終わりに
はじめに
この旅行を決行した少し前、1992年から1993年にかけての年末年始に、鎌倉の
とあるそば屋でアルバイトをした。当時学生だった僕はアメリカンフットボール
に夢中だった。そんな僕ですら、高度消費社会の現実に放り出されていた。物欲
は無限に膨らみ、どうにもならない出費の連続で、僕の財政はかなり悪化し、そ
の日の生活にも困っていた。
僕のような学生にとって、年末年始は稼ぎ時である。一念奮起して、参拝客で
にぎわう鎌倉で、人の食べた年越しそばの器を洗うという仕事を見付けてきた。
ここでの仕事は、かなりきついものだったが、何とか日程を無事に終えてまとま
った金を手にすることが出来た。
同じ皿洗いの仲間に一人の大学4回生がいた。彼は就職先も決まり残された時
間を持て余していた。僕らは皿を洗いながらいろいろな話をした。彼の顔すら忘
れてしまったが、彼の口から出た言葉の一つが、当時の僕の頭から離れなかった。
「時間はいつまでもあると思うな、ゆとりがあるのは学生の間だけだ」
今となっては月並みな、誰でも知っている言葉だ。しかし、当時の僕にとって、
彼の言葉はとてもショックだった。周りの連中は大人になって忙しくなっても、
自分だけは違うと、心のどこかで思っていたに違いない。もしかしたら、その現
実に気づいていながら、意識の奥の方に押しやることで自分の安定を図っていた
のかも知れない。
僕の中でタブーとなっていた言葉を、彼が僕に対して投げかけてくれたことで、
僕はそのことを現実として対応していかなければいけなくなった。僕には皿洗い
で荒れた手とちょっとした金がある。足元を見ればスーパーカブがある。無計画
のまま、九州行きのフェリーのチケットと地図を買った。
