与えた神々は静かに微笑んで見ていた。そして・・・
「前向きにレースに取り組むお前には再度チャンスを与えよう。」
神は前向きにレースを続行する彼にチャンスを与えてくれた。
しばらく走るうち、ジョギングのようなスピードで走っていた自分の身体が少し軽くなってきたような気がしてきた。あれだけダメージがあって一時は歩くのもままならない感じだった身体がそんなに短時間で回復するとは思えなかった。しかし、何となく身体は軽い気がする。
(駄目もとでスピードをあげてみるか・・・)
恐る恐るスピードをあげてみると、さっきまでの鉛を足に貼り付けたような感覚はなく足はスムーズに前に運ばれていく。
(あれ?ひょっとしていけるのか?)
今度はもっとしっかり地面を捉えて、ストライドを伸ばしてみた。すると、足は彼の意思を地面にしっかりと伝え、自分がイメージしている通りのペースで再び走ることができた。
(どうして?あんなに動けなくなっていたのに・・・でも、この与えられたチャンスを活かさない手はない!!)
生き返った彼は、マラソンスタート時に見せたスピードに匹敵する速さで前を追い始めた。そして、彼にとっては奇跡としか思えない出来事に目に見えないものの力を感じた。
(もし、いるなら神様ありがとう。)
さっきまでの意気消沈していた気持ちがにわかに泡だって、彼は軽い躁状態になっていた。そして、一度は諦めた10位入賞を目指して、前方を睨み付けながら前を追っていった。
驚異的な回復を見せた彼の足は、大きなストライドで軽快なリズムを刻んでいく。しばらく、走るうちに坂でおきざりにされ、視界から全く消えていた選手の背中を再び捉えることができるようになった。
(よし!あいつを抜けばまた10位だ!)
快調なペースで飛ばしていく彼にとってその選手に追いつまでにさして時間は必要なかった。マラソンの序盤と同様に一度視界に捉えた背中はあっという間に大きくなってくる。そして、失意のどん底に沈んでから、まだ30分も経たないうちに彼は再び入賞ラインの10位に復活した。
レースに対する気持ちが一度はすっかり萎えてしまったのが嘘のように今は走れることが楽しくてしょうがなかった。10位に上がった後も、9位の選手との差は50mほどしかなく、その選手も彼はあっという間に置き去りにすることができた。
(さあ、この後どこまで順位をあげることができるか?)
足から伝わってくる地面の衝撃を気持ちよく受け止めながら、しっかりと前を見据えて、彼は次の獲物を目指した。
彼が驚異的な回復を見せて再びランのスピードを取り戻した頃、この日レースの神から最高の祝福を受ける選手がゴール間近に迫っていた。
京都の前田選手だった。前田は、スイムこそ彼とほぼ同じタイムでフィニッシュしていたが、バイクで順位をあげ、中山とバイクでトップに立ったまま1位をキープしていた田中を得意のマラソンで次々と捉えてトップに立ち、ゴールの競技場に帰ってきた。
軽快な走りで前田が競技場に入ってくると、大きな歓声が前田を包む。場内アナウンスがちょっと興奮した口調で前田を紹介している。競技場内の観客に軽く手を振りながら、前田は優勝をかみしめるかのように少しスピードを落として競技場のトラックを回る。最後の直線に入る手前で、宮古島の祭りの衣装に身を包んだ「パントゥー」が前田を歓迎して伴走する。そして、宮古島の神々に扮した供を連れて、前田が満面の笑みをたたえてゴールを駆け抜けた。前田の健闘を称えて、今日一番の拍手で宮古島の神々がゴールで彼を迎えていた。
「今日の彼は最高のレースをした。その努力と勝利に対する飽くなき執念に賞賛を送ろう。」
その後、前田に抜かれはしたものの、地味ではあるが嬉しさをにじませて田中が2位のゴールテープを切る。そして、3位は中山。宮古島3連覇のならなかった悔しさが、はっきり見て取れるゴールシーンだった。そして、この大会はそれまで中山の独壇場となっていたトライアスロンのレースシーンを変えていく最初の布石となるレースでもあった。
そうした選手達が悲喜こもごものゴールをしている頃彼はまだ、今日の自分のレースがどのように締めくくられるのかを想像することもできず、ただがむしゃらにゴールを目指していた。
残り10kmをきった辺りで疲労困憊で足の止まってしまった外国招待選手をパスして順位は8位に上がった。
(後はとにかくゴールするだけだ!)
そう信じて走る彼に、宮古島の神々は最後の試練を用意して彼を待っていた。
快調に見えた彼の走りに再び異変が起き始めたのはゴールまで残り5kmを切った辺りだった。気持ちよく前方に送り出すことができていた足が急に重くなってきた。スピードに乗って走ることができている間は、小気味良いリズムを刻んでいた地面との接地時間が、急に長く重く感じられ走りのリズムも狂ってきた。
(どうして・・・?)
彼の身体に今回起きた神々の試練はおそらく長距離に対する経験のなさから来る低血糖症状だったと考えられる。一度目はレースを半ば諦めて栄養補給をしたおかげで再び走り出すことができたが、調子に乗って走るうちに彼の身体は再度低血糖症状を起こして失速した。
(何で、また動けなくなってしまったんだ?)
この時の彼にはその回答を導き出すことはできなかった。そして・・・
失速した彼を後方から凄い勢いで選手が追って来ていた。
マラソンには絶対の自信を持っている伊与田選手と一度はパスした外国招待選手が、再び彼の後ろに迫ってきていた。観客の声援でそれに気づいた彼だったが、如何せん身体は全く言うことを利かない。二人はあっという間に彼を追い越すとそのまま彼の視界からどんどん遠ざかっていってしまった。
実際、伊与田のスピードはすばらしく、皮肉にも彼が目指していた日本人二人目のマラソンサブスリーを達成して8位でゴールをした。
そして、残された彼は、入賞ラインギリギリの10位という現実に全く動いてくれない身体で後4kmを戦わなければならなかった。
表彰台に上がって賞賛の拍手を浴びるか、反対に賞賛の拍手を送らなければならない立場になるのか、今、彼はそのギリギリの場所で辛うじて踏み留まっていた。しかし、足は全く動いてくれない。しかも、宮古島のラストは、マラソンのスタート時は勢い良く下って行った道を今度は登らなければならない。
(後続との距離はどれくらいあるだろうか?)
(もしかしたら、何か食べればまた元気になるかも・・・・)
不安を押し込むようにエイドステーションでバナナを口にほおばった。しかし、前回のように立ち止まりはしなかった。
(少しでも前に進んでおきたい。)
普段の彼なら軽いジョギングのようなスピードで辛うじて彼は走り続けていた。
2度目の低血糖症状は、最初の時よりも状態は深刻でその後彼の足が再び力強く地面を捉えてくれることはなかった。焦燥感に苛まれながら、彼は度々後ろを振り返る。そして、選手の姿をそこに見つけることができなければ、一瞬の安堵感を得ることができたが、動かない体はすぐに彼の心の中の不安を増大させ、また、後ろを振り返る。時間の流れがまるで止まっているかのように、最後の数kmを彼はそれまで走ってきた距離以上に長く辛く感じていた。 そして・・・・
約3時間前にバイクでやっとの思いで登った競技場への取り付け道路に彼が入ってきた.上り坂でスピードダウンは否めなかったが、それでも彼はもがくように坂を登って行く。坂をほぼ半分登り終えたところで、彼は祈るような思いで後ろを振り返った。
(ここで、もし後続の選手が見えなければ俺の10位入賞は決まる。)
彼の視線の先に後続の選手はなかった。いままでの不安な思いから開放され、一気に安堵感が彼を包んだ。
残す距離は後1km弱、彼は力ないスピードではあるが、こみ上げてくる嬉しさを味わいながら最後の坂を登っていった。
ついに坂を登りきった彼が、競技場に姿を現した。競技場が大きな歓声に包まれる。そして、宮古テレビの実況アナウンサーが少し高揚した口調で彼を場内に紹介する。
「10位入賞の最後の一人は東京から初参加の大城戸選手です。大城戸選手聞こえてますか!!10位入賞ですよ!!ワイドー大城戸、ワイドー大城戸!!」アナウンサーの掛け声に合わせて会場全体が彼を大合唱で迎えてくれる。長かった今日一日のレースが一瞬で全て報われる気がして彼はいままでの安堵感から躁状態に入り、残っているエネルギーの全てをつぎ込んでスピードを上げた。最後のホームストレートに入ってさらにスピードは上がり飛び切りのガッツポーズを作って彼はゴールラインを駆け抜けた。スタートから8時間10分、彼の初めてのロングタイプへの挑戦は、様々な苦難を彼に与えながらも嬉しいメジャー大会初の入賞という結果で幕を閉じた。
(今日の彼は我々の与えた様々な試練に良く耐えた。)
宮古島神々は暖かい賞賛の拍手送りながら彼のゴールを優しく見守ってくれていた。