| 1830年 |
性同一性障害と思われる症候がはじめて医学文献に記載される(ドイツ人医師フリードリッヒ) |
| 1870年 |
Transvestismと思われる症例の明瞭かつ完全な記載(ウェストファール) |
| 1931年 |
世界初の性転換手術が行われる(ドイツ)詳細不明
(イラ・B・ポーリー「性転換手術の現況」による) |
| 1949年 |
Transsexualismという言葉がはじめて医学的に用いられる(コールドウェル) |
| 1952年 |
Transvestismという用語がヒルシュフェルトによって用いられる |
| 1953年 |
クリスチーヌ・ヨルゲンセンの手術(アメリカ人「男性」であったがデンマークに渡りオランダ人医師により「女性」への性転換手術を受けた) |
| 1960年 |
東京でおこった殺人事件の被害者が、直腸を用いた造膣手術を受けた「性転換」女性であった。
国内で手術が行われていることが発覚した最初の事件であるが、手術した医師は罪に問われていない。 |
1964.年
→1969年2月15日
→1970年11月 |
ブルーボーイ事件:産婦人科医師による3件の去勢手術が行われる
東京地裁により、当該医師に「麻薬取締法違反」と併せ懲役2年罰金40万円執行猶予3年の判決が出される
東京高裁により控訴棄却され、有罪が確定 |
| 1966年 |
ハリー・ベンジャミンにより「性転換手術の適用のための指標と基準」が発表される |
| 1966年 |
ジョンズ・ホプキンス大学にジェンダークリニックが設けられる。
第1例目の手術は同年9月21日 |
| 1969年 |
第1回性転換に関する国際シンポジウム(ロンドン)日本からの出席はなかった |
| 1969年 |
アメリカ形成外科学会(サンフランシスコ)で、ジョンズ・ホプキンス大学ボルティモア博士が、
性転換手術に関する講演を行う |
| 1970年 |
コルベット・アシュレイ訴訟(イギリス)MTF-TSと男性との結婚を無効とした裁判。
性別は受精の瞬間に生物学的に決定されるとした。 |
| 1971年 |
第2回性転換に関する国際シンポジウム(デンマーク)東京医科歯科大・穴田秀夫氏が出席、日本の現状を報告する |
| 1972年 |
ザ・タイムスの記者として非常に有名なジャーナリストであったジェームズ・モリスがモロッコで性転換手術を受け、その事実を公表した |
| 1973年 |
第3回性転換に関する国際シンポジウム(ユーゴスラビア)穴田秀夫氏が出席、日本では手術は非合法であると報告する |
| 1973年 |
第2回国際Transsexualシンポジウム(パロ・アルト/スタンフォード大)で、エドガートン博士が、
TSの治療には形成外科・精神科を含むチーム医療が必要、という基調講演を行う。 |
| 1975年 |
第1回国際性研究学会(ニューヨーク)日本からは2名出席(大阪市立大・朝山/東京医科歯科大・穴田) |
| 1976年 |
第2回国際性研究学会(ハンブルク)日本からは2名出席(大阪市立大・朝山/東京医科歯科大・穴田) |
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| 1992年7月20日 |
後に最初の性転換手術を受けることになる「性同一性障害」患者が埼玉医科大学形成外科を受診 |
| 1995年5月22日 |
原科孝雄教授、埼玉医科大学倫理委員会に「性転換治療の臨床的研究」を申請 |
| 1995年10月 |
埼玉医科大学で「性転換手術」を検討していることがマスコミによって報道される |
| 1996年7月2日 |
埼玉医科大学倫理委員会答申の発表・記者会見が行われる |
| 1996年8月 |
「TSとTGを支える人々の会」発足 |
| 1996年9月 |
日本精神神経学会「性同一性障害に関する特別委員会」が設置される |
| 1997年5月28日 |
日本精神神経学会「性同一性障害に関する答申と提言」発表 |
| 1997年6月 |
厚生省の見解「医学会で適切と認めたのなら、母体保護法には抵触しないものと考える」 |
| 1997年9月 |
埼玉医大ジェンダークリニックが「委員会」として正式に発足 |
| 1998年5月 |
埼玉医科大学倫理委員会が第1例目の性転換手術を正式に承認 |
| 1998年10月16日 |
日本国内で初めて、医療行為として公に認められた「性同一性障害」の患者に対する性転換手術が行われた
(執刀:埼玉医科大学総合医療センター形成外科 原科孝雄・井上義治・高松亜子 産婦人科 木下勝之 他)
術式は子宮・卵巣摘出・膣閉鎖・尿道延長・乳房縮小。手術時間6時間。ペニス形成は次回に回された。 |
| 1999年5月11日 |
埼玉医科大学倫理委員会、二例目の手術実施を承認 |
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