ミニベロと共に

祖谷山林道
( 土佐矢筈山 )

2004年12月

---神戸港--- 船中2泊
---高松港---大歩危〜祖谷トンネル〜新居屋〜祖谷山林道〜矢筈峠(アリラン峠)
〜土佐矢筈山〜大栃〜土佐山田---高松港---
---神戸港---
 

 思いの外冷え込んだ初冬の四国。その四国の山の中で、再び膝が悲鳴をあげた。
それを起こしてしまったのは、初っ端から登坂に取り付くルート設定にしたことと、寒さゆえ、早く温まりたいがためにロクにウォーミングアップもせずに負荷をかけてしまったのが原因だろう。走行開始早々に、太腿の裏側に妙な違和感を覚え、その後膝がギクシャクし始めることとなる。今回は、若かりし頃に痛めた「古傷」に苛まれながらのシビアな山越えとなった。

【大歩危8:30〜祖谷トンネル9:10〜新居屋10:20〜祖谷山林道入り口11:10〜矢筈峠12:40】

 祖谷山林道は、概ね良好なダートではあるが、上部には、川底のようなゴロゴロ石の荒れたところもあり、膝の不調も手伝って「押し」が入ること幾度か。

 取り付きから1時間半ほどで辿り着いた矢筈峠は、別名「アリラン峠」とも呼ばれている。その昔、この付近の林道開設のために多くの韓国の方々が就労されたとのことで、周囲の風景が、祖国のそれに似ていることからこの名が付けられたそうだ。

 「二兎を追うものは一兎をも得ず」。
折角ここまで来て、無難に先に進んでしまっては必ずや後悔するに違いない。しかもこの快晴下。こんな絶好のチャンスに登らずしていつ登るというのか?。先々の予定を外してでも、まずは山頂を目指すべきだろう ・・・というのが峠路で悶々としつつ導き出した答えだった。
そして『旅の相棒』を峠に停めて、更なる高みへと向う。

【矢筈峠〜13:35矢筈山山頂】

 急斜面に顔を歪めながらも、小一時間で立つことの出来た山頂からは、剣山系西方の山々がズラリと出迎えてくれた。山また山
の大陸的な眺めを堪能しつつ、山頂で小休止。そんな中、初老のおじさんに連れられたチビッコ登山家に、「ニッコリ」と微笑む場面もあって心が和んだ。







【矢筈山山頂13:50〜矢筈峠14:20】

 思わしくない膝を庇いながら、なんとか元の峠に戻ってきた。後はもう、引力に任せて下っていくだけ。旅立ち当初の意欲はすっかり消え失せ、ただ無事に下っていくことだけが本日に残されたメニューとなった。
二度三度、先程登った大きな山塊を仰ぎつつ、寒々しい谷へと急降下していく。

 大栃で右折し、土佐山田に向う道すがら、「これ幸い!」とばかりに、丁度良い所にあった温泉に立ち寄る。冷え切った身体には実に好都合で、心地良い湯にしばし沈没、・・・・・。

 「最低でも現地一泊二日」。
そんなつもりで出てきた今回の旅。しかしながら、野営するために詰め込んだ食料や火器、そしてツェルトや寝袋も広げることなく旅は終わった。帰路の駅でそれらのモノを手にした時、「まったくご苦労なことだ」と、改めて思った。
あちこち出掛けていれば、たまにはこんなこともあるだろう。





【土佐山田18:45---阿波池田20:58---琴平21:52---多度津22:05----- ----22:45高松】

 空腹を我慢しつつ、鈍行を選んで高松まで戻ってきた。それでもまだ、0:30発のフェリーには充分な時間があった。

 ここまで大したものを食べてなかったこともあり、お腹を満たすため、とある暖簾をくぐる。そして席に着くや否や、女将さんに「旅の途中?」と尋ねられ、即座に「あ、いぇ、もう帰るんです」などと答えてしまったのだが、一杯飲みながら、その「旅の途中?」という言い回しを反芻しているうちに、なんだか、妙に心を擽られてしまったのである・・・・・。普通なら、「旅の途中?」ではなく「旅行の途中?」と訊くように思うのだが。土地柄だろうか、「リョコウ?」ではなく「タビ?」なのだ。この微妙なニュアンスの違いに、ハッと我に返り、ひょっとして、こう答えるべきだったか?・・・「はい、まだ旅の途中です!」と。
そう、自分は今もまだ
、いろんなことを模索している”旅の途中”なのだから。そんな女将さんの気の利いた問いかけに気を良くして、ついつい酒が進んでしまった。



 (最近度々訪れているお気に入りの四国。その四国のことが益々好きになれた、そんな一コマである)


 結局、膝の不調により旅程を短縮することとなり、往復夜行フェリー利用の実質「日帰り」となったのだが、心地良い山の風に吹かれただけでも得した気分、・・・そう思えばいい。でもまたいつか、予定していた場所を訪れてみようと思う。そしてまた、高松を訪れる際には「あの暖簾」をくぐることにしよう。  (完)


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