高野山から熊野本宮まで、全行程約72km。
そのルートは、縦走型山岳サイクリングの対象として、以前から非常に興味を惹かれていたターゲットの一つである。今回用意した2.5万図は、『高野山・梁瀬・上垣内・伯母子岳・重里・十津川温泉・発心門・伏拝・本宮』と、なんと9枚にも及ぶ。しかもその間に1000m級の峠が四つも立ち並んでいるのだから、「これはなかなか骨の折れる山旅になるだろう」と容易に察しがつくというもの。柔な体力では太刀打ちできないのは目に見えているわけで、冬場から時間を見つけてはコツコツと鍛錬に励むことに・・・「とりあえず、これだけはやっておかないと」。
熊野古道・小辺路。
その参詣路としての意味合い上、「可能ならば『ぶつ切り』ではなく『通し』でアタックしてみたいものだ」と、数ヶ月前から様々な算段をしていたが、妨げとなる諸事情も少なくない。そしてようやく訪れたチャンスが、人混み多き(?)ゴールデンウィークだった。連休の人出の多さは致し方ないところだが、『晴れマーク』が三つも並んでいるのが有り難い。さて・・・
1日目
朝一番の電車に揺られ、都合5回もの乗り換えをして、高野山駅に着いたのが9:16。昨夜は緊張のため、ほとんど眠れなかったことでイマイチ体調がスッキリしない。ボンヤリとしながら自転車を組み立て、気温15.9℃という涼しげな空気の中、大門を左折し高野山に降り立つ。凛とした雰囲気が漂う中、まずは掌を合わせ旅の無事をお祈りする。
昼に食べるつもりのオニギリを二つ、そしてボトルにお茶を満たして、金剛三昧院の石柱を後にしたのが10:30。
最小限に切り詰めたキャンプ装備でやってきたものの、やはり普段と違って結構重い。翌々までの体力温存とばかりに、急坂はそそくさと「押し」を入れておく。高野山から抜け出した所がろくろ峠(10:40)。左右が開け展望が良い。ダート林道をアップダウンしつつ、徐々に標高を100mほど稼いだ先が薄峠、11:10着。峠の切り通しに軽トラが2台。ちょっとガッカリのシチュエーションではあったが、どうやら古道の拡幅工事のための車両のようで、峠からの下りは、しばらくの間ユンボが通った素晴らしきダブルトラックが続いていた。
唸りをあげて稼動中のユンボの横をすり抜け、大滝へと下る。山腹半ば辺りからはシングルトラックとなるが、薄峠から御殿川の鉄橋まで、ミニベロ・キャンピングでさえほぼ100%乗車できたことには驚くばかり。あまりにも幸先の良いスタートに思わず笑みがこぼれた。鉄橋11:35着。
さて、こんな愉快を先に味わってしまって思わぬしっぺ返しが?と思った矢先、登り返してスグの地点で土砂崩れ箇所に遭遇。イバラが株ごと崩れ落ちていて、「痛てて・・・」などとボヤキつつミニベロを担ぐ。土砂を乗り越えた先に作業員の方が三名、丁度お昼ゴハンの休憩中のところをお邪魔した形となった。「自転車で小辺路かいなぁ、こらまたゴッツイこっちゃ」、「この先もっとエライぞぉ」とか。 「まぁ、のんびり、押してでも行ければと思ってます」と私。
急坂を押し上げ、T字路を右へ。大滝の集落では、今が旬!とばかりにシャクナゲの花が咲き誇っていた。民家の間の路地を少し登ったところから、つい先程下ってきた薄峠方面の山並が見渡せた。ここで軽くオニギリ休憩(12:00)。
大滝最奥の民家を通り過ぎると、再び山道となる。ところが、薄峠の下りと同様にしっかりと拡幅されており、真新しいユンボのキャタピラ痕が、延々と続いていたのにはこれまたビックリ!。傾斜はそれほど厳しいわけではないが、キャンプ装備ゆえ、無理に乗車に励むよりも押したほうがラク?といった山道。「MTBなら乗っていけるのかなぁ・・・」などと思いつつ進んだ先で、新しい木橋を掛けたばかりの現場に差し掛かる。ユンボと共に作業員の方が四名。「渡り初めが○ャリンコかいな」、「世界遺産のための整備や」、「兄ちゃんみたいな若いもんが、こんなとこに来るとはなぁ」・・・・・・など。傍らで休んでいたお若い作業員のほうをチラリと見つつ、「いぇ、そんなに若くはないんですけどねぇ」と答えておく。
尾根を巻き、乗車が楽しい平坦路を行くようになると高野龍神スカイラインは近い。(スカイライン出合12:40)
レジャー気分満載の、エンジン音が度々通り過ぎる中、快適なアスファルトの尾根道を約2kmほど進むと、広い二車線の左に『熊野街道(小辺路)・至十津川(熊野)』の看板と共に、如何にも不自然に映る、無理矢理作った激坂が口を開けて待っていた(13:00)。
看板に誘われて押し進んだテッペンが、水ヶ峰の峠と思わしき所。そして水ヶ峰集落跡に13:15着。この辺りはダート林道が続く。そして林道タイノ原線の出合に13:25。ここから先しばらくの間は、左に右に展望が開けてゴキゲンな快走が楽しめるが、しっかりと古道を摘まみ食いすることも怠らない。 |
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| 【右】林道タイノ原線と並行する古道 |
13:40、林道タイノ原線から古道のシングルトラックへ。13:45、再び林道タイノ原線。13:50、平辻から古道に入り、14:25、林道タイノ原線・・・と、目まぐるしく林道と古道を出たり入ったり。まさに林道により古道が破壊されたということを如実に窺い知ることとなる。古道の入口には看板が立ててあるので戸惑うことはない。また、古道には一部切れ落ちた箇所もあるが、尾根上のルートゆえ乗車率はかなり高かった。
標高860m辺りまで下ってきて、再び看板に誘われ、幅員2mほどの整備された急坂ダートをほぼ乗車したまま下りきり、大股の集落に14:45着。長丁場ゆえ、本日はここで終了。近くの野迫川温泉『宮の向かいキャンプ場』へ。
明日からの三連休を当てこんでだろう・・・まだキャンプ場はガランとしたもの。たった一人の貸し切り状態。19:00就寝。
2日目
夜中零時を過ぎてから、一組のオートキャンパーが到着したようで、暗がりの中ガサゴソと耳障りな時間があった。そして「今日」の行程を考えるとなかなか寝付けず。また、切り詰めた装備でやってきたため、寒さで目が覚めることしばしば。結局1〜2時間ほどウトウトしただけか。
3:00過ぎに起床。昨夜は星がはっきり見えていたのに、どうやら曇りがちのようだ。少しばかり結露したツェルトを裏返し、身支度を整えながらお米を炊く。重たい食料は出来るだけ早く消化したいが為、朝からリッチにレトルト・カレー。
ようやく空が白み始めた頃を見計らって、スタートしたのが5:00。朝靄の垂れこめた大股の集落からは、担いだ方がラク?と思うような激坂がしばらく続き、九十九を切ってグングン標高を稼ぐ。靄を抜け出して萱小屋跡に6:00。しばらく押し進むと右の展望が開け、眼下に雲海が見渡せた。思わず「おぉ〜ッ」唸ってしまう。
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いよいよ頭上が明るくなり、木立ちの間から朝陽が零れはじめると、峠は近い。南からの乾いた微風が、しばらくの好天を約束してくれているように感じた。桧峠、6:50着。
朝陽に照らされた素晴らしき天上の道が、1200mラインをほぼ水平に続いている・・・このエリア・・・今のうちが山サイ天国?かも知れない。 |
| あたかも林道の如く拡幅された山道を南下し、護摩壇山・伯母子岳・伯母子峠との十字路に7:15。まだ朝も早く、辺りには人っ子一人いない。「願ってもないチャンス!」とばかりに迷わず真ん中の道を直進する。思えば計画段階で・・・地図を眺めつつ標高線から察するに、「きっと、たおやかな山だろう」と予想していた通り!、実に緩やかな登山路が山頂まで続いていた。押すことしばし、そして7:30、伯母子岳の山頂に到着。辺りに誰もいない、快晴の空の下に広がる大パノラマを独り占め!。ドッカリと腰を下ろして至福のひとときを楽しむ、実に静寂なひとときを。 |
| 【左】AM7:30 快晴の伯母子岳(1344m)山頂にて |
掟破り(?)のピークハントをキメた後は、東に進路をとり、山頂から約5分で伯母子峠へ(7:50)。
峠にはしっかりとした避難小屋があり、10分ほど佇んだ後、更に南下して行く。峠からしばらくの間は快適なシングルトラックが続くが、その先でとんでもない山抜け箇所に遭遇することとなる。その幅は20mぐらいだろうか。足元には数十mはあろう急斜面が谷へと切れ落ちていて、歩くべきルートは非常に狭く、小さな砕石や砂が浮いたスリップし易い状態。リュック姿なら難なく突破できるだろうが、ミニベロを担いで?となると、さすがに勇気が出ない。
実は幸いにも、この危険箇所を回避する迂回路が手前にあって、まずはコチラを空身で偵察することに。しかしながらその迂回路も、非常に難儀な道の付け方がされており、両手両足を使ってまさに攀じ登るような急斜面。オマケに木々が林立しているため、普通なら?自転車と一緒になんて「とんでもない!」、そんな道である。
木々にしがみつきながらも兎に角なんとか、山抜けの上部を通過して、本来の古道へ・・・つまり向う側へ辿り着いた・・・ひとまず空身で。そして山抜けを恐る恐る戻って元の地点へ。(ちょうど一周した形となる)
ここでしばし思案。「危険を覚悟でサッサと行くなら度胸を?」、或いは、「ゆっくりとでも安全に行くなら体力を?」と、心の天秤が揺れる。そしてミニベロを担ぎ上げた方向は?・・・・・・・、やはり迂回路だった。「こんなところで失敗なんてしてられない」というのがサイクリストとしての本音だろう。
その迂回路分岐をミニベロを担いで再出発したのが8:50。そして山抜けを高巻き、難儀しつつ向こう側の古道に降り立ったのが9:10。直線距離でたった20mほど。安全を選んだとはいえ、この20分間の、やはり小冒険による緊張が緩んだ瞬間、ドッと疲労感が。
山抜けの危険箇所を突破し、上西家跡に9:20。
ここから右へ、『世界遺産登録予定ルート』と書かれた案内板が立ててあり、地図にも載っていない・・・どうやら旧道のようで、妙に興味を惹かれたため、右手に進路をとる。だがしかし、そこには赤テープの目印が延々と続いていたものの、まだ整備不足・・・といった感じの道だった。一旦小ピークまで押し上げた後は、尾根筋をしばらく進む。そして左側(東側)へと徐々に標高を下げていくが、杉木立ちの中の鬱蒼とした道を行くこととなり、まるで杣道に迷い込んだような錯覚を憶え、少々不安になる。そして腕時計の(曖昧な)高度計が750m辺りを示した地点で、なんと登り返しの担ぎが!。
あらぬ方向へ下るかに思えた山道に、(10:50)
突如として石畳が現れたのだから満更でもない(?)。切り通し状の深い『U字』を過ぎた先のT地路に、ポツンと石仏が鎮座されていたのには思わず「ホッ!」と。
以後、旧道?と新道?とが交錯するような地形も見受けられ、急峻な山道を下っていった先が三田谷橋(11:25)。予想以上に時間がかかってしまったようだ。下りに選んだ『世界遺産登録予定ルート』は、今のところほとんど乗れない。
山抜けでの緊張感や寝不足も祟ってか、どうやら戦意喪失といった感じで五百瀬に着いた。 |
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| 【右】世界遺産登録予定ルートを下ってきた所にポツンと在った石仏 |
五百瀬周辺にはキャンプ場が無い。明日の行程を考えると余り遠くで野営するのは辛いものがある。そんな心境の中、偶然出会った村人Yさんが、実に親切な計らいで、とある『川べり』を薦めてくださった。お世辞にも決して居心地の良い場所とは言えないが、身体が休まるだけで充分幸せ。 「昔のことを思えば、現代の参詣の旅路なんて楽なもの!」と、この旅で何度か自分に言い聞かせてきた、そんな台詞がこぼれる。
イバラにチクチクと、四苦八苦しつつツェルトを設営した後は、村人Yさんとの語らいが延々夕方まで続いたのだが ・・・・・・(その詳細は書かないことにする)・・・・・・
いろいろあって、不摂生も祟って、何度か身体を悪くされたというのに、毎日タバコを40本、それにコーヒー30杯(!)も飲まれるのだそうだ。最後に、「キミ、次来る時は友達や恋人(?)を連れてきなさい」と言われた時は、何だかこみ上げるものを感じてしまった。
今夜は早目にツェルトに潜り込んで、明日に備える。
3日目
夜中、寒さで何度も目が覚めた。その度に少しずつチョコバーを齧る。
4:30起床。結局昨夜もウトウトしただけで夜が明けた。一握りほど残っていたお米をチキ○ラーメンに放り込んで「ズルズルッ」と食す。
五百瀬から船渡橋を渡ったのが6:00。三浦の集落の急な石畳を過ぎると、九十九折れの連続となる。その途中に、かつては防風林として活躍したという見事な老杉が、まるで阿修羅の如く幹をうねらせ立ちはだかっていたのには強烈なインパクトを受けた。きっとこういった老杉には、山の神様が宿っているのだろう。
二十五丁石に7:00、そしてすぐ三十丁の水場でノドを潤し、特に危険箇所も無いまま、とにかく「押し」の一手で三浦峠に到着したのが7:45。峠には、それを示す道標もなく、ダート林道が横切っている。
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【左】五百瀬の吊橋「船渡橋」を渡って三浦峠へ・・・
【右】かつては防風林としても活躍したという老杉
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ダート林道を横切り、西中方面へと向かう(7:55)。
下り始めは、まず鹿除けのネットの扉を開き、そして両サイドにそのネットがズラ〜リと続く狭いシングルトラックを進む。所々、ネットの目からはみ出たイバラに「チクチク」と刺されて痛い思いをすることも。
三浦峠から西中への下りは、上部にはネットが、そして切れ落ちた山抜けや、落ち葉がギッシリと積もった所が幾つかあったが、『安全に走った』としても乗車率70%ぐらいはあるように感じた。新緑に染まる小径を、独り喜々としながら下っていく。予想だにしなかった「まさに山サイ・ワールド!」と言っても過言ではない、そんな道を。
林道出合に9:20、すぐにまた山道、要所に立てられた看板に誘われて進んで行く。一軒の民家(廃屋?)と農具小屋を見送り、再び林道出合に9:35。
久々に!タイヤがスムーズに転がる舗装路に乗っかって、急降下すると西中大橋(9:40)。予想以上に早く峠を越えてきたとあって、思わず公衆電話からダイヤルを・・・「もしもし、昨日お世話になった者です。朝早くから軒下でゴソゴソしてすみません、朝メシ食べてたもので。それでですねぇ、もう既に三浦峠を越えて、今、西中に居ます。ご心配おかけしました。どうぞお身体を大切に」・・・言葉少なくも、あの村人Yさんに何か一言伝えたかったから。
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十津川温泉まで暫くの間は快走が続く。その途中で再び、家で留守番してくれている嫁さんにも、「まだ早いから、一気に果無も越えるつもり」と、今後の予定を少しばかり伝えておいた。
十津川温泉の柳本橋に10:10。昼食を摂るにはかなり早い時間だが、ここから先、どこで補給できるか判らないし、何よりも、とにかく腹堪えのあるモノを食べたくて!。小商店で買った570円の弁当には、ハンバーグや唐揚げやらが入っていて、即席モノで我慢していた身にとって、この上なく美味しく感じた。「ぅんまぃ♪」 |
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再びスタートしたのが11:00。
まだ五月とはいえ、これからが暑くなる時間帯である。柳本橋を渡った先の案内板を眺めつつ、ラクに行くなら舗装路経由で果無の集落へ上がれるが、ここまで来て「それは出来んなぁ」と、拘りを通すべく国道168号線を500mほど南下する。
標高線から十分察していたが、櫟砂古からは見上げるような急坂が続いていた、しかも石畳の階段が!。長い石段に堪らずフレームの前三角に頭を突っ込み、両肩でミニベロを担ぐ。「フ〜フ〜」喘ぐことしばし。先ほど食べた弁当も、胃袋の中で居心地が良くないようで、思わずゲップがこみ上げてくる。 |
| 【左】櫟砂古から登り始めて2つ目、第三十二観音石像 |
ほどなくして果無の集落に上がる。辺りには石畳が敷き詰められ、何となくネパールの山村を思い出してしまった。民家の軒先に水場があったので、これ幸い!とばかりに「ゴクゴクッ」と口に含んでおいた。石の階段を登り、一旦舗装路に出てから、再び石畳、そしてまた舗装路を行く。看板に誘われ山道を進んでいくと、第二十八番観音像のところにも水場があって、「ホッ」と一息(12:00)。やがて石畳も無くなり、道は穏やかになるが、やはり黙々と「押し」が続く。天水田12:25。
左に展望が開けた所で、この旅で初めてハイカーと出会う。京都から来られた御夫婦だった。清々しい風に吹かれつつ腰を下ろし、新緑溢れる山並をボンヤリと眺めておられた。傍らのミニベロには驚かれた御様子だったが、それなりに理由みたいなものを語った後、同じく腰を下ろして少しばかり談笑を。
「では、お先に」と、若干緩くなった山道を駆け、そして観音堂に12:55。 |
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| 【右】峠まで、あともう少し。第十八番観音石像 |
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「昔のことを思えば、現代の参詣の旅路なんて楽なもの!」
何度か呟きながらここまで。そしていよいよ峠直下。石畳は遠に無くなり、目の前に続くのは丸太のステップ。「最後の一踏ん張り!」と担ぎ喘いだ先が果無峠、13:40着。 だがしかし、苦労してやって来た割りに何も感激することは無かった。ただ「ホッ」としただけ。小辺路最後の難所を越えて、ただ「ホッ」としただけ。古の旅人も、きっとそう思ったに違いない・・・・、峠の新緑を見上げつつ、ボンヤリと小休止。
果無峠からの下りは、実によく滑る落ち葉が山道を覆っていて、ミニベロを担いだままでスリップしかけたことが幾度か。木々の間から本宮方面の展望が開けた時、さすがに「やって来たなぁ」と感慨深いものがあったが、安易に算段していた尾根道の乗車率はそれほど高くはなく、疲労度も増し、ただミニベロを引きずっているだけ?という場面も多い。丸太のステップを丁寧に下りていくと、ようやく民家が数軒の舗装路に(15:05)。
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国道168号線を行く。
高野山を発って以来、全く気付かなかった『音の流れ』が、否、『時の流れ』とでも言うべきか?、そんな光景がそこには在った。ウンザリするのも束の間、九鬼から右に上がって行く。もう少し素直になって、そのまま国道168号線を南下すればラクなのに、「いやいや頑と!」。 |
| 【左】小辺路の旅も、もうすぐ終わり。(三軒茶屋跡〜熊野本宮大社) |
| T字路の左にある階段を上れば三軒茶屋跡(15:30)。この辺りからはそぞろ歩きのハイカーが、一組、二組・・・。熊野大社へと続く古道は綺麗に整備され、半ば辺りは平坦で『林道走り』が楽しめるものの、やはり熊野古道?最後の最後にまたもや石畳が続き、疲労困憊の身体にオマケの『担ぎ下ろし』をプレゼントしてくれた。住宅地を過ぎるとようやく熊野本宮大社、16:05着。遥か高野山から幾つもの山を越え、ようやく長い旅路も終わりを告げる。そして熊野の神々の使者といわれる八咫烏を仰ぎ見た時、思わず「やった!」と。 (完) |
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