一昨年辺りから「お気に入り」の四国・剣山周辺には、走り甲斐のあるターゲットがまだまだ豊富に残っている。時間や体力の兼ね合いで、度々妥協してきたターゲットを、何とか走破できればと今秋もまた足を運ぶことにした。いつもの『旅の相棒』にキャンプ装備を積み込んで・・・
加藤汽船で高松に渡るのは、これで何回目だろう。0:30発、夜行フェリーで揺られていく。
平日の船内はガラ空き状態だった。両手を広げて眠れるのが嬉しい。だがしかし、少ない乗客の中で一際目立っていたのが釣り客のグループ。たんまりと酒が入った御様子で、呂律の回らないダミ声で一晩中ウダウダと騒いでくれたのには閉口してしまった。私と同様に輪行袋を抱えたオジサンが、早朝の高松港で「寝る所、間違えたなぁ」と辟易した口調で苦笑い。オジサンはお遍路旅だそうだ。高松駅を始発で発って、多度津で別れる。お互い「お気をつけて、良い旅を!」と声掛けあって。
高松4:58〜5:37多度津5:38〜6:32阿波池田7:20〜7:51大歩危
阿波池田にて
高知行きの列車に乗り換え |
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多度津の手前でようやく夜が明け、阿波池田、そして更に南へと向かう。
途中、黒川駅に着いた時、山の肩から「そっと」控えめにオレンジ色の朝陽が顔を出した。「今日も天気が良さそうだ、早くペダルを回したい」。
そんな早る気持ちとは裏腹に、乗り継ぎの時間にサンドイッチを食べたのが悪かったのか?。土讃線で南下していくにつれ、非情にも便意を催し始めた「ヤバイ」。生憎一両編成の列車にはトイレがついていない。・・・祖谷口、・・・阿波川口、・・・、・・・。幾度かピークを迎え、いったん小歩危で小康状態となり、そして大歩危で居たたまれなくなって緊急脱出
!?。輪行袋をホームに置いたままトイレに直行となった。間一髪、まさに冷汗モノである。 |
予定では豊永駅まで輪行して、そこから走り始めるつもりだったのだが、次の列車を待つにしてもまだ一時間近くもある。・・・といっても大歩危から豊永までは僅か2駅。11kmほどの比較的平坦な道程だから、軽くウォーミングアップするのには好都合の距離といえる。そして好奇の視線を受けながら(?)大歩危駅で輪行袋を紐解き、スタートしたのが8:20。ゴールデンウィーク以来、実に4ヶ月ぶりのツーリングの始まり始まり。
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ダミ声を聞かされつつ夜行フェリーに揺られたことで、まったく寝不足寝不足。身体がヤケにフワフワとした状態でのペダリング開始となった。まずは国道32号線を分かれヨサク(439)へと。登り始めてすぐの所にあったスーパーで行動食を買い込み(9:00)、久しぶりの長〜い長い登坂にかかる。路上の電光掲示板には「21℃」とあった。この9月、西日本には厳しい残暑が続いていたが、どうやら少しは秋の気配か。乗り換えの駅・阿波池田ではずいぶん冷たい風が吹いていたし・・・。これから向かう山懐では、きっと朝晩グッと冷え込むに違いない。 |
| ウネウネと、谷筋を這い上がるかのように続くヨサクは、立派な「国道」ではあるものの、その幅員が部分的にかなり狭い所もあったりして、車とのすれ違いざま、思わず路肩に倒れ込まんばかりに身を寄せること幾度か。また、道路整備のため通行規制がかかり、10分ほど停滞させられた所では、ガードマンのオジサンが「この辺は四国ん国道で一番悪いんゃ」とか。そして停滞中の会話で「四国はどうや?」との問いに、「落ち着いた雰囲気でボクは好きですよ、最近ちょくちょく来てるんです」とお答えすると、日焼けした顔を皺くちゃにしてずいぶん喜んでくださった。「独りで寂しぃないんけ?」などと訊かれたけれど、「まぁ、静かにボンヤリとするのが、ね!」と曖昧に返しておいた。 |
沖という集落付近から展望が開け、まだまだ高く遠いところに越えるべき稜線が見えた。そしてその稜線の緩やかな鞍部がどうやら京柱峠のようだ。電波塔のようなものが立っているのが確認できる。
時々メモやら写真を撮りながらノンビリと登っていくと、突然「トマト食べんけ?」と畑からオバサンが顔を出した。どうやら私が登っているのを上から見ておられたようで、こちらが挨拶すらしていないのに・・・あ〜びっくり。「どうもありがとうございます」。 辺りには、あちらこちらにコスモスの花が咲いていた。 |
11:00。『 京柱峠・土佐の国・ようこそ大豊町へ』 と書かれた、やや俗っぽい(?)峠の道標が私を迎えてくれた。大豊から登ってきたのに「ようこそ大豊町へ」はないだろう・・・なんて思いもしたが。
2時間もかけて登ってきた谷筋を見下ろせば、つい今しがた走ってきた道ととも、幾重にも連なる山肌が遥か遠くまで続いていた。実に峠らしさを感じる峠である。一方の徳島県(祖谷)側は、これまた大きな山塊が連なっていて、先々のペダリングに「さぞかし骨の折れることだろう」と容易に察しがつく、そんな眺めが広がっていた。その眺望の右奥には「ひょっとして、あれは一昨年登った剣山か?」と思いきや、峠茶屋の御主人にお尋ねすると、どうやら天狗塚(1812m)だとか。この峠から剣山は見えないのだそうな。天狗塚〜西熊山〜三嶺へと続く稜線は、四国一の縦走路と聞く。いつかじっくりと歩いてみたい。
そんな眺めを楽しみながら、持参した即席ラーメンを作る。
峠には水量豊富な水場があって、コッヘルで直にすくってコンロに点火。ものの数分で『京柱ラーメン』の出来上がり・・・「旨い!」。さて、空腹だったお腹が満たされると睡魔が襲ってきた。寝不足に加えこの上天気。ついつい瞼が重くなるのも無理もない。正午まで、ほんの少し「ZZZ・・・」の時間。
17kmもの長いダウンヒルを楽しんで、新居屋に着いたのが13:00近くだっただろうか。T字路を右に進めば次のターゲットが待ち構えているが、午後からは雲も目立ち始めたことだし、何も急ぐことはない。去年お世話になった『かずら橋キャンプ場』へと、ヨサクを分かれ左折する。
キャンプ場に向かう道すがら、またしても通行規制に引っ掛かり、今度はナント30分待ちだとか、「ぁ〜じれったい」。平日ながら、車の列がズラズラと。
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午後まだ早い時間にキャンプ場に着いた。
シーズン外れの実に暇そうな管理棟でチェックインを済ませ、キャンプサイトにテントを張る。辺りはまさに閑古鳥で、利用者は私ただ一人。今夜は静かに過ごせそうだ。とにかく、まずは手足を伸ばして横になりたい。ごく微量(?)のアルコールで心地良い気分となり、夕方までノンビリと過ごす。 |
陽も西に傾き始め、いよいよお腹が空いてきた。持参したお米とレトルトカレーが今夜のディナー。
さて、お米を洗って、コンロにガス缶を取り付けようとしたところ・・・「おや?」。ガスの残量がずいぶん心許ないではないか。これでは明日からの分が足りそうにない・・・さてどうしよう?。
お米は2合持ってきた。つまり2食分強。即席ラーメンだとすぐに調理できるからガスも節約できるものの、お米を炊くとなるとその消費量も結構なもの。行く先々を思うとしっかりキープしておかないと、思わぬ失敗を仕出かしそう・・・というわけで、徐に拾い始めたのが落ち葉や小枝。よく乾燥したそれらを掻き集め、ライターで火を点けると見事な炎をあげた。「フーフー」と息を吹きかけながら燃え残りの炭にも火をいこらせ、周りをブロックで囲えば上等なカマドの出来上がり。「こんなことするの、いったい何年振りだろう?」。レトルトパックをコッヘルの蓋に載せ、しばし火の見張り番となる。そして数分後、おこげの無い見事にツヤツヤとした御飯が炊けた。「やってみるもんやね」。
ほどよく温まったレトルトパックを開封し、スプーンで掬った御飯を『その中』に漬けて食べる。決してコッヘル側にカレーをあけない。食後コテコテに汚れたコッヘルを洗うのが面倒くさいから。「あ〜美味しッ、これで無事に一日が終えられそうだ」。 |
今回はラジオを持ってくるのを忘れてしまった。そんな夜は長い。ボンヤリと考え事でもしながらビールをチビチビと飲む。
外は少しばかり冷えてきた。長袖のアンダーウェアを上下共に身に着け、ラグジャとレインウェアを着込み、エマージェンシーシートを掛布団にして、19:45就寝。ザワザワと流れる沢の音を聞きながら、誰に言うでもなく「おやすみ」とポツリ。
寒さで何度か目が覚めたものの、昨夜はまずまず眠れたほうだ。早朝3:00起床。先にテントを撤収して荷物のパッキングを済ます。そして昨夕に引き続き、落ち葉や小枝を拾い集め、朝も早くから煙をあげて飯盒炊爨。軽く一握りのお米を炊いて、とっておきのブレックファーストは『永谷○のサケ茶漬け』。このメニューは朝一番のお気に入り。何せ手軽で受け付けが良いから。
5:00、まだ辺りは暗い。久々に走った昨日の疲労を、身体はしっかりと覚えているようで、少々腰や肩が凝っている。軽くストレッチなどをしながら夜明けを待ち、さて、5:30、本日のスタート。
勝手知ったる道を東へ進む。昨夏、ここを走った時も同じような時間帯だったのだが、あの時は雷注意報が出ていて、時々稲光が瞬き、嫌な気分でペダルを回していたものだ。しかしながら今朝はすこぶる快晴。祖谷の谷から見上げる空が淡いピンク色に染まる中、坦々と落合の集落へと向かう。そして剣山方面と落合峠への分岐に6:50。缶コーヒーで軽く補給した後、この旅のメインディッシュ、長い長い落合峠への登坂に踏み込んで行った。
| 取り付きから峠までの標高差は、京柱峠も落合峠も920〜960m(ぐらい?)でさほど変わらない。しかしながらその距離は、京柱峠の18kmに比べ、この落合峠への道は14kmと(12kmとも?)記されていて、距離が短いだけに勾配がきつい。切り詰めたキャンプ装備ではあるものの、重たい負荷がやがて「ズシリ」と足に来ることだろう。無理矢理取り付けた偏屈なインナーギアが、ここで活躍してくれることを期待する。 |
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落合谷川に並行するように進んでいくと、ようやく山の向こうから朝陽が顔を出した。辺りは高い山ばかり。谷間の集落に陽光が届くには、まだ相当な時間がかかりそうだ。
きつい勾配に堪らずインナーにチェーンを移す・・・といってもミドルからインナーへは、わざわざ自転車から降りて『手動で』という非効率なもの。まともに作動するよう上手いテは?と考えてはいるが、人と競うわけでもなく「まぁこれでもええか」と、とりあえず乗っている。 |
標高1300m付近まで登ってくると、左になだらかな稜線を見渡すこととなる。僅かに撓んだ所がどうやら落合峠のようだ。細い道筋がその撓みに吸い込まれているのが確認できる。時々休んではチョコを齧り、ボトルの水を飲んで、そしてまたペダルを回す。道中、出勤模様の軽トラなど、せいぜい片手で数える程度の交通量、「まったく静かなもんだ」。
ところが峠間近になって、何やらけたたましい音が「???」。突然現れたヘリコプターが上空を2度3度行き来して・・・そして再び静かになった「?」。
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何はともあれ、ロー&ローのギア比を駆使しつつ、長かった登坂を終え、落合峠8:55到着。
この峠は、阿波加茂祖谷に通ずる唯一の文化交流と生活の道であったとか。そして西日本一のススキの名所であるとも。登ってきた彼方を見渡せば、やや逆光に霞む山々と祖谷の谷が。そしてそろそろ秋らしさを感じさせるススキの穂が少なからず揺れていた。足元には、リンドウの花が「ホッ」と穏やかな気分にさせてくれる・・・そんな峠。 |
とにかくお腹が減っているので、即席ラーメンを「ズルズルッ」と啜り、ボンヤリと佇むこと小一時間。
そうこうしているうちに、3台の車に分乗した、カーキ色の衣服に身を包む十数人の方々が祖谷側から上がって来られた。その方々の話を聞くまでもなく、先ほどのヘリコプターの意味が判った。・・・・・その詳細は書かないことにする・・・・・そしてそれなりの言葉を残し、峠を去る。 |
峠から向かうつもりだった『当初の予定』を変更して、そそくさと北側へ下ってきた。
落合峠から深淵へは、僅かなダート区間を残してほぼ綺麗に舗装されている。ダム湖を過ぎれば次は桟敷峠。深淵からの登り返しは150m程度か?。落合峠を”メインディッシュ”とするなら、この桟敷峠は”食後のデザート”といったところか。緩やかなカーブを描くように切り通しを乗っ越せば(10:50)、明るく開けた谷が眼下に広がる。そして吉野川まで標高差1000mもの急降下。三加茂の町まで下ってくれば「下界は夏・・・!」と改めて感じることとなった。日中は、まだまだ暑い。
吉野川沿いを東に進む。
正午前、歯応えバッチリの「ら・し・い」冷しうどんでチープな昼食を済ませ、美馬中央橋に着いたのが12:55。ここからは再び標高570mの峠越えである。昨夏、猛暑に辟易して挑む気にもなれなかった峠だ。これから向かう相栗峠は、高松への「入口」というより四国山地からの「出口」として、この旅をキッチリ締めくくる意味で「必ずここを通過しよう」と計画段階から心に決めていた。さて、再び長い登坂との会話が始まる。
相栗峠への道は、先の落合峠に比べれば勾配は緩く、坦々とペダルを回せるといった感じである。が、何せ午後からの暑さが身に堪え、スポーツドリンクでノドを潤すこと幾度か。体力の消耗具合もなかなかのもの。早朝5:30から行動しているわけだから、途中休み休みとはいえ疲れてくるのも無理もない。だが、峠が近づくと、何故だか「この坂が終わって欲しくない」とも思えてくるのである。それは、いつも旅が終わりかけた頃に思うこと。最後のピークを過ぎれば、あとは日常へと戻るだけだから・・・相栗峠、14:20着。 (完)
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